ベル
あーあ、学校が退屈なのは昔も同じなんだな。
遼一が通う学校の様子を見に来たのは失敗だったかな。生徒たちは黙々とブラックボードに書かれてることをノートに書き写してるだけだし、肝心の遼一はというとモモカを遠くから眺めてるだけなんだもんな。
もう一人の遼一の様子も気になるし、一度杉山家に戻るか。
そういえば、学校の教室の至る所にあった小窓は一体なんなんだろう。よく見ると上の方にもあったし、小鳥でも飼っていたのかな。でも、おかしいんだよなー。この時代の学校は校舎内で小動物を飼育していたって聞いていたのに、そんな様子は微塵も感じられなかった。学校が小動物を飼っていたのはもっと昔の話で、この時代にはもう廃れてしまったのかな。まあ、僕の読んだ資料が間違っていたんだろう。
しかし、この時代の道路事情ってのはどうなってんだよ。歩道のすぐとなりを猛スピードで車が走ってるじゃねーか。こんなんじゃ、いつ死人が出てもおかしくねーぞ。ガードレールがない道路も普通にあるし、自転車は歩道を走ってるし……ん、どこにも自転車レーンがねーな。え、この時代のバイカーたちはどこを走れば良いんだよ。
なんというか、この時代の日本を一言で表すとしたら……混沌だな。景観はゴチャゴチャで、道路はデコボコで、なぞの柱はそこら中にある。あの柱と柱をつないでいる大量のヒモもよく分からん。地震大国である日本が電線を柱の上でつないでいるとも思えないしなー。あんな物、すぐに倒れてしまって危ないんじゃないだろうか。この時代にいると日本に対するなぞは増していくばかりだな。
この身体に乗り込んで分かったことがある。それは動物の個体差だ。動物なんて模様が少し違うだけで、どれも似たようなもんだとばかり思っていたけれど、それは大きな間違いだ。上から見下ろだけでは気が付けないが、歩き方や腰の振り方にも個体差があって、体格や肉の付き方にまでもその差が生じているんだ。勿論、目の位置だって千差万別で、目つきだって異なるのが普通だ。
僕の好みは……そうだなあ、あいつなんか良いね。ブロック塀の上を堂々(どうどう)と歩いている奴だ。あの引き締まった脚は魅力的だ。でも、僕がそういう目で見られるのは避けなければ……。この任務に就く前にこいつらの生態について調べてみたが、その性交渉に関してはとても衝撃的なものだった。発情期の雄には捕まらないように気をつけよう。
「しーんいりくん、どこに向かっているんだい」
「んびゃー(何しやがんだてめー)」
は、離せー。急に持ち上げられるのは苦手なんだよ。
「そんなに暴れるなよー、オレとお前の仲だろう。また、家に遊びに来てくれるのかな」
お前はだれだよ。そうやって後ろで持たれるとてめーの顔が見えねーんだよ。早くその手をどけんかい。
僕が必死に抵抗すると、そいつは僕の体を解放してくれた。
僕が後ろを振り向くと、そこには見覚えのある顔がにっこりと微笑んでいた。
どうやら、この女に捕まるのにも気を払わなければならないようだ。
僕がこうしてこの女に付いて来たのは、決して食べ物に釣られたからではない。この女が食べ物の話題を振った時に僕のお腹が鳴ったのも偶然に過ぎない。なぜなら、食べ物に釣られるほど僕は卑しくないからだ。僕がここにいるのは任務のためである。それ以外のなにものでもない。
人間は三大欲求に支配されてしまう生物だが、僕はそんな低俗な生物を超越した存在であると言えよう。食欲、睡眠欲、性欲、そのどれに振り回されることもない。そう、僕は完璧な生命体なのだ。
「よーし、奮発して良い物買ってきてもらっちゃったぞ」
「これってすごくするのな。値札を見た時にびっくりしちゃったよ」
「私もレシートを見たときは驚いたわ」
「やっぱり返品して違う物を買ってこようか」
「良いの、私が一番高い奴を買ってきてってお願いしたんだもの。それに、新入りくんが待ちくたびれちゃうわ」
良いから早くしろよ。もう待ちくたびれてんだよ。
「あれ、なんかこっち睨んでない」
黙れ、小僧。
「そうね、早く開けてあげましょう……ん、開かないわ。遼一、ちょっとやってくれる」
遼一がつめを立ててタブを引き上げる。そして、蓋が開いていくと、そこから溢れ出す甘ったるい臭いが僕の嗅覚を刺激する。ダメだ、もう我慢できない。
僕は遼一が下に置くのより早くそれに飛びついた。
あー、たまんねー。この香り、この歯応え、そして、この深みのある味。全てが完璧だ。
ふぁーあ、お腹一杯になったら、なんだか眠くなってきちゃった。でも、遼一の観察は続けないと。
遼子がこっちに手を振っている。僕の存在に気が付いているようだ。一応、立ち去ったフリはしたんだけどな。あの女、侮れない。
「誰に手振ってんの」
「さっきの新入りくんよ」
「新入りくん」
「一緒に缶詰上げたでしょー」
「あー、あいつね。また来たのか。卑しい奴だな」
お前は黙ってろ。
「名前付けて上げなきゃね」
「名前ねー。どこにいんの」
「あそこよ。遠くからこっちを眺めてるわ」
遼子がこっちを指差すが、遼一は見向きもしない。いや、お前が聞いたんでしょ。ちょっとは興味を示せよ。こんなにナイスバディなレディー、なかなかいませんぜ。
「なんて名前が良いかしらね」
「ポチ」
こら、それは犬の名前だろうが。
「悪くないわね」
お前も乗っかるな。
「でも、もっと可愛らしい名前が良いわ」
「……ってか、あいつメスなの」
「あー、分からないわね。……ま、どっちでも良いじゃない」
え、ちょっと待て。なんかおかしい。
「両性具有か」
「何それ」
「ニューハーフみたいなもんだよ。今流行ってんじゃん」
待てーい。お前ら、こっちに聞こえてないと思って、好き勝手ぬかしてんじゃねーぞ。
「遼一は変なことに詳しいのよね。将来が心配だわ」
同感です。
「ベルクダッツェ」
「あら。なーに、それ」
「あいつの名前」
「やだ、なんか格好良いじゃない。どういう意味なの」
「カッチャマンの適役の名前だよ」
「またアニメ。まあ、良いわ。ベルちゃんにしましょう」
こうして僕は『ベルクダッツェ』と名付けられた。これは後で分かったことなのだが、その元となったキャラクターは雌雄同体のミュータントである。雌雄同体とは簡単に言えば男女のことだ。つまり、遼一は僕に男女の名前を付けさせたのだ。遼一め、機会があったら仕返ししてやるからな。
「今、学校に行ってるのはどっちだっけ」
「どっちって……何が」
「赤い方と緑の方、どっちが学校に行ってるのか聞いてるのよ」
遼子の言っていることがさっぱり分からない。それは遼一も同じのようだ。
「マリモーズよ。昨日決めたでしょ」
「あ、それで決まってたんだ。……赤い方だね」
遼一は渋った顔で答える。気持ちは分かる。自分の息子を色で呼ぶ母親なんて見たことがないもの。
「じゃあ、あなたはルイジーね」
そう言うと、遼子はイスの上に置かれたカバンの中をあさる。
「俺はルイジー……か」
遼一の表情は暗い。可愛そうな奴だな。僕は今まで通り先生って呼んでやるよ。あれ、今、僕の目の前にいる遼一は先生で良いんだっけ。僕も混乱してきてしまった。
「腕を出しなさい」
遼子が何かを手にしている。
遼一が腕を前に出すと、遼子はその腕に緑色の輪っかをはめた。
「これをはめていなさい。マリモには赤いのをはめさせるわ」
これは助かる。僕も二人を見分けるのが大変だったんだ。
「これはあなたたち二人、どちらも私の息子という印よ。マリモが元の世界に帰れるように皆で頑張りましょう」
遼一の額を何かが伝う。それは光が当たって微かに輝いていた。
声変わりは済んでいる男の子の泣き声が聞こえてくる。
遼一が顔を伏せると、遼子はその顔を自分の胸元に抱き寄せる。僕はその様子をただ眺めることしかできなかった。
「かあざーん、もどの世界に戻るのは俺の方だよー」
遼子がその胸で遼一を抱きしめながらこちらを見る。そして、舌を片側に突き出しておどけてみせる。
テヘペロじゃねーよ。全然可愛くないから。




