9.April Valium-2
9.April.2027---13:14---FirstDiningRoom---
金曜日には、講義を午前中に入れているので、今日はもう後は余生なのだけど、どうにも部活棟に行く気が起きない。新学期になって学年も1つ上がり、僕も12年生だけど、たまに講義があるといつもこもっている部室が、外から見るとなんだか缶づめに感じる。金曜の講義は10年前から特設されている、一般人向けの戦術講義なので、気分が妙な方向に行っているのも、まあ原因の1つだ。
前回の作戦には不参加だったけど、5月の動員には僕も参加する。とりあえずの配属はニコライフスクだ。そこからレンスクの辺りまで飛ばされるらしい、寒さについては考えたくない。先日ようやくアメリカ、カナダ、オーストラリア、の連盟軍を近海から追い出す事に成功し、一時は危ぶまれた本土攻撃は免れた。2703パルノゴス作戦では、寒さとの戦いになるだろう。
現在、戦争は10年目に足を突っ込んでいる。いつ終わるのか、まだ先は見えないけれど、戦争を始めた責任が、僕達にはあるのだと思う。だから、僕が、いや藤城先輩が卒業するまでには、頑張って終わらせたいな、と僕は考えている。無理でも、後輩に押し付けるわけにはいかない。先輩にだって、あのボケボケ先輩だって、彼氏もいるし作戦にもたまに参加してる。卒論がどうのと言ってられもしない。
まあその先輩も、後1年で卒業する。それは分かるけど、後1年も、後1年もあのボケボケ先輩に、付き合わないといけないと考えると、気分がめいってしかたがないのであった。だから部室に向けた足が鈍る。
「行かない訳にもいかないのだけれど…………」
行きたくない、非常に。
せめて3時くらいまでは、図書館で時間を潰そうと思い、僕は席を立った。ホットドッグの包み紙をゴミ箱に入れて、まだ混んでいる食堂を後にする。第1校舎の道路に面している食堂の、ガラス扉を開けて外に出る。
今日の空はどんよりと曇っていて、その所為か普段見かけない人達も外を歩いている。日光に弱い連中も、今日は大丈夫らしい。
曇天を、飛行科の奴らが元気に飛び回っている。気持ちよさそうだなぁ、と暢気に見上げて、彼ら自身は、そこまで暢気なことをしているわけではないと、気が付いた。何やら誰かを追いかけ回しているようだ。
人影が空を飛んでいた。曇っているからか、黒く見えるだけで誰なのかは分からない。グリフィンや翼の生えたケンタウロスや何やら達が、右往左往して人影を取り押さえようとしている。だが人影は嘲笑うように彼らの手をすり抜ける。
速度というのは、言うまでもなくベクトルだ。そして加速度もベクトル。物体が加速したり、方向転換する時には、まあ向きにもよるけど、減速する必要が出てくる。そのため方向転換の時には、出力を上げて硬直時間を無くすのが普通だ。
しかし人影はそれをしないで、ふわふわと掴み所のない動きで空を漂っている。いらいらしてきたのか、グリフィン達の飛び方が荒くなってきている。人影の飛び方には心当たりがあったのだけれど、関わりたくない一心で僕は無視を決めこむ。僕には関係ない。
「あ、バル君だ。おーい」
「僕は何も聞こえなかった。僕は何も聞こえなかった。僕は何も聞こえなかった」
言い聞かせるために呟きながら、グラウンドに背を向ける。しかし僕は、第1校舎に隣接して建てられた第2校舎を、ぐるりと迂回して図書館に向かうより、第2グラウンドの前を通った方が早いと、気付いてしまった。わざわざ校舎を回る必要は、本来なら無いのだ。効率を考えるなら、成る程、おとなしくグラウンドの前を通るべきなのだろう。
…………別に急いでないから良いのだけど。というか、あの先輩から離れられるなら、1キロだろうが100キロだろうが迂回したい。
「ちょっとー、先輩の声が聞こえないのー?」
「あ、おい待てやこら」
「てめぇ暴れといてトンズラたぁいー度胸じゃねえか!」
「やめなよ男子ー、相手が悪いって」
人影が、罵声を後ろにこっちに下りてきた。全力でその場を立ち去りたかったが、そうもいかない。捕捉されてしまった以上は覚悟を決めるべきか。
一直線に落ちてきて、目の前でふわりと減速。地面に足をつけて立つと、両手をばっと広げてポージング。
「んばっ! 見て、私輝いてる! シャイニングよ、眩しい!」
「そうですね、たしかに直視できないくらいです。痛すぎて」
本日も学園一のトラブルメイカーにして、僕の敬愛すべき先輩は全力で先輩だった。
「おはようございます藤城先輩、今日も相変わらずですね」
シャツに着けた、学年色である燕脂色のプレート付きの、校章バッジを弄りながら目を合わせないで唸る。上空からの非難の視線に気付かないらしい先輩は、いい笑顔で僕を見る。
「こんにちはよバル君、挨拶はきちんとね」
いらっ。
「それじゃあ先輩、さようなら」
「あ、ちょっとぅ、話くらい聞いてきなさいよー。バル君のいけずー」
その話が聞きたくない。
踵をかえそうとしたら、シャツの襟首を引っ張られた。ぐいぐいと喉が絞められて苦しい。
「話くらい聞いてくれたって良いでしょー」
「分かりました、分かりましたから手を離して下さい。死にます」
逃げるのと静かな時間は諦めよう。仕事もまだ残っているのに、こんなところで体力を使ってしまっていいのかは、大分謎だった。
とりあえず目立ちたくないので、広場の隅の方に移動する。移動しようが何しようが先輩は自重しないから、結局目立つのは避けられないのだけど。
「…………それで、先輩は今日は何をしたんですか?」
腕を組んで、威圧的に聞いてみた。先輩は、今日は一つに結んだ金髪を誇らしげに揺らし、かつ不満そうに口を尖らす。
「その言い方だと、なんだか私が毎日あちこちに迷惑かけてるみたいじゃない。バル君ひどいっ、私はただ毎日を面白おかしく過ごそうと努力してるだけなのにっ」
その過程で、あちこちに迷惑かけてるんじゃないか。自覚しろよ。せめて他人の殺気に気付け。
「そうね、今日は体育祭の用意をしてたのよ!」
一つ断っておくと、体育祭は5月中旬だ。準備をするには大分気が早い。実行委員会だって今はまだ、近い大会の準備にかかりっきりだろうに。
「…………今更体育祭にはツッコミませんが、それでどうして飛行科と一緒に空を飛ぶんですか?」
「説明すると長くなるんだけど」
「じゃあ、いいです」
聞きたくない。
また背中を向けた僕に、先輩は意味ありげな口調で声をかける。声が笑ってるので正直振り向きたくもなかったが、仕方なく目線だけ向ける。
「いいのかしら、私の壮大なこの計画……………………聞かないと損するわよ?」
「あー、ちょっと待ってて下さい。今聞いて頭痛くなるのと、後で知らされて死にたくなるの、どっちがいいか考えますから」
考える。考える。後で何をしていたのか知った時に、僕はあの時止めておけばと後悔しないだろうか。もし先輩が、また馬鹿みたいな計画を立てていたら、僕は止めさせなかった自分を恨まないだろうか。
答えは分かりきってる。後悔しない訳がない。後の後悔より今の頭痛だ。
「その計画、聞かせてもらいましょう」
「わーい、バル君がやる気になった!」
断じて違う。
「いいからさっさと話して、どっか行って下さい。出来ればブラジル辺りでお願いします」
世界の果てまで行ってこい。
僕の殺意のこもった視線を受けても、先輩は余裕のある笑みを崩さない。むしろ更にポーズを決めてみせる。かなりうざかったが、手元にHARISENが無いことを恨んだ。
「ことの始まりは二週間前、いつものように愛用のキャスター付き椅子『ヤヤ丸三号』を押しながら正門前の登り坂をえっちらおっちら登っていた時、私は気付いてしまったの。…………そう、この学園には応援合戦がないということに!」
「……………………そもそも応援団自体無いですし」
「私は天恵の如く降りてきた考えに戦慄したわ。これは去年の体育祭でパン食い競争を提案して生徒会長さんに三秒で却下された時以来よ」
理由、パンの管理が面倒だから。クロワッサンとか食べにくそうだし、コッペパンは喉に詰まらせそうだから。以前にあった早食い競争では保健委員会から、健康に良くないとの指摘が相次いだから。
「私は考えたわ、どうしてこの学園には応援合戦がないのか……………………答えはそう、体育祭は部活対抗だからよ。それだと生産部とかには不利だわ。でもこの学園には同盟制度があるじゃないっ、問題は無いはずなのよっ」
力強く先輩は小さな拳を空に突き上げる。細く白い腕が陰気な雲に向けて掲げられ、周りの人が何事かとこちらを見た。
そこで息を吐いて、先輩は珍しく真面目な顔をする。キリッとした
「でも、やっぱりこの理由じゃ通らない、また凛ちゃんに一蹴されて終わるのは目に見えているわ。それだと、意味が無いのよ」
「せ、先輩が、成長してる…………っ!?」
ただの馬鹿じゃないのは知ってたけど、まさかきちんと学習能力があったとは。知り合ってからまだそんなに長くはないが、一概に馬鹿だとは言えないのかも知れない。
僕は少なからずの期待をこめて、先輩の顔を見返した。頭の良い馬鹿であるところの先輩は、一体次に何を言うのだろう。出来れば、まともな意見であって欲しいと、目を開いてじっと見つめる。先輩は態度を崩さないまま、ばっと手をこちらに向けて叫んだ。
「だからとりあえず、応援団だけでも作れないかなと私は考えたわ!」
…………やっぱり先輩は先輩だった。これは期待した僕が悪かった。猛省すべきだ。
いやでも、わりとまともな意見かもしれない。相手は先輩なんだし。応援団を作るというのは、成る程、一理ある意見だ。だが先輩は甘やかすとすぐ図に乗る。ここはしっかりと、ツッコミを入れておくべきか。
「…………で、応援団をつくるのはいいですけど、企画書は通ったんですか?」
結局ツッコまなかった。面倒だったからだ。
長々と無駄な話が続くなぁという予感に、欠伸が出る。先輩という人と付き合っていくには、退屈はないが根気がいる。
「まだ提出したばかりだけど、音楽科とか芸術科にはすでに話を通してあるわ! 後はチアリードしてくれる私以外の人を募集すれば完璧よ!」
また会長さんに却下される気がした。
---15:48---SystemsEngineeringDpartment's Luboratry in ResurchClub---
何やらテンションの高い先輩をやり過ごして、僕はようやく仕事に取り組むことにした。先輩をスーパーヤヤ号、という名のキャスター付けたロッカーに、閉じ込めて正門前の坂から転がし、そこでやっと学園の平和が保たれた。僕の努力を誰かが認めてくれると信じて、静かな図書館で時間を潰した。
その後の紆余曲折は省くとして、僕は情報科の研究室に来ていた。何やら話があると、僕か代表で呼び出されたのだ。
同じ階の情報科の研究室は、数学科よりは広い。がしかし、パソコンや、タブレット端末や、モニターやらなんやらが、無造作に廊下に積まれて、入り口までの道を圧迫している。昨年の大きめの地震では山が崩れて、研究室から出られなくなったくせに、いまだに改善されていない。
ロボットの腕や脚も飛び出ている廊下を、無理無理に押し通って奥の部屋へ。
「失礼します」
第1校舎に面した教室2つ分ほどの研究室は、ただでさえ日陰なのに暗幕がかけられ、息苦しく感じる。壁際窓際に無数に並べられた、ワークステーションとモニター、キーボード。入ってすぐの開けた場所と、奥の密集地帯は冗談のような対比だ。だが隣の準備室にはモニターの数だけの、パソコンやサーバーが置いてあって、熱を発しているのだろう。
ハンダと基板の焼ける臭い、コーラとドクペとレッドブルの甘い臭い、それから換気の足りてない篭った臭い、全部が混じって一種異様な雰囲気を感じる。それから、少しというかかなり、冷房の効きすぎで寒かった。
「あ、来た来た、おはようさん」
近寄ってきた、Tシャツに白衣のラフな格好をした女性、情報科の主将さんに挨拶を返す。室内でも帽子を被っている主将さんは、ひらひらと軽いノリで手を振って、研究室内に僕を招き入れた。
入ってすぐの開けた所には塗装していない、等身大のロボットが立っている。背丈はあまり高くはない。
「なあ、今暇?」
「あれお前、開発科のとこ行ってくんだろ? まあ暇だけどさ」
「よし、今から言う式を同一平面上に図示してみろよ」
「よく分かんないが、ソフト使っていいか?」
「別にいいけど、簡単だから手でも出来るぜ。x^2+y^2=1,x^2+y^2=4」
「なんで半径1と2の円って言わねえの?」
「お前がソフト使うっつったからだよ。y=±x,y=0,ただし両者とも(-4≦x≦3,3≦x≦4)」
「んー、なにこれ、太陽?」
「最後、x=0」
「…………え、なんだこれ。最後のって値域とかねぇの?」
「ない、これで終わり」
「いやなんなのかぜんっぜん分からん、どういうことだよ」
「ジョークだよ、鈍い奴め。まさか伝わらないとは」
「こんな串刺しの太陽みたいなの描かせておいてそれはねぇだろ」
「はっ、これだからユーモアセンスのねぇ奴は。誰かに説明してもらえ」
「え、あ、おい!」
背後のやり取りを聞きながら、結構有名なネタだなぁと思っていると、主将さんは呆れたような表情だった。肩をすくめてみせて、主将さんに訊ねる。
「で、今日は何の用ですか?」
「えっと、前にさ、重心とバランスの取り方についての計算、君に頼んだじゃん?」
ああ、あれか。たしかに僕が引き受けた仕事だ。
「だからあれの成果を見せつけてやろうと思ったのだよ」
成る程、そのためのロボットか。一人納得して、僕は割りと騒がしい研究室内を見回す。まだ中高の方の授業は終わって間もないのか、人数は少ない。と言っても、そもそも情報科は、そんなに多くはなかったはずだ。数理科ほどじゃないにしろ。
その後しばらく、自動でバランスを取ったり、押しても倒れないロボットを見せてもらった。試作段階だからまだ反応速度はよくないが、やろうと思えばアメリカのような、機械兵も作れるだろう。使うかどうかは兎も角。
執務委員の新入りが初仕事として、報告書と企画書を持ってきたのを横目に、そろそろ帰るかなと考える。主将さんも、真っ白な髪の女の子が男の子の横を、離れないのを微笑ましく見ながら、用はそれだけだと言う。正直、僕が来る必要はあったのか悩むけど、おもしろいものも見れたし、良しとしよう。
「おいすー、眠すぎてテンションおかしいオレが来たぜ」
聞こえた声に目を細めて、息を吐く。変な顔をしている主将さんを横に、壁に背中を張り付けて、持ってきていたHARISENを密かに構えた。無表情で声の主が部屋に入ってくるのを待つ。
「今日の仕事はなにかなっと、…………あれ、バリアムさん?」
「自販機は直したんじゃなかったのかよ!」
ぺしん、とやや軽い音が響く。後輩を思い切り叩くなんてことはしないが、先日の恨みをこめたツッコミは、ぼうっとしている谷口の顔面に綺麗に命中した。
「あー…………エイプリルフールの話か。意外と根に持つんですね」
これぞまさに、時差ツッコミ。
いや遅すぎだろ。
相手がツッコミ文化を持つ日本人だからこそ、安心してツッコめるというものだ。これがイギリス人とかだと、『こいつはいつの話をしているんだ』、と白い眼で睨まれてしまうかもだ。
「おもしろくもないボケを、素人がやらない方がいいよ。自販機を使った悪戯なら、もっといいのがあるんだし」
上から目線にそう言って、僕は照れ隠しにHARISENの折り目を弄る。背後では主将さんが呆れたように肩をすくめていた。
---17:05---Mathematic&PhysicCalculationDpartment's Luboratry in ResurchClub---
天気が悪いまま日が沈み始めた。あちこちの灯りが点される。LEDライトから魔力で光るガス灯まで、真昼のように辺りが明るくなった。
ぼんやりと窓から外を見ながら、静かな部室を満喫する。鉛筆が紙の上を走る音と、ぼそぼそとした低い話し声以外には、聞こえるものはない。元から大して人数のいない部室には、いまは僕も含めて四人しかいない。藤城先輩がこの部に来てからは、こういう静かな時間は貴重だ。
窓からは第2グラウンドと、その向こうの第3校舎が見えていた。グラウンドでは陸上部や球技部が、何故か戦争状態で殴り合っている。風紀委員と美化委員が仲裁に入っているが、騒ぎは収まりそうにない。そして戦場のど真ん中を、キャスター付きのロッカーが横切った。
工作部棟の方からも、耳障りな金属音と地響きじみた音が、聞こえてきた。何があったのかは分からないけど、それもすぐに聞こえなくなる。研究室は静かなものだった。
「っあー、よし、終わったー」
猫耳先輩、もといタッカー先輩が大きく伸びをして、印刷ボタンを押した。プリンターが動き出すのを横目に、眠いのか盛大に欠伸をする。
「ふあーぁ、駄目だ眠ぃ。早いけど寝に行くかな」
「まだ5時ですけど、…………何かあったんですか?」
疲れた顔を見せる先輩は、椅子に寄りかかって息を吐く。別に何もない、と答えるが、何かあったのは明白だ。タッカー先輩のことだから、“宵闇鴉”がまた何かしたのだろう。
先輩は無言で机に突っ伏した。ファイルを印刷するプリンターの音が、がしゃがしゃと響く。グラウンドでは、増援を呼んだ風紀委員が喧嘩を鎮圧していた。
手元の紙に眼を落とすと、解きかけの方程式が書き込まれている。今朝僕の机の上に置いてあった紙に、書かれていた数式は、見覚えはあったものの度忘れしていて、つい途中まで解いてしまったのだ。ネタを思い出した今となっては、一体誰から誰宛に出された数式なのかと、遠い目をして外を眺めざるをえない。
ため息を一つ。成る程、きっと誰かから誰か宛の恋文だろう、と納得することにして、僕は『x^2+(y^2+x^3/2)=1』と書かれた紙を握り潰した。少なくとも僕宛ではないだろう。そんな縁があったら、僕は数理科なんかで数学だけやってない。
「失礼しますッス」
ノックの音と共に、黒い制服の青年が入ってきた。一般生徒は白地の制服で院生は私服だ。黒い制服は委員会所属の証であり、目を引く黄色い腕章は、この学園の秩序を担う風紀委員の証だ。
覚えのある顔だと思ったら、先日イェーガーの代わりに来ていたクライン君だ。何の用だろうかと思いながら、片手を挙げて挨拶する。クラインは『ッス』と挨拶を返して、で僕の方へやってくる。
「風紀委員がこんな所に何の用なのかな?」
「ッス、イェーガーさんから伝言を頼まれたから、それでッス」
「…………クライン君はあいつにパシられてるのか」
後輩、じゃないかあいつにとっては先輩か。どちらにせよ部下を顎で使って、私的な用まで押し付けるとは、とんだ上司である。
「カイトでいいッスよ。パシりというか、雑用担当なのも事実ッスし」
クライン、カイトは無表情ながらも手を振って茶化す。ぼーっとしているように見えて、実は苦労人なのかもしれない。
「ま、いいか。で、伝言って何?」
「『ちょっと来い』…………らしいッス」
とんだ暴君上司だ。あんなのが20人ほどの風紀委員を、まとめているのだと考えると、一抹の不安を感じる。が、来いと言うからには行った方がいいだろう。あの友人はのんびりしているくせに、意外と短気だからだ。
仕方がないな、と立ち上がる。ついでに握り潰した紙を、ダストシュートに投げ入れた。カイトが前に立って歩き出すのについて行く。研究室を出る直前、何かを思い出したらしいタッカー先輩が、奇声をあげて悶えていた。
第2グラウンドの前を通りすぎて、委員棟に向かう。5階建ての細長めの委員棟は、第1校舎の東にある。つまりぐるりと半周した先が、委員棟なのである。今日も怪我や病気を負った生徒達が、1階の保険委員の所に押しかけていた。
風紀委員の部屋は4階だ。そこまで階段で登るのは大変だが、委員達は毎日頑張って登っているのだろう。エレベーターもあるにはあるが、許可証がないと使えない。研究部の部棟は3階建てなため、久しぶりに階段で足を酷使した。
「失礼しますッス」
「お邪魔します」
声をかけて階段登ってすぐの、『委員長室』のプレートを掲げた部屋。それより奥の計8つの扉からは、喚き声や叫び声、歓声や笑い声、はては苦痛を訴える絶叫までが響いてくる。様子を見に行くには、相応の覚悟が必要だろう。とりあえず奥は無視して、部屋の扉を開けた。
「よぉ、ジャン・バルジャン」
「僕は前科持ちではないし、そもそも小説にされるだけの人生は、歩んでないつもりだよ」
扉を開けてすぐに聞こえた声に、半ば反射的に応えて、息を吐く。この学園の風紀を担う灰色狼は、質実剛健な机にブーツ履きの足を乗せ、どうみても人を迎えるような感じではない態度で、低く笑った。
「あぁそう言えば、この前は約束を反古にして済まなかった。何分、生徒達が張り切り過ぎてて、目に余ったからな」
一応、僕の方が先輩ではあるのだが、それを言っても意味はないだろう。3年上の先輩に対する態度としては、随分と不敬だが、僕は今更何も言わない。
「別にそれはいいけどさ、後輩をパシりにするのは止めろよ」
「先輩なら良いのか?」
「そうじゃないって」
先輩を顎で使うとか、自己中にもほどがある。唯我独尊を地でいくイェーガーは、防音で聞こえないはずの悲鳴に耳を立て、足を下ろす。風紀委員愛用の黒いコンバットブーツは、金属板が入っていることを誇示するように、毛足の長い絨毯の上でも鈍い音を立てた。
「…………それで、何の用だよ」
執務机を挟んでソファーに腰を下ろす。カイトは入り口の横に立ったまま、休めの姿勢で前を睨んでいる。
「大した用でも無いさ。緊張しなくていいぞ」
「してない」
口では言ったが、委員棟自体の特有の雰囲気は、どうにも居心地が悪い。委員長室も窮屈に感じる。僕は広い方が落ち着くんだ。
用と言ってはなんだが、と前置きしてイェーガーは僕を見た。笑みを隠そうともせずに見下ろす視線に、嫌なものを感じて僕は身震いをする。
「貴様の机の上に置いておいた紙はもう見たか?」
「あれお前かよ!」
嬉しくない。むちゃくちゃ嬉しくない。むしろ宛先間違いの手紙であって欲しかった。疑いの視線を向けていると、イェーガーは片手を振って言う。
「馬鹿か、只のの予行練習だ。鼠の奴にやっても良かったんだが、最悪死人が出る」
「だからって僕でやるな」
友人(しかも男)に告白されて、喜べるはすがない。襲ってきた疲労に、僕はソファーに深く身を沈めた。しかし聞き捨てならない言葉に、遅ればせながら驚く。
「…………っていうか、予行練習? よりによってお前が!」
好きな人がいるという事実が、こいつにとっては既にあり得ない。しかも普段決めたら実行するだけの、ある意味考えなしのこいつが、わざわざ予行練習なんてやるとは、もはや奇跡だ。
天変地異の前触れって奴は、こういうのを言うのかも知れないな…………。と恐怖におののいていても、イェーガーは『俺に想い人位いても良いだろが』、と歯をむき出して唸っている。形容しがたい表情をする僕を置いて、イェーガーは身を乗り出した。
「で、どうだ? 意味は伝わったか?」
「意味は伝わったけど、普通の人には分からないと思うよ」
まずグラフを描くという思考にいかなきゃ、話にならない。一般人ではそのグラフも描けないだろう。
「良いんだよ、あいつも理系だから」
「そういう問題か?」
っていうか、こいつが好きになる人って…………、相手も気の毒だな。こんな獰猛な大型犬にまとわりつかれて、きっと苦労していることだろう。この性格だ、物凄い独占欲とか強いに違いない。
「親方ぁ、空から女子生徒がぁっ!」
僕が知らない相手に同情していると、突然入り口の扉が開いて、風紀委員の男子生徒が飛びこんできた。ちなみに、最後のはペッパーナイフが頭に刺さって、悲鳴をあげただけだ。
「誰が親方だ。やり直せ」
「うっす!」
威勢良く返事を返し、男子生徒は一度ドアを閉める。それから数秒後、先ほどと変わらない勢いで部屋に飛びこんできた。
律儀だなぁ。
「ボスっ、空から女子院生が降ってきました!」
「よし、撃ち落とせ」
「うっす!」
「いや駄目だろ!?」
うっすとか了承してんじゃねえよ。どんな恐怖政治だよ。しかもその男子生徒、日本軍の特科(つまり砲兵隊)に、特別入隊していると噂の彼だった。風紀委員って本当に危険人物しかいないな。
僕の非難の視線を、イェーガーは無表情でいなして、面倒くさそうに鼻を鳴らす。その仕草は、犬が興味の無い物を前にしたときのものに、わりと似ていた。
「良いのか? 恐らくだが、その生徒というは藤城のことだぞ?」
「撃ち落としてしまえ!」
やけに転身の速い僕を、カイト君が呆れたような目で見ているが、仕方ないことだ。藤城先輩に対しては、こんな態度もいたしかたないのだ。
---16:28---SouthSide of SecondGround---
外に出て見ると、昼の焼き増しみたいな光景が、上空では繰り広げられていた。黒く染まりつつある雲間を、黒い影達が飛び交う。下からのライトがちらちらと影を追う。
「やば、ここからだと水鉄砲届かねぇじゃん。撃ち落とせねぇ」
先ほどの男子生徒は、手に持った加圧式水鉄砲のポンプを、全力で往復させつつ空を仰ぐ。その水鉄砲でどうするのかは、正直聞きたくない。
「“電磁誘導”、運動部棟で喧嘩だってよ。手伝ってくれ」
「うっす」
通りがかりの風紀委員に声をかけられ、男子生徒は走って行ってしまった。上空でアホみたいに飛び回っている、人影のことはもういいのだろうか。あの勤務態度では、上司に叱られてばかりだろう。能力とかの詳細は知らないが、何となく物質系なんじゃないかと思った。深く考えてなさそうだ。
目を凝らす。飛行科の練習場に侵入した人影は、ふわふわとした掴み所のない動きで、上空を飛び回っている。飛行科の人達が追いすがるが、トリッキーな動きは中々捕まえられない。
人影が誰かの予想は付いていたので、僕はこっそりと後退り、声をかけられる前に部室に戻ろうとした。
「あ、バル君だ。おーい!」
「僕は何も聞いていない、僕は何も聞いていない、僕は何も聞いていない」
自分に言い聞かせるためにそう呟きながら、グランドに背を向ける。そそくさと立ち去ろうとしたが、人影が目の前に降り立った先輩が、人差し指の指先を百連打で向けて来たので、諦めた。
何事も諦めが肝心だ。
先輩は目の前にふわりと降り立つ。地面に足を付けると、ばっと両手を広げてポージング。
「んばっ! 見て、私輝いてる! ブリリアント!」
「そりゃライト当たってますからね」
輝いてるのも当たり前だった。
「ちょっとー、先輩を無視するなんてひどいじゃないのさー」
僕のツッコミを無かったことにして、先輩はほっぺを百連撃してくる。視界が揺れて非常にうざいので、手で払った。
「僕の知ってる藤城先輩は、スーパーヤヤ号に乗って、どこか彼方に去ってしまった筈です」
スーパーヤヤ号は、細長いロッカーを横倒しにして、キャスターを取り付けたものだ。去年、誕生日プレゼントをねだられて、仕方なしに釘で適当にキャスターを打ち付けた、まあやっつけ仕事の結果だ。適当にやったので、微妙に重心がずれていて、真っ直ぐのちょっと右寄りに走る。ちなみに三輪。
「乗せたのバル君でしょぅ」
確かにそうだけど、乗れって言ったら嬉々として乗り込んだのは、どこの誰だったか。
「それにしても、よく帰ってこれましたね」
扉は塞いだ筈なんだけどな、出てこれないように。
「通りすがりの心優しい加工科の子が助けてくれたのよ。バル君とは大違いね!」
助けてと言われふたを開けてみたら、学園一のトラブルメーカーだった、その子の心中推して知るべし。とても残念な気分になったことうけあいだ。
「それで、ついでだからその子にお願いしたんだけど…………」
そう言い、先輩は胸ポケットを探る。何となく嫌な予感がして、警戒する。藤城先輩のことだ、何を出してくるかは分からない。
「じゃーん、硝子製の玉虫!」
最早、どこからツッコめばいいのか分からない。
とりあえず先輩が指先に乗せた、1センチくらいの透明な硝子細工を、指で弾いて叩き落とした。硝子細工は地面に落ちて簡単に砕ける。弾いた指先を見ても、作り物の玉虫では、体液やらの付きようがなかった。昔に友人に薦められて読んだが、はてさてあれはどんな話だったか。
「ふっふっふ、バル君、甘いわね。今のは四匹いる内の最小の玉虫……………………つまり、四天王の中でも最弱の存在なのよ!」
良く見もしないで、お約束に弾き飛ばした僕を鼻で笑う先輩。言っている意味は良く分からないが、あと3匹いるのだろう。
先輩は、同じポケットから銀色の玉虫を取りだし、指先に乗せて僕に見せびらかす。片方はアルミ製らしい3センチほどの玉虫。片方は紙で作ったらしい、掌サイズのものだ。
「アルミ玉虫、通称スチールビートルは何度潰されても加工科のあの子に言えば直してくれるわ。つまり、不死身よ!」
スチールビートルって、アルミなんじゃないのか。それに、不死身と勝ち誇ってもらった所悪いが、加工科の誰かさんが気の毒に思えた。
と言うか、体育祭の話はどうなったのだろう。と思わなくもなかったが、まあ思い出させる必要もない。わざわざ地雷を踏んでも仕方ないからな。
「頼むから、他人への迷惑を考えて下さい。そっちの紙の方も、加工科の人に作ってもらったんですか?」
「んーん、自分で折った」
器用だな。紙の玉虫を見ると、白い紙を色えんぴつで塗っているらしい。これがジャパニーズORIGAMIの技術か、と少し感心する。それにアルミ細工の方も、かなり精巧に出来ている。
どちらも潰すのは忍びないので、紙の方は復元出来るようにぺちゃんこにし、先輩のポケットにそっと戻し、アルミの方は僕のポケットにしまった。一応、脚が折れてしまわないよう気を付けて、だ。
「ふふふ、遂に他の四天王がやられたようね」
僕がさりげなく、玉虫を1匹横領したことには触れずに、先輩は不気味に笑う。妙なテンションの高さは、まあ朝からだけど、少し着いていけなくて身を引く。先輩は僕のことなんて気にしない様子で、ポケットに手を突っ込みながら叫んだ。
「出でよ、四天王最強、ヤヤ之助っ!」
先輩は手を出す。良く見えるようにと、僕の目前に広げられた掌には、綺麗な細長いかたまりが乗っていた。紡錘状の、長さ4センチほどの体長。金属光沢のある緑色に、紫の2本線が入り、全体として黄金に輝いている。
頭の位置から2本飛び出た触角が、困惑するように先輩の掌を叩いている。それを見て、僕は息を吸い、叫んだ。
「って、本物じゃないですか!」
しかも生きてるし。
「ふふ、驚いているようね」
「いや、まあ、そりゃあ」
まさかナマモノが出てくるとは、誰も思わないじゃないか。まさかポケットに、無造作に入れているなんて、誰も思わないじゃないか。
「ヤヤ之助は、いつの間にか一緒にロッカーに入ってたの。暗闇の中出会った彼に、私は後輩の非道を慰められたわ」
「すいませんでした、今は反省してます」
もっと厳重に閉めておくべきだった。先輩を助ける人がいるなんて、そこを甘く見積り過ぎたみたいだ。反省。
「そして彼がスーパーヤヤ号に同乗していたのは偶然ではないと私は感じたわ。だから私は彼のお友達を作ってあげることにしたの」
「そこは先輩が、友達になってあげるんじゃないんですか?」
「いやだって虫だし」
あぁ、そこはちゃんと区別するんだ。さすがに虫とは意志疎通が図れないと、断念してくれたことにまず僕が安心した。よかった、先輩も人間なんだな、うん。
改めて見ると、先輩の手の上、彼は触角を動かしている。ヤヤ之助なんて名前を付けられてしまって、彼がどう思っているのかは、さすがに僕には分からなかった。
「と、いうわけで、私は玉虫四天王が一角、ヤヤ之助を連れて空から舞い降りたのであった! 私、降、臨!」
「空から降りてくる必要は、全く無かったと思いますけどね」
おかげで一人の風紀委員が、無駄にイェーガーに折檻されてしまった、他人事だが。
先輩なんかに捕まってお前も大変だな、という意味をこめて、玉虫の彼を見つめる。本当の性別は知らないが、玉虫君は無感情な黒く小さい瞳で僕を見ると、その輝く背中をばっと開いた。
「あ」
と言う間も無く、彼は先輩の手を離れて宙に浮かぶ。手に乗せて空に向けていたのだから、当然と言えば当然だ。
「あー、ヤヤ之助が飛んでっちゃう! 待ってー!」
やはり付けられた名前が、彼の気に入らなかったのだろう、と勝手に思うことにして、僕は空に消えて行く彼を見送った。先輩は隣で何やら倒れ伏している。そこまででかいダメージだったのだろうか。
「彼は、行ってしまったー…………」
「何をそんなに、落ち込んでいるのかは知りませんけど、立ち直ったら研究室に顔は出して下さいね。仕事、いっぱいあるんですから」
大会も近く、まだ少し遠いが体育祭も控えているので、今は学園全体が慌ただしい雰囲気だ。新入生は学園に慣れようと必死だし、高大生は戦争の方に気を向けざるを得ず、中生は割りと詰めこみ形式な授業に、着いていけず悲鳴をあげている。院生は毎日研究してればいい、みたいなところがあるから、僕達は暇な方で、だから仕事がばんばん舞い込む。中にはVR-C508『DeepSea』の作動効率と、安全性についての調査など、大分畑違いの依頼まで届いている。情報、開発、加工ともに忙しくて手が回らない、とのことだ。
先輩の背中を見下ろすと、蹴飛ばしたいという衝動が湧いたが、気力で抑えた。そんなことしたら、後が怖い。
「じゃあ、僕は研究室に帰ってますよ」
うなだれている先輩にそう声をかけて、僕は歩き出す。しばらくそうやって無害でいてくれ、と祈りながら、そそくさと足を速める、
「ふぅっ……………………じゃあ私は、凛ちゃんのとこに遊びに行って来ようっと。研究室には後で行くから、バル君またねー」
「ちっ」
立ち直り早い、さすが先輩。
その後、てけてけと委員棟に入っていった先輩は、何をやらかしたのか、1分しない内に最上階の窓から、縄で縛られ吊るされることになっていた。委員棟の前は人通りが多く、いい晒し者となっていたが、先輩本人は懲りないどころか、鯉のぼりごっこを始めたので、それをうざがった風紀委員長、つまりイェーガーに縄を斬られ、どこかへ飛んで行ってしまった。帰って来なくていいと心から思った。