1.April Valium-1
1.April.2027--- 9:12---Mathematic&PhysicCalculationDpartment's Luboratry in ResurchClub---
まだ休みだからと、少し遅めに研究室へ向かう。先日の作戦から帰ってきた飛行機を、第2グラウンドで工作部の連中が整備している。それを横目に見て研究棟へ。
研究棟3階、数理科室。挨拶も無く無造作にドアを開けた僕を迎えたのは、
宙に浮いたまま、ひっくり返らないようバランスを必死に取っている、先輩の姿だった。
「……………………はぁ」
溜め息を一つ。僕も大学院生になって早1年目だ。この先輩の奇行には慣れたと言っても過言ではない。
いや、過言だった。未だに慣れないし馴れない。本当に止めて欲しい。
「やっほー、ヴァル君」
「…………おはようございます、藤城先輩」
テンション低く返す。まぁ、僕は大抵テンション低いけど。朝だし、更にテンション低いけど。
そんな僕を見て、先輩は顔をしかめた。美人は嫌な顔をしても美人なのだと、僕は実感した。
「ヴァル君のいけず! 私のことは親しみ込めてヤヤ先輩って呼んでってずっと言ってるじゃない。このわからんちん!」
誰がわからんちんだ。僕か、うんそうか。
「とりあえず先輩、何してるんですか?」
研究室の中に足を入れながら聞く。聞かないと分からない状況を作り出す、諸悪の根源の先輩は悪びれない様子で笑った。
「えっと、宇宙ステーションごっこ」
成る程、ワケわからん。ワケわからんのでちょっと無視することにしよう。
数理科の、たくさんの机の並んでいる間をすり抜けて、自分の机に向かう。紙と鉛筆で溢れた机上に投げられた企画書を、手に取って見てみる。加工科からの依頼だった。その辺に投げ捨てる。
「ちょっとヴァル君?」
無視。
パソコンが紙の中に埋まっていたので発掘。紙ごみは横にうっちゃっておいて、昨日解いていた問題の紙を引っ張り出す。パソコンを起動させて、紙に書いた数式を移す為に専用のソフトを立ち上げ、
「ヴァル君のくせに、無視すんなぁ!」
スコーン、と後頭部に何かが当たった。痛い。
「うみみゃあぁ!」
奇声を上げる先輩の方を向いてあげる。先輩は地に足を着けてピシッと立っていた。しかも此方に指を突き付けてぶすくれて見せる。
「ツッコミに、愛を!」
「意味分かんないこと言わないでくれます? この部屋が異次元になるので」
先輩の所為で数理科室のカオス度が急上昇。前からこんな人と付き合ってきた皆さんは、本当に忍耐力が鍛えられたに違いない。
僕の所属する研究部数理科、の研究室には馬鹿がいる。
間違った、『全世界に愛されるべき素敵な敬愛すべき先輩(自称)』こと、『トラブル製造マシーン(他称)』の藤城ヤヤ先輩、がいる。
ハニーブロンド、というにはやや茶色の髪をおさげにして、後ろに垂らしている。濃い碧の瞳は遠くから見れば知的で、眼鏡が似合いそうな美人だ。新14年生の先輩は、この学園内のほとんどの頭痛の種を一挙に引き受ける、学園一のトラブルメイカー。性格は非常に残念。この人を日本という小さな島国に閉じ込めている時点で、この学園は称賛されるべきだと思う。
先輩は何回か飛び級していると聞いたから、かなり頭はいい方なのだろう。それは分かる。でも、馬鹿だ。
「ヴァル君、貴方は私に何の興味も持ってくれないの? こんなにスタイルも良く頭脳明晰で美人な先輩が構って欲しいって言っているのに、もっと私を見なさいよ。ほらほら、注目してくれていいのよ?」
飛び上がり、空中に浮いたままくるくると回る先輩。原理は分かっているので、何も言わずに白い目を向けてやる。
能力者である先輩は、簡単に言うと重力を操れる。
物理屋っぽく言うと、重力加速度のベクトルを、自由に変えられる程度の能力だ。
「どうせ、矢印を全力で上下に反転させまくってるんでしょうが」
「あれ、分かる?」
「上下が安定してませんでしたよ」
修行が足りないなぁ、と呟きつつ、先輩はキャスター付きの椅子の上に正座する。その後どうするのかは分かりきっている。僕は無言で衝撃に備え、かつ妹の友人に貰ったHARISEN 9.80という武器を密かに構えた。
知らない人のために解説しよう。HARISENとは、日本に古くから伝わるツッコミ用の武器だ。蛇腹構造をしており、これで叩かれた際の衝撃を吸収し、かつ快音を響かせてくれる。更に、材質の紙には再生紙を利用しているため、エコでもある。
そして何よりも、このHARISENを使用すると、何も言わなくてもツッコんだことになるのだ。成る程、素晴らしい。素晴らしいぞ日本文化。これもOMOTENASIの心なのか。
このHARISEN 9.80は妹の加工科の友人が、とある友人相手に使用する目的で、通常の物をバージョンアップした物だ。通常のHARISENを2つ組み合わせる事により、トラス構造を作り出している。そして先を重くする事により先端速度を増し、破壊力も増強している。ちなみにハンドメイドなので、作る度にバージョンが変わる。
今では、僕のもう一人の相棒と言っても過言ではない。HARISEN無しには、この研究室にはいられないのだ。主に先輩の所為で。
「突撃ーっ」
反動も付けないのに加速した椅子が、僕の机へと向かって来る。足元の紙ごみは蹴散らされた。一直線に突っ込んでくる椅子、とそれに乗った先輩。
激突の瞬間、僕は椅子の足を的確に蹴り勢いを減する。それから一歩踏み出し、ぼけらっとしている先輩の顔面目掛けて、手に握ったHARISEN 9.80を振り抜いた。
スッパーンッ!!
「うなー!?」
「ふっ……………………いい音だ」
相変わらずいい音だ。思わず聞き惚れてしまう。弾いた音が部屋の隅に余韻を残して消えた。
「うう、ヴァル君腕を上げたわね…………顔痛いぃ」
とても良い気分、晴々としている。今度からは、苛ついた時は先輩に当たる事にしよう。なんだ、先輩もたまには役に立つんだ。
「何か失礼なこと考えてる?」
「考えてません」
「いや、苛ついたら私をサンドバッグにしようって考えてた!」
「えぇそうですね、考えてました」
今更読心されたところで驚かないぞ。何故なら相手は先輩だ。きっと宇宙からの電波を単身受信して、しかも倍返しで単身送信しているに違いない、この先輩なのだ。
「ヴァル君には先輩に対する尊敬とか、歳上に対する敬意とか、女性に対する気遣いが足りないと思うわっ」
「先輩には一般的な常識と、歳相応の落ち着きと、女性らしいおしとやかさが足りないと思います。っていうか無いです」
あってたまるかと言いたげに無い。むしろ無い。
相棒を机にしまい、一息吐く。それからおさげを尻尾のように跳ねさせて、自らのテンションの高まりを表現している先輩を、横目で白けたように見た。
「で、今日はどうしたんですか? 休みですし、皆はまだ来ませんよ?」
まぁ、ろくな事は考えてないんだろうけどさぁ。
案の定、先輩は僕に向かって親指を上げて見せて、良い笑顔で言った。
「もうっ、今日は何日だと思ってるの!」
……………………はっ、もしや!
---10:47---
「ちーっす、朝出勤マジぱねぇ。…………あれ、バリアムだけ?」
軽いノリの挨拶に手を挙げて応える。入って来たタッカー先輩は当然の疑問を口にして、そう狭くはない研究室を見回して、首を傾げた。
「ん、いや、先輩なら上です」
言って天井を指差す。
天井では縄で縛られた藤城先輩が、上下反転状態でゴロゴロとしていた。
「うーなー」
何やら先輩は、びったんびったんと背筋ジャンプをしている。自前の能力で加重方向を天井向きにしているんだろう。
あまり見たくない光景なので、視線はパソコンに釘付け。パソコンは本日も、妖艶な曲線美を画面に表示していた。成る程、やはりクロソイド曲線に勝るものはないな。
「おー、ヤヤは相変わらずだな。今度は何してそんなんされたんだ?」
「ジャン君聞いて、私まだ何もしてなかったのよっ!?」
まだってことは、やっぱり何かやらかす心算だったのか。縛っておいて正解だった。1人頷く僕をタッカー先輩は、黒い耳を立てて呆れたような目で見た。
半分だけ猫人種なので、先輩の頭には特徴的な耳が揺れている。イギリス人らしい紳士を気取らない奔放な性格のおかげか、一応転校生だというのに、かなり此方の学園に馴染んでいる。
「バリアム、あれも一応女だからな? 容赦はしてやれよ?」
欠伸を噛み殺しながら先輩はそう言う。夜勤なのに昼に起きているのは辛いのだろう。
そんな先輩に、僕は出来るだけ静かに、平静を装った声で聞いた。
「タッカー先輩、今日は何日ですか?」
「Check、4月1日だな。…………あぁ、なるほど」
分かってくれたらしい。理解を得られたので、僕は肩を落とす。
「少なくとも午前中の間は、藤城先輩を解放する訳にはいきません。この学園のためにも、です」
「学園を思うならヤヤは即刻退学にすべきかもな。それにしてもエイプリルフールかぁ」
先輩はしみじみと頷いて、窓から騒がしい外を見た。
エイプリルフール。1年の内、嘘や悪戯が笑顔で公認される魔の1日。こんな日に藤城先輩を野放しにするなんて、神をも恐れぬ所行と言えるだろう。それほどの地雷だ。
先輩を放っておいたら、何をしでかすか分からないんだ。例えば、化学科とか魔術科の所に行って薬品入れ換えたり、加工科とか情報科の所に行ってニセの企画書渡したり、芸術科の所に行って作品弄ったり、他にも色々と。そしたら数理科は軍法会議にかけられてしまうかもしれない。
別に本人の馬鹿阿呆加減を、学園中に公表するのは一向に構わないけど、人様に迷惑をかけることを考えたら、やはり目を離すわけにはいかない。
……………………僕は母親かっ。
「エイプリルフールは午前中までなんて誰が言ったのかしら!」
「…………今日1日は僕といましょうか先輩。その方が学園のためです」
「やんっ、ヴァル君ってばだいたーん」
うわ殺してぇ。
「じゃあオレ、来て早々あれなんだけど|獣人種のバカ犬共《Cynocephalus》をフリスビーでからかってくるから。今日だけは風紀委員も全員休みらしいし」
いつもワンワン言っている、キュノケファルスという二足歩行の獣人達を思い出して、ちょっと気の毒に思った。タッカー先輩はやたらに犬を苛めるけど、何のトラウマだろうか。
この学園にはイヌ科が多いから、その当て付けなのかもしれないが。
「あぁそうだ、先輩、ドイツ遠征組が帰って来てますよ、さっき門の方が騒がしかったですから。多分、“宵闇鴉”も帰って来てると」
「…………へぇ」
先輩は獰猛に嗤う。天井でじたばたしている筈の藤城先輩の存在を、一瞬忘れるほどの戦慄を感じて、少したじろぐ。
流石に9年も戦場に勤めていない。何の力も持たない僕でも、殺気とか、ヤバい奴とかは判る。
「Check、ありがとなバリアム。…………へぇ、そうなんだ、帰って来てるんだ、知らなかったな。あいつ、帰って来たら覚えてろっつったよなぁ。芝刈機のくせして、またオレを置いて行きやがって」
うわぁ怖い。先輩はそのまま無言で研究室を出て行った。コンバットブーツのごつい足音が、ゴンゴンと遠ざかって行くのを確認して、改めて犬人種の皆に同情した。キュノケファルスの友人はいないけれど。
「ヴァル君ー、腕ちょっときついんだけどー」
びったんびったん先輩が話しかけてきた!
コマンド?
→無視する。
「せめて緩めてくれないとゴロゴロするにもわりと不便で…………」
そもそも天井でゴロゴロするな。出来てもやるな。
改めてパソコンに向き直りながら、ちらりと上を見ると、縄でぐるぐるな先輩が部屋の端から端までを、ゴロゴロと往復していた。暇なのかもしれないが、正直今日は本当に勝手にされると困るのだ。なにせ学園生徒のほとんどは祭好き。エイプリルでフールな今日は、そういう奴らにとってはお祭りだ。
つまり現在学園中で藤城先輩ちっくな連中が、騒いでいるということだ。外出たくない。ツッコミたくもない。HARISENはあるけど。
例えば、今研究室の前の廊下を、『巨大ロボが遂に出来たぞー!』と叫びながら、走って行った加工科連中とか。1階の魔術研究室から出てきた、黒くて大きな獣とか。第2グラウンドの真ん中に、宇宙へのメッセージ書いてる奴らとか。何か怪しい号外配っている新聞科の奴らとか。物理法則無視した組体操をしてる陸上部とか。どこからか立ち昇ってる、ピンク色の煙とか。ミノムシばりに、逆さ状態で僕の横に垂れてる先輩とか。
大分日常茶飯事が紛れてるけど、皆エイプリルフールがしたいのだろう。
とりあえず逆風船状態の先輩を縛る縄の、足から延びて準備室のドアノブに括ってあった部分を、短めにキャスター付き椅子に結んでみた。たくさんある机の間を、ビリビリ迷路ごっこできるようにしたので、藤城先輩は、びったんびったんゴロゴロする。研究部と医学部の多くが着ている白衣で、天井のゴミを集めている。
「ヴァル君は、今は何をしているのかな?」
ゴロゴロ状態の先輩の問いに、画面をポップして制作中の報告書を表示して、天井の先輩に見えるように体を傾ける。
「工作部、金属加工科と機械創造科の連中から、『高速で飛翔する金属物体の衝突エネルギーを、効率良く受け流せる曲線の理想式と、最低式を求めろ』、とかっていう無茶な依頼が来てるんです」
「むー随分無茶だねぇ。最速降下曲線とかで良いんじゃないの?」
「先輩、全方向からの想定で、どうやって値を出せって言うんですか?」
一方向のみの試算なら、とうに済んでいる。そうじゃなくて、加工科は防弾盾にある程度の可変性が欲くて、創造科は装甲の消耗を抑えたいのだ。つまり以前の試算じゃ駄目だから、数理科が頑張って計算してくれと。つまり丸投げだ、くそ。
あいつらの気持ちも、分からないでもないのだが。実際加工科の作った盾の性能は良いが、なにせ皆使い方が荒い。それでも生存率を上げたければ、効率を良くするしかないからだ。
「うーん、摩擦係数と反発係数がゼロなら良いんじゃない? 理想物質作ってから言えって向こうに言えば?」
「反発係数ゼロはヤバいですって先輩」
完全非弾性物質だと、飛んできた弾丸が全部めりこんでしまう。それは相当危ない。っていうかシュール。
「理想物質ではないですけど、この前材料試験科の奴らが、摩擦係数の最低値更新したらしいですよ。空気抵抗と摩擦係数の最低値は、両立出来るかを模索中らしいです」
「魔術科の方で何か広範囲バリアー張る研究してなかったっけ。あれが実用化できれば問題は解決かなぁ」
確かイギリスの方の学園では、直接爆撃に対抗するための防御として、広範囲バリアーを採用しているんではなかったか。この学園にはクラインがいるから、今はまだいらないけど、そのうちあるであろう直接攻撃を考えると、やはり実用化しなくてはなるまい。
開戦直後は状況も悲惨だったしなぁ。あんなことは二度とあって欲しくない、今は僕の妹だってここにいるんだ。
「でもやっぱ、現段階では個人用携帯式防弾盾は今の奴以上の性能は見込めないわね」
「だから今その証明をしてるんですよ」
「貸して貸してー、私にやらせてー」
「Check、別に良いですけど。椅子を僕にぶつける前に、地上に降りてきて下さいよ」
地上に舞い降りた一人の天使…………ならぬ一人の先輩を縛る縄の、腕の所だけをほどいて椅子に座らせた。先輩は僕の書きかけのテキストとグラフを見て、にっこりと最上級の笑みを浮かべると、キーボードを引き出して、高速でタイプし始めた。
…………やっぱりこの人、頭は良いんだよなぁ。と、画面に綴られる言葉を見てそう思う。タイピングのスピードは落ちないし、バックスペースもほとんど使用していない、なのに解りやすく筋の通った論が展開出来ている。僕ではこんな文は書けない。
っていうか、頭が良くて、しかも美人なのに、何でこんなに言動が馬鹿丸出しなのだろう。
---12:47---SecondDiningRoom, at Area/K9---
どうしてわざわざ、地下の第2食堂の『ASTRONAUT』に来ているのかと言うと、まあなんの事は無い、僕の好みのご飯がこっちにあるってだけだ。テイクアウトメニューは第1の方が充実してるし、第3の方が広いのだけど、労力をかけても此方のものが食べたいんだ、僕は。
昼時だからか、混みあっている食堂内を一度見回して、テイクアウトメニューの所に並ぶ。藤城先輩の学生証と自分の学生証を二枚、左手でシャッフルしながら、タマゴとツナのサンドイッチセットと、ホットドッグと焼きそばパンを各々買う。
そう、お気付きいただけただろうか。この第2食堂のテイクアウトメニューは、所謂ファストでジャンキーな食べ物が、見事に並んでいるのだ。おかげで僕は、焼きそばパンなどという良く分からない物に、ハマってしまった訳だ。なんで麺がパンの上に乗ってるんだよ。
学生証で会計を済ませて、ついでにジュースを買おうと、自動販売機を探す。食堂の隅に並んでいる、赤と青の自販機を見付けて、学生証をくるくると回しながら歩いて行く。
とりあえずは、午前中を一応無事に終えれたことを喜ぼう。そしてレポートをさっさと書いて渡してこよう。面倒なことははやく終わらせてしまうに限る。
学園内にある自販機の、赤色は所謂普通の自販機で、青色は学内自販機と呼ばれている。化学科や薬科や農科や酪科が独自に作った、いかがわしさ満載の商品が並んでいるのだ。一部商品は企業に委託されて、世界中で売れてたりする、らしい。
企業のものとは違い、学生は格安で飲める(20~80yen)ということもあって、中々売れ行きは良い。が、美味しくないとボロクソに言われ、あっという間に撤去されてしまう。ちなみに、一番安全で昔から売れてるのは、酪科の『成分無調整牛乳ウマナシ』だ。普通に牛乳だ。
で、その青色の方に手をかけて、俯いている男子生徒がいた。数理科と情報科の着る意味もない、裾の長い白衣を地面に付けた状態で、そいつは自販機にもたれるようにして俯いている。
ストレートの長い黒髪を無造作に結っている。それで気付いた。
「谷口、何してるんだ?」
確か、美形と噂の情報青年だ。下の名前は忘れたが、中々女の子っぽい可愛い名前だったと思った。
「あぁバリアムさん」
ぼんやりとした表情の谷口は、眠いのか頭を何度も振っている。それから僕を見て、ふうっと息を吐いた。
「エイプリルフールだからって自販機に悪戯した奴がいるみたいで、今治してたんだけれど」
「ここでもエイプリルフールか…………」
そういえば谷口は干渉系だったか。便利そうで、たまに能力者が羨ましくなる。特に藤城先輩とかを見ていると、そういうのが欲しくなる。実際あの人は人生楽しそうだ。
そういう研究も無いわけではないらしいが、ヒトの遺伝子もまだ全部解けていないのに、新たな問題に手を出すなんてとてもとても。アメリカのミュータント兵の方がまだ、らしいってもんだ。
「もう治したんで、使ってもダイジョブですけど」
「Check、使わせて貰うよ」
と、僕が青色自販機の前に立った時、誰かに名前を呼ばれたのか、谷口が振り返った。
「シーナ!」
谷口は日本人だよなと思いながら、気になったので僕も振り返る。
混んでいる食堂、他の奴にぶつからないように間を縫って、栗毛の青年が駆けて来ていた。背丈は僕と同じ位か、首にかけた“お守り”の色が、谷口と同じだから同級生だろう。
「シーナ、ここにいたのか」
「サン、オレの名前はシーナじゃなくて椎名だって、何回言えば覚えてくれるのさ」
呆れ顔で谷口が言うのにも、サンと呼ばれた青年は素敵な笑みで返す。へにゃ、とした笑みは人懐こい犬を思わせた。
「シーナはシーナさ、かわいいだろ?」
「男に可愛いとか言われても、ぜんっぜん嬉しくないし。そもそもキモい」
「キモいはひでぇなぁ。シーナがかわいいのは本当なのに」
「だからキモいっつってんの」
随分と仲が良いらしい。邪魔しちゃ悪いかな、と少し気を利かせて一歩下がる。似たように一歩下がった金髪の女の人と、目が合ったので会釈しておいた。どこかで見たことのある人だ。
「行こうぜ、今みんなでヤケクソ宴会開いてるからさ。情報科が入らなくてどうすんだ」
「引っ張るな、サン、オレはあの『イミットエール』ってやつはキライなんだよ、それに宴会も好きじゃない、引っ張るなってば」
「来いよ引きこもり、魔術科の連中だって来るんだぜ。『Imit,Ale』が嫌いなんて、お前それでも情報科かよ」
「イミわかんね」
エールは、まあ酒ではないんだけれど、アルコールみたいに酔っ払えるという、どうやってもいかがわしいジュースの事である。化学科の最大にして最低と言われている、“合法麻薬”でもある。ヤバいやつである。化学科は体には害は無いと五年間言い続けているが、怪しいものである。
アルコールではない上に、どちらかというとホルモン系に働きかけるとか、なんとか意味分かんないが、とにかく高校生以上なら飲める。しかし率先して飲むのは、薬科とかに毒された工作部とか陸上部だけだ。ある意味当たり前。
前に飲んだことがあるけど、確かにアルコールに似てはいる。でも体質によって差が出るのか、しばらく頭痛に悩まされる羽目になった。
「来てくれよ、一緒に呑もうぜー」
「わかった、わかったから」
谷口はそのままサンに引き摺られて行く。ずりずりと去って行く二人に軽く手を振った。
「あーもうっ、やっぱり工作部はヤバい、何今の。シイナ君可愛いすぎでしょ、次描くネタ、キタコレ」
何やら一人盛り上がっている、金髪の女の人は横においておいて、青色自販機で目的の物を買うことにする。女の人がチラチラと僕を見るが、とりあえず気にしない。
先輩の学生証で牛乳を買う。僕は…………迷ったけど、フルーツジュースでいいかなぁ。そう思いながら見本の下のボタンを押す。
「…………あれ?」
ボタンが光らない。故障かと思って、学生証をスキャナーに通してみるが、読み込んでもくれない。谷口が直したんじゃなかったのだろうか。
何度かボタン押してみる。すると、スキャナーの上に付いているパネルが、文字を表示する。
『現金でお願いします』
無理だっつの。
この学園で現金持ち歩いている奴なんていない、筈だ。全部学生証で記録して、後でまとめて請求されるので、正直現金を持ち歩くメリットはほとんど無い。街に出かける時とか以外は、皆基本的に持っていないだろう。
だから僕も持っていない。
『現金が無ければ棍棒でもいいですよ』
そもそもどこから入れるつもりなんだ、スキャナーしか付いてないだろお前。
『仕方ないですね…………、次は現金でお願いしますよ?』
ボタンが点灯した。若干ムカつくがとりあえず、フルーツジュースのボタンだけを押し、スキャナーに自分の学生証を通す。がこんと落ちてきたジュースを取ろうと、下の取りだし口に手を入れると、
『エナジードリンク、青汁ブレンド』。明らかに飲んではいけない色をしている。
スキャナー上のパネルには、『油断したな、この学園ではエイプリルフールは夜の12時までだバカが』の文字。
「…………谷口の奴、覚えてろよ」
絶対あいつだ。確かに夜勤の連中全員がタッカー先輩みたいに、わざわざ朝に起きるような生真面目ではないが、それは分かるが。
隣で様子を見ていた女の人が、笑いを堪えようとしてかぷるぷるしている。視界に入らなかったことにして、後から出てきたフルーツジュースを取った。
しかし、このエナジードリンクはどうしよう。正直いらないし、飲みたくもない。
「あ、…………いいこと思い付いた」
---13:07---Mathematic&PhysicCalculationDpartment's Luboratry in ResurchClub---
「買ってきましたよー」
「わーい、おっひるごっはーん!」
ドアを開けると、羽化しかけのサナギみたいなのが、天井から垂れ下がっていた。…………うわ、きもっ。おっと、僕がやったんだった。
数理科の研究室には、今頃になって起きてきた連中が、頑張ってパソコンに向かっていたり、昼寝していたり、友人と話していたりしていた。1年生から最大15年生までが、同じ部に所属するという、かなり奇特な仕組みの学園だからか、年が離れていても気兼ね無く話せるのだろう。
さてと、昼飯食べたら、主に先輩のおかげでレポートも書けたし、工作部に届けてこようかな。
「あれ、ヴァル君、私牛乳って言った気が…………なんだろう、これ?」
先輩が違和感に気付いたようだ。
「新商品らしいですよ。健康に良さそうだったから、先輩に」
はいダウト。エイプリルフールですから。
「チャレンジャーな私、なんのこれしき、一気飲みしたるわぁ!」
「ワーセンパイカッコイー」
「\キャー、ヤヤサーン!/」
「自分で言わないで下さい」
「じゃあヴァル君が言ってよ、そしたらこの不味いゴミ処理に付き合ってあげなくもないから」
あ、バレてる。しかも不味いって知ってる、ってことは飲んだことがあるのか。さすが先輩。
「先輩、マジカッコいいです。正直惚れられませんけど、ミスコンで優勝は出来そうです」
「そう? ダーリンに言ったら誉めてくれると思う?」
『ヤヤは僕の天使だ!』、と言っていた先輩の彼氏を、ちょっと思い出した。かなり思い出したくなかった。
「あんたの彼氏なら、ただの牛乳飲んだって誉めてくれますって」
「待ってて、マイダーリン! これ飲んだら会いに行くから」
「…………いや、始学式サボる気ですか? サボりは良くないですよ?」
大学院なのに、なんで始業式があるんだよって話だけど。一貫校の弊害か。結構緩いしな、この学園。そう言えば、しばらく教授も教師も見かけてないし。
「大丈夫、この前一日で帰ってこれるルート割り出したから」
むしろ今まではどういうルートだったんだ。ただでさえ、この先輩が空を飛ぶというのがシュールなのに、しかも絨毯とか乗っちゃうんだこの人は。見かけた人が何事かと思うだろ。あと軍が困る。
昼飯を食べ終えた先輩は、良い笑顔で昼寝をすると宣言して、天井に横になった。どうでもいいけど、あの人は縛られているのは、気にしていないのだろうか。
---13:48---
報告書を工作部に提出して、だらだらと研究室へ戻ってくると、タッカー先輩が部屋の前に座り込んでいた。厳しい顔付きで、自分の足元を睨んでいる。
「先輩? どうかしたんですか?」
「ん? あ、あぁ、バリアムか」
先輩は、溜め息じみた息を吐く。どことなく呆れ顔で立ち上がりつつ、研究室を親指で差す。
「いきなり“指揮者”がやって来てさ、研究室に殴り込みだよ。エイプリルフールだそうだ」
…………エイプリルフールめ、ことごとく僕の平穏を邪魔するのか。軽く殺意が湧いた、エイプリルフールに。
「それで、中では何を?」
「さあな、いつも通りの馬鹿騒ぎだろ? オレは知らねぇよ、荷物取りに来ただけだからな。…………まあ、入るに入れないわけだが」
“指揮者”のソワール・コシュマールは、実に厄介な性格をしている。綴りはSoir,Cauchemar、この学園には珍しいフランス人だ。性格は非常に陽気で、ウザい。僕が苦手とするタイプの人種である、人間ではないが。
しかし、ここで臆するわけにはいかない。先輩が一歩引いた位置で、かなり無責任に声援を送ってくる。それを背中で聞きながら、僕は研究室のドアを開いてみた。
ずんどこずんどこ。
「オーイェー、Sinθ'=Cosθ、∫Sinθdθ=-Cosθ+Cっ!」
ぴーひゃらぴーひゃら。
「「「「咲いたコスモス、コスモス咲いた!」」」」
ずんどこずんどこ。
「オーイェー、Cosθ'=-Sinθ、∫Cosθdθ=Sinθ+Cっ!」
ぴーひゃらぴーひゃら。
「「「「コスモスコスモス、咲いた咲いた!」」」」
ずんどこずんどこ。
静かにドアを閉めた。
……………………なんだろう、今の。僕は軽く頭を振って、ドアの隙間から見えた光景を、頭から追い出そうとしてみる。
骸骨先輩、もとい、コシュマール先輩が部屋の中央で骨踊りし、その周りを知り合い達が回るという。中心には、コンセント式キャンプファイヤーの灯りが揺れ、暗幕の下ろされた室内で影が踊る。KKKみたいな格好をした連中が、怪しい言葉を呟きながら、何やら団扇を持ってくるくるとする。
そして天井からは、縄が一本ぶら下がり……………………。
何とも言えない面妖な光景に混乱しながらも、背後に待機するタッカー先輩を見ると、『いいから行ってあのボケにツッコんでこい』、と無言で睨まれた。あれはボケではないと思うけど、それは言わずにまたドアを開いてみる。
どんどこどんどこ。
「オーイェー、logx'=1/x、∫logxdx=xlogx-x+Cっ!」
びーろろぴーろろ。
「「「「サンシャイン、夜風が見に染みて風邪引いた!」」」」
どんどこどんどこ。
「オーイェー、{f(x)g(x)}′=f'(x)g(x)+f(x)g'(x)、∫f(x)g'(x)=f(x)g(x)-∫f'(x)g(x)っ!」
びーろろぴーろろ。
「「「「洋子さんが弾いたら最高っ! マジ最高っ!」」」」
どんどこどんどこ。
そこで、部屋の中央に立つ骸こ、コシュマール先輩が、両手を広げて高らかに宣言する。
「さぁ次は、“eのx乗の不定積分”をしようじゃないか!」
オイコラ待てや。
「下ネタ禁止!」
ばんっとドアを開ききって、大声で叫ぶ。叫んでしまってから、ツッコんでしまったと気付いたがもう遅い。まんまと釣られてしまった。4月馬鹿は僕か、くそ。
骸骨、コシュマール先輩は、カンペを読んでいただけらしく、eのx乗の不定積分の意味は分かっていないらしい。先輩が芸術系で良かった、そして男で良かった、剥き出し骸骨に性別なんてあんのかよ。今の台詞はかなりまずい。部屋の中で笑いを堪えていないのは、先輩くらいなものだ。
「き、勤勉な学園生徒の内の一人のバリアム君ではないか。君もこの黒ミサ『数式の夜』に参加しに来たのかね?」
なんでそんな説明くさい台詞なんだ。あと僕は一応プロテスタントだ、一応だけど。しかも『数式の夜』って、ネーミングセンス無いなぁ。っていうか、一応続けるのかぁ。ツッコんでも止めないんだぁ。
思ったこと全部をツッコんでいると、身を滅ぼすな、うん。何も言わないのが吉だ。今の僕の手元にはHARISENは無いんだ。
「今まさにバフォメット様が降臨なされる所だよ。君も入りたまえ」
おいフランスカトリック骸骨、別に黒ミサでバフォメットは降臨しないぞ。あれ悪魔だしさ、崇拝の対象だしさ。いやまぁ、降臨してもいいかもしれないけれど。何がいいんだよ。
しかし降臨すると言うからには、降臨するのではなかろうか。スケルトン先輩が手招きをするので、部屋に足を踏み入れる。ドアを開けておくのは忘れない。廊下のタッカー先輩とちょっと目が合ったが、気にしない方向で。
今年度から教師のコシュマール先輩は、部屋の中央でゆらゆら揺れる、キャンプファイヤー型ライトの前に立ち、両手を大仰に広げる。それから音楽科所属自慢のバスで、朗々と呪文を唱える。
「ヨワイ、ナモクナラ、ヤテッアキツト、タンアシタ、ワラナウ、イテッモテシウ、ドモデ! ラカダン、イナモ、デンナモ、デキスカンナタンアー! ネラカ、ダンイナャジ、ケワルテッイ、テッレクテ、キニツベっ!!」
「誰だよ、こんな呪文考えた奴!」
馬鹿だろ。4月の馬鹿だろ。
「「「「レコタ、キレデンツっっ!!」」」」
「唱和すんな!」
「「「「スッーザアミコッツ!」」」」
数理科、馬鹿ばっかだろ。4月どころか年中無休か、くそ。ツッコミは主に僕とタッカー先輩だけか、くそ。っていうか今のどうやって発音したんだよ。
怖くないようにとお面を被っている、骸骨先輩は天井を仰いで叫ぶ。
「さあ、バフォメット様の御降臨だ!」
そして空から舞い降りる――――
「イケメンバフォメットだと思った? 残念、美人過ぎる先輩のヤヤちゃんでしたっ!」
馬の被り物をした、何やらアレな人が天井から降りてきた。足が縄で縛られたままなのがシュールだ。
…………むかっ。バフォメットは雄山羊頭だっつの。
---18:41---ThirdDiningRoom in SecondSchoolBuilding
駄目だ、ツッコミ疲れで死にそうだ。まさか、あそこまでツッコミ待ちの悪戯ばかりだとは、思ってなかった。詳細は省く、回想だけで疲れそうだ。
夕飯時には少し早い第3食堂『Ride』。ライドではなく、リッドと読むらしい。さざ波を意味する柔らかな青基調の食堂には、洒落たメニューが多いため、女子には人気らしい。僕がいるには少し場違いかも知れないが、友人の指定なのだから仕方はない。
しかし、よりによって今日会おうと言ってきたのは、やはりあの無愛想男も、エイプリルフールしてみたいのだろうか。委員は休みの筈だし。
と言うわけで、シチューに付いてきたパンをバターで食べながら、友人を待っていると、黒い委員服に黄色い腕章を付けた男が、僕の前の席に着いた。
「えっと、バリアムさんッスか?」
「そうだけど」
男は今一ぼんやりとした表情で、欠伸混じりに僕の皿の上のパンを取り上げる。
「イェーガーさんなら、今日は来れなくなったって。その伝言ッス」
「おいおい、僕を呼びつけたのはあいつなのに、約束を反故にするとはなんて奴だ。僕は、あいつみたいな奴が風紀委員長だと思うと、非常に嘆かわしく感じるよ。残念でならない。これはあいつに一食奢られるべきだ、そう僕は判断した。
……………………って、あいつに伝えといてくれないか?」
「Checkッス」
男は水もバターも無しに、無理無理パンを口に詰め込みながら頷く。とても喉が渇きそうだ。
「結局、用事は何だったのか…………。あいつ、何の用で来れないんだ?」
「四月馬鹿共の粛正ッスね、多分あの人なら」
風紀委員も大変だなぁ。
「それじゃ、伝えたッスよー」
男はそう言って立ち上がった。パンでいっぱいいっぱいになっているまま、もふもふと頬を動かす姿は、ハムスターに似ていなくもなかった。
「あ、ちょっと君、名前は?」
「カイト、カイト・クラインッス。十年生風紀委員、戦闘系中距離型」
後輩君かぁ。K,Kかぁ。
そこでツッコミ疲れた僕は、ちょっとした茶目っ気を起こして、去っていこうとしているクラインに言うだけ言ってみた。
「クライン君、そのパンの中には画ビョウが仕込んであるよ。あいつが来たらあげる心算だったんだ」
クラインは、ちょっと止まって何か考えているようだった。しばらくして、口の中のパンをモグモグと咀嚼、咽下してのち、格好付けて目を光らせて、のったりと僕を指差し、
「ダウトッス」
僕は肩を竦めて、慣れないことはするんじゃないなと呟いた。やっぱり僕はボケるより、ツッコんでいる方が性に合うのだ。
と、言うわけで僕はツッコんでおいた。
「いや飲み込むなよ」
今更気付いたが、
この形式辛くね?
四人全員文体変えるの? 無理だろ?