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ユビキリ  作者: 紅雨椿葉
第参章
65/66

ユビキリ ノ花笑み


悲しげに笑う人だった。

過去にそう思ったが、今はどことなく感じが違って、付き物が落ちたかのように、ただただ今の状況に困っているように感じた。

この印象の違いは自分が歳をとったからなのか、目の前の人が変わったからなのかは分からない。

剛はそう思いながら、過ごした日々をぼんやりと思い返していた。長く生きたものだ。

だがこの人と知り合って、特に桔梗を引き取ってからの年月は、なんと早く過ぎ去ったことか。

桔梗を未婚ながらも引き取ると決めた時、娘がいてもいいという女性と結婚した時、あんなに可愛らしい孫が生まれるだなんて想像もしていなかった。


 「どうした? ぼんやりして」

 「いや、ね。こんなことになるとは思わなかったなあって。俺も長生きしたもんだ」

 「まあ、俺たちの知り合いの中では長生きな方だな、クマ」


しかも小さいころから知ってるとなると、珍しい部類かななんて漏らす露草に、この人も変わったものだとつくづく思う。

会った時の露草なら、率直な感情を事細かに見せるような真似はしなかった。

だがそれは喜ばしい変化であるので、わざわざ指摘することはしない。そうしたら当分自分の前では恥ずかしがって、何も言ってくれなくなるだろうから。

そういうことを考えられるようになったと気づくと、時折親のように見える白梅の眼差しの理由が、分かったような気がした。

そんな感慨に浸っていると、それを吹き飛ばすかのごとく話し声は大きくなっていく。


 「なんやろう? 私らが問題なんかね、これ」

 「橋渡しというか、きっかけにはなっただろうが、本人たちの問題だ。俺たちには関係ない」

 「えっ、いやちょっと待ってよ露草さん、放置はやめて。どうにかしていって」

 「とは言ってもねえ」

 「なあ?」


揃って顔を見合わせ、首をかしげている様は何とも仲良さ気でいいけれど、こちらの心情も推し測ってくれるとなお良いのだが。

そう思っているうちに、二人の話題はいつの間にか、目の前の様を目を細めて女性と共に眺める、線の細い男性との出会いに移っていた。



 「彼、君の恋人?」


開口一番にそれだ。

線が細くて色白な少年が発したものだが、気だるげに白梅の腕にもたれかかる様が、よほどそれらしいというのがまた笑えない。


 「違う! ……白梅、お前そういう趣味に走ったのか?」

 「ちゃうちゃう、そない恐い目せんといて。これは彼なりの冗談じゃけ」


全くもう、と窘める白梅を意に関することなく、少年はまじまじと露草の顔を覗き込んだ。


 「彼、フィンランド語できるんだ? アジアンにしてはきれいな発音だね」

 「それはどうも。あなたも欧米人にしては綺麗な中国語だ」

 「ジャパニーズかと思ったらチャイニーズだったの?」

 「何でそこでトルコ語なんだ……? 白梅、お前一体どういう知り合い――」

 「本当にすごいね、彼は」

 「三か国語で褒めていただかなくても結構」


段々疲れてきていた。


 「これも分かるの!? アラビア語なんてどうしてわかるのさ!」

 「それはあなたにもそっくり当てはまらないか?」


苦しそうにお腹を押さえ、笑いが止まらないといった様子の白梅を二人して睨みつけると、やっぱりなあとかろうじて一言だけ絞り出す。


 「なんとなく、露草と合う気がしてね。面倒なところがそっくりじゃ」

 「「……」」

 「お前が俺をどう見ていたのか、よく分かった」

 「あなたが露草さんだったんだ? 薄情者は放っておいて、食事でもしません?」

 「いいな、それ。近くにうまい店はあるか? 丁度腹が減っていたんだ」

 「昼時だしね。僕洋食がいいなあ。ひさしぶりにオムライスが食べたい」

 「ちょ、ちょっと待って待ってお二人さん。話が合い過ぎ。すまんかったって。機嫌なおしてえな」


そんな話をした後、出会った記念に露草が奢るという話になったのだが。


 「そしたらね、白梅ったら楽しそうに露草さんの話する癖に、『どういう人?』って聞いたら、なんか謎かけみたいな説明しかしてくんないの」


――意地っ張りなシャム猫と、自分の尻尾を餌にして魚を釣る、面倒くさがりな猫を足して2で割ったみたいな奴じゃ。


 「いや、余計に分からないんだけど。……って思うよね? そう突っ込みを入れたんだけどさ」


――そう? そうね……とても人間くさい奴ってことよ。


 「ね? こんな台詞を夢現みたいな瞳で言われてみて。初っ端の発言も納得できると思わない?」

 「……」

 「いたっ、なんね。何照れてんの?」

 「照れてはいない」

 「耳が赤いよ」

 「だから何で八つ当たりされなあかんの!?」



やはりあの時、無理やりにでも白梅に奢らせておけばよかったかもしれない。

ちら、と白梅を見やると、何も覚えていないかのように、純粋な瞳で見返してきたので、露草はひとつため息をついた。


 「まああの時、まさかお前がお守りしてた京也の孫が目の前にいて、しかも将来イリアの娘と婚約するなんて思いもよらなかったよ」

 「日本も国際結婚が増えたねえ。元々京也も、お母さんが英国の人だったらしいし。あの家は結構外国に縁があるみたいじゃねえ」

 「いや、今回のは間違いなく二人がきっかけ……ってか、そっちじゃない。問題はそこじゃ無くてさ」

 「どうしたんだ、クマ。孫と孫の結婚。厳密には血のつながりがない従姉弟同士は、法律的にも問題ないらしいぞ? さすが茂、すでにそこらへんは調査済みらしい」

 「たしかに言ってみればそうなんだけどさ! 問題は香梅でしょうよ、嫌がってないあれ!?」


ここにいる全員が生暖かい目で見ているのは、今日の主人公ではないはずの男女である。

一人は青年、もう一人は淑女……熟女とは言い難い、若々しい雰囲気を持つ女性を取り囲むようにして、めいめい好きなように過ごしていた。

実は白梅と露草が縁で知り合った一組の男女が、めでたく婚約する運びとなり、半年後には挙式が決まっていた。

なのでどうせならまだ忙しくないうちに、と双方の親族や白梅と露草の知り合いを呼んで、婚約した男性、花咲遥の実家で軽い食事会を開き、楽しんでいた……のであるが。


もしかしたら食前酒を出したのが、まずかったのかもしれない。席に着くのでなく立食形式で軽くつまむ形だったのも、酒が進む原因である。

とはいえ、彼は酒に弱くはなかったと思うのだが。

白梅がもう一度彼の顔色を見るが、やはり素面のようだ。至極真剣な表情で、片膝をついて女性に熱烈に迫っていた。


 「香梅ねえさん、いえ、香梅さんお願いします。小さいころからずっと好きだったんです。今すぐ結婚……でも僕は構わないんですけど無理ですよね。じゃあどうか付き合って。うんと言ってください」

 「あたしからもお願い姉さんー。しげにぃが諦め悪いの知ってるでしょ? 兄さんったらあたしが物心つくときにはすでに、姉さん一筋だったんだもの。気づいてないの姉さんくらいよ? ねえ桔梗さん」

 「え、はぁ? ええ本当にっ!?」

 「あれ、知らなかったの? 静ちゃんの言うとおり、気づいてないのあんたくらいよ」


香梅は片手を茂にとられながら途方に暮れていた。

シャンパングラスを持つ片方の手が震えて今にも落としそうなことや、四十ほどの瞳に見つめられている緊張よりも、婚約発表のお祝い気分とほろ酔い加減に勇気を得て、自分に告白してきた弟分のことで頭がいっぱいらしかった。


 「知らなかったよ、そんなこと言われても……だって今年二十八だっけ? 年が十二も違うんだよ? 一回りじゃん! 茂くんお医者さんなんだからもてるでしょう!?」

 「それがねえ。好きな人がいるって幼稚園から今までずーっと断り続けて、恋人無し歴年齢と一緒」

 「それは一緒……って、ああっ!」

 「え、付き合った人いないの?」

 「母さんったらこんな大勢の前で言わないでよ!」

 「先に言ったの香梅じゃない!」


きゃあきゃあ、わあわあと騒がしい雰囲気に当てられて、白梅はほんのりと酔っているようだった。

のたりのたりと音もなく忍び寄り、香梅の背後でぽそりと呟く。


 「じゃあ茂君のこと嫌いね?」

 「嫌いじゃないわ。むしろ好き? ……って、あっ!」


はっと振り返るがもう遅い。

傍にはしてやったりな白梅の悪い笑顔、向き直って下を向けば、どうにも弱くなってしまう茂の期待した瞳。

逃げ場が無くなった香梅はうーんとため息をつき、仕方ないなあ、と頷いた。



 「交際宣言おめでとう」

 「露おじいちゃん……、何で止めてくれなかったの? 白梅さん止めるの、露おじいちゃんくらいしかいないじゃない」


香梅は頬を膨らませて、露草をにらんだ。

桔梗が父さんというものだから、露草をお爺ちゃんと呼べるたった一人の存在であることが、幼いころからどうにも嬉しかったものだが、今ではその祖父の澄ました顔がどうにも憎たらしく感じてしまう。

非難された当の本人は肩をすくめただけだった。


 「だって、本当に香梅が困ったら、真っ先に俺を見るだろう? それにお前は小さいころからずっと茂の面倒見てたし。合うんじゃないかと思って」

 「それは……男の子だからすぐ目を離すとどっか行っちゃうし、静ちゃんはお母さんとかお爺ちゃんたちに懐いてたし、自然に一緒にいることになったっていうか……もうっ」


頭いっぱいいっぱい、といった様子の香梅の頭を撫でてやりながら、あんまり難しく考えるな、と囁いた。

なるようになるから。

本当に困ったときは相談に乗ってやるし、力も貸してやるから。

そう促せば、香梅は弱り切った声で絶対よ、と何度も言い募る。

その姿を見て、賛同したのは早まったかと思いかけたが、母親譲りで嫌なものは嫌とはっきり言える、頼もしい孫であったことを思い出す。

約束するから、と小指を差し出した露草に、香梅は目を何度も瞬かせながら驚いていた。


 「あら懐かしい。というか珍しいわね、父さんから差し出すなんて、ねえ?」

 「ええなあ香梅ちゃん、露草はそうやった時の約束はぜーったい破られへんよ? 今のうちに沢山お願いごとせな」

 「余計なことを言うな、散れ」


しっしっ、と払うような仕草に、白梅は吹き出し、笑いを隠すこともせずに離れた。

後で何と言われようが構うものか。

少し離れたところでにやにや笑う。出会った頃より幾分かましになったものの、目の前で嬉しそうに頷く女性と同年代くらいの、いかにも不機嫌そうな顔をした男が指切りをしあっている時点で、格好つけようがないのだ。

金色の林檎酒を揺らして香りを楽しんだ後、一気に煽る。産地の風景がふわりと思い返された。

祝いの品として、二十五年物と三十四年物の酒を調達してきたのだが、どうやら今から二十八年物と四十年物を探しておいたほうがいいかもしれない。

ふふ、と終始嬉しそうな白梅の隣に、話し終えたのか露草が佇む。

同じように一気に煽ったグラスを机に置いて、なんとなく窓を背にして部屋を見渡した。白梅も真似をして、桟にもたれかかって同じ光景を眺めてみる。

一拍遅れて風にさらわれた花びらが舞い散っていく。


 「永いこと歩いてきたもんじゃねえ」

 「ああ。こんなに友達やら家族やらができるなんてな」

大勢いる中で、露草の視線に気づいたように、僅かにグラスをかかげた男性は、もしかしたら花咲家の誰かだったかもしれない。


 「これからもよろしゅう。……約束しとく?」

にやりと笑った白梅の小指を見つめ、出された手を露草は押し返した。

 「やめろ、恥ずかしい」

 「えー、じゃあ後で」

 「やけにこだわるな?」

 「だって懐かしかったんやもん」


逃げるように窓から離れた露草を、からかい倒そうと追っていった白梅を、縫いとめるように風がやさしく包む。

けれどそれは、大した足止めにはならなくて。

桜の花びらが数枚、その場に緩やかに重なり落ちた様は、二人の身代わりのようであった。




 昔々あるところに、一人の鬼がおりました。

 とても強い力を持った鬼でした。

 いつまでも若く、そして美しい鬼でした。

 それは人間のように知識を求め、何より絆を大切にした鬼でした。

 仲間を見つけ、やがて真の友となった彼と、遠い旅路を歩んでいくのです。

 美しい姿をしたその鬼は、孤高とも清廉とも剛健とも言い難く。けれども確かに変わったその鬼は、今度こそ幸せに暮らしていくのでしょう。




― 完 ―



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