ユビキリ ノ陸拾
「おや、驚かれないのですね」
ぴくりとも動かない露草に些か不服のようで、声の主は苦笑しながら近づいてくる。
明かりの下へ近づくにつれて、白梅は自分よりも長身の男性であると気づいた。
日本人にしては若干浅黒い肌、企みを感じさせる闇夜の瞳は、一見真面目そうな風貌を、どこか恐ろしく見せる。
「気づいていた」
「え、誰よ?」
「気づかなかったのか? 里を出てからずっと――九次郎殿の関係の者だろうな。海外にまで着いてきていたぞ」
「海の向こうは苦労しましたよ……」
実は封蝋を垂らした手紙を、露草に送ってきていたのも、この手の者だ。
それを聞いて、どうやら花咲家との縁は深いようだ、と白梅は天を仰ぎたくなった。
何が面白くて二人を観察していたのだろう。
「それで? 何の用だ?」
「この土地で絶大な力を持つ役人の息子です。あれに関わられませんよう、ご進言申し上げたく」
「無論だ」
言われるまでもない、危険性など百も承知。
苦々しく、露草は言い捨てた。
「彼方がたは長く生きているだけの存在です。かつて地位を持っていたのだとしても、今の財界や警察に大きな影響力を持つわけでもない。今や、上で為された決定がどれだけ理不尽であろうと従って、ひっそりと暮らさねばならない民の一人にすぎない。……油断してると、自分の手ですくえるはずのものまで、取りこぼしますよ」
「散々これまで、この身に刻まれてきたんだ。思い上がるなよ、小僧」
「ちょ、ちょっと露草!」
これまでの自分の言動は棚に上げて、白梅は露草と目の前の男との間に割り込んだ。
ぐいと露草の腕をつかみ、廊下の隅に引っ張っていく。
恐らくこの距離では、会話は聞かれてしまうだろうが、視界を変えることで、ちょっとでも落ち着きを取り戻せるなら、それでいい。
敵なのか仲間なのかよく分からなくなった男の為に、言葉を紡ぐ。微塵も億劫ではなかった。
「どがあした? 何であないに冷たくするんね? 言葉はきついけど、おいたちの為に言ってくれちょるんじゃ。分かっとうやろ?」
慌てふためくほど、白梅の言葉はいろいろ混じるらしい。
ぼんやりと考えながら、どうしても消えてくれない、胸の中のもやもやを少しずつ解きほぐす。
「あいつの顔は……似ているんだ」
「誰によ?」
「俺の親父に」
「――ッ!?」
白梅は息をのんだ。
憎々しげに目を伏せる露草に、何と声をかけていいか迷う。
「何の因果だろうな。とうに振り切った過去だ。何十年、何百年たつ? 本人ですらないというのに。いまだに動揺する自分が情けない」
色々と、感情がかき乱された場だ。致し方ない。
そう、仕方ないのだ。
何回も言い連ねたが、目の前に顔を近づけても耳に届いていない様子で、今にも泣きだしそうな瞳は、自分を責めるようにゆらゆら不安定に揺らめいていた。
それを見てしまえば、口を開くのが酷くためらわれた。




