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ユビキリ  作者: 紅雨椿葉
第参章
57/66

ユビキリ ノ伍拾肆


しゃらしゃら、しゃらしゃらと風に誘われて、葉の鳴る音が遠慮がちに響いていた。

未だ鳴りやまぬその音に、少年がふんと鼻をならす。


 「ああ、いやだ。前見たときは華やかでいいと思ったのに、今はうるさくて仕方ないな」


すると、それを聞いていた青年が困ったようにくすりと笑む。


 「なら、小ぶりな山藤でも持ってきますか」

 「やだよ。近所のフジさんを思い出す。あの人はきらい。今日だってあなたに色目を使っていた」

 「まさか。あの人は単に、私が好きだと言った煮物をおすそ分けしに来てくれただけなのでしょう?」


青年の答えにさも面白くないといった様子で、少年はこれだから始末に困ると頭を抱えた。青年が気にした風でないのがまた、更に悩ましいところだ。


 「もういい。あなたがそういう人だって――いつだってカリカリしてしまうのは、僕の最大の欠点だ」

少年はふうと溜息をついた。

 「そうでしょう? ――白梅」


またしゃら、と葉が鳴った。

少年の問いには答えぬまま、青年はキングサリの黄に埋れてしまいそうな佇まいで、静かに笑っていた。


少年はじっと白梅と呼んだ青年の横顔を見つめた。

どこか違うところを見ている空気は、いつだってこの青年が纏っているものだ。

ここにいながらどこかへと旅立っているというか、ここにいない誰かを見ているというか。もしかすると途切れてしまった時間の狭間を、彷徨っているのかもしれない。


 「ここにいたか、京也」


まったくこれだから家の放浪息子は、と京也の父親、有孝はため息をついた。

小さいころからの高度な教育のせいで、授業がつまらないのだと学校を休みがちだった息子が、率先して学校に行くようになり、いろいろな話を仕入れて、土産代わりに白梅に話している光景は、今ではすっかり日常風景になっていた。

京也としては兄弟のようなつもりで接しているのだろうが、周りからすればまるで気弱な青年に恋慕する若衆のようにも見えて、気が気でない。依存しているような京也に対し、白梅はすぐにふらりと消えてしまいそうな雰囲気で、これから先が心配でもある。より正確にいうなら、とても心配だった。


白い髪の青年、名を白梅。

家にやってきたのはつい先日のことだ。避暑に行った先で、何かが落ちる物音が響いたと思って行ってみたら、青年が血まみれで崖下に横たわっていた。

息があるのが不思議なくらいの重体だったが、運が良かったのだろう。一命を取り留めて、素晴らしい回復を見せた。

すぐさま病院に運んだ、とっさの判断と機動力が生死を分けたのだと、医師には言われた。

慌てていたが、何者かが探しにきたらと共の者を残し、数日経って捜索願いが出されていないか探させたが、親類縁者、友人の気配すら一向に見つからない。


有孝はそっと白梅をうかがい見た。

すっと伸びた鼻筋に、涼やかな目元、おまけに人に好かれそうな穏やかな物腰。珍しい艶を保つ白い髪と、陰る森を思わせるような薄緑の瞳。

これだけ人目を引く人間、誰かしらの記憶に残っていてもいいはずなのだが、情報が全く集まらなかった。

まるで、今まで存在していなかった陰が形を成し、白梅として彼らの前に出現したかのごとく。

そこまで考えて、有孝はその考えを追い払うかのように、軽く首を振った。


 「なに?」

 「何じゃない。また学校を休んだな」

 「まあね。作品がようやく形になるところだったんだ。……フジさんさえ来なければ」

 「京也さん」

眉をひそめて窘めた白梅に満足したように、京也は目を閉じた。

 「胡麻の香りは嫌いだ。それだけがあなたに対しての不満かな」


仕上げに胡麻油を含ませた煮物が、白梅の最近のお気に入りだ。それは有孝の後妻の夕子が好んで作る主菜でもある。

珍しく白梅と有孝は揃ってため息をつき、それに気付いた双方そろってまた、取り繕った笑顔を浮かべた。

四六時中、何が気に入ったのか京也は白梅を側につかせていた。

けれども束縛というわけではないらしく、何かの用事を頼んでいることさえある。年上を使い走りにして自己顕示欲を示しているのか、何か別の安心する要素を見いだして側においているのか、自分の息子ながらよく分からない。

それでも、発明家として徐々に頭角を現わすにつれ、人への関心を失っていった息子が人らしくあれるのなら、この出会いはそれだけで価値あるものだったといえる。



ある日、白梅と出会った地へ、また行ってみようということになった。

驚かせようとざわざわ騒ぐ森に、不吉な予感しか感じないが、それはぐずつく天気のせいだということにして、とりあえず突き進む。

山中の別荘は相変わらず辛気臭い、と京也は鼻を鳴らしたが、白梅はこういう場所は物珍しさが先立つのか、どこか嬉しそうにしている。その姿を見て、別荘への見方を考え直してやってもいいかもしれないと思い始める。

自分が単純だという自覚は、もちろんあった。



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