ユビキリ ノ伍拾
「約束する時はね、こうやってやるんじゃ。指きりげんまん、嘘ついたら・・・」
遊女の約束の真似事だと知っていたが、白梅のあまりの無邪気さに思わずのせられて、右手の小指を差し出す。彼の指先はいつでも冷たかった。
「しかし、家族といっても親子なんか、それとも兄弟なんやろかねえ・・・・・・」
白梅は別れるとき、確かにそう独り言を漏らした。
その時は無視して歩いていったが、今頃になってぼんやりと思い出して、歩を進めていく。
親子ならば雰囲気的に自分が親なのだろうか。あんな手のかかる子どもはいなくていい。単純に年齢でいえば白梅なのだろうが、彼が誰かを育てる図が想像できやしない。どちらかというと子どもと一緒になって遊んでしまって叱られるタイプだ。
なら兄弟はどうか。あんな人を振り回すような兄貴はいらない。それで片付いてしまった。
けれどはたから見れば疎ましがりながらも、家族として認めている図そのものだということには気づいていない振りをする。
露草は歩き、時には電車を使い、白梅と一緒にいるときと負けず劣らずのんびり移動した。どうせ時間だけは無駄にある。
緩やかな坂道に差し掛かり、ずっと歩き尽くめだった露草は、道横に置かれていたベンチに腰掛けた。開けた視界の中にはのどかな田園風景。向こうには蜜柑らしき果樹園まで見え、手前では収穫を終えた稲穂が小さな家々のように積まれて乾燥させられていた。
うろこのように転々としている秋の雲を眺め、時には排気ガスくさい歩道橋を渡り、一人で料理屋の食事に舌鼓を打ち、ふとした瞬間に隣にいるはずの人物を思い浮かべ、何ともいえない気持ちでまた食事を再開する。
時には回り道をしながら、有名な観光地を廻ってみる。ある地では、何十年も前に来た時と微かにしか違いを見出せずに、とても嬉しくなった。
ある日には早朝のいつもの散歩に出かけてみた。
年寄りは朝早くに起きるようになるというから、これもそうなのだろうかと思ったが、それに当てはめると白梅は赤ん坊並みになるので、やはり人それぞれ、いや、鬼それぞれなのかもしれない。
そんなくだらないことをぼんやり浮かべ、白い息をじっと見つめながら、線路の上を歩いた。今の時間は貨物列車くらいしか通らない。
それに山に囲まれていて空気もいいし、道が開けて見晴らしがいいので、朝陽が綺麗に見える。
目線はどこまでも続く線路の上を辿りながら、聴覚と触覚は靴底に当たる石の感触を無意識に追っていた。こんな風にのんびりして過ごす時間が常になってしまったが、人間だった頃はこれでもつかの間の休息すら持てない日々がほとんどだった。命を狙われている明確な不安や恐怖まではなかったが、奥底には警戒すべきだと分かっていて、本当に安らぐ時間は大人になって力が付いたころにようやく持てた。なのに、その時間もすぐに虚像だったと思い知らされる事になったのだが。
それが今では気を抜き放題。やはり近場の人間の影響は大きいのだと、常々実感させられる。
そんなことを考えているうちに、露草はぴたりと歩を止めた。視界の端に何かが映った気がしたのだ。そしてそれは、どこか人間のような予感がして、同時に胸騒ぎを覚えた。