ユビキリ ノ肆拾捌
「寒う」
「まあな。だが芬蘭ほどじゃない」
「でも人が多いからこそなんじゃろうけど、雪と比べると殺風景って感じもせん?」
「鉄の塊と、雪の塊か。俺にとってはどっちも変わらん気がする」
「情緒ないねえ」
白梅の指摘に反論することなく、露草は微笑みだけを返した。
自嘲の笑みでもなく、賛同の笑みでもなく。
「だが、俺にとっては本当なら見ることの出来なかった景色ではある」
――本当なら、崖から落ちたときに存在自体が消えていた人物。本当なら、何も感じられなくなっていた体。
だからどっちも変わらないというのも、満更間違いじゃあないなんて呟く横顔はどこか寂しげにも満足げにも見えた。
露草の様子がいつもと違うことに勿論気づいていたけれど、白梅はどうすることもできなかった。
それでもあのときの自分の勝手な行為が彼にとって負担となっていたのか、これでも内心考えてはいたのだけれど、きっと間違いではなかったのだろうと完結させる。少なくともそう思いたい。
いずれは、そんな事まで腹を割って話せるような気安さが流れてくれるといい。けれど、後悔はしていないと言い切った彼ならば、そんな些細な悩みなど一蹴してしまうだろうという事も予想できた。
ここまで長く共に生きた存在はなかった。ずっと一緒に時代の移り変わりを見て、語れる人物。
これからも共にいられるといい。これからも、ずっと。
寒風が体の中を通り抜けていく。凍るような冷たさは朝方特有のもので、澄んだ朝陽が待ち遠しくてたまらなかった。
でも、こんな暗い朝方の風景も嫌いじゃない。未だ人々が眠っていて、息吹が感じられるような朝方の空気が何ともいえない爽快感を生む。
そう常々思っていたのだが、相棒は寒さに弱いらしくコートとマフラーの位置をしきりに気にしていた。
「お前は大雑把なイメージがあるんだが、案外神経質なんだな」
「おんしも神経質なイメージやけど、結構大雑把やね」
ぷるぷると震える様子が子犬みたいで可愛い、なんて感覚は勿論持ち合わせていないので、ただ景色と一緒にぼんやり眺めていたのだが、返す言葉はほとんど鸚鵡返しで唇も紫色なところを見ると、よほど寒いのだろう。
「仕方ない・・・・・・これでも巻いとけ」
「何」
ばふ、と自分のコートを羽織らせる。ぴゅう、とさらに風が自分の素肌を撫でるように吹いた所為で確実に体温が下がったが、震えを悟られるわけにはいかないと痩せ我慢する。
「露草・・・それじゃあんたが寒かろう」
「寒くない。体を動かしていれば問題はない。だから歩くぞ」
やっぱり寒いんやないの、と呆れ気味に返す白梅だったが、自分がどうにか巻きつけたコートは手放し難いようで、きっちりと両手で前を閉じ合わせていた。