ユビキリ ノ弐拾陸
「いきなりですが、露草殿はこちらに住んでいたことがおありで?」
「・・・本当にいきなりですね」
「詮索など不躾だとは承知していますが」
「いえ、皆様からいろいろ聞かせて頂いている私こそ不躾なのですが。お察しの通り、一時期こちらで暮らしておりました」
「そうですか・・・」
塔十郎は目を伏せた。何かを思い出しているかのように、時折頷きを繰り返す。
自然と露草の目線も揺れた。
「露草殿は、私が憧れていた人にそっくりなのです。川本家の、以前の栄雅様に」
露草は唾を飲み下そうとした。けれど出来なかった。
あなたはまだお若いので、ここに住んでおられたことがあるとしても顔も覚えておられないとは思うのですが、と続けた塔十郎に笑えばいいのか、頷けばいいのか分からなかった。
「以前の栄雅様は若くして亡くなられました。・・・けれど、若くても優れた藩主でした。人心を掴んでおられた。力や金ではなく、本当に人との関わりを持とうとしておられた。信頼を勝ち得ようとするその姿勢は弟である今の栄雅様、そしてそのご子息にも受け継がれてゆくことでしょう」
悲しそうに、しかし未来に希望を持った目をして、塔十郎は顔を上げた。
露草はその目を直視したものの、目線はどこか彷徨う。
自分の過去を過去として、別人の口から再確認する事、自分が憧れられていた事実、自分のいない場所で確かに流れていた時間、そのどれもが露草に突き刺さっていく。嬉しいようで、心の奥のどこかが痛かった。
「敵対している栗町と私も、かつてはそれなりに会話を交わしていたのです。しかし、以前の栄雅様と今の栄雅様では力量が違う。今議論したところでどうもできませんが、お二方が生きておられた頃は、どちらにつくかでよく揉めておりました」
そういった動きがあるのは知っていた。
けれど露草にも明良にも対立する気はなかった。むしろ露草と対立し、明良と対立させようとしていたのは父の兼良だ。
「今の栄雅様はお父上の言いなりになる危険があった。だからこそ難色を示すものが多かったのですが、如何せん大っぴらに言う事も出来ますまい。個人同士の、内密の話からどんどんと話がこじれていきましてね」
塔十郎は恥ずかしそうに頭をかいた。
「それに・・・川本家を藩主とする花咲家ですが、一つだけ掟があるのです」
「掟?」
「ええ、栗町家の守護という掟です」
「川本家への恭順を示しながら、主は栗町だと?」
「そういうわけではありません」
どう違うのだろう。
自分に仕えているふりをして、兼良からの密命を果たそうとした透影の姿が思い出された。