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ユビキリ  作者: 紅雨椿葉
第壱章
15/66

ユビキリ ノ番外波

流血、死亡表現、精神的に痛い表現などが苦手な方はご注意ください。


「お土産に食べるといい」と渡された包みには栗の渋皮煮が入っていた。

鬼にかかれば誰でも子ども扱いだ、と苦笑しながら帰りの道のりを急ぐ。

あれからすぐに鬼と別れた透影は久しぶりに胸のすくような、清々しい風を味わっていた。頭上では忌々しいほどに晴れ渡った青空が広がり、燦々と輝く太陽がでんと居座っている。


自分が初めて任務をこなしたのもこんな日だった。

初めて血にまみれた日。一生消えない罪を背負った日。

暗鬱な記憶と共にある快晴の日は、無意識のうちに思い出してしまうのか若干不機嫌になるのだが、今だけはそんな気持ちも忍び寄ってこない。

今の自分なら、無茶な任務をやってのけろと言われたってできそうな気がする。もちろん、気がするだけではあるが。



 「お呼びで」

 「うむ」


今まで会っていた鬼とも栄雅とも違う肌のつや、白髪が幾分混じった頭髪、嗄れ声を響かせる人物は姿形こそ老いてしまった兼良ではあったが、目だけは若い頃のまま、野心に満ちたぎらつく光を放っていた。


 「自然に片付けられる機会があれば、いつでもあれに手を下せるようにとは命じていたな、透影」

 「実行できず申し訳ありません、なかなか良い状況に出会えませぬゆえ」

 「お前ほどの腕を持ってしても、か? どうだろうな、透影。あやつに情が移ったのではないか?」


実際透影は川本兼良の直属の配下であり、かつて幾人もの政敵を葬ってきた。

技量も経験も人一倍、冷酷さにも定評がある。

しかし、兼良が今回事故死に見せかけて殺すように命じた本妻の息子、栄雅だけは命じてから何ヶ月経ってもぴんぴんしているのだった。


 「いえ・・・・・・あの方は、いつも複数の者と共におられますので」

本当に小ざかしい奴だと呟いて舌打ちをした兼良は、数秒考えてから口を開いた。

 「まあいい。しかしあいつは近頃、民や名家と緊密な繋がりを作ろうとしているらしいじゃないか。何故知らせなかった?」

 「勝手ながら、既にご承知の事かと思っておりました。それに大きな勢力になる気配もございませんようで」

 「それはわしが判断することだ」

 「・・・これは出すぎたことを。申し訳ございません」


兼良は面白くも何ともないと思っている顔で鼻を鳴らした。


 「透影。もうすぐ明良の元服の日が近づいてきている事は知っているな?」

 「はっ」

 「そろそろ栄雅の座をあの子に継がせてやりたいのだ。そうだな、元服と同時か・・・・・・いや、それよりも少し過ぎたくらいが頃合いか。明良の元服より一年以内に栄雅を空けるように、いいな? 果たせぬ場合はお前が亡き者となるだろうよ」

 「承知いたしました」


やはりというべきか、この日がやってきてしまった。

此度の命令には、「あくまでも自然に、不審な点を見出されない状況で」という条件がつくのをいいことに、幾ら実行をほのめかされても決行の日を延ばし延ばしにしていたが、兼良はとうとう痺れを切らしたらしい。


逆らう気はなかった。

実行する気はある。いや、やる気云々の前にしなければならない。でもどこかで足踏みする自分を感じているのだった。

しかし、その場になったらきっと自分は躊躇わずに栄雅の君を手にかけるだろう。心の奥底にはそんな確信があった。




 「弓影・・・・・・付いてくるなと言ったはずだろう」


ここ暫くの間、途中までは忍びの者たちが栄雅を護衛しており、草原や森など一人になりたいからと栄雅が言って紛れる場所には、栄雅の周りの忍びの頭として透影のみが栄雅の傍についていた。

とはいえ護衛と暗殺任務を兼ねている、複雑な人物ではあったが、ひどい雨で栄雅を見失った時には若干焦りを感じた。


合流地点まで戻って、信頼の置ける者たちを四方に散らせ、栄雅を探させる。

指示を出して透影自身も見当をつけて茂みのほうへと進んでいくと、話し声が微かに聞こえた。

栄雅よりも若い忍びの声が「何を言ってるんですか」と小さく笑う。

憎まれ口を叩いた栄雅の声は力があったので、そこまで絶望的な状況に遭ったのではないようだ。


撤退のしるしを打ち上げたのと同時に、透影は安堵した。

彼の暗殺任務を請け負ってはいたが、栄雅をみすみす死なせるような事はしたくなかったのだ。

彼が死ぬ時は自分自身が手を下す時と同意であり、それ以外の力によって彼の命が失われてしまうような事があってはならない。

それは一見矛盾しているようにみえて、ずっと守ってきた彼の護衛としての役目と新たに下された命令、そして八代目栄雅への敬意の表明だったのである。

けれども後者の方は単なる後付で、本音は自分の矜持のためにそうしたいのではないかとも思っている。

そこまで考えて茂みを抜けた時、一瞬にして思案していた事柄は過ぎ去った。


栄雅は鋭い岩壁から今にも落ちようとしている。

若い忍者の支えを失えば、弓影諸共崖下の濁流に飲み込まれるだろう。ここなら、不審がられることなく八代目を亡き者とすることができる。

心が、すうっと冷えていった。



血まみれの地面など何回も見てきたが、特に赤いような気がした。

目が合った栄雅は、いつものように真っ直ぐこちらを見つめていた。断罪しているように思えたが、生命力に溢れたあの光も、もうすぐ費える定めなのだ。

頭にしろ手元にしろ血刀をふるえば、すぐに落下していくはずだ。


 「一つ聞いてもいいか?」

 「何でしょう?」

栄雅はいつもの口調となんら変わらなかった。それがどうにも痛々しさを感じさせる。

 「命じたのは、父上か?」

 「明良さま、とでも思いましたか? お察しの通り、兼良様ですよ」

 「ならいい」


分からなかった。

何度繰り返されたか知らない裏切りが、今度こそ決定的なものだと嘆息しているわりには、穏やかな表情をしていたからだった。

黙ったままの透影に何を思ったのか、栄雅は微かに口角を上げる。


 「疑っていない者が裏切るのは辛い。だが、裏切る可能性があると思っている者から裏切られても、少しも痛くない」

 「・・・・・・前者はもしかして私の事ですか」

 「他の誰かとでも思ったのか? 察したとおり、お前だ」

 「あなたは聡い子どもだった。・・・・・・てっきり私のことも疑っていたと思っておりましたのに」

 「初めのうちはな」


信頼されているのだとは思わなかった。いや、あえて気づかないふりをしてきた。

彼は人を慈しむことを思い出させ、信じぬくことは可能だということを否応にでも分からせてくれた。

それは紛れもない、こちらを見上げる彼だったのに。

どうしてこうなってしまったのだろう。


 「・・・・・・ッ」

手が痺れてきたらしく、栄雅は苦しそうに顔を顰めた。

屈みこみ、血刀を振り上げる。

目を瞑った栄雅の顔が、幼いころの、「つゆさま」と呼んでいたころの顔と重なって、軌道が狂っていく。



――出逢ったことを後悔した事はない。だから。

  あなただけでも、しがらみから解放されますように。



 「どうか、安らかにお過ごしください。・・・つゆさま」

 「すき、かげ・・・・・・ッ!?」


傷ついた姿を見たくなかった。万に一つの可能性とやらにかけてみたくなった。

年を取ると、ここまで弱くなるものなのだろうか。

自分がわざと地面を崩したせいで谷底へと落ちていく露草の姿を見つめながら、思わず出てしまった懐かしい呼称に驚いたのは何も自分だけではないらしい。


 「さようなら」


刻んだ別れの言葉に答えるように返された微笑みに、無理やり笑ってみせる。

そうして濁流に飲み込まれた音を聞く前に、透影は走り出していた。




 「鬼さま、いらっしゃいますか?」

 「はいよ。ああ、透影さんか。いらっしゃい」

 「栄雅さまを、崖から落としました」

 「――何て?」

 「滝壺をうまく抜けてくれば、上流に打ち上げられているでしょう。ですから、鬼さま。他の者が見つける前に、迎えに行っていただけないでしょうか?」


鬼は何も言わなかった。

動揺していたが、やがて察したように目を伏せる。


 「あんた、寂しい笑みで笑うんじゃなあ。本当にそっくりじゃ、主従揃って。・・・・・・分かった。別に構わんよ」

 「ありがとうございます」

 「・・・・・・死ぬつもりかね?」


言い当てられた事に不思議と疑問は湧かなかった。長年生きているのだから、多少の事は顔色や雰囲気から察する事が出来るのだろうと推測する。


 「お手数をおかけして申し訳ありませんが、申し訳ついでに、傷を付けていただいても?」

 「・・・ひどい人やね」

 「・・・・・・」

顔を曇らせた鬼に対して、透影は困ったように笑うしか出来なかった。



にわかに屋敷がざわめいた。


 「――兼良さま!」

 「なんだ、騒々しい」

 「お目通りをと申す者が」

 「待たせておけ、わしは忙しい」

 「・・・・・・影でして、長くはないかと」

 「なるほど、心当たりがある。どこにいる?」

 「離れの方に寝かせてあります」


兼良が行くと、戸板に血塗れの男が横たわっていた。

弱々しく平伏した後で、人払いがされているのを確かめてからようやく待ち望んでいた一言を告げる。


 「崖からか。よくやった。して、他の忍びとお前の怪我はどういうことだ?」

 「ひどい雨で見失ってしまいましたので、散り散りになって探しておりましたところ、あの方を助けようとした一人が獣に襲われました。崖から落ちたところを確認した私も獣にやられましてございます。申し訳ございませんが、兼良様・・・・・・外に出ることをお許しください」

 「ああ。長い間ご苦労だった」

 「勿体無き、お言葉に、ございます・・・」


忍びの体は調べられることがあってはならないので、同胞の者が遺体を回収するか、自分で体の始末をつけなければならない。

最早喋っている事すら奇跡に近い透影は、誰がどう手当てしても助からないのは一目瞭然で、その段階を踏むために爆薬を使う必要があった。


途切れていく意識の中で、走馬灯が駆け巡る。

爆薬に火をつけて仰向けに倒れこんだ透影の、最後の目に映ったのは、雲の切れ間から覗く青空。

何度も何度も呼ぶうちに、いつの間にか嫌いじゃなくなっていた、澄み切った濃い青だった。



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