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ユビキリ  作者: 紅雨椿葉
第壱章
14/66

ユビキリ ノ番外呂

死亡表現、精神的に痛い表現などが苦手な方はご注意ください。



一瞬にして心臓の鼓動が早くなり、ぴりぴりとしたものが体中を駆け巡った。

気づいていた? そんなこと、あってはならないのに。

何年来とやってきた忍びの誇りは持ち合わせていたが、これからの栄雅と鬼との関係を考えれば、ここで自分が鬼の機嫌を損ねるような事などあってはいけない気がした。

床に下りると、動作を目で追っていた鬼は余裕の笑みを浮かべる。


 「いつもあいつについて来とったじゃろ。守り役かね」

 「・・・・・・気づいていたのですか」

 「鬼はね、鼻がいいみたいじゃ。獣避けの草の匂いがする」


草の汁を僅かにつけているが、ほとんど無味無臭のはずだ。眠そうな顔をしている鬼を透影が見返すと、全て鬼は承知しているようで「じゃからあんたの手落ちやないよ」とふわりと笑う。


 「やはり、貴方は鬼なんですか」

 「うん・・・・・・?」

 「角もない、牙もない、鋭く尖った爪もない。瞳の色と髪の色以外は、人間と同じだ」

 「どうなんかねえ。――――でも、人間じゃない事は確かよ」


不思議そうな顔をした透影に気づくと、鬼はそこで始めて寂しそうな顔を見せた。

「聞いていくかね?」と時間が有るかどうか聞いてくるので、透影は迷わず頷いた。

新たに茶を淹れてくれる。

自分はもてなされる事などない身分で、しかももてなす側は鬼だというのだから、つくづく不思議な光景だと思ったが、案外居心地は悪くなかった。



 「気づいたら私は居った。長い事生きているから、記憶もどんどん色褪せていきようけど。やっぱり戦ばかりしている時じゃったの」

鬼はやはり悲しそうに笑った。

言葉を切って、お茶を含んでからこちらを見た。


『本当に聞くか?』

そんな風に問いかけられている気がして、お茶を飲みながら頷き返す。

強く風が吹いて、桟に木の枝でも当たったのか軽い音がしたのを皮切りに、ぽつりぽつりと鬼は語り始めた。



「鬼」と。

いつごろからそう呼ばれだしたかは定かではないが、いつまでも若いままの容姿と、世間離れした長身、頭髪の色、瞳の色が大層目を引いた。

何日か寝なくても、食事を取らなくても元気で、傷を受けても暫くすれば治ってしまう。常人では持ち上げられない岩も軽々と持ち上げられる。熊を素手で倒し、川を割り、火を噴いた。

噂は自分の知らないところで大きく広がり、やがて不老不死だと囁かれ始めた鬼は、人々から恐れられるようになる。


それを避けて、鬼は各地を旅した。

時に山にこもり、時に人里に下りてきた。

人というのもまんざら捨てたものではないようで、やがて理解者も現れた。

共に笑い、涙し、子どもたちと遊んで、大人たちと働いた。

しかしどこかからか噂は広がってしまうので、安住の地はそれこそ百年とはもたない。

知識を蓄えた鬼は薬師となって、琵琶弾きとなって人々を楽しませた。

時には海の向こうへ渡った事もあるらしい。

異国には、鬼と容姿が似ている人々もいて、そこの言葉も遊びも、古いけれどやったことがあるのだと、少しだけはにかみながら教えてくれた。

それでもこの国にとどまっているのは、やはりここが彼の故郷だから、ということなのだろうか。


ある時、人間たちから追いかけられ彷徨ううちに酷い怪我をした事があった。

幾ら不死身かと思える再生力をその身に有していても、その力が追いつかないほどの怪我を負ってしまえば、鬼だとて死ぬこともある。

衰弱し、食べる事すら困難な状況で、一人の子どもが彼を救ったという。

自分の家族には内緒で看病してくれ、話し相手になってくれた。

村で苛められていたせいか、虐げられている者の気持ちを汲み取る優しい子だったと、鬼は懐かしそうに目を細めながら語った。


何年か経って、その子どもが家庭を持った後でも、趣味となった旅を終えてはちょくちょく会い、交流を深めるほど仲が良かったらしい。

しかし、流行り病で家族全員が死に絶え、とうとうその者だけになったとき。

いつかの反対で鬼が看病をしてやっていたが、衰弱のあまりに息も絶え絶えで、ほとんど意識がない状態にまで陥った。

随分と年の離れたその者は、自分の子どものような存在であり、さらには自分の大切な友人でもあった。


その時、彼はふと思い出したという。

――自分の血を与えると眷族になる。

それは古い書物に書かれた信憑性も怪しい情報だったが、与えた者が呆れるほどの生命力を持っている場合、それは僅かなりとも病を追い払う助けにはならないだろうか。

その時までに、鬼は何十何百の死を見送ってきていた。時には、鬼に安楽死させてくれるように頼む者さえいた。

けれど病にかかったその者が一瞬意識を取り戻したとき、生きたいと願ったらしい。

その者に鬼が思い出したことを伝えると、迷信でもなんでもいい。このまま死ぬのなら、万に一つの可能性にかけて失敗しようが構わない。

そう言い残すと、とうとう目を開けなくなってしまった。


慌てて血を与えて暫くすると、その者の病に侵されて白くなっていた皮膚はどんどんと再生していったという。

頬に赤みが差してきて、伝説は本当だったのだと喜んだ瞬間、悲劇は起きた。

肉は盛り上がり、骨は異常に拡大していった。そして急速に体が壊死していく。

終いには至るところから血を流して絶命したのだと、鬼は静かに語った。

詳しくは語らなかったが、鬼の目にはその様が今でも焼きついているのだろう。

そこで一旦話を切って、鬼がお茶をすすった音が、透影には泣き声に聞こえてならなかった。


 「不躾ですが、死のうとは・・・・・・思わなかったのですか?」

 「思ったよ」

間髪いれずに答えは返ってきた。

 「実行に移した事だって何度もある。けどな・・・・・・いつもいつも、あんたらが邪魔をするんじゃ」

 「・・・・・・?」

 「人間がな、絶対救ってくれるんよ。手当てして、傍にいて、叱って、励まして、慰めてな・・・・・・そんな奴に必ず出会う。何でじゃろうな、死にかけを拾ったって面白くも何ともないだろうに。ちいとも見返りなんか求めんのよ・・・・・・。何であんたらはそうやって与える事が出来るんじゃろう。本当に敵わんわ」


透影は何もいえなかった。

変わりやすい人の心に絶望している者もいれば、わずかばかりの優しさを糧にして生きている鬼がいる。

どちらも人から虐げられた傷を負っているはずなのに、この差は一体何なのだろう。


 「じゃから、いつしか死にたいとは思わなくなったんじゃ」


――人と一緒にいるのが、一番楽しいよ。他には何も望まん。


そうやって笑む鬼のほうが、よっぽど人間らしいと透影は思った。

誰かを信じることの出来ない自分よりも、よっぽど。

暗い深淵に沈んだままの透影に気づいているのかは分からないが、鬼が恥ずかしそうに「お前さんが聞き上手なもんやから、えらく懐かしい話をしてしまった。できれば忘れてくれると嬉しいんじゃけどね」と頼むものだから、透影はとりあえず、「もちろんです」と答えておく。


 「だから守り役さん。あんたが」

 「透影です」


何故か、この鬼に名前を呼んでもらいたくなった。

人とは違う生をおくる彼の薄緑色の瞳に自分を映してもらいたくなる。

そうしたら、何か違うものが芽生えてくるような気がした。


 「へえ。良い名じゃねえ」

噛締めるように頷く鬼に、透影も聞いてみたくなった。

 「貴方に、お名前は?」

そう言うと鬼は、ゆっくりと首を振った。


 「あん時を境に、呼ぶ人はだあれも居らんよ。もう、捨てたもんじゃ」

 「それは、大変失礼しました」

 「ええんよ。そんなことより、透影さん。あんたがあいつに、大事な坊ちゃんに近づいてほしくないと望むんやったら、私はもう会わんでもいいと思っとるんよ」

 「・・・・・・」

 「時折冷えた匂いをさせるけど、透影さんは坊やを大切にしとるんじゃろう? それくらい分かる。なら、私は前みたいにどこか遠い国へ出かけていっても良い。元々、傍にいたいんは私の我儘じゃ。二度と会わんやったら、あいつもいずれ私のことなんか忘れるじゃろうし」


鬼は判断を仰ぐように間をあけた。

そこから、鬼が本気なのだと悟る事が出来た。

人が好きなゆえに人から離れようとする心まで、何もかも人と変わらない。


 「確かに、あんなに立派になられましたが、それこそ子どもみたいな存在ですね。けれど・・・・・・だからこそ分かるんです。栄雅さまは、貴方と一緒にいらっしゃる時が一番楽しそうだ」

 「そうなんかねえ。愚痴ばかり言いよるだけで、何も特別なことは言っちょらんのに」

 「愚痴を零されることさえ珍しいのですよ。これからも栄雅さまをよろしくお願い致します」


目を丸くしてみせた後に、「何だか嫁を貰う時の挨拶みたいじゃな」と鬼が冗談めかして言うものだから、その日、透影は何年ぶりかに笑いを抑えることが出来なかった。



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