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ユビキリ  作者: 紅雨椿葉
第壱章
13/66

ユビキリ ノ番外伊


前の馬がいきなり走り出した。

透影も追って速度をあげながら木々を飛び渡り、時に草むらに隠れながら疾走した。

全く。露草さまは栄雅になって何年経とうともやんちゃな癖が抜けないらしい。

馬が何かに驚いたのをいいことに、制御しようともせず走るがままに任せている。これを機会に共の者たちが追って来れないところまで逃げてやろうとでも思っているのだろう。


とはいえ、透影はそれをたしなめるのは後でもいいかと考え直した。連日仕事の連続で疲れきっていて、栄雅の目が荒んでいくのを間近で見ていたからである。

息抜きとしてはいいだろうが、一人にしておくのは安全面でも監視の面でもよくないだろう。


栄雅は開けた草原に出ると、なんとそのまま横になってしまった。

馬の世話もきちんとしているし、別に悪いことはないのだが、無防備だとしかいいようがない。

どこかいつも冷めたような目をしている栄雅は、今でこそ表情が出るようになったが、幼い頃は顔に能面を貼り付けたような子どもで、自分の命をまるで飾りのように振る舞う事がよくあった。

幼い頃からの父親と周りの状況がそうさせたのだろうが、今でも彼の心の奥底にはからからに渇いた砂漠のような荒野が広がっているのだろうか。


そこまで考えて透影は何をらしくない事を考えているんだとひっそり笑った。

影である自分は主人に対して意見を差し挟むべきではないのだ。

まことの主人、とされている兼良様にも。



そろそろと近づいていくと、栄雅は本格的に寝に入っていた。

この山では熊が出るというし、他にも不穏な噂がある。山賊や盗人が出ないわけではないと知っているだろうに、この人の目に世界はどう映っているのだろう。


 「――――ぃ」

 「つゆさま?」

 「透、影・・・」


ぼんやりと目を開けたが、また目を閉じてしまった。

無理やり起こしても、ついてきたのかと微かに笑って返すだけだろうが、これほどに疲れているのなら、少しだけ寝かせてやってもいいかもしれない。

とりあえず、他の影の者たちに指示を出しに行かなくてはならない。

透影は音もたてず、その場を離れた。



 「おい、おいて」

 「・・・・・・?」

 「死んどるんか。それとも死ぬ気なんか?」


老人だろうか?

見事な白髪のわりには背筋がすっと伸びた男性が栄雅に近づいていた。

殺気はなかったので、透影は止めることなく姿を隠す。

すると、男性は栄雅に手を触れようとはせずに、語りかけた。

怪しい人物ではないだろうか、もしかしたら見知った人物かと、そろそろと位置を変えると、その顔を見た透影は彼らしくなく声をあげそうになった。


――鬼。

『この世のものではないかのような、幻のような美しさだったと。そのように申しておりました』


かつて栄雅にそう報告したのは紛れもない自分で。

ようやく栄雅を見下ろす正体に気づいた。



 「俺は死んだのか。それとも今から死ぬのか?」


栄雅の起きぬけの言葉に、鬼は困ったように笑う。

本能で鬼だということを察知していたのかもしれなかった。

けれども透影が判断したとおり、栄雅を取って食うつもりではないようで、和やかに会話を始めてしまった。

一体何を話しているのかは風向きが変わってもう聞こえなかったが、今度栄雅には「知らない人と不用意に関わってはいけない」と、子どものような説教を聞かせなければならないかと真剣に考え始める。


くすくすと笑う鬼に何か言われたのか、栄雅はふと笑った。

そしてなにやら困惑し、拗ねた顔をしてみせる。

ここまで表情豊かな栄雅は久しぶりだった。



それからしばらくして、栄雅はちょこちょこと暇を見つけては、森へと急ぐようになった。

いつでも会えるわけではなく、偶然に会った時に他愛もない話をしては帰りにつくだけで、鬼も栄雅も相手をどうこうしようというわけではないらしい。

最初に会った時も数えて三回目の逢瀬で、栄雅は鬼の住処を尋ねた。今度こちらへ来た時は訪ねてみたいという栄雅の申し出に、気分を害した様子も疑うそぶりも見せずに、道のりを教える。


どこか無用心じゃないだろうか。それとも相手が刀身と共に向かってきても応戦できるだけの自信があるのだろうか。栄雅単体ではなく複数で自分を討伐しに来るとは考えていないのだろうか。

勘繰った透影だったが、栄雅が一人だと思って楽しんでいる休息に自分がついてきていると知られるのも何だか気が引ける。

不審な動きをすればどうにか始末をつけなければならないが、今のところはその素振りもないようなので、気にしないことにした。


鬼の小屋を知り、一回の不在を経てようやく会えたその日は、かなり時間があったようで、日常生活のことやら農産物や穀物の実り具合、はたまた人間の行動予測、発言予想などの一見真面目で中身は無意味な話を喋っていたり、食事をしたり居眠りをしたりと、居心地のいい時間を過ごしたらしい。

しかも感心するべきか呆れるべきかよく分からないが、相手に深く知られない程度を見極める双方の意識が絶妙だった。藩主としての栄雅の愚痴一つとっても、知られてもさして問題にはならない程度、どこかの藩へ漏らされても詳細を知ることは出来ない程度の情報を小出しにしている。けれどそれも、鬼を疑っているとか、まだ来ていないが誰かに利用されるかもしれない状況を気遣ってというわけでもなく、恐らく無意識で。短期間のうちだが、この鬼を内では信頼しているのだろう。


その誠意ともいうべき気持ちが鬼から来たものを受け取って表しているのかは推察しきれなかったが、何にせよこの大胆さと寛容さを兼ね備えたこの人は、つくづく藩主の器なのだと再認識させられる。

しかし、長く居られると困ったのは透影の方で、外で待っているわけにもいかない透影は忍びの者らしく天井裏に潜んだ。といっても屋敷のものほど立派な家じゃなかったので、隠れ場所にも大層気をつかう。


 「こんなに話したのは初めてかもしれないな」

 「ほうか? 子どもは何も言わんでも喋るように思っとったけど、違うの」

 「幼少の俺は子どもじゃなかった、のかもな」

 「ああ、それは何となくじゃが分かる気ぃする。あんまり可愛くなさそうじゃ」


苦笑する双方だったが、透影は反論したい自分に気づいてはっとした。

素直になれなかったのは周りのせいで、栄雅のせいじゃない。

まるで自分の弟か子どものように慈しんでいた頃の日々が懐かしく思えたが、任務に私情を持ち込むのはこれきりだと秘めると、ようやく会話が途切れるのを確認した。


 「日も暮れてきたな。そろそろ帰るか」

 「そうじゃね、坊やは早う帰らな」

 「坊やはやめろ」


会話の中で散々年の違いを話題にしたせいか、いつの間にか栄雅は「坊や」扱いとなっていた。

本当なら敬われるべき人なのに。

嘆息しながら身を潜めていると、栄雅が小屋から出て行く。自分も静かに出て行こうとしたとき――


 「さて、もう一人の『悪戯坊主』はどうしたもんかね」


しっかりと鬼の目は、こちらを捉えていた。



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