ユビキリ ノ拾
目が覚めると、まず感じたのは温かさだった。
ぱちぱちと薪がはぜる音がする。
寝返りをうとうとすると、やはり体は動かなかった。
「・・・・・・なんでお前が」
首だけを動かすと、端正な顔が目の前にあった。銀の髪をした鬼が無邪気な顔で眠っている。
声で目が覚めたのか、薄っすらと目を開けていた。
「しかもなんで裸なんだ」
お互い上半身だけは裸だった。不満そうな声に対し、鬼は不思議そうな顔をして問う。
「人間は寒い時にはこうやって温め合うんじゃろ?」
「それは雪山で遭難した時だろ」
こういうところがこの鬼は抜けている。
幾ら美しかろうが、自分は男に抱きつかれて嬉しがる性向は持ってない。
「そりゃすまんかったな」
体に回していた腕を解くと、毛皮で自分の体を包んでくれる。
そうして肩と膝を支え、抱えようとする鬼に、思わず焦って声をあげた。
「お、前・・・何するんだ?」
「何って。動けんじゃろ? 鬼になっても、まだ傷が完全に回復したわけじゃないんよ。じゃから暖炉の傍が暖かい思うて」
そういうことかととりあえず納得したものの、ふわふわ浮かぶ足も、見上げなければいけない鬼の顔も全てが不安定で、何でこうなったのだろうと、栄雅は終始悩んでいた。
「俺は、死ななかったのか。鬼になった、と?」
「今更じゃね」
もっともだ、とも思ったが、それくらい基本的なことに気づけないほど動揺して、ぼんやりしていたのだから仕方ない。
呆れた様子の鬼が話してくれるのを待つ。
「川で、おんしは意識を失ったが、心臓が動く気配はまだ微かにあった。とりあえずそのうちに、こうやってな・・・・・・血を垂らしたんじゃ」
爪を手のひらに食い込ませる形で握りこぶしを作った鬼を見て、嫌そうに顔を顰めた栄雅に、すまんと鬼は詫びる。
「嫌がるのは分かっとった。けど、あの時はそれしかなかったんじゃ」
「・・・・・・仕方ない。それでそれからどうした」
「それだけじゃ。家に運んで寝かせて、あれから六日は眠りっぱなしじゃった。そこでようやくおまんは目を覚ましたっちゅうわけで」
「あれから、六日も経っているのか?」
「うん。思ったより早かった」
血が少なかったからかの、と鬼は呟いた。
そこでようやく気づく。
「お前・・・・・・目が赤いな」
「ん? ああ・・・・・・らしいね。飢えを感じたときは、目が赤になるという。いつもは違うんやけど」
綺麗な薄緑色をしていたはずだったが、まるで川で見た自分の血の色のように、紅色をしている。
彼が飢えを感じているということは、付きっ切りで看病をしてくれていたということなのだろうか。
「人を、食うのか?」
「食わんよ。ほかにも食うもんはあるじゃろ。肉も魚も、野菜だって食べる」
「俺に・・・・・・角はないのか? 尻尾は?」
「少なくとも、私には生えたことないなあ」
「鬼じゃないみたいだ・・・」
「じゃけ、出来損ない言うた」
鬼は奥から飲み物を持ってきた。
動物の乳のようで、僅かに甘みが足されている。
「それを飲んで、もう一眠りするといい。その頃には内臓も回復して、たくさん食べれるじゃろ」
「お前は・・・・・・?」
「私は――私も傍で眠っているよ。だからお休み、露草」
そういえば自分は露草だった。もう八代目栄雅は死んだのだ。
声の響きに不安を感じ取ったのか、鬼は安心させるように隣に寝転んだ。
隣に誰かが寝ている傍で眠る事は滅多になくて、落ち着かない気持ちと、安堵の気持ちが合わさって目を閉じる。
それにしても鬼は、やっぱり自分のことも俺といったり私といったりだ。
統一しろと言いたかったが、そう言ったらきっと「通じておるんだから、どうでもええじゃろう」と返すだろう。
「そういえば、鬼・・・・・・」
「ん?」
「鬼の、名前はなんという?」
「私ね・・・・・・私の名前は、ないよ」
気に入ったのか、何度も露草の髪を梳いていく。僅かに額に触れた小指が冷たくて気持ちよかった。
目を細めながら「自分の名がない」と言った鬼は、悲しいのか考え込んでいるのかよく分からない表情のまま、どんどんとぼやけていく。
露草は「そうか」と囁いたが、やっぱりそれも睡魔が攫っていく途中だったので、名無しの鬼に聞こえたかどうかは分からずじまいだった。