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ユビキリ  作者: 紅雨椿葉
第壱章
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ユビキリ ノ壱


 昔々あるところに、一人の鬼がおりました。

 とても強い力を持った鬼でした。

 いつまでも若く、そして美しい鬼でした。

 まるで人間のように知識を求め、食べ物でも利益でもなく、絆を望む鬼でした。





 「栄雅さま」

 「どうした」


灯りの匂いが、ふと揺らいだ。

命令調に慣れた若衆姿の男の問いかけに、闇に溶けた声が答える。


 「五本杉の橋の向こう、楓谷の近くの渋山に住んでいるという鬼は、やはり実在しているようです」

 「楓谷の住民の噂は本当だったか・・・・・・して、被害を受けたという報告は?」

 「いえ、それは特にあがってきておりません」

 「ならば気にする事もないだろう」


労いの言葉をかけようとした栄雅だったが、声の微妙な気配を感じた。

書いている途中だった書状のある一文を書き加え、筆を置く。


 「何か他にもあったか?」

 「目撃証言が幾つかございます」

 「ほう。それはどんなものだ? 見たら腰を抜かすような怪物だったか?」

 「ええ。そう申しておりました」

くくく、と嘲りを込めた笑いが出そうになったが、声はそれを遮るように、ですがと続ける。


 「腰を抜かすほど、美しかったと」

 「美しい?」

 「この世のものではないかのような、幻のような美しさだったと。そのように申しておりました」

 「それはそれは」


一度見てみたいものだと言いかけ、しかしすぐさまそれは心のうちに隠されてしまった。

魔の者に関わって良いことなど一つもないのは、古今東西知られていることだったからだ。

その願いは、たとえ一番信頼している部下であろうとも、漏らしてはならぬことだと判断した栄雅は、声を下がらせた。


 「美しい鬼、か」


どうせならば、今わの際に一目見てから死にたいものだと思いながら、書いていたはずの書状を押しやり、寝所へと足を向ける。久しぶりに深く眠った栄雅は、夢の中で見た美しい鬼がこちらへと刀を振り下ろす夢をずっと見ていたが、とても安らかな顔をしながら眠っていたという。




時は流れ、栄雅は楓谷のほうへと視察に行く事になった。

鬼のことを聞いてから八年は経っている。

鬼のことなど皆の口に上らなくなって久しかったが、住民の奥底には確実にそれはまことの話として浸透しており、楓谷の近くの渋山に入ろうとするものなど誰一人いなかった。

栄雅も実際鬼のことなど忘れていた。楓谷など、自分が治める領地のうちの一画に過ぎない。

退屈で厄介な仕事を終らせると、遠乗りに出ようと言い出した。というのも、ここ最近は気の詰まる事ばかりだったからだ。

澄み切った青空が広がり、村では猫がまどろみ、子どもたちは楽しそうに遊んでいる中、安らぎを感じるどころか自分だけが仕事をしているような気分になってしまい、遠乗りでもしないとすっきりしない。

しかし「誰もついてくるなよ」という栄雅の言葉に、家来たちは頷いたものの、いつもの影はついてきている筈だった。

それがとうに慣れてしまったこととはいえ若干鬱陶しくもあり、全て忘れるようにして馬を飛ばしていく。

飛ばしていくうちに、辺りは背の高い草に囲まれた草原へと出て行く。

暫く進むと、突然馬が嘶いた。


 「なんだ・・・・・・?」

馬は蛇に噛まれたか、恐ろしいものにでも遭遇したかのように動揺していた。

制するために手綱を幾ら引いても落ち着きやしない。


 「・・・・・・ッ!」


ぐい、と体が引っ張られるように感じた。急に加速していく馬の動きに慣れるまで暫くかかったが、全速力で走っているうちに落ち着いてきたのか、疲れてきたのか、ようやく速度が落ちてくる。

小さな泉を見つけたので、近くの木の近くで降りると、汗を拭いてやりながら水を飲ませていく。

すぐに帰らなくても日が暮れるまでには時間がある。

それに一人でいられる時間など滅多にないのだ。別に烽火などを上げる必要もないだろう。

栄雅は微苦笑しながら、草むらへと腰を下ろした。



 「おい、おいて」

 「・・・・・・?」

 「死んどるんか。それとも死ぬ気なんか?」


柔らかな声音に促されて、ようやく意識が浮上する。

それにしても心配の欠片も感じられない口調だ、と若干筋違いな恨み方をしながら身を動かした。

ようやく起きたかと安堵する声が聞こえ、遠ざかる気配がする。


 「俺は死んだのか。それとも今から死ぬのか?」


起きぬけのぼうっとした頭から出た言葉ではあったが、それは相手の笑いを誘うには十分だったらしい。

困ったように笑いながら、目の前の人物は首をかしげた。


 「さあな。好きにするといい。ここらには熊が居るらしいけ、歩いとったら出くわすこともある」


焦点が合うにつれて、視界が開けていく。

柔和な顔立ちをしていて、利発そうな薄緑の目の輝きがこちらを見返している。何より銀の髪が目を引く、立派な体躯の青年だった。


 「異人か?」

 「異人に会うたことがあるんか?」

 「まあな。しかし、どれも茶色い髪をして、瞳は水を含ませた青色をしていた」


そのどれとも違うと告げると、じゃあそことは違う他の国から来たのかもしれないが、と含みを持たせる言い方をした。


 「人間よりも長い事生きているから、きっと妖怪の類なんだろうよ」


ふふ、と笑うと、こちらを試すような目で見返した。

けれどその目も、自分がここにいることを責めるでも疎ましがるでもなく、ただ面白がっているのが感じられて、どこか親しみやすささえ覚える。


 「狐が化けているわけじゃないのか?」

 「長い事この姿じゃけんのう。尻尾の出し方など忘れてしまった」


やはりくすくすと笑われながら返されてしまった。

そこでようやく栄雅は、渋山に住むという鬼を思い出す。


 「楓谷の近くにある、渋山に美しい鬼が住むという。それはもしかして――」

 「美しいかは知らんが、ここらに住んでいる鬼なら恐らく私のことじゃろうね」

 「・・・・・・一体どこの出だ? 訛りがいろいろ交じっているような」

鬼はますます笑いを深めた。


 「気になったか? それはすまんな。長い事色んな土地を歩いてきたから、言葉もよう分からんようになってての。通じておるんじゃから、ええだろうに」

 「それもそうか」

疲れたように笑う栄雅の顔を見ながら、鬼は「アンタ変わっとるなあ」と一言だけ呟いた。


 「何がだ?」

 「普通なら、『嘘だ』とか『ばけもの』とか言って逃げ出すか、恐怖のあまり声も失って立ちすくんでおる事が多いのよ」


たまに子どもの中には恐れも知らずに近寄ってこようとする者もいるけんど、と遠い目をした。

しかしその子どもとはすぐに会わなくなるだろう。

鬼が触れたなら穢れたと言われて、隔離されるかもしれない。一緒にいることを見られたなら、子ども諸とも襲われるかもしれない。もしくは食べられたと思って放置されるかもしれない。村に戻ったとしても、鬼子として忌み嫌われるようになるかもしれない。

どれも「かもしれない」というものだったが、その子どもが辛い思いをする事になるのは間違いなかった。

栄雅は一通り考えて、そっちこそ変わってるだろうと返す。


 「俺が思っている鬼は、人を頭からバリバリ食ってしまうような、おまけに牙も角も生えている外見も中身も恐ろしいものだったのに」

 「じゃあ鬼じゃないのかもしれんなあ。鬼の出来損ないじゃ」

 「出来損ない、か」

栄雅はふと笑った、つもりだったが鬼はこちらを不思議そうに見つめてくる。


 「・・・・・・?」

 「おまん、悲しい顔で笑うの。無理して笑っておると、いずれ笑えなくなるぞ」

ぐ、と詰まった顔をした栄雅だったが、笑顔なぞどうでも言いと返すと、鬼は悲しそうな顔をした。

 「他人のために笑うんは優しいんかもしれんがね、自分のために笑えんいうことは辛いと思うよ」


まあ、笑いたい時に笑う事が叶わんなら、お疲れさんとしか言えんがね。

そう言って、鬼は笑った。

人好きのする顔だった。

これじゃあ、仏頂面をしている自分の方が鬼のようだと栄雅は自嘲を込めてまた笑いたくなったが、そうしたらまた、この鬼は悲しそうにこちらを見つめてくるのだろうか。


 「好きな顔をするとええ。何も年中自分の顔を見張ってろとは言っとらんじゃろ」

こちらの心を読んだかのように、鬼は言う。



――笑うべきか、戸惑うべきか。

終いには自分の気持ちさえ分からなくなってしまって、栄雅は拗ねたように口を尖らせた。




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