1-〔7〕 人間じゃねーっ!
ウンガーッ!!
怪物は家々の壁がびりびり震えるほどの雄叫びを上げて、戦槌みたいな握り拳を振り下ろした。アンバールが飛び退いた、あとの石畳がボコッとえぐれる。
怪物が振り上げ、振り回し、突き出してくる両の拳をかわしながら、アンバールは隙を窺っている。
アンバールだって長身で手足が長い上に、刃渡りが四尺ぐらいもある両手持ちの長剣が得物なんだから、リーチは相当なものだ。でも、身の丈十尺の巨人が相手じゃ、なかなか剣の届く範囲に急所をとらえられない。まして、オレの短剣なんかじゃ……。
怪物は拳を開き、今度はアンバールを叩き潰そうと、平手を打ち下ろしてきた。爪がザクッと地面をつかんでめり込んだ。その腕を踏み付けて間合いを詰め、アンバールは怪物の首を横薙ぎにする。
よし、殺ったっ!……と、思いきや。
「っ!」
長剣は、怪物の首の付け根に二寸と食い込まずに止まった。よっぽど、皮膚なり筋肉の束なりが硬いらしい。
マジかよっ!?今の、並の人間だったら胴体が真っ二つになるくらいの威力はあったぞ!
怪物はアンバールを宙に跳ね上げ、もう一方の腕を振り回して横に殴り飛ばす。アンバールは受け身を取った、が、衝撃を逃がしきれずに地面を転がった。
やばっ!
オレは咄嗟に、こぽこぽと水を吐き出し続けている水汲み場の取水口を手で押さえた。水の流れを変え、ブシューッと勢いよく怪物の顔面に吹きつけてやる。
怪物はアンバールを追撃しようとしていた手で、思わず水を遮った。その間にアンバールは咳き込みながら跳ね起きて、怪物との距離を取り直す。
怪物はぶるぶるんっと頭を振って水を振り飛ばし、オレとアンバールとどっちから攻撃しようかと迷って動きを止めた。そこへ――、
バサッ。
傭兵達の投げた網が、頭からすっぽりと怪物に被さった。
ドッドッ、ドッ。
間髪入れずに、自動弓の矢が三本怪物の背中に突き立ち、戦槌や槍を持った傭兵達がワッと一斉に怪物に襲いかかった。
そうそう。"正々堂々一騎打ち"なんかする必要ないの。こいつは人間っていうより、猛獣の仲間だよ。袋叩きにするに限る。
ところが……、
「何ィッ!?」
怪物の、鋼のような筋肉の鎧は、槍も棍棒も跳ね返してしまった。自動弓の矢だって、至近距離から撃ったのに、矢尻の先一寸くらいしか刺さっていない。こいつ、すっぽんぽんのくせして、重装甲兵並みの防御力があるんじゃないか?
怪物は丈夫な縄で出来ているはずの網を内側からむんずっとつかみ、ブチブチッと引き千切って自由の身になった。げげぇっ!?
怪物がブンッと長い腕を一振りすると、傭兵の一人がぶっ飛ばされて石壁に激突し、呻きながら地面に崩れ落ちた。他の傭兵達は、怪物の腕の間合いの外まで退く。
グアーッ。
取り囲む傭兵達を無視して、怪物はまたしてもアンバールに襲いかかってきた。
こいつ、矢っ張りモーガンなのか?さっきからアンバールばっかり狙ってる。化け物になってもまだ、食堂での一件を根に持ってやがるのかな?
シャッ。
アンバールの長剣が怪物の腕を浅くかすめた。致命打を与えることは諦めて、まずは少しでも攻撃力を削ぐことに目標を切り替えたらしい。
シュッ、シュパッ。
次々と小さな傷を負わせていく。というか、本当は小手を切り落とすつもりで斬りかかってるんだろうけど。怪物の腕の皮が厚すぎて、ポタ、ポタッと血が滴り落ちる程度に浅くしか切れないんだ。
ガシッ。
怪物はアンバールの長剣をつかんだ。白刃取りなんてもんじゃない、刃が手の平に食い込んでるけどお構いなしだ。
もぎ取られるっ!?と思った時、傭兵隊長ゴーシェの槍が怪物の手首を突き、アンバールは長剣を引き戻すことが出来た。
ゴーシェとアンバールはちらっと視線を交わすと、何年来の仲間だ、ってぐらい息の合った連係攻撃を怪物に畳み掛ける。
あらら……、オレの立場って一体……。
まあ、ね。相棒組んだっていっても、情報収集の足しになるかってだけで、どーせ戦闘の役には立ちませんよ。
歴戦の傭兵達でさえ、援護するどころか、二人の足手まといにならないように遠巻きに見守ってるほどのレベルなんだもの。"やせっぽちのチビスケ"には出る幕なし!ふーんだ。
腕利きの二人に攻めまくられて、怪物は防戦一方に回っている。遂にゴーシェの槍の穂先が、怪物の顎の下、比較的肉の薄い所に迫った。
今度こそやったかっ?……、
ガキンッ!
「!!」
……、いや!怪物はなんと、歯でガッチリとゴーシェの槍を噛んで食い止めた!!
押しても引いても、槍が動かない。怪物は槍をつかんでブンッとゴーシェを振り払おうとする。ゴーシェは踏み止まった、つもりが、足元の石畳が凹んでいて滑り、地面に叩き付けられた。と思ったら――、
ベシャッ。
まるで、蚊でも叩き潰すみたいに。怪物はゴーシェの頭をあっさりと打ち砕いた。
一瞬の出来事だった。
しん、と時が凍り付いたような短い沈黙のあと――、
「ひいっ!」
「うわあぁっ!!」
隊長を失った傭兵達はてんでバラバラに、我先に逃げ散る。
怪物は血に染まった手を拳に握り、ニタアッと不気味に笑った。
オレは、胃袋がきゅうっと縮んで、ガタガタと体が震えるのを感じた。
ちょっと、待てよ……。どこまでとんでもないんだよ、こいつ……。こんな化け物と、どうやって戦えって!?