1-〔3〕 モーガンとゴーシェ
オレ達が城下町に辿り着いたのは、※夜の風の刻の終わり頃(※午後九時頃)だった。
宿屋はすぐに見つかった。民家や普通のお店はもう寝静まっていて、明かりが点いているのは酒場とか賭場とかの、"夜の商売"の店ばかりだったからね。
オレ達はまず泊まる部屋を確保してから、一階の食堂に行った。
ガラの悪い連中が酒を飲み交わしていて、かなり騒々しい。時間帯のせいもあるかもしれないけど、行商人や巡礼者みたいなカタギのお客がいない。
いわゆる"盗賊宿"――金さえあれば、追い剥ぎや密猟者とかの、あからさまに後ろ暗い連中をそうと知りつつ泊める宿――ほどじゃないよ。でも、傭兵とか賞金稼ぎとか博打打ちとか……、犯罪者でないまでも限りなくそれに近い奴らが客層みたいだ。
「白葡萄酒を一瓶。辛口のやつを」
アンバールは少し声を大きくして注文した。
「オレにはホットミルクを一杯。蜂蜜も入れてね」
って言ったら、案の定、アンバールは喉の奥でくっくっと笑いやがった。
「道理で乳臭いはずだ」
「オレは成長期なんだよ。牛乳たくさん飲んで、背を伸ばすの!」
それにさ、これはオレの方針なんだよ。初めて入った店では、最初に必ず酒じゃない飲み物を頼むことにしてるんだ。
店のオヤジは無愛想で、にこりとも笑わなかったけど嫌な顔もせず、淡々と蜂蜜入りのホットミルクを作ってくれた。
よーし、大丈夫。これで、店主までも見下してきたりとか、ソフトドリンクは用意してなかったりしたら、今のオレにはちょっと危ない店だってこと。
二人とも"仕事"の前に晩飯を食ってきてたから、食べ物は塩味の固焼きビスケットを二人で一山だけにした。
注文の品が揃ったところで、アンバールは真新しいカラート銀貨をオヤジに手渡す。オヤジはちらりと目を落とすと、黙ってつっ返してきた。
「ああ、すまない。間違えた」
と、どこかの遺跡で拾ってきたらしいディアム古銀貨と交換すると、今度はすんなり受け取った。
矢っ張り……。
テーブルに着いたオレは、ふーっと溜め息を吐いた。
と、アンバールがオレの目の前にコップをつき出してきた。牛の角を薄く削って、木の持ち手を付けたやつだ。
「ほい、乾杯」
と、オレはホットミルクの入った自分のコップをコツンとぶつける。
「違うだろう……」
アンバールは、トントン、と空っぽのコップの底をテーブルに打ちつけた。
「年長者は敬え」
いや、"酒を注げ"って意味なのはわかってるけどね。
「敬いがたいんだよ、そのヒトを馬鹿にしくさった態度がさ」
アンバールは余裕の薄笑いを浮かべた。
「ほう、お前さんこそ、そんな可愛げのある態度を取っていていいのか?相棒を組まなければ、より困るのはお前さんの方だと思うんだが……」
と、言われた矢先に。
「珍しいじゃねえか、ヒック、え?コランダム人のガキが、王都に何の用だ」
赤ら顔の酔っ払いが、じっとりと湿った手でオレの肩をつかんだ。
傭兵崩れだろう。がっちりした体格で、額と頬に大きな古傷の跡がある。
戦斧を背負ってるけど、鎧兜はなく、防具といえばボロッちい布の綿入れ胴着を着けているだけだ。大方、飲み代に売ったか、賭けに負けて巻き上げられちまったってクチだな。
「ヒック、スタールビアのスパイじゃないだろうな、ああ?」
酔っ払いは、長いこと手入れしていないらしいもじゃもじゃの髪と髭に覆われた顔を近付けて、酒臭い息を吐きかけてきた。
「お姫さんはまだ逃亡中だそうじゃねえか、ウィック。男に化けてるなんてぇことは……」
肩に置かれた手が、いやらしい手付きで胸に滑り下りてくる。
「放せよっ」
オレは払いのけようとした、が、それより早く、アンバールの手が酔っ払いの手首をがっしりと取り押さえた。
「コランダム人のお袋が故郷に帰ってから生んだ弟だ。他に身寄りが無いんで、俺が引き取った」
いや、さ。"嘘は泥棒の始まり"っていうぐらいで、オレ達の必須技能ではあるけどね。よくまあ、こうもスラスラとナチュラルに、口から出まかせが言えるもんだよ。さっき城の前で訊問された時といい、こいつのクソ度胸には恐れ入るぜ。
それに、この馬鹿力。アンバールは涼しい顔して、スーッと酔っ払いの手を押し下げ、ビタッとテーブルにくっつける。酔っ払いが丸太ん棒みたいな腕に血管を浮き上がらせて振り解こうとしても、びくとも動かないんだ。
「この野郎……ッ!」
酔っ払いはもう一方の手を拳骨に握り締めた。
あわや喧嘩になるか、と思ったら――、
「よせ、モーガン」
歴戦の傭兵と覚しき風格のある、二十代後半ぐらいの男が水を差した。
「シトリン姫は十八だ。いくら何でも、そんなやせっぽちのチビのはずがないだろう」
モーガンと呼ばれた酔っ払いの大男は、年下だけど格上らしい傭兵の男を睨んだ。
「ゴーシェ!今は貴様の部下じゃない。ヒック、指図は受けねえ!」
「……勝てんぞ」
お前のために言ってるんだ、そんなこともわからないのか――と呆れたような口振りで、傭兵隊長ゴーシェは言った。
酔いが醒めたのか、傭兵崩れのモーガンは振り上げた拳を下ろした。アンバールが手を離すと、手首にくっきりと指の跡がついている。
「……、ふん!」
手首を振ってほぐしながら、千鳥足で二階の宿へ続く階段を上っていった。
「"やせっぽちのチビ"はないだろ」
と口を尖らせたオレの頭を、アンバールがくしゃっと押さえ付けた。
「生意気な弟ですまん。助かった。礼を言う」
「助かったのはあいつの方だろう。俺に免じて、許してやってくれ」
ゴーシェが自分の酒瓶から注いだ酒を、アンバールはぐいとあおった。かなり強い焼酎みたいだ。
「仕事がなくなって荒れているんだ。あれでも、腕利きの傭兵だったんだが……。
どこかで聞いただろう。スタールビア公国の国境守備隊五百人を、たった一人の女将軍が全滅させた……という話は」
アンバールは当たり障りなく相槌を打つ。
「ああ。相当尾ひれが付いているんだろうが」
「尾ひれなんかじゃない。街で流れている噂程度じゃ、言葉が足りんぐらいさ。
プラータっていう、俺より若い別嬪さんだったんだがな。その時の功績で、今じゃ竜騎兵隊の大将になっている。
俺達はこの目で見たんだ。地上部隊の援護なぞ必要なかった……どころか、足手まといになるんで敵さん諸共ぶっ飛ばされちまった。
正しくは、一人と一頭の仕業だな。乗ってるバカでっかい軍用竜が、またとんでもなく強くてなあ。魔法の一撃ち、飛竜の体当たり一回ごとに、十人二十人ってまとめて薙ぎ倒していくんだ。
正規軍にあんな化けモンがいたんじゃ、俺達は商売上がったりさ」
ゴーシェはかぶりを振った。
「隊長ーっ」
呼ばれて、ゴーシェは仲間の傭兵達のテーブルに戻ろうとし、去り際に、アンバールのコップに酒を注ぎ足す。
アンバールはコップを高く持ち上げて、乾杯の仕草をした。
「良い仕事が見つかればいいな」
「ああ、お互いそう祈ろう」
ゴーシェはアンバールのことも、用心棒の類か何かだと思ったみたいだった。
キューッと一息に飲み干して空になったコップに、オレは葡萄酒を注いでやった。
「ありがと、"にーちゃん"」
小声で、なるたけ素っ気なく言った。
認めないわけにはいかない。黒眼黒髪のギヤマニア人の中で、オレの金髪と緑の瞳は目立つ。この時代、コランダム人は単なる"外国人"じゃなくて"属国民"・"敵国民"だから、風当たりが強いんだ。確かに、不利なのはオレの方だ。
「わかれば結構」
アンバールは一杯飲み終えると、また当たり前みたいにオレの方にコップを差し出す。
わかってても……、何か矢っ張り、腹が立つ!