2-〔10〕 『謝るな』
三話分ぐらいの量になってしまいました……!
後で章分けし直すかもしれません。
ぜーっ、はーっ、ぜーっ、はーっ。
森に逃げ込んで、とりあえず追っ手を振り切ったことをラピスの魔法で確認すると、オレ達はようやく草地に座って一休みした。
……ってか、肩で息をしてるのはオレ一人で、アンバールとラピスはまだまだ余裕っぽいんだけどね。
「ご……ごめん」
謝るオレを、アンバールが不機嫌そーうにじろりと睨んだ。
「何を謝っている?」
ひぇいっ!
こりゃーお叱りモードだね。
怖いよ怖いよ~。
「な、何って……。
オレ、ただでさえコランダム人で目立つのに、思いっ切り人目を引くことしちゃって。ラピスの弟を助け出すの、難しくしたかも……。
しかも、オレが原因で追っかけられたのに、一番足遅いし。
それに、そもそも驢馬を売る時、オレが余計なこと言わなかったら、騒ぎにならなかったんじゃないかなって……」
オレがビクビクして肩をすくめていると、アンバールは呆れたように溜め息を吐いて、前髪を掻き上げた。
「どれもこれも、謝る必要の無いことだな」
アンバールは、一本一本ピッと指を立てながら話した。
「まず一つ目。誰も、生まれてくる場所を自分で選べはしない。お前さんがギヤマニア育ちのコランダム人なのは、お前さんにはどうにも出来ないことだろう。
逆にこの後コランダム島に渡れば、今度は半分ギヤマニア人の俺の方が何かと目立つ。お互い様だ」
あ。矢っ張り、"半分"なんだ。……ってのは、今気にすることじゃないよな。
「弟を魔獣にさせたくはありませんが、そのために他の人達が魔獣の害に遭うのを見て見ぬふりしようとは思いませんよ。咄嗟に被害を食い止めようとしたエメルダさんの行動は、誉められこそすれ、責められるべきことではないでしょう」
と、ラピスも頷く。
「二つ目。お前さんがチビのガキで、体力的にフォローが必要なことぐらいは、最初から織り込み済みだ。わかった上で、メリットの方が大きいと見込んだから、相棒を組んだ。
俺は義理堅くもなければ、親切でもない。足手まといだと思えば、見捨てている」
そう言ってくれると、有難い……けど、後ろめたいなあ。
オレは一つ、"織り込み済み"じゃないデメリット要因を隠してるんだよね。
バレた時のこと考えるのが怖いよ……。
「三つ目。普通は、売り物に瑕疵が……何か欠点があるならば、予め話しておいた方が、後々トラブルにならない。
何も聞かされなかった、あるいは、言われた通りにしてもなお問題が起きたというなら、ともかくだ。言われたことを守らずに起きた問題で難癖を付けてくるのは、あの親父の方が歪んでいる」
「街の人達は、悪意があったのではなくて、恐怖でパニックを起こしていたのでしょう。後から落ち着いて思い返せば、誤解に気付くと思います」
と、フォローしてくれるラピス。
「その前に、現場を見ていなかった連中にまで根も葉もない噂が広まる方が、早いと思うが」
と、素っ気なく希望的観測を却けてくれるアンバール。
ううっ!
「ご、ごめん……」
反射的に謝るオレを、アンバールがまたまた睨んだ。
「だから、お前さんは何に対して謝っているんだ?」
「えー……、じゃあ、他に何があるってんだよ?何で怒られてるのか、さっぱりわかんないよ!」
「お前さんのことを怒っているわけじゃない。悪くもないのに、謝るな」
アンバールは胡座をかき、ぷいとそっぽを向いて、苛立たしげに前髪をくしゃくしゃ掻き回した。
……?どういうこと??
ベニトアイト市の人達のことを怒ってる……わけでもないよな。
"黒服"のアンバールなら、"外国人"のオレ以上に、第一印象で警戒されるのなんか慣れっこのはずだ。
じっくり話し合ったり、考えたりする暇があれば、先入観だけで動く奴ばっかりじゃないだろうけど。あの状況じゃあなー。
オレだって、例えば隣にいる赤の他人を、誰かが『殺人鬼だ!殺されるぞ!』って指差したらさ。『本当かな?本人に聞いてみようかなー』なーんて呑気に思うより先に、逃げるとか、先手を打ってしばき倒すとかするわな。
家畜仲買人のおっさんは、結構ひどいと思う。
でも、コスト意識の厳しい商売人なら、見えないところの経費はなるべく節約しようとして当たり前だ。まさか結果が魔獣化なんて重大事につながると知ってたら、オレの注意を無視したりしなかっただろう。
予想外の大騒ぎになったのに驚いて、損害賠償とか請求されたらヤバイと思って――商売人って、そーゆうとこの計算は素早いもんな――さっさと責任転嫁してみたってとこか。
ま、利益の薄い中小零細の商売人ならやりがちな、『ちょっとした不正』ぐらい。
アウトローとして、シャレにならない極悪人をわんさか見てきたオレ達にしてみれば、たいして腹を立てるほどのレベルじゃない。
じゃあ、アンバールは一体何を……?
「あっ!」
「ああ?」
「いや、別に。こっちの話」
ああ……何となく、わかった。と思う。多分。
アンバールは、自分の境遇のことで怒ってるんじゃないかな?
好き好んで"黒服"になったわけじゃないんだ。『親切じゃない』なんてわざわざことわってるけど、一匹狼のはずの"黒服"さんにしちゃ、"友好的"すぎるもん。
何か、こいつ自身のせいじゃない事情で、周りの奴に迷惑を掛けてしまうために、他人と関わることが出来ない……?
……あれ。ちょっと待てよ。
もしかして、オレも既に巻き込まれかけた?
元の時代で一遍だけ、アンバールが剣を振るうのを見たことがあるんだよ。
あの時はてっきり、オレ達以外の第三の"同業者"との、お宝を巡る争いだと思ってたんだけど……。
でもそれにしちゃ、敵さん達がやけに強くて、しつこかったし、アンバールの方も意地になって皆殺しにしてたもんな。
"収穫高"の割に戦いが大袈裟すぎる気がして、何かオレが見落とした、すっげーお宝があるのかな?って、不思議に思ったんだよ、そーいや。
ほとんど一人で戦わせちまったの負い目に感じたから、怪我の手当てしてやって、オレが見つけたお宝も山分けにして、今回は引き分け……ってことにしといたんだけど。
あれって、そもそもアンバールの"お客さん"だったのか?
まさか、日常的にあんな連中につけ狙われてるとか!?
おいおいおいっ!とばっちりで死んでたら、それこそ『ごめん』じゃ済まねーよ!どーゆうことだよ、説明しろよ!
……って言いたいとこだけど。
アンバール、あの時、助けてくれたよね?今みたいに相棒組んでるわけでもない、"商売敵"のオレを庇って、しなくていい怪我したんだ。
"外道中の外道"の"黒服"さんがすることじゃないよ。
お前……、いったい何者なんだよ?
怒らないから、出来ればそのうち聞かせてくれよな。……『知られたからには生かしちゃおけない』とかゆーのじゃなけりゃね。
「まあ、敢えて悪いところを挙げるとすれば、悪くもないことで謝るのは感心せんな。他人に付け入られるぞ」
"こっちの話"から引き戻されたオレは、目をぱちくり瞬かせた。
「え……、お前もラピスも、オレに付け入ったりしないだろ?」
「おい」
アンバールは苦笑いした。
不用心だ、とオレを批難すれば、じゃあオレから用心されたいのか、用心されて然るべき人間だと自分で認めるのか、って話になるもんね。
だけど、確かに変だな。
悪くないのに謝るどころか、悪いことしたって謝らないぐらいの図々しさが無けりゃ、アウトローなんてやってらんないよ。オレだって、普段ならそうしてるよ。
なのに、今はどうして……。
「……あ」
「えっ?どうしたんですか、エメルダさん!?」
あー、わかった。
わかった途端に、涙がぽろぽろ溢れてきた。
ラピスが、心配そうにオレの顔を覗き込んでる。
恥ずかしいなあ、もー。でも、止まんないよー……。
「さっきから、ずっと、何かに謝らなくちゃいけない気がしてて……何だろうと思ったら……」
オレは、ごしごしと目を拭った。
「父ちゃんの時と、似すぎてるんだ。あの時、矢っ張りオレは逃げ遅れて……仲間を、死なせてるから……」
ニッケ兄ちゃん。
父ちゃんの盗賊団の中で一番若くて、でも、一番の古株の一人だった。
生きてたら、アンバールより一つ年上ぐらいか。
仲間に入った時なんて、今のオレと同じ、十三だったもんな。まだまだ、可愛いって言っていいぐらいだった。
ニッケ兄ちゃんとオレは、いっつも留守番組で、すぐに本当の兄弟みたいに仲良くなった。物心付いた頃には兄弟がみんな死んじゃってて、実質一人っ子だったオレは、兄ちゃんが出来て嬉しかったなあ。
二年ぐらいもすると、兄ちゃんはすっかり背も伸びて逞しくなって、みんなと一緒に"仕事"に行くようになったけど、オレは相変わらず裏方ばっかりだった。……"あの日"まで。
あの日は、オレの"初陣"だった。
父ちゃんは直前まで、まだ早いって渋ってたんだけど、しょうがなかった。だって、もう官軍にアジトを押さえられてて、"留守番"は出来なかったんだから。
その年の始めに、ギヤマニア王国では王様が交代していた。
弱冠十五歳にして俊才と評判の新王を、庶民は喝采して迎えた。
少年王・ジェットは、即位するとすぐに、じーちゃんである宰相・クローム=ドラバイト公と共に、それまで私腹を肥やしてきた悪徳貴族達をばっさばっさと征伐し始めたんだ。
ターゲットになる悪徳貴族がいなくなったら、オレらみたいな"義賊団"はおまんまの食い上げで、困るんじゃないかって?
とんでもない。オレ達だって、諸手を挙げて歓迎したさ。これでカタギの暮らしに戻れるだろう、って。
王様はきっと、悪徳貴族達を一掃した時点で、搾取に耐えかねて逃亡した農民達に恩赦を出して、村に呼び戻すに違いない……って思ったんだ。
オレ達は決して、"王国に弓引く反逆の徒"であるつもりなんか無かった。かえって、"老齢の王様をないがしろにして好き放題やってる逆臣どもを懲らしめる、忠義の士"ってスタンスを取ってたからね。
新しい王様が正義感の強いお人なら、きっと話が通じるんじゃないか。オレ達の義侠心に免じて、盗賊行為を不問にしてくれるんじゃないかって、期待したんだ。
ところが。
王様が取り締まったのは、悪徳貴族だけじゃなかった。下々の、軽微な犯罪者達をも、情け容赦なく摘発し始めたんだ。
本当は、さ。厳罰化するなら、同時に減税したり、末端のお役人達の給料を上げたりとかして、"真面目に働けば食っていける"ようにしなかったら、片手落ちだ。
食っていけないとどうしても、農民なら密猟とかお酒の密造・密売とか、都市民なら万引きとか売春とか、下っ端役人なら賄賂もらったり配給物資の横流ししたりとか……に手を出さずにはおれない。
だけど王様は、福祉政策を充実させたりはせず、ただ片っ端から犯罪者を逮捕しては、銀山とか炭鉱とか、砦や道路の土木工事現場とかに送り込んだ。
ある意味、"合理的"かもしれない。囚人労働力はタダだから、低予算で大規模な公共事業が推し進められる。受刑者なら"自業自得"ってことで、酷使しても、大多数の民衆から不満は出ない。
でも……非情なやり方だ。
最初は『治安が良くなる』と喜んだ民衆も、"不法占拠者"の強制連行が始まると、どうやらこれは他人事じゃないぞ、と危機感を持ち始めた。
つまり。田舎から出稼ぎに来たり、疫病や盗賊の被害から逃げてきたり、火事や洪水で家を無くしたりとかした人達が、だよ。路銀が尽きて、頼れる知り合いもいなくて、街の城壁の外に掘っ建て小屋を作って住みつくとか、橋の下で野宿するとかしてると、それだけで"犯罪"として逮捕されちゃうんだ。
成る程、そういう状態から、食い詰めて盗賊になる奴も多い。だけど大半の人達は、劣悪な条件で日雇い労働とかしてる、むしろ保護されていい"被害者"なのに。
これじゃあ、"犯罪摘発"という名目を借りた"奴隷狩り"じゃないか――。
日頃お世話になってるお百姓の皆さんや、都市の下町やスラムの住人達が次々と逮捕されるに及んで、親父は遂に、官軍の兵営を襲撃する計画を立てた。
捕まってる人達を逃がすと同時に、兵糧や武器を奪う。今までになく大規模で、危険な作戦だ。
オレだけでも、例えば呑兵衛の隠者様に預けた方がいいんじゃないか、って話も出たんだよ。でも隠者様自身が、住所不定、本名・年齢不詳、お酒の盗み飲みがやめられなくて神殿を追放された不良神官で、いつしょっ引かれてもおかしくないお人だったしなー。
一人だけ離れてる方が、捕まって人質に取られたり、拷問にかけられたりする危険が高まるんじゃないか。ってことで、結局オレもみんなに付いてった。
オレが任されたのは、比較的安全な、退路の見張り役だった。
何事もありませんように――。
オレは弓を握り締めて、ドキドキしながら、夜の闇の中でじっとしていた。
やがて。
見回りの兵士が手にしたランタンの明かりが、近付いてきた。
どうしよう――?
殺すつもりなら、確実に仕留められる。だけど弓矢じゃ、気絶させるだけってのは無理。
仲間達はまだ、捕まってる人達の鎖を外してる頃だ。
どの道、もう※半刻か一刻(※十五~三十分ぐらい)もすれば、身を潜めるのをやめて、一斉に攻撃に出る。
その、ほんの半刻か一刻を稼ぐために、人一人殺すの――?
オレは迷った。迷って、気付かれないことに賭けて、木陰で息を殺していた。
兵士がランタンを高く掲げて、こっちを見た。オレはランタンの明かりからは隠れたけど、でも丁度その時、雲間が切れて、月明かりが地面にオレの影を落としたんだ。
『曲者だ!』
兵士は大声を挙げた。
その時でもまだ、間に合ったかもしれない。だけど、オレは尚も躊躇って、ただランタンを射抜いて壊し、逃げ出したんだ。
オレ達の人数は、砦の兵士達よりも少ない。捕まってる人達にも武器を渡して手伝ってもらい、先手を打って奇襲をかけて、ようやく勝てるかどうかってところだった。
態勢不十分のまま戦い始めたオレ達は、兵糧を奪うどころか、散り散りに逃げるのがやっとだった。
オレは、ここでもヘマを重ねた。足手まといにならないように、さっさと逃げるべきだったのに。失点を取り返そうとして、踏み止まって、他の人達が逃げるのを援護してたんだ。
オレがとっくに先に逃げたものと思って、引き揚げようとしていた父ちゃんとニッケ兄ちゃんは、引き返してきて……、脱出の機会を失った。
とりあえずは物陰に身を隠したけど、夜明けが来れば、間違いなく三人とも見つかって、捕まってしまう。
その前に――。
兄ちゃんは、自分が敵を引き付けるから、その間に父ちゃんとオレで逃げてくれ……って言い出した。
でも、そしたら父ちゃんが、『それは俺の役目だ』って。
盗賊団は、もう解散する。みんなで固まっていたら、追い詰められて一網打尽にされるだけだ。でも、リーダーである父ちゃんが捕まる一方で、みんながバラバラに逃げれば、何人かは生き延びられるかもしれない。悪足掻きしてみたけど、矢っ張り、官軍を敵に回して勝ち目は無い。本当は、アジトを押さえられた時から、こうするしかないだろうと覚悟してたんだ――って。
オレは猛反対した。
仲間達には父ちゃんが必要だ。それに、ニッケ兄ちゃんだって。役立たずのオレが生き残ったって、しょうがないよ。足を引っ張ったのはオレなんだから、囮になるなら、オレがなるよ。
だけど父ちゃんは言った。
『生きろ。お前は宝物を持っているんだ』って。
それは沢山の人を幸せにすることも出来る、とても尊い宝物で、オレにはちゃんと、それを活かす力があるから……って。
そしてニッケ兄ちゃんにオレのこと頼むと、後は有無を言わさずに、父ちゃんは雄叫びを揚げて飛び出した。
兄ちゃんとオレはもう、父ちゃんが作ってくれたチャンスを無駄にしないために、ただ一生懸命に逃げるしかなかった。
でも――。
バラバラに逃げろ……って言われても、そこら中警戒が厳しくて、ほとんど不可能だった。とっとと一人で逃げようとした奴らから、次々と捕まったり殺されたりした。
逃げ延びるためにも矢っ張り、父ちゃんの下で一致団結しないと駄目だ。
オレ達は何とか、仲間同士集まろうとしたし、父ちゃんを助け出そうともした。だけど、一人また一人と狩り出されて、何一つ有効な手を打てないまま、父ちゃんの公開処刑の日を迎えてしまった。
処刑場には地方巡回中のジェット王とクローム宰相も臨席していて、親衛隊がその周りを油断無く取り囲み、近付くことも出来やしない。
ニッケ兄ちゃんとオレは、最後の手段を取った。
つまり――、何刻も、何日もかけてじわじわとなぶり殺されるはずの父ちゃんに、オレ達の手で止めを刺すこと。王様の鼻を明かし父ちゃんの誇りを守るため、父ちゃんの苦しみを長引かせないために。
広場を一望出来る、神殿の鐘楼で、オレはニッケ兄ちゃんが弦を巻き上げてくれた自動弓を構えた。チャンスは一度きり。失敗すれば、父ちゃんを楽にするどころか、余計に苦しませかねない。
引き金に掛けた指が震えて、なかなか、引く決心がつかなかった。
どうして……どうして、この手で父ちゃんを殺さなくちゃならないんだ!!
オレはふと、冷たい、無関心な目で処刑台を見下ろしている、少年王に矢尻を向けた。
もし王様を殺したら……?
でも、兄ちゃんが自動弓とオレの肩を掴み、首を横に振った。
ごめん。わかってるよ。
悔しいけど……本当に悔しいけど、王様を殺したって"ただの八つ当たり"。父ちゃんの処刑を止められるわけでも、庶民の暮らし向きが今よりマシになるわけでもない。
ジェット王にはアーウィン王子っていう弟がいるけど、王子は心根が優しすぎて軍事を嫌う上に、後ろ盾のスパンコール家じゃ求心力が足りないって言われてる。アーウィン王子が代わりに王様になっても、きっと前の王様の時代みたいに、貴族達は自分勝手に私腹を肥やしたり、不毛な土地争いや権力争いに血道を上げたりするだけだろう。
広場の観衆から、野次や悲鳴が上がった。
処刑が始まったんだ。
オレはもう迷わなかった。迷ってる間にも、父ちゃんは爪先から少しずつ切り刻まれたり骨を砕かれたり、炙られたりしてしまう。
雑音が遠のき、涙が引いて視界がくっきりと澄んだ。
オレ、弓の腕だけは特級品なんだ。飛び立つ水鳥でも、跳びかかってくる狼でも、射損じることはない。動かない的を――処刑台に縛り付けられて動けない父ちゃんの心臓を射抜くのなんて、覚悟を決めさえすれば、百に一つも外さない!
カシンッ。
発射音は、あっけないほど小さく感じられた。見えない糸に引き寄せられるみたいに、矢は狙い通り、父ちゃんの胸に吸い込まれた。
広場のざわめきが一瞬、しんと静まり、それからドッと大きくなった。
それまで処刑台の方を向いていた観衆の顔が、ぱらぱらと、矢の飛んできた方角を――こっちを振り仰ぐ。
兄ちゃんとオレは自動弓を捨て、屋根伝いに逃げ出した。
オレ達は呑兵衛の隠者様から、秘密の抜け道を教わっていた。古い古ーい時代の地下水道だ。
どうして隠者様がそんなもの知ってるかっていうと、その昔、神殿の蔵からくすねた葡萄酒を古井戸に隠しといて、落っことしちゃって、探しに潜って見つけたんだそうな。
来た時に使った、神殿の古井戸には、今からじゃ戻れない。
オレ達は街に出た。街中にも何カ所か、出入り口があるんだ。
だけどたちまち、広場から溢れてきた人達が路地の見回りを始めて、オレ達は身動きが取れなくなった。
多分即行で、捕まえた奴には褒美を出すとか何とか、お触れが出されたんだろう。仕事の速い王様だぜ。
すぐ目と鼻の先に、地下水道の入り口があるってのに……。
兄ちゃんはここでも、『僕が注意を引き付けるから、先に逃げろ』って言った。
心配だったけど、でも、足の遅いオレが一緒じゃ、兄ちゃんの足手まといになる。二人で、見つからないように気を配りながら別の入り口に向かうより、かえって安全だろう。
兄ちゃんが路地から走り出て、兵士や街の人達がそっちを追い掛けてった隙に、オレは暗渠に飛び込んだ。
真っ暗な水の中をひたすら歩いたり泳いだりして、郊外の古井戸から外に出た。
着替えついでに変装して、兄ちゃんの無事を祈りながら、前以て決めてあった落ち合い場所に向かう。怪しまれないよう、急がずに。
"街におつかいに来た村娘"って格好のオレを、道行く人達は特に気にも留めなかった。
でも、街から来た二人組の兵士には、流石に呼び止められた。
変装自体はバレない自信あったよ。
不審な奴を見なかったか、っては訊かれたけど、オレ自身が処刑妨害事件の犯人だと疑われてる様子は全然無かった。
だけど……、オレはちょっと、可愛すぎたね。
どこに住んでるのか、とか、誰かと一緒じゃないのか、とかしつこく質問されて、なーんか別の面でヤバそうだぞって思った時には、もう遅かった。
逃げ出したんだけど、スカートなんか穿いてちゃ、走りづらいったら。すぐに追い付かれて捕まって、茂みに引っ張り込まれた。
持ってた武器といえば、果物ナイフ一本だけ。それももぎ取られて、大の男二人がかりで押さえ込まれたら、何にも出来やしない。
……ううん、叫ぶことだけは出来た。
追われてる間から、危険を承知で助けを呼び続けてたのが、結果的には正解だった。……って言っていいんだろうか?
近くまで来てたニッケ兄ちゃんが、気付いて、あっという間に兵士達を石で殴り倒してくれた。剣を抜く暇も与えずに。
でも、兵士の一人が、オレからもぎ取ったナイフで兄ちゃんの脇腹を刺してたんだ。
既にあちこち深手を負ってた兄ちゃんには、それが駄目押しの一撃になった。
……オレは、どこまで足手まといなんだろう……!!
自分を呪ってても仕方ない。
オレは兄ちゃんに肩を貸して、ボートの隠し場所まで辿り着いた。
そして夕闇が迫る中、川を下りながら、もう手の施しようが無いとわかりつつ、傷の手当てをした。
オレはずっと、泣き続け、兄ちゃんに謝り続けた。何から謝ればいいのかもわからないぐらい、色んなことが申し訳なくて……。
助からないと悟ってる兄ちゃんは、それを遮って、思い出話ばかりした。
会って間もない、まだ盗みよりも密猟中心の暮らしをしてた頃に、父ちゃんとオレと一緒に日がな一日釣りをしたり、天然の蜂蜜を採ったりしたこととか。
無法者のオレ達のために、お祈りしたり読み書き算術を教えてくれたりした、愉快な呑兵衛の隠者様のこととか。
今は亡き仲間達のこととか……。
『楽しかったなあ』『良かったなあ』ってばっかり。
泣き言も恨み言も言わなかったけど、でも、未来のことも一言も言わないんだよ。これから何処に行こうかとか、何をしようかとか。
『明日の朝御飯、どうしよう?』っていうのにさえ答えてくれないのが、悲しくて。楽しい思い出話をしてるうちに一度は止まった涙が、また溢れてきた。
『ごめん』って繰り返すオレに、兄ちゃんは『もう謝るなよ』って言った。『謝るのは僕の方だ』って。
兄ちゃんはオレほど弓が得意じゃないから、辛い役目を押し付けちゃったな、って。一人遺していって御免って……。
父ちゃんの盗賊団の仲間になれて幸せだったし、オレが無事で本当に良かったと思ってる。だから、もう泣くなよ、ってさ。
それよりも、夜が更けて肌寒くなってきてたから、隣で一緒に横になってほしいって言うんだ。
オレは嫌だった。ものすごーく疲れてたんで、横になったらすぐ眠ってしまいそうで……。
そう言っても、兄ちゃんは『星がとっても綺麗だよ。一緒にごらんよ』って。
星なんて、座ったままでも見えるよ。って言ったんだけど、食い下がるから、それ以上は断れなかった。
確かに、今まで見た中で一番綺麗な星空だったよ。天の河が丁度、オレ達がいる地上の川と平行に流れてて、宝石箱を引っ繰り返したみたいにキラキラ光ってた。
あれ全部拾えたら、僕達大金持ちだな。って、兄ちゃんは笑った。
兄ちゃんの方はもう、話したいことは全部話して、何も心残りが無かったんだろう。
その後は、流れ星が落ちたとか、今どの辺まで下ったんだろうとか、とりとめもないことをポツリポツリ話すだけだった。
オレの方は、兄ちゃんにどうしても話しておきたいことがあったのに、切り出せないまま、猛烈に眠くなってきちゃって……。
兄ちゃんの最後の言葉が何だったかも、ハッキリとは覚えてないんだ。
『もう寝てる?』だったか、『あったかいな』だったか、何かまるっきり他愛もないことだったと思う。
気付いた時には夜明けで、兄ちゃんはもう、息をしてなかった。
あれから二年――。
オレがほとんどノーマークでトレジャーハンター稼業なんかしてられるのも、兄ちゃんのおかげだ。
"大盗賊ジュラルミンの息子"として未だにお尋ね者になってるのは、オレじゃなくてニッケ兄ちゃんなんだから。
「あの時と同じにならなくて良かった……。
ラピスとアンバールに何かあったら……、オレ……」
「エメルダさん……」
ラピスが、ヨシヨシとオレの背中を撫でた。
「心配しないで下さい。僕は、そんなに簡単に死にはしませんよ」
うわーん!優しくされると、余計に泣けてくるよー!ますます、兄ちゃんを思い出しちゃうじゃないかーー!!
「……」
アンバールは黙ってる。
そりゃ、気休めとか言えないよね。この時代に来た最初の日に、オレの目の前で死にかけてるもんなー。
と、思ってたら。
「ふっ……ははははは!」
突然、アンバールは笑い出した。
「ははは……ガキだな。つくづく」
おい。普段あんまり笑わない奴が、珍しく声を立てて笑うのが、この場面でかい!
「アンバールさん!」
いつも温和なラピスでも、流石に眉をひそめた。
「何だよー?オレが泣いてるのが、そんなに楽しいかっ!?」
オレは、ジトーっとアンバールを睨んだ。
「楽しい?……そうだな。頗る楽しいな。俺が死んで泣く奴がいるかと思うと」
アンバールは自嘲気味に言った。
……、ああ。
今度は、ラピスとオレが黙る番だった。
普通なら、遺された者が泣くのが楽しいなんて意地悪だ。泣かないでほしい、とか言うものなのに。
でも……、それは、当たり前のように悲しんでくれる家族や仲間がいる人間の話。
――元の時代に待っている奴なぞいないさ。俺が消えて喜ぶ奴なら、山ほどいるが。
アンバールは、そう言ってたんだっけ。
オレは、袖口でぐいと涙を拭った。
確かにガキだな、オレ。
アンバールは、別にオレが死んだって泣きやしないだろうけど、でも、そもそもオレが死なないように助けられるぐらいの力があるんだ。
オレも、これ以上アンバールとラピスの足を引っ張らないように、もっともっと強くならなくちゃ。
日が暮れてきたんで、今日も野宿することになった。
ラピスの"どこでも井戸"の魔法――オレが適当に命名――のおかげで、飲食用の水に不自由しないのは、不幸中の幸い。保存食の固焼きパンと干し肉をふやかして、山菜も入れて、あったかい雑炊を作った。
そうでなけりゃ、固焼きパンを葡萄酒に浸して食べるぐらいで、もっと味気ない晩飯になってただろう。
あーあ、今日こそは宿屋のベッドで、魔獣も雨風も気にせずに、ゆったりぐっすり休めると思ってたのにな。テントも売り払っちゃったから、寒いなあ……。
……と思ってたら、嬉しい誤算が!
『僕の翼の下に入れば、夜露をしのげるでしょう』
って、ラピスが飛竜の姿に戻ってくれたんだ。
えーっ?それ、いいよ!テントより、宿屋のベッドより、断然いいよ!!
アリだったんだ、それ!?ラピスの毛皮、毛足が長くてツヤツヤ滑らかそうなんだけど、怒られると思って、触るのずっと我慢してたのに!今までの苦労は何だったんだー!
「いいの?本当にいいの?」
『ええ、どうぞ』
それじゃ、遠慮無く!ぼふっとー!!
オレはラピスの脇腹に、うつ伏せに倒れ込んだ。
「うわぁい、ふっかふかー!ぬっくぬくー!」
変身する時に、汚れがリセットされるとか?
飛竜の体長は、優に馬の三倍ぐらいはある。普通はこんなに大きな動物の毛皮なら、油とか土埃とかで結構ごわごわしてそうなものなのに。アザミの綿毛みたいに柔らかくて、洗いたてのブラッシングしたてみたいに、さらっさら!
こっ、この感触は、病み付きになりそう……。年甲斐もなく、はしゃぎたくもなっちゃうよ。
……え、何?十三歳はまだ充分子供だろ、って?
そーか!よしっ。思いっ切りはしゃぐぞー!
「うふふふ、うっふふふふー」
なでなでナデナデなでなでなで……。
『あの……。ほどほどにお願いします』
あ。ラピスに呆れられた。
いいや、千載一遇のこのチャンス、誰が自重などするものか!
「そんなに楽しいか?」
アンバールも鼻でフンと笑った。
「楽しい、楽しい、ものすごーく楽しい!」
オレはラピスの背中によじ上って腹這いになり、反対側の脇腹に寄り掛かって座っているアンバールを見下ろした。
「オレ、動物大好きさー。オレんち、もともと牧畜農家だもん。多い時には二百頭ぐらい、色んな動物飼ってたんだぜ」
羊と乳牛がメインだけど、豚も兎も、鶏もガチョウも。馬に驢馬に、犬に猫もいた。小さい頃は一日中、多種多様なふかふかさん達と戯れてたんだから。
いや勿論、水汲み薪割りとか、牛の乳搾りとか、家の仕事はしっかり手伝ってたよ。一日中っていっても、お手伝いの合間合間に、ってことだよ。
しかも農家だから、動物達もみんな、愛玩用じゃなくて役目がある。馬は農耕馬だし、犬は牧羊犬だし、猫はネズミ取り用だ。兎だって、肉と毛皮を採るために飼ってたんだ。
お仕事中の奴にちょっかい出すと、父ちゃん母ちゃんに叱られた。でも、食用の奴と遊んだり、野山から追加の餌を採ってきて食べさせたりするのは、奨励――とまではいかなくても、割と許容されてたな。
いつか食べちゃう奴を可愛がるなんて、騙してるみたいじゃない?って思ったこともあるけど。
父ちゃんが、そうじゃないよ、って。いずれ命をもらうからこそ、感謝して、生きてる間はなるべく幸せに暮らせるように、大事に世話してやるんだよ。って言ってた。
まあ"可愛がる"っていっても子供のことだから、手加減無しにぎゅむーっと抱き付いたりして、動物さん達にはかえって迷惑だったかもしれないけど……。
「今だって、お金貯めて、いつかまた羊をいっぱい飼って暮らすのが夢なんだ。
……誰かさんが商売の邪魔してくれやがるおかげで、ちっとも貯金なんて出来ないけどなー」
「そいつは生憎だが、謝らんぞ。お前さんの邪魔をした覚えはない。お前さんの方が勝手に、俺の後をウロチョロしてるだけだ」
「オレだって別に、お前に謝れとか、手心を加えてくれなんて言ってやしねぇよ。
そうじゃなくてさ。そのうち必ずオレの方が追い抜いてやるから、覚悟してろよ!って言ってんの。
夢を持った人間は強いんだぜー!」
オレがビシッ!と指差すと、アンバールはまた、ククッと含み笑いした。
「全く、ガキだな……」
ふーんだ。笑ってられるのも、今のうちだけさ。
オレはラピスの背中を滑り降りて、脇腹に寄り掛かり、コウモリみたいな翼を掛け布団代わりに引き寄せた。
「あ、ついでに、尻尾こっちにくれる?」
ぱさり。
「やったぁ!足許までぽっかぽかー!」
ある時は魔法の先生、ある時はふかふか敷き布団・掛け布団三点セット。
何て使える奴なんだ、ラピス!もう現代まで連れ帰りたいよ、一生ついて行っちゃいたいよ!
……なーんてわけにはいかないよな。魔法時代が終わったら、もう飛竜の姿ではいられないんだっけ。
って、そもそもそーゆう問題じゃないだろって。ラピスには弟くんも、恋人――って認識でいいのかな?竜の里のお姫様のことは――もいるんだし。
とか考えてたから、
「……。年長者は敬えと言ったろう」
ってアンバールが言った時、最初は、ラピスに失礼だろって意味かと思ったけど。
んん?まさか……。
「何、何?もしかして、尻尾よこせってこと?」
「戦力が大きい方が優先的に体力回復しておくのは当然だろうが」
「うっわー、おっとなげねーっ!
前言撤回、お前は遠慮会釈も血も涙も無い奴だよ、いたいけな子供にも付け入っちゃうひとでなしだよ!
信じたオレが間違ってました!」
「おい待て。何故、尻尾ごときでそこまで言われなけりゃならん?」
「ごとき?ごときって言ったなー!
お前みたいな、夢を失った大人に!ふさふさ尻尾は渡さなーい!!」
しっかと両腕に抱え込んだ尻尾が、しゅるんと逃げた。
あれれれ。
『何を些細なことで揉めているんですか、お二人は。同じ側に来れば、二人とも入れるでしょう?』
んー……、そうなんだけど。オレとしては、さり気なーくその選択肢は除外してほしかったんだよね。
「ああ……、それはそうだ」
アンバールはオレの隣に来ると、尻尾側に割り込むようにどっかと座った。
ここで頑なになって喧嘩を続けるほど、アンバールはガキじゃないんだよな。これじゃオレの方も、変な風に意地張れないよ。困ったなあ……。
目を閉じたアンバールは、ものの十も数えないうちに、すやすやと深ーい寝息を立て始めた。こいつ、やたらに寝付きがいいんだ。だから、今は問題なし。
まずいのは、明日の朝だよな。オレの方が成長期だからか、同じ時間に寝ると、どうしても目を覚ますのが後になっちゃう。
「ラピス。明日もし、アンバールより先に起きたら、オレのことも起こしてくれる?」
ほんの囁き声でも、ラピスは念話で聞き取ってくれる。本当は声を出す必要も無いんだけど、慣れないうちは、ただ考えてるだけのことと伝えたいことを区別するために、口に出して言った方がいいらしい。
『……。アンバールさんに、正直に話しておいた方がいいのじゃありませんか?』
ラピスは普段、オレ達に合わせてギヤマニア語で喋ってくれてる。っていっても、三百年前の古語でだ。でも念話だと、聴こうと意識すれば聞き手側の母語で――つまりオレの場合、現代ギヤマニア語で聞こえるってことに気付いた。
「話して、どうなるってんだよ」
『心づもりが違ってきますよ。何かあってからでは、お互いに気まずいと思いますよ?』
「うーん……」
どっちかっていや、アンバールに話した方が、余計な"何か"が起こる可能性大きいんじゃないかな……。
『信用出来ませんか?アンバールさんのことは』
「信用するよ。他のことならね。だけど、こればっかりは別問題だろ」
オレは、逆にラピスに尋ねた。
「あのさ。ラピスは、その……ご両親が亡くなった後、どうしてたの?弟くんと二人だけで暮らしてたの?」
『え?いいえ、叔母の許に身を寄せていましたよ。僕は里の外に出る用事が多いので、従妹がよく弟の面倒を見てくれています』
「ふうん。飛竜族では、そうやって親戚同士で助け合うのって、普通のことなんだ?」
『はい。特に子供は、近年数が減っていますから、親族だけでなく里全体で大事に育てていますよ。ヒト族だって同じでしょう?』
「……。オレはさー……、父ちゃんが死んで一人きりになってから、三回売り飛ばされかけてんの。……あ、そもそもの始めを勘定に入れれば、四回か」
母ちゃんが死んだ後、父ちゃんはオレを裏稼業に巻き込むのはまずいと思って、一度は養子に出そうとしたんだ。
神殿で里親を紹介してもらったんだけど、どっこい、これが孤児院とかから引き取った子供を奴隷商人に横流しする業者だったんだなー。
それに気付いた父ちゃんは、奴隷商人をぶち倒して、矢っ張りオレを手許で育てることにした。ただし、"ある細工"を施して――。
二回目は、人買いとは関係ない。ニッケ兄ちゃんを弔った後、盗賊団の仲間の一派と合流したんだけど、そいつらはオレを官憲につき出して刑を減免してもらおうとしたの。
その後オレは、密猟で食いつなぎながら、コランダム島に渡った。コランダムまでは、捕縛の手が伸びないと思って。それに、どこかの親戚の家に置いてもらえないかと思って。
でも、四つの国に分裂した上に、更にそれぞれ内乱を抱えてるコランダムでは、ギヤマニア以上に庶民の暮らしが厳しかった。そりゃあ、だからこそ、父ちゃんも母ちゃんも移民になったんだし。
扶養家族を増やせる余裕のある家なんて無かった。最後にようやく、母ちゃんが家を出た後で生まれたっていう末の叔父さんが歓迎してくれたのは、オレを売って金に換えるためだった。
ま、そんなもんだよな。"飢え死にさせるよりマシだ"って、実の子供をさえ人買いに売る、貧しい村だったんだから。
……それが三回目。
ギヤマニアに戻ったオレは、また別の元仲間と再会した。今度こそ一安心と思ったのに、"秘密"がバレた途端に……。
四回もそんなことが続くと、流石に、誰か大人を頼ろうって気が失せたよ。
「長年の仲間とか、近い親戚とかに裏切られてるんだぜ。そんなに長い付き合いでもない、ほとんど赤の他人って言っていい奴がどんな行動に出るかなんて、わかんないなあ」
『アンバールさんは、他人の弱味につけ込むような方ではないと思いますが』
「ん……、そうだったらそうで、嫌なんだよ。これ以上、気を遣われたくない」
『……遣わ"せ"たくないのではなく?』
「元の時代に帰ったら、また一人だけで生きていかなくちゃならないんだ。他人に気遣ってもらえるのに慣れちゃったら、後が辛くなる」
いや、半分手遅れかも。
オレ、元々はすごく人懐こいし、動物懐こい(?)と思うよ。いつも沢山の家畜とか、盗賊団の仲間達とかに囲まれて、賑やかなのが当たり前だったもん。
それがこの二年ぐらいは、"秘密"がバレないように気を張り続け、生活の必要に追われ続けで……一人でいるのを寂しいとか、不安だとか思う暇もなかった。
だけど、この時代に来て――。
ほんの十日ばかりお世話になった、月光神殿の神官先生とか食堂のおばちゃんとか、もう懐かしく思ってる。
すぐ売るってわかってる驢馬くんにだって、情が移っちゃったし。
アンバールとラピスのことだって、すっかり"仲間"って意識になっちゃってる。
元の時代に帰れば、この時代で出会った人達のことは、楽しい夢みたいなものと思って諦められるかもしれない。
でもアンバールとだけは、この先も多分、あっちこっちで顔合わせるんだよな……。
『あの、不躾かもしれませんが……。例えば、これをきっかけに、元の時代に帰ってからもアンバールさんと一緒に"お仕事"していくことは出来ないのですか?』
ラピスは、まさかオレ達がアウトローだとは知らない。
適当にぼかして話してるのを、何となく、用心棒とか便利屋とか、そんな類だと解釈しているらしい。
「あー、無理無理。絶ーっっ対に無理!あり得ない!」
そんなの、オレもとっくの昔に、ちらっと考えたよ。
あんまりにもしょっちゅう鉢合わせるから、いっそこいつに弟子入り出来ないかな、とか。いやいや、ヤダって言われても、勝手に尾行して技を盗んでやろうか、とか。……一瞬で考え直したけどね。
だってこいつ、"黒服"だよ?
アンバールは力も学もあるし、女にだってモテそうだ。オレみたいな"チビのガキ"とは違って、その気にさえなれば、カタギさんの家に弟子入り・婿入りするにも、半カタギの傭兵団とか、やくざ者の仲間とかに入るにも、引く手あまただろうに。
そう"しない"わけじゃなく、そう"出来ない"のだとしたら――。
オレさ、相棒組んでからずっと、なーんか裏があるんじゃないかなーと思ってアンバールのこと観察してたんだよ。
例えば、酔っ払うと手が付けられない、とか。寝起きは異常に機嫌が悪い、とか。……夜中のいびきや歯軋りがひどくて、とっても同じ部屋で寝泊まり出来ない、とか!って、そんなことで"黒服"になる奴はいないか……。
ともあれ。こいつは、そりゃ決して愛想良くはない。けど、特に偏屈な人嫌いだとか、鼻持ちならない自惚れ屋だとかってこともなければ、奇行奇癖も無い。むしろ、いつでも落ち着き払ってて、分別のある奴だと思う。……驚いたことに。
だけど、ヤバくない"黒服"さんなんて、いやしない。こいつ自身がまともな人間だとしたら、あとは、こいつが抱えてる事情の方がメチャメチャ厄介だってことだ。
オレみたいな非力なガキなんか、吹けばぴゅーんと飛ばされちまうよ。
『どうしてでしょう……。
エメルダさんは、危険を冒しても、ベニトアイト市の人達に被害が出ないように力を使いました。アンバールさんや僕のことも、いつも気に掛けてくれているでしょう。
エメルダさんには他の人を助ける心があるのに、他の人はエメルダさんを助けてはくれないのですか?』
"翼ある賢者"飛竜族の目から見れば、馬鹿らしい話かもしれないね。
「しょーがないよ。オレはやせっぽちのチビで、力仕事の役に立たないから……。それに、ギヤマニア育ちのコランダム人で、中途半端に両方の間に落っこちちゃってるから。
そういう奴はさ、人間の世界じゃ、どこに行っても仲間に入れてもらえないんだよ」
オレ、どうして父ちゃんに似なかったんだろう。
父ちゃんは熊みたいにいかつい大男なのに、オレは母ちゃんに似てほっそり華奢で、目がくりっと大きくて愛くるしくて。
オレら父子のツーショットなんて、"森の熊さんと仲良しの妖精小人さん"って感じだったもんなー。
まずは実の親子だってことを不思議がられ、次には、こりゃ母ちゃんがよっぽど美人だったんだろう……って話になり、『この熊オヤジがどーやって、そんな美女を射止めたんだっ!?』ってことを不思議がられた。
『お頭、駄目じゃないですか~っ!俺らに"女をさらうな"って言ってるくせにっっ!!』とかって詰め寄る奴もいたっけなー。
失敬な。気は優しくて力持ちだったし、顔立ちだって、それこそ熊と一緒で、強面な中にも愛嬌があった……と思うぞ。
オレが母ちゃんに似てる、って話をする時、父ちゃんは嬉しそうだったけど、でもオレは、父ちゃんみたいに頑丈な体が欲しかった。
どうして、生き残ったのはオレだったのかな。他の、もっと強い兄弟だったら、父ちゃんもニッケ兄ちゃんも死なせずに済んだかもしれないのに。
母ちゃんの形見のペンダントを受け継いだのは、オレで良かったのかな。バルトー大公とシトリン妃の子孫じゃないと使えないみたいだけど、別に長子相続とかって決まってるわけじゃなし、世の中には、他にもっと素質のある奴もいたんじゃないかなあ。
元の時代に帰るためにも、まずはご先祖様達を手伝わなくちゃならないみたいだけど……オレ、どこまで役に立てるだろう?
近頃、すごーくドキドキしてる。
『すみません』
急に、ラピスが謝った。
「え?」
『僕には、ヒト族の事情がよくわからなくて。気付かないふりをして差し上げた方が、エメルダさんにとっては楽だったのでしょうか』
ははは……。このにーちゃんも相当、人が――もとい、竜が好いなー。
「ううん。謝るなって。秘密にしなくていい相手が一人でもいるのって、すごーく気が楽だよ」
今だけでも"仲間"って呼べる奴がいるのって、矢っ張り嬉しい。ストレートに心配してくれるラピスにも、いつか相棒解消するのがわかってて無愛想に"してくれてる"アンバールにも、感謝してるよ。
「明日の朝、アンバールより先に起こしてくれる?」
『そう努めます』
「ありがと。……おやすみ」
『おやすみなさい』
オレはラピスのふかふかの毛皮に埋もれて、心地よく眠りに――、
……就こうとしたのに。
アンバールがもぞもぞと、毛布を手繰り寄せるみたいに、ラピスのふっさり尻尾を胸に抱え込んだ。
足許がスースーする……。
オレは、そろーっとアンバールの腕から尻尾を引っ張り出して、両足の膝から下を包み込んだ。
それを再び横取りするアンバール。
再び取り返すオレ。
アンバールは三度オレから尻尾を奪うと、体に巻き付けるみたいにしてがっちりホールドしてしまった。
ぐっ……、抜けない!
「おい、アンバール。実は起きてるだろ。わざとだろっ?」
くーっ。すーっ。くーっ。すーっ。……
……無意識なのか?本っ当に無意識なのか!?
「こらあっ、起きろーっ!独り占めすんなっ!しっぽー!!」
『無理に引っ張らないで下さいっ』
あー、もう!どこまでいい根性してんだ、こいつはー!!
しっぽぐらいで、何やってるんだか……。
いい根性なのはキミもです(ちゃんちゃん)。