1-〔8〕 秘策あり!?
あーあ、都会は人情が薄いねえ。今のオレ達、完全に捨て駒状態。
傭兵達は、広場から離れた通りの向こうで待機している。広場を囲む家々の住人達は、とっくに目覚めて窓の雨戸の陰で固唾を飲んでるだろう。けど、石一つ投げるでなし、警備隊に報せに行くでなし。
そりゃさ、手練れの傭兵隊長さんを平手一発で葬り去る奴だもの、誰だってうっかり注意を引いてぶち殺されたくはないよな。でも、他人事じゃないんだぜ。アンバールがやられちまったら、奴が次にどこに行くかわかんないんだぜ?
ズシンッ。ドシンッ。
怪物は地響きを立てて、アンバールを追い回す。アンバールは着実に怪物に傷を負わせているけど、このままのペースじゃ、怪物が失血で動けなくなるより、アンバールのスタミナが切れる方が早いよ。
アンバールは怪物の攻撃をよくかわし続けてる。でもさっき、鋭い爪で太腿に切り傷を負ってしまった。黒いズボンなんで見えづらいけど、じわじわ血が流れ続けてるみたいだ。
脚の怪我はスピードが落ちる元になる。いずれ、つかまる……。
くそっ、どうする?何か……あいつの弱点は……、
そうか!
オレは傭兵隊の誰かが落としていった自動弓を拾った。大人の男なら腕の力だけで弦を引き絞れる簡便なタイプ、のはずなんだけど、オレには硬い。座って足で銃身を押さえ、両手でうんしょっと弦を引き上げた。
手許にある矢は一本きり。心臓がバクバク早鐘を打ってる。けど、手の震えを静めて慎重に的を狙い定めた。ムキムキ筋肉の鎧に覆われていない無防備な所、それは……目!
ドシュッ。
やったっ、ドンピシャ!
ギャオーッ、と苦痛に叫んだ怪物は、目玉の刺さった矢を引き抜いて投げ捨てると、残った片方だけの目を怒りにギラギラ燃やして、こっちに向かってきた。
わっ、わっ、来るなーっ!
オレは、どうせ二の矢のない自動弓を怪物に投げつけた。これは、ベシッと払い落とされた。そこにアンバールが割って入り、再び怪物の目がそっちを追う。と見るや、オレは民家の脇に積まれていた壺を怪物の足元に転がした。
つるん、ドデンッ。
すっ転んで、起き上がった怪物は、小うるさいオレから片付けようと決めたらしい。本腰を入れて攻撃してくる。ひーっ、だから、オレは主戦力にはならないってのに!
「引き付けてくれ!上に!」
アンバールが叫んだ。何だか知らないけど、了解っ!
オレは商店の壁に立てかけてある梯子を駆け登り、常夜灯を取って怪物に投げつけた。
ガチャンッ。
ランプが割れて、油が怪物の頭にかかる。
しまったあっ!さっき水をかけちゃったから、火は燃え移らない。でもとりあえず、油が目に入って、目くらましにはなった。
オレは吊り看板に飛び移りながら、梯子を蹴って怪物の方に倒した。怪物はバシッと梯子を受け止め、両手に持ってぶん回してくる。
うあっと、かえって敵を利したかっ!?
急いで二階のベランダの手すりに登り、吊り下がっていた植木鉢を二つ三つ投げつける。ブンッ、と梯子が振り下ろされ、木製の手すりが折れた。
すんでの所で、隣のベランダに飛び移る。怪物がもう一度梯子を振り回すと、今度は梯子の方が折れた。
ガシャンッ。
壊れた梯子を投げつけてきたのをかわすと、グシャッと窓の雨戸に突き刺さった。家の住人が中で悲鳴を上げる。
アンバールが斬りかかって怪物の気を逸らせてくれた隙に、洗濯物ロープを伝って隣の家の屋上へ、そこから更に隣の家の屋根へ。怪物が飛び上がって屋根の端にぶら下がると、瓦がザラザラッと雪崩を起こしてオレの足元をすくった。
危うくバランスを取って、広場の一角に根を下ろしている木の枝に飛び移る。怪物がボキッと枝を折り取ったので、反対側の枝へ。
……、しまった!!建物側の枝を折られちゃったから、これ以上逃げ場がないっ!!
バキッ。
立っていた枝をへし折られ、オレはもう一本上の枝に飛びついてぶら下がった。枝が大きくしなう。いくらオレが身軽とはいえ、体重を支えてくれそうな枝は、ギリギリこのもう一本上が最後ってところ。
アンバール、早くしてくれよっ!
怪物はオレを見上げてグフフと笑い、上に伸び上がって両手でオレを叩き潰そうとする。
それが、アンバールが待っていた勝機だった。
始終前傾姿勢だった怪物の上体が起き、両腕と首が高く上向いたところで――、
アンバールはダッと一気に怪物の懐に飛び込み、長剣を低く振り下ろす。
スパンッ!
鮮やかに、怪物の短足の間で見苦しくブラブラしていたモノを斬り落とした。
……なるへそ。確かにソコも、目と並んで無防備な急所だったわな。
グギャアーッ!!
怪物は絶叫して前屈みに倒れ込む、その大きく開いた口の中目がけて、アンバールは思い切り長剣を突き上げた。
「タアァーッ!」
ズシャッ!
長剣の切っ先が、怪物の首の後ろへ突き抜けた。
怪物はまずガクッと膝をつき、それからズウンッと地面を震わせて仰向けに倒れた。
よっっし、一丁上がり!お見事っ!!
オレは木の幹にもたれかかり、肩で荒い息を吐きながら、ピッと親指を立ててアンバールに挨拶を送った。
「やったね。すげーじゃん」
アンバールも親指を立てて見せた。
「お前さんも、流石だな。逃げ足だけは特級品だ」
……、……。
「お前なーっ、もうちょっと他に言いようってもんはないのか?」
アンバールは、くくくっと笑いを噛み殺している。
あーもう、勝った途端にこれかよ。誉めて損した。
「う……うう……」
広場の片隅で呻き声がする。さっき怪物が石壁に叩き付けた傭兵さんだ。
「おーい、大丈夫か?」
オレは木から降りてのこのこ近付く、と――。
「動くな、チビスケッ!」
アンバールの切迫した声が飛んだ。
凄まじい殺気を感じて振り向く、と、怪物の手刀がもう目前に迫っていた。
避ける暇が無い!!!
こんな所で死ぬのかよ……、あっけないな……。死ぬ時って、すごく痛いのかな……?
頭の中だけは妙に冴え冴えと猛回転して、十三年間の短い人生が走馬燈のように……、
ドンッ!
寸前、オレは体当たりで弾き飛ばされた。横様に倒れながら見たものは……、怪物の爪に胸と脇腹を切り裂かれるアンバール!
怪物は口の中にアンバールの剣を生やしたまま、グフフッと満足げに笑う。
アンバールは歯を食いしばってゴーシェの槍を拾い上げると、渾身の力を込めて、怪物の残るもう一方の目から脳天を刺し貫いた。
ビクビクッと手足を痙攣させたのを最後に、怪物は今度こそ、長々と地面に伸びて動かなくなった。
それを見届けると、アンバールの体がぐらっと傾いて、後ろに倒れる。
オレはアンバールを抱き止めた――つもりだったんだけど。アンバールの体重はオレの倍以上あるだろう。支えきれなくて、よろよろっと尻餅をついてしまった。
しっかりしろ……とは、とても言えない。
肋骨が折れて肺に刺さり、大穴を開けている。アンバールは横を向いて、すごい量の血を吐いた。生温かい血がオレの膝を濡らして流れ落ち、みるみる石畳の上に血溜まりを作る。
オレが……不用心だったから……。
負傷者の収容なんて、化け物が完全にくたばったのを確認してからで良かったんだ。傭兵さんの怪我は、命に関わるほどの深手じゃなかった。傭兵仲間達がすぐに戻ってこなかったのも、冷たいんじゃなくて、それを心得ていたからだったのに……。
「ごめん。アンバール、ごめん……!」
何とか声を絞り出してそれだけ言うと、あとはもう喉が詰まってしまって、オレはアンバールの頭をぎゅっと抱え込んだ。そうしたからって、アンバールの命が血と一緒に流れ出ていっちゃうのを、引き止められるわけじゃないけど……。
アンバールはズボンのポケットを探って、金のペンダントを引っ張り出した。オレの手に握らせて、その上からポンポンと軽く叩く。
一人でもちゃんと元の時代に帰る方法を見つけろよ、とか何とか言いたいんだと思う。
そりゃ……、相棒になって、まだ半日も経ってないけど……。どっちかっていうと、気に食わない、お近付きになりたくない奴だったけど……。だけど……!
「やだっ……、オレ、やだよ、こんなの……!オレのせいで命を落とす奴なんて、もう見たくない……っ、見たくないんだよーっ!!」
オレはアンバールのペンダントを握り締めて叫んだ。……、すると。
パアッと手の中が暖かく、明るくなった。涙でかすんだ目には、初め、ペンダントが光っているように見えた。でも違う。ペンダントを持ってない方の手もぼんやりと光っている。
何これ?
何が起こってるのかはわかんないけど、何をすればいいかは直感的にわかる。オレはそうっと、でも素早くアンバールの体を膝から下ろし、大怪我をしている側の横に座り直して、傷口に両手をかざした。
お願いだ、治ってくれっ……。
淡い光と一緒に、地面に流れ出ていた血がすうっと吸い込まれ、傷口がどんどん元通りに塞がってゆく。
うわっ、すげえ……まるで魔法みたい!……っていうか、魔法だよね、これ?
あっという間に、アンバールの横っ腹に開いていた傷は、跡形もなく綺麗に消えた。
「チビスケ。お前さん……?」
あ。もうしゃべれるんだ。
安心したら、疲労感がドッと血管に流し込まれたみたいに体中に広がって、今度はオレの方がふらーっとアンバールの上に倒れ込んでしまった。
「おい、チビスケ!しっかりしろ。おい、エメルダ。エメルダ……!」
アンバールの呼ぶ声が遠くなっていく。あー、今夜二度目だよ……。ムッチャクチャな一日だったなー……。