序章 月夜のシャンデリア城
満月の光に照らされた城壁を、オレは鉤付きロープを伝ってするすると登ってゆく。
姿を隠す必要はないんだ、この城はもう百年以上も前から無人の廃墟なんだから。
え?だったらわざわざ、夜に忍び込まなくてもいいだろ、って?
それが、夜じゃないと見えないものってのが、あるんだな。
城壁の上に立ったオレは、首に掛けていたペンダントを月明かりにかざした。
母ちゃんの形見なんだ、これ。
手の平にすっぽり収まるくらいの黄金の円板の真ん中には、大粒のダイアモンド。その周りを囲んだ、太陽みたいな花みたいな幾何学模様の間に、色とりどりの二十四個もの小さな宝石をちりばめた、すっげー値の張りそうな代物だ。
でも、驚くなかれ!こいつはこれ自体の何千倍、何万倍って価値のあるお宝の在処を示す、コンパスなのさ。
こうして月の光を浴びると、ほら。幾つかの宝石がぼうっと内側から淡く光る。この光が、お宝までの距離と方角を表す暗号になってるんだ。
大盗賊だった親父でさえ、このペンダントの秘密に気付かなかったのは、しょうがない。この光は、満月の夜に、それもオレが持った時にしか見えないんだ。
古の魔法の名残、ってやつらしい。
今から三百年前の"魔竜戦争"を境に、世界から魔法の力は失われた。だけどその後も、魔法の効果を留めたお宝とか、弱いながらも魔法の素質を持った人間とかが、ごくたまーに見つかってる。
で、何を隠そう、オレ様も実は大魔法使いの血を引いてるんだ。オレの母方のご先祖様は、かの魔竜戦争の英雄、コランダム大公バルトーとシトリン妃。魔竜の軍勢を率いる侵略王ジェイドを倒した、立役者なのさ。すげーだろ、えっへん!
……っていっても、落ちぶれたもんだよ。
独立を果たした統一コランダム大公国は、三百年の間に四つの小国に分裂しちまった。オレの両親は、戦火の絶えないコランダム島から、かつての敵国だったギヤマニア王国に移住してきた、貧乏な羊飼い農家だったんだ。
あーあ、母ちゃんが生きてる間に、お宝の謎が解けてたらな。母ちゃんだって苦労した末に病気で死ななくて済んだし、親父も盗賊になんかなってなかったろうに。
……おっと、いけね。湿っぽくなっちゃった。夜が明けちまわないうちに、お宝、お宝っと。
ペンダントの光の暗号を読みながら、オレは崩れかけた城壁の上を移動する。近いな。もうすぐだ。
と――、主塔を目指して歩いていたオレは、朽ちた窓の陰から中庭に出て来る人影に気付いた。大急ぎで、崩れ落ちた階段の穴に身を潜めて様子を窺う。
誰だ?ここ、シャンデリア城は昔の王城だけど、今はもぬけの殻だ。遷都した時に財宝やら家具調度やら、目ぼしいものは一切合切持ってったんだ。今更番人なんて置かないだろ。
すると、まさか……?
長剣を背負った、背の高い黒髪の男。彫りの深い整った顔立ちが、青白い月明かりを受けて暗闇に浮かび上がる。あれは、矢っ張り……!
「アンバール!」
オレは中庭に飛び下りて、駆け寄った。
「よう、また会ったな。チビスケ」
聞き飽きた、小馬鹿にしたような笑いを含んだ低い声。
「チビって言うな!オレはエメルダ。大盗賊ジュラルミンの一人息子、エメルダ様だよっ!いーかげん、覚えろよな!」
「物覚えは悪くない。チビだからチビと言っているんだ。チビスケ」
大きな節くれだった手が、ガキンチョ相手にするみたいに、ヨシヨシとオレの金髪頭を撫でた。
悔しいけど、オレの背丈はやっと四尺八寸(約一四五㎝)ってとこ。この男は六尺をゆうに一、二寸は越えている(約一八五㎝)。
「オレはまだ十三なんだよ!お前ぐらいの年になれば、オレだって……きっと……」
「無理だろう。俺は五年前でも、今のお前さんより四寸(約一二㎝)は大きかったぞ」
ん?ってことは、こいつ十八か。今初めて知ったよ。思ってたより若いな。
……あー。改めて紹介せねばなるまい。
こいつは、オレの商売敵のアンバール。顔良し、剣の腕良し、根性悪しと三拍子揃った、いけ好かないにーちゃんだ。
城の中から出て来たからには、今日もまた……?
「これで十一勝一敗一引き分け、だったか?残念だったな」
アンバールは懐に持っていた宝石を、ぽんと宙に放り投げて見せた。鶏の卵くらいの大きさもある、とんでもなく大粒のダイアモンドだ。月の光を反射して、虹色に煌めく。
「あーっ!また横取りかよ!?お前、何だっていっつもいつも、オレの行く先々に先回りしてやがるんだよ!」
「知るか。俺こそ聞きたい。何だってお前さんは毎度毎度、金魚のフンみたいに俺の後にくっつき回ってるんだ?」
「くっつき回ってないっ。お前のキザったらしいツラなんか、二度と見たくもないってのに!」
オレは、ぴょんと飛び上がってアンバールの手からお宝をもぎ取ろうとした。
「返せよ」
アンバールはひょいと手を頭より高く上げる。くそー、全っ然届かない。
「いつからお前さんのものになった。俺が先に見つけたんだぞ」
「今回ばっかりは特別なんだよ。そいつは三百年も昔っから、オレのもんって決まってるの!」
「何?」
オレは襟元から金のペンダントを取り出して、アンバールの鼻先に突きつけた。
「オレのご先祖の遺産なんだから!」
サッと、アンバールの顔から余裕の薄笑いが消えた。血相変えて、アンバールはオレのペンダントをひっつかむ。
「おい、チビスケ!こいつをどこで手に入れた?」
ペンダントの鎖が、ぐいっと首に食い込んだ。オレはペンダントを引っ張り返す。
「どこでも何も、母ちゃんからもらったんだよっ。先祖代々、オレん家に伝わってきたんだ。その昔の、バルトー大公とシトリン妃の代からさ!」
ペンダントに気を取られて、アンバールの反対側の手が下がってる。チャーンス!
オレは空いている方の手を、アンバールが持っているお宝に伸ばした。指先がひんやりした結晶に触れた、その途端――、
「えっ?」
ペンダントの真ん中のダイアモンドが、一瞬ギラリと異様に明るく輝いた。と思ったら、二人の手の間で、お宝からまばゆい光の洪水が溢れ出した!
「うわっ!?」
白熱した火の玉のように見えて、オレはお宝を放り捨てようとした。でも、手の平がぴったりと石の表面に吸い付けられて離れない。見かけと違って、ちっとも熱くないからいいようなものの――。
光はどんどん強くなって、たまらずオレは目をつぶった。と、いきなり、足元の地面の感触が消える。
「ひゃあっ!」
「うおっ!?」
まるで潮の大渦に捕まったみたいに、オレ達の体はぐるぐる回りながらどこまでも下へ下へと落ちてゆく。
「わーっ!わーっっ!とーちゃーん!!」
オレは思わずアンバールにしがみ付いた。
「こら、落ち着け!こういう時は……、」
アンバールが何か言ってるけど、もう聞き取れない。ふーっと意識が遠のいていった……。
(第一章 王都シャンデリア に続く)