「落ちこぼれ聖女」と呼ばれ続けた私ですが、二十年以上かけてようやく中級聖女になれたようです
「聖処女神エリューシオン様、どうかご慈悲を与えたまえ!!」
目の前では、夫が血まみれで倒れていました。
腕と足はひどく損傷し、そのすぐそばには、まだ幼い我が子まで倒れています。
「だめ!私の魔力では足りない。やはり私は、落ちこぼれ聖女なんだわ!」
私は六歳のころから聖女でした。
そして聖女になってからずっと唱えてきた聖属性魔法を、夫と子供へ必死にかけ続けました。
けれど、傷が塞がらず、血も止まらない。
夫も子供も苦しそうにしているのです。
「どうして!?何がいけないの!?」
私はありったけの魔力を振り絞りました。
全身に痛みが走ります。
魔力を限界以上に出しているので、体が悲鳴を上げているのでしょう。
それでも、夫も子供も絶対に死なせたくない。
せめて、命だけはつなぎ止めたい。
そういう思いでいっぱいでした。
聖処女神エリューシオン様。
私はどうなってもいい。
だからどうか、どうかこの二人だけは――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
激しい痛みの中で、私は昔のことを思い出していました。
かつて、私は貴族の家に生まれました。
あれは六歳のときでした。
私は、聖処女神エリューシオン様から聖女となる資格を認めていただいたのです。
そのことに、両親は大喜びでした。
「我が家から聖女が出るなんて!」
「きっと立派な聖女になるわ!」
幼かった私も、当然その気になりました。
聖女。
それは特別な存在。
いずれは一国の王子様に見初められ、王族の一員になることだってある。
そんな話も聞きました。
幼い私は夢を見ました。
綺麗な服を着て、立派なお城に住んで、皆から敬われる。
そして、ずっと意地悪をしてきた姉を見返してやるのです。
「お姉様。あなたより、私の方がずっと立派でしょう?」
そんなことを考えていました。
今思えば、ずいぶん嫌な子供ですね。
ですが当時の私は、本気だったのです。
聖女に認定されてから、姉の嫌がらせはより激しくなりました。
それに耐えられなくなった私は早々に実家を出て、エリューシオン教会へ入ったのでした。
そして、正式に聖女としての修行を始めたのです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
聖女は皆、最初は初級聖女から始まります。
一定の修行を行い、認められれば中級聖女へと進みます。
中級聖女になれば、各国からの依頼や本人の希望に合わせて、聖女として派遣される資格を得ます。
その上には上級聖女もいますが、そこまで到達できる方はかなり少ないそうです。
私はもちろん、すぐに中級へ上がれるものだと思っていました。
貴族の娘です。
幼いころから文字も読めました。
礼儀作法も学んでいました。
聖女としても六歳で認められました。
きっと他の子より有利なはず。
……そう思っていたのですが、現実はまったく違いました。
「また駄目だった……」
私は何度修行を受けても、中級聖女へ上がれませんでした。
あとから教会へやってきた平民の少女。
孤児の少女。
私より何歳も年下の子。
そんな子たちが次々と中級聖女へ上がっていきます。
「お姉様!私、今度、中級聖女になりました!」
こんな私をお姉様と慕ってくれる、とてもかわいい少女が、私に残酷な報告をしてくる。
私は精一杯の笑顔で、
「まあ。おめでとう」
何も知らない少女は、笑顔で、
「ありがとうございます!」
そんな少女を私は、必死の笑顔で送り出しました。
でも胸の中はぐちゃぐちゃでした。
どうして?
どうして私は駄目なの?
その思いが消えることはありませんでした。
もちろん、神官様たちも何も教えてくれなかったわけではありません。
修行の後、何度かこんなことを言われました。
「あなたの聖属性魔法は、決して劣っているわけではありませんよ」
「では、どうして中級聖女になれないのでしょうか?」
「魔法を使うとき、もっと相手のことを考えてみましょう」
「……相手のこと、ですか?」
「ええ。傷を治すだけでなく、その方が何に苦しんでいるのか、何を必要としているのか。そういうことです」
私はうなずきました。
もちろん、患者さんの傷はきちんと治しています。
痛みを取り除くようにも心がけていました。
それなのに、どうして駄目なのでしょう。
結局、その言葉の意味を私は理解できませんでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
毎朝、私たちは広間へ集まりました。
そこで大聖女様が読み上げる祈りの言葉を聞き、聖処女神エリューシオン様への信仰を深めるのです。
祈りの言葉はとても長いもので、全部覚える必要はないと言われていました。
ですが、私は必死になって一字一句覚えました。
何日も、何か月も、何年もかけて、ついに全文を暗唱できるようになりました。
すべての聖女の頂点に立つ大聖女様が教会にいらっしゃったとき、そのことで私を褒めてくださいました。
「よく覚えましたね」
私は嬉しかった。
これなら今度こそと、そう思いました。
ですが、また駄目でした。
一方。
祈りの言葉を半分も覚えていない十二歳や十三歳の少女たちが、次々と中級聖女へ上がっていきます。
そして国からの依頼を受け、聖女として派遣されていきました。
いいなあ。
私も行きたい。
聖女として国を救ってみたい。
大勢の人から感謝されたい。
そうしたら、王子様にだって愛の言葉をかけてもらえるかもしれない……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
気がつけば私は二十歳を超えていました。
それでも初級聖女のまま。
実家から届く手紙も、だんだん少なくなりました。
たまに届いたと思えば、姉が子爵家を継ぎ、婿を迎え、領地経営もまずまず順調だという知らせ。
両親は嬉しそうでした。
「お姉様、立派になったのね」
私は一人で、そう呟きました。
昔はあれほど姉を見返したかったのに、気がつけば姉の方がずっと立派になっていました。
私、何してるんだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二十五歳の誕生日。
お世話係の神官様から声をかけられました。
「そろそろ今後のことを考えてもよいかもしれませんね」
穏やかな言い方でした。
誰も私を責めません。
誰も。
「落ちこぼれ」
なんて言いません。
教会の外では、二十歳を過ぎても初級のままでいる私を、そう呼ぶ者もいたようです。
ですが、教会の皆さんは優しかった。
年下の聖女たちも、
「お姉様」
と慕ってくれました。
だからこそ辛かった。
だってみんな前へ進んでいるのです。
私だけずっと、同じ場所に立ったまま。
ちょうどそのころ、十年前に他国へ派遣されていた聖女が帰ってきました。
私より一つ年下の子です。
十四歳で中級聖女となり、十年間の派遣を終えて戻ってきたのでした。
私を見つけると嬉しそうに帰ってきた報告をし、そして、
「お姉様、私、結婚することになったんです!」
というのです。
とても幸せそうな顔でした。
「まあ」
私はそう返事するしかありませんでした。
「相手は幼なじみなんです。私をずっと待っていてくれたみたいで」
「それは良かったわね」
私は笑いました。
本当に良かったと思いました。
でもその夜、一人で泣きました。
私は二十五歳。
ずっと修行をして、ずっと祈って、ずっと頑張って、それでも初級聖女のまま。
大勢の人を救う立派な聖女になる。
王子様と結婚する。
姉を見返す。
幼いころに思い描いた夢は、一つもかなっていませんでした。
翌日、神官様へ言いました。
「私、聖女、辞めます」
「え?」
「教会も出ます」
神官様は驚いていました。
「急いで決める必要はありませんよ」
「いいえ」
私は笑いました。
「ずっと考えていましたから」
神官様は少し寂しそうな顔をしました。
「……そうですか。でも、あなたがここで学んだことまで、無駄になるわけではありませんよ」
「はい。ありがとうございます」
実家にも戻るつもりはありません。
幸い、世の中には治癒士という仕事があります。
私は聖女としては落ちこぼれでも、簡単な傷を治すくらいならできます。
冒険者ギルドで登録をすれば、食べていくことくらいはできるでしょう。
そして私は本当に教会を出ました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから何年も経ちました。
私は少し大きな町にある治癒院で働いています。
治癒士は私を含めて五人。
剣で切った傷。
転んで折れた骨。
魔物に噛まれた傷。
そうした怪我を中心に治療します。
それくらいなら私でも十分に役に立てました。
「ありがとう!」
「助かったよ!」
そう言われるたび、少しだけ嬉しくなりました。
最初のころは、治療がうまくいくたびに、昔のことを思い出していました。
これだけ治せるのに、どうして中級聖女になれなかったんだろう。
そんな思いが、胸をよぎることもありました。
けれど、毎日怪我人を治療していると、それどころではなくなります。
ある日、魔物に襲われた若い冒険者が運び込まれました。
幸い、傷はそれほど深くありません。
私が治療を終えても、彼は青ざめた顔で震えていました。
「……また魔物に襲われたら、どうしよう」
私は少し考えて、彼の手を握りました。
「怖かったんですね」
彼は小さくうなずきました。
「でも、もう大丈夫ですよ。傷は治りましたから。今日はゆっくり休んでくださいね」
しばらくして、彼はようやく笑ってくれました。
「……ありがとう」
私はその笑顔を見て、少し嬉しくなりました。
聖女様と呼ばれなくても、人を助けることはできる。
傷を治すだけでなく、安心してもらうことだってできる。
そんな当たり前のことを、私はずいぶん遅くなってから知りました。
そして私にも良い人ができました。
町の兵士です。
魔物に襲われたとき、助けてもらったのがきっかけでした。
……我ながらチョロいですね。
でも、好きになってしまったものは仕方ありません。
彼は私がかつて聖女だったことを知っても、特に態度を変えませんでした。
「今だって人を助けているんだから、立派な仕事じゃないか」
そう言って笑ってくれました。
私たちは結婚しました。
やがて子供も生まれました。
治癒士という仕事は、妊娠中でも子供が小さくても、無理をしなければ続けられます。
なんて女性に優しい仕事なのでしょう。
私は幸せでした。
ある日、治癒院での仕事を終え、家へ帰ったときのことです。
「おかあさま!」
子供が駆け寄ってきました。
「まあ、どうしたの?」
「おとうさまがね、おりょうりつくってるの!」
見ると、台所では夫が鍋をかき混ぜていました。
「おかえり。今日は忙しかっただろう?」
「ええ。でも、あなたもお疲れでしょう?」
「俺は今日は早く帰れたからな。たまには任せてくれよ」
私は思わず笑ってしまいました。
昔、夢見ていたような王子様も、お城も、豪華な服もありません。
でも、朝起きれば夫がいて、子供が笑って。
仕事へ行けば、治療を待つ人たちがいる。
疲れて帰れば、こうして迎えてくれる家族がいる。
それだけで十分でした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そんなある日、事件が起きました。
町の外に大量の魔物が発生したのです。
近年では見られないほどの数。
町の兵士たちは警備と討伐に分かれました。
夫も、毎日のように町の外へ向かいました。
そして、毎日のように怪我をした兵士たちが治癒院へ運ばれてきます。
「次!」
「はい!」
私も必死で治療しました。
なんとか町は守られています。
ですが、怪我人は増える一方でした。
治療を終えた兵士が、翌日にはまた怪我をして運ばれてくることもあります。
このままでは、いつまで持つか分かりません。
領主様はエリューシオン教会へ、緊急の聖女派遣を依頼したそうです。
どきん。
聖女。
その言葉を聞いただけで胸が痛みました。
聖女が来る。
中級聖女。
私が何年かかってもなれなかったもの。
手が震えました。
「どうした?」
夫が心配そうに私の顔を覗き込みます。
「なんでもないわ」
「顔、真っ青だぞ?」
「大丈夫」
大丈夫。
私はもう聖女ではない。
関係ない。
そう言い聞かせました。
ですが、しばらくして領主様から知らせがありました。
「申し訳ない。教会も各地への対応で手いっぱいらしい。こちらへ派遣できる聖女はいないそうだ」
皆、落胆しました。
でも私だけは、心の底から安心してしまいました。
最低ですね。
町が危ないのに。
大勢の人が怪我をして、苦しんでいるのに。
私は聖女が来ないことを喜んでしまったのです。
……二十年以上経っても、こんな自分が残っているんですね。
私は自分が嫌になりました。
けれど、目の前には治療を待っている人たちがいます。
今は、そんなことを考えている場合ではありません。
私は再び、患者たちの治療に戻りました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから一週間ほど経ったころ。
ついに魔物の一部が町の中へ侵入しました。
「治癒士!」
「怪我人だ!」
治癒院へ次々と人が運ばれてきます。
私も必死に走り回りました。
そんなとき、一人の兵士が青ざめた顔で私のところへやってきました。
「……すまない」
「え?」
「ご主人と……お子さんが」
頭が真っ白になりました。
夫はたまたま非番で、子供と一緒にいたそうです。
そこへ魔物が侵入した。
夫は子供を庇い、そして二人とも瀕死の重傷を負いました。
「残念だが……」
兵士は言葉を詰まらせます。
「助からないと思う」
「……」
私は走りました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「聖処女神エリューシオン様、どうかご慈悲を与えたまえ!!」
夫。
子供。
血。
傷。
息が弱い。
「だめ!私の魔力では足りない。やはり私は、落ちこぼれ聖女なんだわ!」
治らない。
傷が塞がらない。
「どうして!?何がいけないの!?」
昔、何度も何度も唱えた祈り。
覚えた言葉。
修行。
全部使いました。
でも足りない。
「お願い……」
私はありったけの魔力を二人へ注ぎ込みました。
「お願いだから……」
夫の呼吸が、かすかに続いています。
子供の小さな胸も、まだ上下している。
私の魔法では、完全に傷を治すことはできません。
けれど、今は少しでも血を止めたい。
少しでも痛みを和らげたい。
二人の命をつなぎ止めたい。
私はもう、なぜ自分が中級聖女になれなかったのかなんて、考えていませんでした。
私なんてどうなってもいい。
王子様なんていらない。
聖女なんて呼ばれなくていい。
姉に勝たなくてもいい。
中級聖女になれなくてもいい。
何もいらない。
だから、この二人だけはどうか生きて。
もう一度、夫の笑顔が見たい。
もう一度、子供を抱きしめたい。
ただ、それだけなのです。
「お願い……生きて……」
魔力を使いすぎたのでしょう。
意識が遠のいていきます。
それでも、私は魔法を使う手を止めませんでした。
聖処女神エリューシオン様。
どうか。
どうか、この二人だけは――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
気がつくと、私は夢を見ていました。
まだ教会へ入ったばかりのころの私。
聖女だから私は特別。
いつか王子様と結婚する。
綺麗な服を着る。
姉を見返す。
みんなから羨ましがられる。
……。
馬鹿だった。
傲慢だった。
今なら分かります。
そんなもの、どうでもいい。
夫と子供が無事なら、それでいい。
「そう」
声がしました。
「ようやく、分かったのですね」
「……?」
優しい女性の声。
「聖女という肩書よりも、大切なものがあることを」
「……」
「まあ」
少し呆れたようにも聞こえました。
「今回はご主人とお子さんですから、ずいぶん身内ですけど」
「……」
「でも、あなたはこの町でも、何年も人を助けてきましたね」
声の主は笑いました。
「怪我をした兵士たちを治し、冒険者たちを励まして。誰に褒められるわけでもなく、毎日頑張っていた」
「……」
「昔のあなたよりは、ずっとマシになりましたね」
「……誰?」
「それに」
その人は言いました。
「あなたが諦めずに魔法を使い続けてくれたから、間に合いましたよ」
「……え?」
「二人とも、まだ生きています」
その言葉を聞いた瞬間、私は必死にその声の主に尋ねました。
「助かるんですか!?」
「ええ。大丈夫ですよ」
「本当に!?」
「本当です」
私は泣きそうになりました。
その優しい声が、再び聞こえました。
「よく頑張りましたね」
その言葉を最後に、再び意識が遠のいていきました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私はゆっくりと目を開けました。
そこに一人の女性がいました。
聖女の服。
絶世の美貌と黒髪。
微笑む顔。
そして圧倒的な聖属性の魔力。
この方の顔は、どこかで見たことがあります。
でも、まさか。
「……え?」
私は瞬きをしました。
「大聖女様?」
「はい」
「……」
おかしい。
私が教会にいたころ、この方を何度も見ました。
その後、大聖女様は旅へ出られたと聞いています。
あれから何十年も経ったはず。
なのに、まったく歳を取っていません。
むしろ、どう見ても十六、七歳。
……。
美魔女?
いえ、美魔女で済ませてよいのでしょうか、これ。
「大聖女様……?」
「はい?」
「お若いですね」
「ありがとうございます」
「そういう意味ではなく」
「あら」
大聖女様は笑いました。
私はそこで我に返りました。
「夫は!?」
「大丈夫ですよ」
「子供は!?」
「大丈夫です」
「本当に!?」
「ええ」
大聖女様は当たり前のように言いました。
「治しておきました」
「……」
「あなたが必死に命をつないでくれていましたからね。二人とも、ちゃんと助かりましたよ」
「……!」
私は思わず涙ぐみました。
よかった。
本当に、よかった。
「それと、町へ入った魔物も、外にいた魔物も全部討伐しておきました」
「……」
「ですから」
大聖女様は微笑みました。
「安心して、もう少し寝ていなさい」
「……」
情報が多すぎます。
「え、全部?」
「全部です」
「魔物も?」
「はい」
「大聖女様お一人で?」
「そうですよ」
……。
「そういえば、大聖女様はどうしてこちらに?」
「旅の途中で魔物の騒ぎを聞きましてね。少し寄り道をしたんです」
「……寄り道?」
「ええ。教会からの派遣とは別ですよ」
そうですか。
寄り道で魔物を全部倒したんですか。
……。
私はもう一度気を失いました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次に目を覚ましたとき、隣には夫と子供がいました。
二人とも生きている。
夫は包帯こそしていましたが、笑っていました。
「おはよう」
「……」
「おい?」
私は夫へ抱きつきました。
「わっ!」
そのまま泣きました。
子供も抱きしめました。
「おかあさま?」
「よかった……本当によかった……!」
子供は不思議そうに私を見上げています。
そして、小さな手で私の背中をなでてくれました。
「おかあさま、いたくない?」
「……ええ。もう大丈夫よ」
私は二人を抱きしめたまま、しばらく離れることができませんでした。
生きてる。
本当にそれだけで良かった。
あとから聞いた話では、大聖女様は本当に町の周辺にいた魔物をすべて倒したそうです。
「いや」
夫が言いました。
「俺も同僚から聞いたんだけど」
「うん」
「一瞬だったらしいぞ」
「何が?」
「戦い」
「……」
「大聖女様が剣を抜いたと思ったら、魔物が何匹も倒れて」
「……」
「そのあと魔法も使って」
「……」
「気づいたら全部終わってたって」
「……」
夫が不思議そうな顔をしました。
「聖女って、そんなに強いものなのか?」
「……」
私は少し考えました。
「たぶん、違うと思う」
「だよなあ」
私もあんな聖女は、大聖女様以外知りません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後。
大聖女様が私のところへ来ました。
「体調はどうです?」
「もう大丈夫です」
「そう。良かったわ」
私は頭を下げました。
「あの」
「はい?」
「私のこと」
「はい」
「覚えていてくださったんですね」
大聖女様はきょとんとしました。
そして、すぐに笑いました。
「当たり前でしょう?」
「……」
「あなたは、私の可愛い娘の一人なんですから」
「……」
大聖女様はすべての聖女の頂点に立つお方。
大聖女様から見たら、聖女はみな可愛い娘だと、そういう意味なのだと思います。
ですが、見た目十六、七歳の少女が、いい歳をした私へ、
「可愛い娘」
と言っているのです。
違和感すごいですね。
「それと」
大聖女様が続けました。
「あなた、ずっと勘違いしていましたね」
「何をですか?」
「中級聖女になれなかった理由です」
私は胸が痛みました。
「……魔力が足りなかったからですか?」
「違いますよ」
「え?」
「あなたの聖属性魔法の力は、十分ありました」
「……」
「え?」
私は間の抜けた声を出しました。
「でも」
「はい」
「何度も試験に落ちて」
「そうですね」
「年下の子がどんどん中級になって」
「そうでしたね」
「私だけ」
「はい」
「二十五歳まで!」
「そうですねえ」
「じゃあ、何だったんですか!?」
思わず大声を出してしまいました。
大聖女様は苦笑しました。
「あなた」
「はい」
「ずっと、自分のことばかり考えていましたから」
「……」
「聖女になれば王子様と結婚できる」
「お姉様を見返せる」
「皆から尊敬される」
「他国へ派遣されて活躍できる」
全部その通りでした。
「祈りの言葉も」
「……」
「一生懸命覚えましたね」
「はい」
「でも」
「……」
「なぜ覚えたのです?」
私は答えられませんでした。
中級聖女になるため。
大聖女様に褒められるため。
他の子に負けないため。
全部、自分のため。
「聖女は」
大聖女様は静かに言いました。
「祈りの言葉をたくさん覚えた者ではありません」
「……」
「強い魔力を持つ者でもありません」
「……」
「人を救う力を、その人のために使える者です」
私は俯きました。
「もちろん、自分の幸せを願うことが悪いわけではありませんよ」
「……え?」
「王子様と結婚したいと思っても、立派な聖女になりたいと思っても、それ自体は悪いことではありません」
「……」
「でも、あなたはいつの間にか、聖女になることばかりを考えるようになってしまった」
大聖女様は私を見つめました。
「目の前にいる人を救うことより、聖女として認められることが大切になってしまったのですね」
「……」
私は何も言えませんでした。
「神官たちも、何度も助言したはずですよ」
思い出しました。
もっと相手のことを考えてみましょう。
何に苦しんでいるのか、何を必要としているのか。
確かに、何度もそう言われていました。
でも私は、傷を治しているのだから、それで十分だと思っていました。
「……そうでした」
「ただ、私たちも、もっと分かりやすく伝えるべきだったのでしょうね」
大聖女様は少しだけ申し訳なさそうに笑いました。
「あなたが長く苦しんでいたことも、事実ですから」
「……」
「でも」
大聖女様が続けました。
「あなたは教会を出てから、ずいぶん変わりましたね」
「私が、ですか?」
「ええ。治癒院でのあなたの働きについても聞きました」
「……」
「毎日怪我人を治して、患者さんの不安を和らげて。誰かに認めてもらうためではなく、その人が元気になることを願っていた」
そう言われて、私は治癒院での日々を思い出しました。
怪我をして泣いていた子供。
魔物を怖がっていた冒険者。
戦いから戻ってきた兵士。
私の魔法で、少しでも安心してくれた人たち。
「あなたは、聖女という肩書を手放してから、少しずつ聖女にとって大切なことを学んでいたのですよ」
「……」
「だから、今回のことも」
大聖女様は笑いました。
「あなたがご主人とお子さんを救おうとしていた姿を見て、私は嬉しかったのです」
「でも、私の魔法では助けられませんでした」
「いいえ」
大聖女様は首を横に振りました。
「あなたが諦めずに魔法を使い続けたおかげで、二人の命はつながっていました」
「……!」
「治療が間に合ったのは、あなたのおかげでもあるんですよ」
私は俯きました。
いつの間にか、涙がこぼれていました。
「だから」
大聖女様が笑います。
「今回、ようやく合格です」
「……合格?」
え、では。
「大聖女様?」
「何でしょう?」
「もしかして、私、中級聖女になれるんですか……?」
大聖女様はにっこりしました。
「まだ仮合格ですけど」
「仮合格!?」
大聖女様が楽しそうに言います。
「あなたを仮にですが、中級聖女として認めましょう」
「……」
「そして」
「はい?」
「今からでも、聖女として他国へ派遣される資格がありますよ」
「……」
私は固まりました。
昔、何年も何年も欲しかった言葉。
中級聖女。
他国への派遣。
聖女としての活躍。
王族と知り合うことだってあるかもしれない。
二十五歳のころの私なら、泣いて喜んだでしょう。
「教会へ戻ることもできますし、希望があれば他国への派遣も手配できますよ」
「……」
「どうします?」
大聖女様が聞きました。
「行きたい国があれば、希望を聞きますよ」
私は少し考えました。
そして窓の外を見ました。
町。
治癒院。
そこで働く仲間。
兵士たち。
夫。
子供。
私の大切な人たち。
「昔の私なら」
「はい?」
「きっと、喜んで行ったと思います」
「……」
「立派な国へ派遣されて。聖女様と呼ばれて。もしかしたら王子様に見初められるかもって」
「そうですね」
「でも」
私は笑いました。
「もう、いいんです。ここに」
私は夫と子供を見ました。
「私が助けたい人たちがいますから」
それに、この町にはまだ、怪我が治っていない人たちがいます。
魔物の襲撃で家を失った人もいるでしょう。
治癒院の仲間たちだって、これから忙しくなるはずです。
今まで一緒に頑張ってきた人たちを、置いていきたくありません。
「もちろん、他国で苦しんでいる人たちを助けるのも、立派なお仕事だと思います」
「ええ」
「でも、私はこの町で治癒士を続けたいんです」
大聖女様は何も言いませんでした。
ただ、しばらく私を見ていました。
そして、にっこり笑います。
「はい」
「……?」
「今ので、本当に合格です」
「……え?」
「おめでとうございます。中級聖女です」
「えええええ!?」
私は思わず叫びました。
「じゃ、じゃあ、さっきの仮合格って!」
「仮は仮です」
「なんで!?」
「だって」
大聖女様は悪びれもせず言いました。
「あなた、昔から肩書に弱かったでしょう?」
「……」
「中級聖女になれたと聞いた途端、『では王都へ!』『王子様のいる国へ!』なんて言い出したら、まだ心配ですもの」
「……」
「でも」
大聖女様は笑います。
「ちゃんと、自分で考えて決めましたね」
「……」
「もちろん、本当に人々を助けたいと思って他国へ行くのであれば、それでも良かったのですよ」
「え?」
「大切なのは、どこへ行くかではありません。何のために行くか、ですから」
「……」
「あなたは今、自分が何を大切にしたいのか、きちんと分かっている」
大聖女様は優しく微笑みました。
「今度こそ」
「……」
「本当に、合格です。よく出来ました」
私はしばらく何も言えませんでした。
そして一言。
「二十年以上かかったんですけど」
「長かったですねえ」
「知ってたんですよね!?」
「もちろん」
「教えてくださいよ!!」
「神官たちも、ずいぶん頑張って教えていたと思いますよ?」
「……」
それは、そうかもしれません。
でも。
「それでも、もう少し何とかならなかったんですか!?」
「そうですねえ。そこは、私たちも反省しないといけませんね」
大聖女様は穏やかに答えました。
……。
あれ?
なんだか、うまくかわされた気がします。
「でも、最後は自分で気づけましたね」
そう言って、大聖女様は嬉しそうに笑いました。
ひどい。
大聖女様。
思っていたより、ずっと手ごわい人です。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大聖女様はその日のうちに、また旅へ出ることになりました。
「大聖女様」
「何です?」
最後に私は、どうしても気になっていたことを聞きました。
「おいくつなんですか?」
「……」
「私が子供のころから、まったく変わってませんよね?」
「女性に年齢を聞くものではありませんよ」
「いや、そういう問題ではない気がします!」
大聖女様は答えてくれませんでした。
ただ笑って、手を振って去っていきました。
夫が隣で首をかしげています。
「あの人、本当に何者なんだ?」
「……大聖女様よ」
「いや、それは聞いた」
「……」
私は遠ざかっていく背中を見ました。
「私も、それ以上は知らないわ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、私はこの町で治癒士を続けています。
中級聖女になったからといって、急に暮らしが変わったわけではありません。
朝起きて、夫と子供に朝食を作って、治癒院へ行って、怪我をした人を治療する。
ときどき、少し強い聖属性魔法も使うようになりました。
「あれ?」
「どうした?」
「昔より、ずっと上手く使える気がする」
「中級聖女になったからじゃないか?」
「そんな急に?」
よく分かりません。
でも、一つだけ分かったことがあります。
私はずっと、聖女になれば幸せになれると思っていました。
違いました。
聖女でなくても、私は幸せになれたのです。
王子様も、お城も、豪華な暮らしもありません。
でも私には、守りたい人がいて、帰る場所があります。
そして、助けを必要としている人たちがいます。
聖女という肩書がなくても、その人たちのためにできることはあったのです。
それに気づいたとき、私はようやく、聖女にとって大切なことを理解できたのでしょう。
二十年以上もかかってしまいましたけれど。
……本当に、長かったですね。
それでも、今はこう思います。
あの長い修行の日々も、教会を出て治癒士になったことも、決して無駄ではなかったのだと。
そして今日も、私は目の前の患者へ手をかざします。
「大丈夫ですよ。すぐ治しますからね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作に登場した、なぜか何十年経っても姿の変わらない大聖女。
「この人、もしかして……」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
彼女については、シリーズ本編第2作、第4作でも描かれております。本作単体でも問題なくお読みいただけますが、興味を持っていただけましたら、ぜひそちらもご覧ください。
また、本作における聖女は「魔力が強いから聖女になる」という設定ではありません。
初級聖女から中級聖女へと認められることで、聖処女神エリューシオンとのつながりがより強くなり、それまで以上に強い聖属性魔法を扱えるようになります。
そのため、本作の主人公も中級聖女となったあと、以前より聖属性魔法を使いやすくなっています。




