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「落ちこぼれ聖女」と呼ばれ続けた私ですが、二十年以上かけてようやく中級聖女になれたようです

掲載日:2026/08/21

「聖処女神エリューシオン様、どうかご慈悲を与えたまえ!!」


目の前では、夫が血まみれで倒れていました。


腕と足はひどく損傷し、そのすぐそばには、まだ幼い我が子まで倒れています。


「だめ!私の魔力では足りない。やはり私は、落ちこぼれ聖女なんだわ!」


私は六歳のころから聖女でした。


そして聖女になってからずっと唱えてきた聖属性魔法を、夫と子供へ必死にかけ続けました。


けれど、傷が塞がらず、血も止まらない。


夫も子供も苦しそうにしているのです。


「どうして!?何がいけないの!?」


私はありったけの魔力を振り絞りました。


全身に痛みが走ります。


魔力を限界以上に出しているので、体が悲鳴を上げているのでしょう。


それでも、夫も子供も絶対に死なせたくない。


せめて、命だけはつなぎ止めたい。


そういう思いでいっぱいでした。


聖処女神エリューシオン様。


私はどうなってもいい。


だからどうか、どうかこの二人だけは――。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


激しい痛みの中で、私は昔のことを思い出していました。


かつて、私は貴族の家に生まれました。


あれは六歳のときでした。


私は、聖処女神エリューシオン様から聖女となる資格を認めていただいたのです。


そのことに、両親は大喜びでした。


「我が家から聖女が出るなんて!」


「きっと立派な聖女になるわ!」


幼かった私も、当然その気になりました。


聖女。


それは特別な存在。


いずれは一国の王子様に見初められ、王族の一員になることだってある。


そんな話も聞きました。


幼い私は夢を見ました。


綺麗な服を着て、立派なお城に住んで、皆から敬われる。


そして、ずっと意地悪をしてきた姉を見返してやるのです。


「お姉様。あなたより、私の方がずっと立派でしょう?」


そんなことを考えていました。


今思えば、ずいぶん嫌な子供ですね。


ですが当時の私は、本気だったのです。


聖女に認定されてから、姉の嫌がらせはより激しくなりました。


それに耐えられなくなった私は早々に実家を出て、エリューシオン教会へ入ったのでした。


そして、正式に聖女としての修行を始めたのです。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


聖女は皆、最初は初級聖女から始まります。


一定の修行を行い、認められれば中級聖女へと進みます。


中級聖女になれば、各国からの依頼や本人の希望に合わせて、聖女として派遣される資格を得ます。


その上には上級聖女もいますが、そこまで到達できる方はかなり少ないそうです。


私はもちろん、すぐに中級へ上がれるものだと思っていました。


貴族の娘です。


幼いころから文字も読めました。


礼儀作法も学んでいました。


聖女としても六歳で認められました。


きっと他の子より有利なはず。


……そう思っていたのですが、現実はまったく違いました。


「また駄目だった……」


私は何度修行を受けても、中級聖女へ上がれませんでした。


あとから教会へやってきた平民の少女。


孤児の少女。


私より何歳も年下の子。


そんな子たちが次々と中級聖女へ上がっていきます。


「お姉様!私、今度、中級聖女になりました!」


こんな私をお姉様と慕ってくれる、とてもかわいい少女が、私に残酷な報告をしてくる。


私は精一杯の笑顔で、


「まあ。おめでとう」


何も知らない少女は、笑顔で、


「ありがとうございます!」


そんな少女を私は、必死の笑顔で送り出しました。


でも胸の中はぐちゃぐちゃでした。


どうして?


どうして私は駄目なの?


その思いが消えることはありませんでした。


もちろん、神官様たちも何も教えてくれなかったわけではありません。


修行の後、何度かこんなことを言われました。


「あなたの聖属性魔法は、決して劣っているわけではありませんよ」


「では、どうして中級聖女になれないのでしょうか?」


「魔法を使うとき、もっと相手のことを考えてみましょう」


「……相手のこと、ですか?」


「ええ。傷を治すだけでなく、その方が何に苦しんでいるのか、何を必要としているのか。そういうことです」


私はうなずきました。


もちろん、患者さんの傷はきちんと治しています。


痛みを取り除くようにも心がけていました。


それなのに、どうして駄目なのでしょう。


結局、その言葉の意味を私は理解できませんでした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


毎朝、私たちは広間へ集まりました。


そこで大聖女様が読み上げる祈りの言葉を聞き、聖処女神エリューシオン様への信仰を深めるのです。


祈りの言葉はとても長いもので、全部覚える必要はないと言われていました。


ですが、私は必死になって一字一句覚えました。


何日も、何か月も、何年もかけて、ついに全文を暗唱できるようになりました。


すべての聖女の頂点に立つ大聖女様が教会にいらっしゃったとき、そのことで私を褒めてくださいました。


「よく覚えましたね」


私は嬉しかった。


これなら今度こそと、そう思いました。


ですが、また駄目でした。


一方。


祈りの言葉を半分も覚えていない十二歳や十三歳の少女たちが、次々と中級聖女へ上がっていきます。


そして国からの依頼を受け、聖女として派遣されていきました。


いいなあ。


私も行きたい。


聖女として国を救ってみたい。


大勢の人から感謝されたい。


そうしたら、王子様にだって愛の言葉をかけてもらえるかもしれない……。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


気がつけば私は二十歳を超えていました。


それでも初級聖女のまま。


実家から届く手紙も、だんだん少なくなりました。


たまに届いたと思えば、姉が子爵家を継ぎ、婿を迎え、領地経営もまずまず順調だという知らせ。


両親は嬉しそうでした。


「お姉様、立派になったのね」


私は一人で、そう呟きました。


昔はあれほど姉を見返したかったのに、気がつけば姉の方がずっと立派になっていました。


私、何してるんだろう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


二十五歳の誕生日。


お世話係の神官様から声をかけられました。


「そろそろ今後のことを考えてもよいかもしれませんね」


穏やかな言い方でした。


誰も私を責めません。


誰も。


「落ちこぼれ」


なんて言いません。


教会の外では、二十歳を過ぎても初級のままでいる私を、そう呼ぶ者もいたようです。


ですが、教会の皆さんは優しかった。


年下の聖女たちも、


「お姉様」


と慕ってくれました。


だからこそ辛かった。


だってみんな前へ進んでいるのです。


私だけずっと、同じ場所に立ったまま。


ちょうどそのころ、十年前に他国へ派遣されていた聖女が帰ってきました。


私より一つ年下の子です。


十四歳で中級聖女となり、十年間の派遣を終えて戻ってきたのでした。


私を見つけると嬉しそうに帰ってきた報告をし、そして、


「お姉様、私、結婚することになったんです!」


というのです。


とても幸せそうな顔でした。


「まあ」


私はそう返事するしかありませんでした。


「相手は幼なじみなんです。私をずっと待っていてくれたみたいで」


「それは良かったわね」


私は笑いました。


本当に良かったと思いました。


でもその夜、一人で泣きました。


私は二十五歳。


ずっと修行をして、ずっと祈って、ずっと頑張って、それでも初級聖女のまま。


大勢の人を救う立派な聖女になる。


王子様と結婚する。


姉を見返す。


幼いころに思い描いた夢は、一つもかなっていませんでした。


翌日、神官様へ言いました。


「私、聖女、辞めます」


「え?」


「教会も出ます」


神官様は驚いていました。


「急いで決める必要はありませんよ」


「いいえ」


私は笑いました。


「ずっと考えていましたから」


神官様は少し寂しそうな顔をしました。


「……そうですか。でも、あなたがここで学んだことまで、無駄になるわけではありませんよ」


「はい。ありがとうございます」


実家にも戻るつもりはありません。


幸い、世の中には治癒士という仕事があります。


私は聖女としては落ちこぼれでも、簡単な傷を治すくらいならできます。


冒険者ギルドで登録をすれば、食べていくことくらいはできるでしょう。


そして私は本当に教会を出ました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それから何年も経ちました。


私は少し大きな町にある治癒院で働いています。


治癒士は私を含めて五人。


剣で切った傷。


転んで折れた骨。


魔物に噛まれた傷。


そうした怪我を中心に治療します。


それくらいなら私でも十分に役に立てました。


「ありがとう!」


「助かったよ!」


そう言われるたび、少しだけ嬉しくなりました。


最初のころは、治療がうまくいくたびに、昔のことを思い出していました。


これだけ治せるのに、どうして中級聖女になれなかったんだろう。


そんな思いが、胸をよぎることもありました。


けれど、毎日怪我人を治療していると、それどころではなくなります。


ある日、魔物に襲われた若い冒険者が運び込まれました。


幸い、傷はそれほど深くありません。


私が治療を終えても、彼は青ざめた顔で震えていました。


「……また魔物に襲われたら、どうしよう」


私は少し考えて、彼の手を握りました。


「怖かったんですね」


彼は小さくうなずきました。


「でも、もう大丈夫ですよ。傷は治りましたから。今日はゆっくり休んでくださいね」


しばらくして、彼はようやく笑ってくれました。


「……ありがとう」


私はその笑顔を見て、少し嬉しくなりました。


聖女様と呼ばれなくても、人を助けることはできる。


傷を治すだけでなく、安心してもらうことだってできる。


そんな当たり前のことを、私はずいぶん遅くなってから知りました。


そして私にも良い人ができました。


町の兵士です。


魔物に襲われたとき、助けてもらったのがきっかけでした。


……我ながらチョロいですね。


でも、好きになってしまったものは仕方ありません。


彼は私がかつて聖女だったことを知っても、特に態度を変えませんでした。


「今だって人を助けているんだから、立派な仕事じゃないか」


そう言って笑ってくれました。


私たちは結婚しました。


やがて子供も生まれました。


治癒士という仕事は、妊娠中でも子供が小さくても、無理をしなければ続けられます。


なんて女性に優しい仕事なのでしょう。


私は幸せでした。


ある日、治癒院での仕事を終え、家へ帰ったときのことです。


「おかあさま!」


子供が駆け寄ってきました。


「まあ、どうしたの?」


「おとうさまがね、おりょうりつくってるの!」


見ると、台所では夫が鍋をかき混ぜていました。


「おかえり。今日は忙しかっただろう?」


「ええ。でも、あなたもお疲れでしょう?」


「俺は今日は早く帰れたからな。たまには任せてくれよ」


私は思わず笑ってしまいました。


昔、夢見ていたような王子様も、お城も、豪華な服もありません。


でも、朝起きれば夫がいて、子供が笑って。


仕事へ行けば、治療を待つ人たちがいる。


疲れて帰れば、こうして迎えてくれる家族がいる。


それだけで十分でした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


そんなある日、事件が起きました。


町の外に大量の魔物が発生したのです。


近年では見られないほどの数。


町の兵士たちは警備と討伐に分かれました。


夫も、毎日のように町の外へ向かいました。


そして、毎日のように怪我をした兵士たちが治癒院へ運ばれてきます。


「次!」


「はい!」


私も必死で治療しました。


なんとか町は守られています。


ですが、怪我人は増える一方でした。


治療を終えた兵士が、翌日にはまた怪我をして運ばれてくることもあります。


このままでは、いつまで持つか分かりません。


領主様はエリューシオン教会へ、緊急の聖女派遣を依頼したそうです。


どきん。


聖女。


その言葉を聞いただけで胸が痛みました。


聖女が来る。


中級聖女。


私が何年かかってもなれなかったもの。


手が震えました。


「どうした?」


夫が心配そうに私の顔を覗き込みます。


「なんでもないわ」


「顔、真っ青だぞ?」


「大丈夫」


大丈夫。


私はもう聖女ではない。


関係ない。


そう言い聞かせました。


ですが、しばらくして領主様から知らせがありました。


「申し訳ない。教会も各地への対応で手いっぱいらしい。こちらへ派遣できる聖女はいないそうだ」


皆、落胆しました。


でも私だけは、心の底から安心してしまいました。


最低ですね。


町が危ないのに。


大勢の人が怪我をして、苦しんでいるのに。


私は聖女が来ないことを喜んでしまったのです。


……二十年以上経っても、こんな自分が残っているんですね。


私は自分が嫌になりました。


けれど、目の前には治療を待っている人たちがいます。


今は、そんなことを考えている場合ではありません。


私は再び、患者たちの治療に戻りました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それから一週間ほど経ったころ。


ついに魔物の一部が町の中へ侵入しました。


「治癒士!」


「怪我人だ!」


治癒院へ次々と人が運ばれてきます。


私も必死に走り回りました。


そんなとき、一人の兵士が青ざめた顔で私のところへやってきました。


「……すまない」


「え?」


「ご主人と……お子さんが」


頭が真っ白になりました。


夫はたまたま非番で、子供と一緒にいたそうです。


そこへ魔物が侵入した。


夫は子供を庇い、そして二人とも瀕死の重傷を負いました。


「残念だが……」


兵士は言葉を詰まらせます。


「助からないと思う」


「……」


私は走りました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「聖処女神エリューシオン様、どうかご慈悲を与えたまえ!!」


夫。


子供。


血。


傷。


息が弱い。


「だめ!私の魔力では足りない。やはり私は、落ちこぼれ聖女なんだわ!」


治らない。


傷が塞がらない。


「どうして!?何がいけないの!?」


昔、何度も何度も唱えた祈り。


覚えた言葉。


修行。


全部使いました。


でも足りない。


「お願い……」


私はありったけの魔力を二人へ注ぎ込みました。


「お願いだから……」


夫の呼吸が、かすかに続いています。


子供の小さな胸も、まだ上下している。


私の魔法では、完全に傷を治すことはできません。


けれど、今は少しでも血を止めたい。


少しでも痛みを和らげたい。


二人の命をつなぎ止めたい。


私はもう、なぜ自分が中級聖女になれなかったのかなんて、考えていませんでした。


私なんてどうなってもいい。


王子様なんていらない。


聖女なんて呼ばれなくていい。


姉に勝たなくてもいい。


中級聖女になれなくてもいい。


何もいらない。


だから、この二人だけはどうか生きて。


もう一度、夫の笑顔が見たい。


もう一度、子供を抱きしめたい。


ただ、それだけなのです。


「お願い……生きて……」


魔力を使いすぎたのでしょう。


意識が遠のいていきます。


それでも、私は魔法を使う手を止めませんでした。


聖処女神エリューシオン様。


どうか。


どうか、この二人だけは――。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


気がつくと、私は夢を見ていました。


まだ教会へ入ったばかりのころの私。


聖女だから私は特別。


いつか王子様と結婚する。


綺麗な服を着る。


姉を見返す。


みんなから羨ましがられる。


……。


馬鹿だった。


傲慢だった。


今なら分かります。


そんなもの、どうでもいい。


夫と子供が無事なら、それでいい。


「そう」


声がしました。


「ようやく、分かったのですね」


「……?」


優しい女性の声。


「聖女という肩書よりも、大切なものがあることを」


「……」


「まあ」


少し呆れたようにも聞こえました。


「今回はご主人とお子さんですから、ずいぶん身内ですけど」


「……」


「でも、あなたはこの町でも、何年も人を助けてきましたね」


声の主は笑いました。


「怪我をした兵士たちを治し、冒険者たちを励まして。誰に褒められるわけでもなく、毎日頑張っていた」


「……」


「昔のあなたよりは、ずっとマシになりましたね」


「……誰?」


「それに」


その人は言いました。


「あなたが諦めずに魔法を使い続けてくれたから、間に合いましたよ」


「……え?」


「二人とも、まだ生きています」


その言葉を聞いた瞬間、私は必死にその声の主に尋ねました。


「助かるんですか!?」


「ええ。大丈夫ですよ」


「本当に!?」


「本当です」


私は泣きそうになりました。


その優しい声が、再び聞こえました。


「よく頑張りましたね」


その言葉を最後に、再び意識が遠のいていきました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


私はゆっくりと目を開けました。


そこに一人の女性がいました。


聖女の服。


絶世の美貌と黒髪。


微笑む顔。


そして圧倒的な聖属性の魔力。


この方の顔は、どこかで見たことがあります。


でも、まさか。


「……え?」


私は瞬きをしました。


「大聖女様?」


「はい」


「……」


おかしい。


私が教会にいたころ、この方を何度も見ました。


その後、大聖女様は旅へ出られたと聞いています。


あれから何十年も経ったはず。


なのに、まったく歳を取っていません。


むしろ、どう見ても十六、七歳。


……。


美魔女?


いえ、美魔女で済ませてよいのでしょうか、これ。


「大聖女様……?」


「はい?」


「お若いですね」


「ありがとうございます」


「そういう意味ではなく」


「あら」


大聖女様は笑いました。


私はそこで我に返りました。


「夫は!?」


「大丈夫ですよ」


「子供は!?」


「大丈夫です」


「本当に!?」


「ええ」


大聖女様は当たり前のように言いました。


「治しておきました」


「……」


「あなたが必死に命をつないでくれていましたからね。二人とも、ちゃんと助かりましたよ」


「……!」


私は思わず涙ぐみました。


よかった。


本当に、よかった。


「それと、町へ入った魔物も、外にいた魔物も全部討伐しておきました」


「……」


「ですから」


大聖女様は微笑みました。


「安心して、もう少し寝ていなさい」


「……」


情報が多すぎます。


「え、全部?」


「全部です」


「魔物も?」


「はい」


「大聖女様お一人で?」


「そうですよ」


……。


「そういえば、大聖女様はどうしてこちらに?」


「旅の途中で魔物の騒ぎを聞きましてね。少し寄り道をしたんです」


「……寄り道?」


「ええ。教会からの派遣とは別ですよ」


そうですか。


寄り道で魔物を全部倒したんですか。


……。


私はもう一度気を失いました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


次に目を覚ましたとき、隣には夫と子供がいました。


二人とも生きている。


夫は包帯こそしていましたが、笑っていました。


「おはよう」


「……」


「おい?」


私は夫へ抱きつきました。


「わっ!」


そのまま泣きました。


子供も抱きしめました。


「おかあさま?」


「よかった……本当によかった……!」


子供は不思議そうに私を見上げています。


そして、小さな手で私の背中をなでてくれました。


「おかあさま、いたくない?」


「……ええ。もう大丈夫よ」


私は二人を抱きしめたまま、しばらく離れることができませんでした。


生きてる。


本当にそれだけで良かった。


あとから聞いた話では、大聖女様は本当に町の周辺にいた魔物をすべて倒したそうです。


「いや」


夫が言いました。


「俺も同僚から聞いたんだけど」


「うん」


「一瞬だったらしいぞ」


「何が?」


「戦い」


「……」


「大聖女様が剣を抜いたと思ったら、魔物が何匹も倒れて」


「……」


「そのあと魔法も使って」


「……」


「気づいたら全部終わってたって」


「……」


夫が不思議そうな顔をしました。


「聖女って、そんなに強いものなのか?」


「……」


私は少し考えました。


「たぶん、違うと思う」


「だよなあ」


私もあんな聖女は、大聖女様以外知りません。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数日後。


大聖女様が私のところへ来ました。


「体調はどうです?」


「もう大丈夫です」


「そう。良かったわ」


私は頭を下げました。


「あの」


「はい?」


「私のこと」


「はい」


「覚えていてくださったんですね」


大聖女様はきょとんとしました。


そして、すぐに笑いました。


「当たり前でしょう?」


「……」


「あなたは、私の可愛い娘の一人なんですから」


「……」


大聖女様はすべての聖女の頂点に立つお方。


大聖女様から見たら、聖女はみな可愛い娘だと、そういう意味なのだと思います。


ですが、見た目十六、七歳の少女が、いい歳をした私へ、


「可愛い娘」


と言っているのです。


違和感すごいですね。


「それと」


大聖女様が続けました。


「あなた、ずっと勘違いしていましたね」


「何をですか?」


「中級聖女になれなかった理由です」


私は胸が痛みました。


「……魔力が足りなかったからですか?」


「違いますよ」


「え?」


「あなたの聖属性魔法の力は、十分ありました」


「……」


「え?」


私は間の抜けた声を出しました。


「でも」


「はい」


「何度も試験に落ちて」


「そうですね」


「年下の子がどんどん中級になって」


「そうでしたね」


「私だけ」


「はい」


「二十五歳まで!」


「そうですねえ」


「じゃあ、何だったんですか!?」


思わず大声を出してしまいました。


大聖女様は苦笑しました。


「あなた」


「はい」


「ずっと、自分のことばかり考えていましたから」


「……」


「聖女になれば王子様と結婚できる」


「お姉様を見返せる」


「皆から尊敬される」


「他国へ派遣されて活躍できる」


全部その通りでした。


「祈りの言葉も」


「……」


「一生懸命覚えましたね」


「はい」


「でも」


「……」


「なぜ覚えたのです?」


私は答えられませんでした。


中級聖女になるため。


大聖女様に褒められるため。


他の子に負けないため。


全部、自分のため。


「聖女は」


大聖女様は静かに言いました。


「祈りの言葉をたくさん覚えた者ではありません」


「……」


「強い魔力を持つ者でもありません」


「……」


「人を救う力を、その人のために使える者です」


私は俯きました。


「もちろん、自分の幸せを願うことが悪いわけではありませんよ」


「……え?」


「王子様と結婚したいと思っても、立派な聖女になりたいと思っても、それ自体は悪いことではありません」


「……」


「でも、あなたはいつの間にか、聖女になることばかりを考えるようになってしまった」


大聖女様は私を見つめました。


「目の前にいる人を救うことより、聖女として認められることが大切になってしまったのですね」


「……」


私は何も言えませんでした。


「神官たちも、何度も助言したはずですよ」


思い出しました。


もっと相手のことを考えてみましょう。


何に苦しんでいるのか、何を必要としているのか。


確かに、何度もそう言われていました。


でも私は、傷を治しているのだから、それで十分だと思っていました。


「……そうでした」


「ただ、私たちも、もっと分かりやすく伝えるべきだったのでしょうね」


大聖女様は少しだけ申し訳なさそうに笑いました。


「あなたが長く苦しんでいたことも、事実ですから」


「……」


「でも」


大聖女様が続けました。


「あなたは教会を出てから、ずいぶん変わりましたね」


「私が、ですか?」


「ええ。治癒院でのあなたの働きについても聞きました」


「……」


「毎日怪我人を治して、患者さんの不安を和らげて。誰かに認めてもらうためではなく、その人が元気になることを願っていた」


そう言われて、私は治癒院での日々を思い出しました。


怪我をして泣いていた子供。


魔物を怖がっていた冒険者。


戦いから戻ってきた兵士。


私の魔法で、少しでも安心してくれた人たち。


「あなたは、聖女という肩書を手放してから、少しずつ聖女にとって大切なことを学んでいたのですよ」


「……」


「だから、今回のことも」


大聖女様は笑いました。


「あなたがご主人とお子さんを救おうとしていた姿を見て、私は嬉しかったのです」


「でも、私の魔法では助けられませんでした」


「いいえ」


大聖女様は首を横に振りました。


「あなたが諦めずに魔法を使い続けたおかげで、二人の命はつながっていました」


「……!」


「治療が間に合ったのは、あなたのおかげでもあるんですよ」


私は俯きました。


いつの間にか、涙がこぼれていました。


「だから」


大聖女様が笑います。


「今回、ようやく合格です」


「……合格?」


え、では。


「大聖女様?」


「何でしょう?」


「もしかして、私、中級聖女になれるんですか……?」


大聖女様はにっこりしました。


「まだ仮合格ですけど」


「仮合格!?」


大聖女様が楽しそうに言います。


「あなたを仮にですが、中級聖女として認めましょう」


「……」


「そして」


「はい?」


「今からでも、聖女として他国へ派遣される資格がありますよ」


「……」


私は固まりました。


昔、何年も何年も欲しかった言葉。


中級聖女。


他国への派遣。


聖女としての活躍。


王族と知り合うことだってあるかもしれない。


二十五歳のころの私なら、泣いて喜んだでしょう。


「教会へ戻ることもできますし、希望があれば他国への派遣も手配できますよ」


「……」


「どうします?」


大聖女様が聞きました。


「行きたい国があれば、希望を聞きますよ」


私は少し考えました。


そして窓の外を見ました。


町。


治癒院。


そこで働く仲間。


兵士たち。


夫。


子供。


私の大切な人たち。


「昔の私なら」


「はい?」


「きっと、喜んで行ったと思います」


「……」


「立派な国へ派遣されて。聖女様と呼ばれて。もしかしたら王子様に見初められるかもって」


「そうですね」


「でも」


私は笑いました。


「もう、いいんです。ここに」


私は夫と子供を見ました。


「私が助けたい人たちがいますから」


それに、この町にはまだ、怪我が治っていない人たちがいます。


魔物の襲撃で家を失った人もいるでしょう。


治癒院の仲間たちだって、これから忙しくなるはずです。


今まで一緒に頑張ってきた人たちを、置いていきたくありません。


「もちろん、他国で苦しんでいる人たちを助けるのも、立派なお仕事だと思います」


「ええ」


「でも、私はこの町で治癒士を続けたいんです」


大聖女様は何も言いませんでした。


ただ、しばらく私を見ていました。


そして、にっこり笑います。


「はい」


「……?」


「今ので、本当に合格です」


「……え?」


「おめでとうございます。中級聖女です」


「えええええ!?」


私は思わず叫びました。


「じゃ、じゃあ、さっきの仮合格って!」


「仮は仮です」


「なんで!?」


「だって」


大聖女様は悪びれもせず言いました。


「あなた、昔から肩書に弱かったでしょう?」


「……」


「中級聖女になれたと聞いた途端、『では王都へ!』『王子様のいる国へ!』なんて言い出したら、まだ心配ですもの」


「……」


「でも」


大聖女様は笑います。


「ちゃんと、自分で考えて決めましたね」


「……」


「もちろん、本当に人々を助けたいと思って他国へ行くのであれば、それでも良かったのですよ」


「え?」


「大切なのは、どこへ行くかではありません。何のために行くか、ですから」


「……」


「あなたは今、自分が何を大切にしたいのか、きちんと分かっている」


大聖女様は優しく微笑みました。


「今度こそ」


「……」


「本当に、合格です。よく出来ました」


私はしばらく何も言えませんでした。


そして一言。


「二十年以上かかったんですけど」


「長かったですねえ」


「知ってたんですよね!?」


「もちろん」


「教えてくださいよ!!」


「神官たちも、ずいぶん頑張って教えていたと思いますよ?」


「……」


それは、そうかもしれません。


でも。


「それでも、もう少し何とかならなかったんですか!?」


「そうですねえ。そこは、私たちも反省しないといけませんね」


大聖女様は穏やかに答えました。


……。


あれ?


なんだか、うまくかわされた気がします。


「でも、最後は自分で気づけましたね」


そう言って、大聖女様は嬉しそうに笑いました。


ひどい。


大聖女様。


思っていたより、ずっと手ごわい人です。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


大聖女様はその日のうちに、また旅へ出ることになりました。


「大聖女様」


「何です?」


最後に私は、どうしても気になっていたことを聞きました。


「おいくつなんですか?」


「……」


「私が子供のころから、まったく変わってませんよね?」


「女性に年齢を聞くものではありませんよ」


「いや、そういう問題ではない気がします!」


大聖女様は答えてくれませんでした。


ただ笑って、手を振って去っていきました。


夫が隣で首をかしげています。


「あの人、本当に何者なんだ?」


「……大聖女様よ」


「いや、それは聞いた」


「……」


私は遠ざかっていく背中を見ました。


「私も、それ以上は知らないわ」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


その後、私はこの町で治癒士を続けています。


中級聖女になったからといって、急に暮らしが変わったわけではありません。


朝起きて、夫と子供に朝食を作って、治癒院へ行って、怪我をした人を治療する。


ときどき、少し強い聖属性魔法も使うようになりました。


「あれ?」


「どうした?」


「昔より、ずっと上手く使える気がする」


「中級聖女になったからじゃないか?」


「そんな急に?」


よく分かりません。


でも、一つだけ分かったことがあります。


私はずっと、聖女になれば幸せになれると思っていました。


違いました。


聖女でなくても、私は幸せになれたのです。


王子様も、お城も、豪華な暮らしもありません。


でも私には、守りたい人がいて、帰る場所があります。


そして、助けを必要としている人たちがいます。


聖女という肩書がなくても、その人たちのためにできることはあったのです。


それに気づいたとき、私はようやく、聖女にとって大切なことを理解できたのでしょう。


二十年以上もかかってしまいましたけれど。


……本当に、長かったですね。


それでも、今はこう思います。


あの長い修行の日々も、教会を出て治癒士になったことも、決して無駄ではなかったのだと。


そして今日も、私は目の前の患者へ手をかざします。


「大丈夫ですよ。すぐ治しますからね」



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

本作に登場した、なぜか何十年経っても姿の変わらない大聖女。

「この人、もしかして……」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

彼女については、シリーズ本編第2作、第4作でも描かれております。本作単体でも問題なくお読みいただけますが、興味を持っていただけましたら、ぜひそちらもご覧ください。

また、本作における聖女は「魔力が強いから聖女になる」という設定ではありません。

初級聖女から中級聖女へと認められることで、聖処女神エリューシオンとのつながりがより強くなり、それまで以上に強い聖属性魔法を扱えるようになります。

そのため、本作の主人公も中級聖女となったあと、以前より聖属性魔法を使いやすくなっています。


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