人生とは何か
人生とは何か。
私は時々それを考える。朝、仕事に行く前に歯磨きをしているとき。青空を見上げながら昼寝をしているとき。机に向き合いこの日記を書き示しているとき。寝床に着いて暗闇に意識を向けているとき。
ふと自分の生きている理由を探してしまうのだ。人生が世界に無数と溢れる物語の一つだとしたら私は1人の語り部として登場することだろう。普通の家族のもとに生まれて、普通の恋愛を経験して、普通の子育てをして、普通の生涯を終える。
そんな最期でもいずれ読む者の内の誰かの心に引っ掛かってくれるだろう。それだけで私はその人の中で物語の主人公として役割を全うすることができる。それが役割となるはずだ。
でも、ふと手を閉じたり開いたりしていると理解してしまうのだ。私の手や脚や頭や心はここに確かに実在している。紙の上のインキでできた架空の存在ではないのだと。この部屋に私以外の誰かがいて私を見ていない限り、ここでの私の行動が評価されることは一切ない。私が死ねば無意味な時間。物語の中の登場人物であればどれだけ幸せなのだろう。
だから、割り切るしかないのだろう。私はこの人生の主役であり、語り部であり、読者なのだと。そういうことでいいだろうか。この答えを見ている諸君に問いてみたい。君たちの人生とはどんな意味を成しているのか。
無論、いまこの場でペンを握っている私にその答えは届かない。君が私の元へ訪れる頃には、私は一体どうしているだろう。すでに答えを見つけてこんな悩みなんて抱いたことなんてないとボケてしまっているかもしれない。それともすでに天寿を全うして神の元へと導かれているかもしれない。神のみぞ知るだ。
だから、お願いだ。私を覚えていておくれ。君が死ぬその時までのほんの一瞬だけでもいい。私は確かに存在したと覚えていてくれ。そしてこんな奇妙な文章を書いている奇人がいたと嘲笑ってくれたまえ。知らない誰かの記憶に少しでも残ってくれたのならば私の人生には意味があったって思えるのだ。アーサー王になれなくとも誰かの人生の見本になることができるのだから。たったそれだけで報われることだろう。
さて。私はここで一息付くとする。これなら珈琲を飲みながら先日仕入れたばかりの新しい文書でも読むつもりだ。そしたらもう一度ペンを取るとするよ。もしかしたらその本が私の人生の答えかもしれないからね。
いい答えが見つかったら君にも共有する。私は人生を追い求めている限り何度でも考え続けるつもりだ。そうでなければこの地獄から逃れることはできないだろう。
何はともあれだ。読んでくれてありがとう。また会おうではないか、同じ悩みを持つ同士よ。君の人生を心から祈っているよ。
1988.7.26
しがない哀れな老いぼれ、ジョン・アレクシスより。
P.S.先に天へと帰ったら申し訳ない。その時はのんびり君の到着を待つことにするよ。のんびりとね。




