知らない部屋
お正月なのに、夏の制服を着ていた。
ここがどこなのか、なぜここにいるのか。
何もわからないまま、ドアを開けた。
※noteでも公開中(創作大賞2026応募作)
※8話まで日常です。10話から豹変します。
プロローグ
光だった。
まぶたの裏が白くなって、それから少しずつ、輪郭がにじむように世界が戻ってきた。
天井がある。
見たことのない天井だった。白くて、静かで、知らない部屋の天井。身体の下には柔らかいものがある。横になっているらしい。そのことに気づくのに、少し時間がかかった。
手を伸ばしてみる。若干透けていて手の甲越しに天井が見える。徐々に手の輪郭がはっきりしてきた。
ゆっくり起き上がる。ソファだった。知らない部屋の、知らないソファ。
窓から光が入っていた。やわらかい陽の光で、空気がまだ眠っているみたいに静かだった。なんとなく窓に近づく。外には着物を着た女の人の姿があった。きれいな柄の、お正月みたいな着物。
まるでお正月みたい、と思った瞬間、ヒヤッとした。隙間風だった。窓のふちから細く冷たい空気が入ってきていた。
窓ガラスに、自分の顔が薄く映っていた。
夏の制服を着ていた。
……なんで。
思わず自分の格好を見下ろす。スカート、半袖のブラウス、見慣れた校章のついた胸ポケット。間違いなく夏の制服だった。なのに窓の外はどう見ても真冬で、隙間風は冷たくて、着物の女の人は白い息を吐いていた。
なんで私、こんな寒いのに夏の制服?
頭が、うまく働かない。ここがどこなのか、なぜここにいるのか、何もわからないまま、とりあえずドアに向かった。
出ようとした瞬間、目の前に文字が浮かんだ。
【名前を入力してください】
声と一緒に、宙に入力用のウィンドウが現れた。感情のない電子音だった。
……何これ。
戸惑いながらも、フルネームを入力する。
【性別を入力してください】
女性。
【生年月日を入力してください】
打ち込む。
少しの間があって、電子音が言った。
『お待たせいたしました。続いて、あなたの能力をお聞かせください』
【あなたの能力は?】
またウィンドウが現れた。
……能力?
なんだろう、これ。面接みたいだな、と思った。あなたの長所はなんですか、みたいな。
深く考えずに打ち込んだ。
『明るく相手に寄り添って、時には優しく、時には厳しく、相手を前向きにできる力があります。』
画面の端に小さく文字が流れた。
【二重能力設定不可―処理完了】
よく見えなかった。
『お待たせいたしました。それではどうぞ』
ドアが、静かに開いた。
第一章 元日
ドアの向こうは、また知らない空間だった。
木の壁、木の床、木の天井。ログハウスのような部屋で、ぱっと見て六メートル四方くらいだろうか。さっきの部屋と違って寒くはなかった。
人影が四つあった。
見覚えがある、というより、よく知っている顔だった。みんな夏の制服を着ていた。
左側の横顔だけ見えているのが蓮、真正面で顔がよく見えるのが灯、右側にいるのが朔でちょうど後ろ姿しか見えないのが透だ。
「あ……」
真正面にいた灯と目が合った。ずっと一緒にいる私の一番の友達。みんな灯の声で灯の顔を確認し、視線の先へ顔を向ける。
一番私の近くにいた透が私を認識する前に一番遠くにいた長髪ストレートの灯が突進してきた。
「澪だ!」
考える間もなく、全体重でぶつかってきた。受け止めきれなくて、そのまま二人で床に倒れ込んだ。
痛い。
「澪だ澪だ、やった!やったー!会いたかったよー!」
大型犬が飼い主に飛びついているみたいだった。しっぽがあったら絶対ちぎれるくらい振っているやつ。背中に回された腕がぎゅうぎゅうと力を込めてきて、私は一瞬呼吸が止まって身動きが取れなかった。
「ちょっと、急に飛びかかってこないでよ、驚くじゃない」
なんとか声を出すと、灯がようやく顔を上げた。
どん引いた。
灯の顔はぐちゃぐちゃだった。目は真っ赤で、鼻水が光っていて、涙がぼたぼた落ちていた。そしてその全部が、私の制服についていた。
「……灯、私の制服」
「こ゛め゛、こ゛め゛ん゛」
それでも灯はまだ澪の制服を掴んだままだった。このままにしたらまた顔を埋めてくる。そう思った瞬間、灯の制服の背中がぐいと引っ張られた。
朔だった。親猫が子猫を運ぶみたいに、無言で灯の制服の後ろをつまんで引き剥がした。灯が「あっ」と声を上げて私から離れる。
「ありがとう」と言うと、朔は灯と正面から向き合って、ぺちぺちと往復ビンタみたいに掌と手の甲を交互に灯の頬に当てた。
「いきなり飛びついてお前はあれか?犬か?盛りか?このままだったらまた抱きついてただろ?」
「痛っ、うん、痛っ。後三十回はやろうと、澪分不足で、痛っ、うぅ、ごめんだよー」
三十回もやるつもりだったのか。私は引き剥がしてくれた朔が一瞬だけ天使に見えた。
「ひどい顔、澪分って何?」
蓮が笑っていた。口元を押さえてもおかしさが止まらないみたい、笑いながら目に涙を浮かべていた。灯のくちゃくちゃな顔がツボに入ったらしい。
「たしかに、酷い顔だな。新しい栄養素か何か?」
透も眼鏡をなおしながら苦笑いだ。
灯は朔に襟首を掴まれたままぐすぐすと鼻を鳴らした。
「た゛って゛、澪が来て゛くれると゛おも゛ってなか゛った゛んた゛も゛ん゛」
「たしかに驚いたよな」と朔が言った。
「まあ、灯がめちゃくちゃ推してたし、良かったんじゃね?」
「灯の顔がツボ」蓮がまだ笑っていた。
「澪、服」
蓮が笑いながら目尻の涙を拭いながら言った。見ると、灯の鼻水で制服のブラウスが透けていた。
「あ、ちょっと待って」
蓮はそう言うなりスカートを脱いだ。するんと、なんの躊躇もなく。
「スパッツ履いてるから問題なし!はい、澪」
と言いながらスカートを渡してくれた。
私は蓮からスカートを受け取って、裏地で制服をざっと拭った。だいぶましになった。
「あら?まさか可愛い私がいきなりスカートを脱ぐもんで興奮しちゃった?男子ぃ」
にやにや笑いながら朔と透の方に向き直った。
「どうせならもっと恥じらいながらやれ」と朔が言った。
「うん、色気がなあ」と透も続ける。
「なに?私に女の子としての魅力がないっていうの!?こんなに可愛いのに!?」
蓮は膨れている。
「蓮、いいか。魅力がないとは言っていない。色気がないと言ってる」
朔が灯の方を見た。灯はまだぐすぐすしていた。
「ふぇ?」
「まず顔をなんとかせい!」
透がお尻ポケットからハンカチを取って灯に渡した。
「ありがとう」と灯が素直に受け取って涙を拭い、チーンと鼻をかんだ。
「お? 優しいやん」と朔が透に言った。
「お前のだけど」
「は?」
朔がお尻ポケットに手を伸ばした。ハンカチがない。灯の手に持っているハンカチは紛れもなく朔のものだった。
「ありがとう」
灯が透にハンカチを返した。
「どういたしまして」
透が笑顔でハンカチを受け取り、綺麗に鼻水がついた側を表面にして朔の胸ポケットに戻した。
「おいおい! 戻すな!ってお前これ!鼻水めっちゃ制服についてんじゃねえか!」
それを見て私も「ありがとう」と言いながらスカートを返すと、蓮は「うん」と軽い返事をしてなんの気もなくスカートをさらっと履いた。
一秒の間があった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
腿に伝う冷たさ。蓮はスカートを捲って内腿を触った。サラサラの水が蓮の内腿を濡らしていた。
ゆっくりと、肉食獣のように灯の方へ向いた。狙いを定めて隙を見せたら飛びかかろうとしているようだ。一歩一歩距離を詰める。
「ちょっと!?その鼻水は私だけど拭いたの澪だし、スカートを差し出したのは蓮だから!」
「私は澪の体を隠すためにスカートを渡したの!鼻水つけるために渡したんじゃないの!」
そうだったのか、気付かないでごめん。
「えぇっと、それは私じゃなくて澪に言って」
灯が言い終わる前に飛びかかった。蓮の右手が灯の鼻を摘む。
「いたたたた、鼻は! 毛穴が開くからやめてー!」
「この鼻か!この鼻か!?」
蓮と灯が遊んでいると、学校で放送が始まる前にあるヴィーーって空気の音が聞こえてきた。蓮も気付いて灯の鼻から手を離した。
『各プレイヤーへの能力の適用が終わりました。それではよい一年を』
感情のない電子音だった。
「きた!」朔が声を上げた。
蓮は鼻の脂を制服で拭い、灯は鼻をさすりながら目を輝かせた。透の笑顔が悪い顔をしていた。
みんなの温度が一気に上がった。
私は何のことか飲み込めず、その空気にちょっとだけ置いていかれた。
さっきの部屋を出る時に訊かれた私の能力。まさかとても大事な質問だったんじゃ・・・
「行こうぜ!」
朔がもうドアに向かっていた。
6つの影が扉をくぐった。
読んでいただきありがとうございます。
次話「春 玉子焼き」では
5人の日常が始まります。
【完結済 物語豹変まで9】時給一年 2/19 春 玉子焼き
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この話がどこへ向かうのか、
10話まで付き合ってもらえたら嬉しいです。




