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【小説】資産運用the井戸端バトル

掲載日:2025/12/20

 ドアノブを回しながら引いて、鍵がかかっている事を確認していると、向かいの家から積田手の奥さんが出てくるところだった。

 あのババア、いつもより五分遅い。ちゃんと出て行くのを確認してから出れば良かった。

 ……いや、こちらが家を出るまで待っていたと見るのが正しいだろう。腹を決めるしかない。



 ふ、と短く息を吐いてから置いたゴミ袋を持ち上げる。目尻を下げて口角を持ち上げて振り向きながら、

「あら、積田手の奥さん。おはようございます」

 す、の母音を伸ばし過ぎない程度に音の余韻を残しつつ挨拶をかわす。

 覗き窓からこっちを見ながら待っていた癖に、まるで声をかけられて気づいたかのような素振りで積田手のババアが反応した。

「あらぁ、傳寺の奥さん。おはようさん、今からお出掛け〜?」



 ババア独特の厭味たらしく母音を伸ばす喋り方をする積田手を横目に、私はゴミ袋を急いで集積所に押し込んでカラス避けのネットを被せた。

 積田手は私がネットを被せ終わったのを見てからワンテンポ置いて

「傳寺さん、いま袋の中にプラスチックが入って無かった?」

 と、ワントーン高い声で訊いた。

 訊いた、と言うよりは確認だし、確認と言うよりはこちらの手を煩わせる為の厭がらせだ。


 私はますます口角を上げる。

「あぁ、袋の中で光ってたアレでしたら光沢素材の包装紙ですので大丈夫ですよ」

 暇さえあれば他人のゴミ袋をバラして分別がなってないと全てを返しに行くタイプの自治厨ババア。暇か?暇なんだろ?

 暇な自治ババア積田手は余裕のリアクションで笑った。

「あら、本当?いやだわ、私ったら。もう歳かしら、ねぇ?」

 敢えて反応し辛いところでこうやって会話を区切って返す。



 つくづく厭なババアだ。わたしは笑顔を崩さないしたまま小首を傾げてみせた。

 どうせ否定したところで何がどう若く見えるのかしつこく尋ねるのだし、いっそ賛同したい気持ちもあるが後のことを考えると憂鬱な気分になる。

 そんな一瞬の澱みが目に出たのか、積田手のババアはもう一歩踏み込んできた。

「でも一度確認してみたらどうかしら?傳寺さんの勘違いって事もあるし」

 積田手のババアは、そんな事ないですよと歳を否定されたい為の誘導から外れた腹癒せか、また面倒な事を言い出した。



 このままだと勝手に中を見てある事ない事を言い出しかねない。今にもゴミ捨て場ネットに手を掛けそうな積田手の抹香臭い枯れ枝じみた手を止めた。

「大丈夫ですよ、わたし昨夜も今朝も確認しましたから」

 オホホと笑いながら小さく手を振ると、積田手のババアは一瞬だけ手を止めて私を見た。どう返すか逡巡している眼がある。

 そして積田手のババアが出した次の一手はコレだった。

「あら、本当?大丈夫かしら、最近多いって言うじゃない?この間なんか電池?バッテリーって言うの?あれが混ざっててトラックが火事になったって言うニュースもやってたし」


 さっきのプラスチックから離れて、今度はバッテリーときたもんだ。

 ひとまずは私の優勢と見ていいだろう。余裕は出来たが、まだ油断はできない。

 私は見えない地雷を慎重に避けながら答える。

「わたしもそのニュース見ました、怖いですよね。そう言うの混ざらない様にもっと気をつける様になりました」

 危うく「うちの子どもたちが勝手に捨てて大変でした」などと言いそうになったのを堪えた自分に100点をあげたい。

 もしそう言ったら最後、それは大変と言わんばかりに大騒ぎしてゴミ袋を全て確認するまで見てるに決まっている。


 いまのところ上手くやれてる。

 この調子でやり過ごせたら、今日は帰りに何かケーキを買っても良いだろう。駅からのルートと少し離れているが、あそこに行こうか。

 いや、駅向こうのカヌレ専門店も……などと考えていると積田手が

「そうね、傳寺さんの家は私みたいなお婆ちゃんもお爺ちゃんも送っちゃってお家にいませんものね」

 と言った後に軽く周囲に目配せをして、急に小声になると「駒形さんの家なんか急に呆けが始まっちゃって大変ですって」と呟いて意地悪そうな笑みを溢した。


 不利と見るや鉾先を変える手腕よ!

 だがここで油断してその話題に乗ると、ある事ない事を言いふらされて処理が大変な事になる。

 ご近所さんも積田手のババアのやり口を分かっているが、伝聞のルートと状況次第では100の嘘が全通りしかねない。



 積田手のババアは更に続けた。

「まぁ傳寺さんはお婆さまを海、でしたっけ?それとお爺さまを月、でしたっけ?にお国の為にお送りして、ねぇ?立派に御勤めを果たされて、それはもう素晴らしい方々だとは思うんですけど、ねぇ?傳寺さんもさぞや心苦しくいらしてたんじゃないかと思うと、ねぇ?お孫さんたちも寂しかったでしょうし、ねぇ?いくら税金が優遇されるからって……。

 あらやだ!傳寺さんがそう言う目的だって言うんじゃなくて、傳寺さんは国策で、あのー、基地とか工場のね?アレよね?土壌を良くするプロジェクト?に参加されたのよね?とても立派な志しで尊敬しちゃうわ。わたしなんかもう怖くてね、お墓にも入らないなんて、昔は想像もしたこと無かったから、ねぇ?」


 立板に水とは言うが、よくもまぁこれだけ厭味が湧いて出るものだと関心するし、呆気に取られてしまう。

 だがそっちがその気なら、こちらもその腹づもりを決めるしかない。積田手のババアが更に何か言おうと空き缶の飲み口みたいな暗く小さな穴で息を吸ったところを見て、私は

反撃を試みた。

「お恥ずかしながらうちは旦那があんななので、稼ぎも多く無いですし。でもお陰様でうちの子たちの学費のメドが立ちました」



 うちの子たち、を少し置きに行ったアクセントで強調して続ける。

「家のローンも年金受給前にカタがつきそうですし、私たちの両親には本当に感謝してもしきれません。子ども達にも毎晩お月様に向かってお礼を言わせてますし」

 ここで様子を伺った。

 旦那の両親を送ったのは知っているだろうが、わたしの両親まで送ったことは知るまい。

 サラッと言うことでそれなりの迫力が出たと思うがどうだろうかと積田手のババアを見つめると、割れた梅干しみたいな目が動揺によるブレを隠そうとしてむしろ一点を見つめ続けることでそれが露呈していた。


 ざまぁみろ。腹の底からスカッと爽やかな微笑みが出そうになる。

 大体、老人を送るなんて事はここら辺に住む若い夫婦は大抵がそうしている。まだにしてもそう言う遺言状を書かせているはずだし、いつまでも家に老人がいると噂になったところでそれは積田手の様な高齢孫無し家庭だけだろう。



 だいたい駒形さんの家は本当に不運で、今月末にでも遺言状作成の弁護士らが訪問する約束を取り付けていたのに、その矢先にいきなり認知症を発症してしまったとの事だった。

 実際に私も何度かすれ違ってご挨拶した事もあるし、庭先で土いじりをしている姿も見かけた。

 駒形さんは、これから先のことを少しずつ整理していくと笑っていたが、呆ける前の記録などは残っているのだろうか。


 積田手のババアが目に光を戻した。

 ダウンからの立ち直りが早い。舌打ちを抑え込んだ無理矢理な微笑みでババアの出方を伺った。

「傳寺さんたら、そんなに助かった助かったなんて言って」

 積田手のババアは窮地らしく、どうにかこうにか返すと言った感じで言った。

 これなら余裕だろう。

「でも本当の事ですので、えぇ」

「それにしては車も最近になって買い替えたんじゃあなくって?」

「もう最近は毎年下取りに出して買い替えていく方が安く新車に乗れるんですよ」

「あら、そうなの?財テクってやつかしら。うちはそう言うのに疎いから」


 このババアの凄いところは立ち直りの早さもさる事ながら、とにかく打たせに誘うポイントがやたら多いことだ。

 よくもまぁあの状態から打たせ行けるものだ。とんでもない度胸をしているが、そうでなけりゃ自治ババアなんてやっていられないだろう。


 私もここで黙っておく手はない。

「でも積田手さん、この間は何かデジタル通貨のポイント投資が跳ねたって喜んでた話をどこかで聞きましたけど」

 本人が言い回っていた。私も本人から聞いたが、積田手のババアは自分の話をいつどこで誰にしたかなんて覚えていないはずだ。

 積田手のババアは小首を傾げて思案する素振りを見せた。



「あら〜……本当?いやね〜、誰かしら?そんなの。恥ずかしいわね、ごめんなさい。でもあれね、こう言うのは素直に若い人たちに訊くのがいいわね。

 うちは息子たちが色々とやってくれて本当にオトクだわ。傳寺さんはそういうのやらないの?うちの息子夫婦なんてポイ活?とか言うのでマンションまで買ったらしいけど、傳寺さんもやってみたらどうかしから?

 難しいと思うかも知れないけど、私たち夫婦みたいなのでもやれるんだから簡単よ。何ならうちの息子たちに教えてもらう?」



 ババア必死のラッシュと言う感じだが、ゴミの分別みたいなアナログ分野と違って的が定まっていない。

「えぇ、ありがたいお話ですけど、もううちは子どもたちで手一杯ですし、資産運用なんかもそれなりにやってますので」

「あらそう?さっき旦那さんの稼ぎが、なんて愚痴ってらしたけど」

 タヌキめ。いつだってご近所の世帯年収を伺ってやがる。

「積田手さんたらいやだわ、そんな。そりゃあ自慢するほどの稼ぎではありませんけど、それなりにやってますよ。子どももいますし。まぁ新築?のマンションは買えませんけど」


 積田手のところの息子夫婦が買ったマンションが賃貸落ちの中古マンションなのは知っていた。

 だから敢えて新築は買えないと言えば積田手のババアは目論み通りに動揺する。

「新築……あぁ、そうね、新築」

「高層階でさぞや眺めなんかも良いんでしょうね、ウチなんか地味な戸建ての2階から田んぼしか見えませんし」

 下から数えた方が早い階層に住んでるのも知っている。主婦の情報網をナメてもらっちゃ困る。


 頭の周りでヒヨコが2、3匹飛び回っていそうな積田手のババアはどうにかこうにか掠れたか細い声で答える。

「え?えぇ、そうね、空が広いって言ってたわね」

「あら?まだお部屋に伺った事は?」

「まぁ、もう良い歳のお二人ですから、そうそうお邪魔するのもね」

「そうなんですか?うちなんか子供の面倒を見てもらいに何度もお義母さんに来て頂いて……あの頃は助かりました」

 積田手のババアが息子夫婦に邪険にされているのも知ってる。

 孤独で疎外感がなけりゃ自治ババアをやらない。構って欲しいんだろ?叶えてやるよ、たっぷりとな!


 それでも積田手のババアは反撃を試みるから笑ってしまう。

「そうね、そんなお義母さんも今は海底でごゆっくりされてるのでしょうし」

 厭味のつもりか?

「えぇ、孫たちの役に立ててきっと喜んでます」

「まぁ、本当のところはわかりませんけど、きっとそうなんでしょうね、素晴らしい方たちでしたから」

 自分はまだ送られていない事を誇りに思うってか。それは息子夫婦にまだ子どもがいないと言うだけの話だろ。


 勝負あったな。

 私は胸いっぱいに勝利の歓びを感じながら、ここ最近で一番の笑顔になれた。

「ありがとうございます!あ、そろそろ行かないとパートの時間に遅れちゃいますので」

「あ、あぁ、そうね」

 バスに乗る間際にチラと振り返ると、積田手のババアはいつまでもこちらを見ていた。


 あの調子だと、海か月か送られた先でもああやって立ち回っては嫌われるんだろう。

 私たちの両親の近くに送られないことを祈りながら、今日のケーキを何にするか考えていた。


 モンブランにしようかな、でもババアの皺みたいで嫌だなぁ。

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