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無職日記  作者: 松茸
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7/11 おじさんという子供

 日記を書き始めてから一週間。


 毎日日記を書くというのはなかなか大変だ。大昔にmixiをやっていたことを思い出す。大学生の頃かな。働き出してからも少し書いていたかもしれない。そのときはなんか顔文字みたいな絵文字をよく使っていた気がする。いまはそんなもの誰も使わない。いまはみんなぴえんみたいな黄色い丸い絵文字をよく使っている。私はあれがいつまで経っても慣れない。こういうあたりがやはりおじさんという感じだ。


 おじさんはいつだって時代に取り残されていく。LINEでも必ず最後に。をつける。それがマルハラだと言われる。何が悪いのかわからない。世間ではおじさんだけは叩いていいという謎の風潮がはびこっている。おじさんの人権はどんどん失われていく。肩身はどんどん狭くなっていく。おじさんはつらく、悲しい生き物だ。


 子供の頃は、自分がおじさんになることなど考えられなかった。子供はずっと子供のままで、大人はずっと大人のままなのだろうと思っていた。それはある意味では正しかった。私はいまでも大人になったとは思っていないからだ。精神年齢はずっと子供のままで、恐らく今後大人になることもないだろう。


 社会や会社ではいろいろと理不尽なことがある。容認できないことがある。意に沿わないことを受け入れるよう彼らは強要してくる。


「気持ちはわかるけど、大人になろう」


 彼らは言う。この社会では意に沿わないことを受け入れることを大人になるというらしい。詭弁きべんだと思う。体制に屈すること、あるいは悪人の側に回ることが大人であるはずがない。少なくともそれは正しい大人のありかたではない。そういうものが大人であるのならば、私は別に子供で構わない。


 子供の論理というのは単純だ。楽しいかどうか。それだけでほぼ動いている。とても純粋だ。仕事だって楽しくやることを私はモットーにしていた。そのほうが能率が上がるという研究結果もあるらしい。でも社会では仕事は楽しくやるものではなく、苦しくやるものだという誤った認識がはびこっている。彼らは進んで苦しもうとする。そうしないと働いていると認めてもらえないと思っているのだろうか。わからない。こいつら何やってるんだろう、と私はいつも思っていた。大人は不可解だった。


 私はおじさんだったが子供だった。サラリーマンという生き方がそぐわないと思った。自分を殺してまで養う家族もいなかった。仕事も満足いくまでやった。じゃあもういいか、と思った。そのようにして私は無職になった。


 無職になってから二年半が経った。もはや仕事の知識は消えた。再び働くことは難しいだろう。だが構わなかった。ひとは働くために生きているわけではないのだから。世の多くの人々は、生きるためにやむを得ず働いているだけなのだから。それはつまり、生きていけている以上は働く必要はないということだ。


 というわけで私は今日も無職としてプラプラと生きている。


 好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。趣味で小説を書く。週末は競馬をやる。褒められた生き方ではないが、褒められるために生きているわけでもない。無職は誰からも褒められる必要がない。それがとても自由だと思う。社会人は常に周囲の評価を気にしないといけない。そういうのってとても不自由だ。人間はもっと自由に生きるべきで、何かに囚われるべきじゃない。


 無職はそう思う。




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