9/17 敬うって難しい
そういえばこの前の15日って敬老の日だったんだよね。
誰からも敬われなかったから気づかなかったよ。
もしかしたら44歳ってまだ老人じゃないのかもしれない。
私のような年齢になると、祖父母などはとっくに亡くなってしまっているので、寂しい限りである。子供の頃はじいさんばあさんのことはみんな好きだったと思う。いろんなものを買ってくれるしね。私はゾイドを買ってもらった記憶がある。大昔に流行った恐竜のロボみたいなやつ。いま調べたら現在発売されているものはなんか現代的なデザインになってしまってあまり魅力的に見えないが、当時のゾイドはもっとメカメカしくて、奇妙な魅力があった。懐かしい。
話は戻るけど、敬老の日というのは、老人を敬う日ということだ。
しかし残念ながら、昨今の老人たちには敬うに値する人間があまり見当たらないのも事実である。最たる例は某首相を始めとする政治家連中だが、そのへんの老人にしても、短気で怒りっぽく、自己中心的で身勝手な人間が増えているような気がする。昔はこうではなかったように思うのだが。若い人間の手本となるような立派な老人がいたように思う。だが現在は反面教師とするしかないような老人であふれている。それはとても悲しいことであり、日本という国の衰退を感じてしまう。
「敬意は自分から求めるものじゃないんだよ」
と言った人間がいる。
かつて私の知り合いに「敬意が足りない」と言われた黒岩である。
その黒岩が、私が毎月会っているトリイさんの雀荘に行ったときの話だ。お盆の時期のイベントをやっていて、その途中経過の順位が1位が森山、2位が黒岩であった。店長に「ホワイトボードにその順位書いといて」と言われたトリイさんは、
1位:森山さん
2位:黒岩
と記載した。
当然、黒岩からは「なんでおれにはさんをつけないんだよ。おれにもさんをつけろよ!」という不満の声が上がる。するとトリイさんは黒岩にさんをつけるのではなく、森山さんのさんを消したという。「そういうことじゃないんだよ!」と店長に怒られたトリイさんはすねてしまい、さらに言葉を続けようとした店長をさえぎって「わかりました。その話はもういいです」と言い放ったらしい。
これはトリイさんには珍しく、時間が経っても色あせない面白話である。「敬意は自分から求めるものじゃないんだよ」と言っていた黒岩が「おれにもさんをつけろよ」と言うのも面白いし、二重のおかしみがある。このように、ひとは常に敬意というものを巡って争っているのである。それが人間社会というものなのだ。
真に他者から敬意を払われたければ、自身がそれに値する人間になるしかないわけだが、実際のところそれはとても難しい。だからひとはもっと手軽に敬意を手に入れようとする。もっとも多いのが「目上だから敬え」というものである。しかしそうやって手に入れた敬意はもちろん本物の敬意ではない。
敬老の日というのが、今後はそういったことを考える日になればいいのではないかと思う。私たちが他者から敬意を払われるような人間を目指し、実践していくことこそが敬老の日の意義を保っていく唯一の方法なのではないだろうか。
そんなことを考える無職であった。




