9/16 逃げた3000万は大きい
さてさて。
今日は9月16日。調べたら競馬の日らしい。
13~15日の3日間開催でさんざんに負けて引退しようと思っていたのに、これは何の嫌がらせだろう。無職には競馬をする余裕などないというのに。
生活は常に厳しい。
この原因というか遠因は、去年の競馬のG1スプリンターズステークスにある。
今年も9/28に行われる、1200mの(馬にとっては)短い距離のレースだ。
私は昨年、このレースで3000万円を逃している。9番人気のルガルを本命にして、2着にトウシンマカオ、3着にママコチャという馬券、馬番で言うと13→2→6という馬券を12000円分くらい買った。3連単を1万円買うなど正気の沙汰ではないが、このときの私には何やら妙な確信があったのである。
果たしてレースはルガルが最後の直線で抜け出した。内からトウシンマカオもやってくる。そしてママコチャもやってくる。ゴール前では馬がどっと押し寄せてくる。13→2→6の形が出来上がる。だが大外からすごい勢いで5番の馬が6番のママコチャをとらえた。首差でママコチャは敗れ、4着となった。
結果は13→2→5
3連単の配当は29万9070円。
100円がこの金額になる。2900倍というわけだ。
仮に1万円買っていれば、2900万になる。
3着に入った5番のナムラクレアは4番人気、私の買った6番のママコチャは2番人気であったために、配当は多少は下がるが、もし当たっていれば3000万にはなっただろう。3連単を12000円も買っているのだから。それをほんのわずかな差で逃してしまったというわけだ。
私はガックリきた。
何度もレースを見返したが、確かに差されている。覆る余地はない。
「やっちまったか……」
私は呟いた。
こういうこともある。
無職の人生では、こういった不運は珍しいことではない。
こんなことでイチイチ落ち込んではいられない。
だが、今になって思う。
やはり、あの3000万は大きかったなあ、と。
決してお金が全てではないが、それは心の余裕をもたらしてくれる。
それに、働くというのは言ってみれば時間をお金に換えること。つまりはお金があればそれを時間に換えることも可能なのだ。無職とはつまりそういうことなのである。お金があれば無職も続けられる。
何千万円も使ってから私はようやく気付いたのだが、お金の真の価値というのはその存在自体にある。使用することではなく、所有することにこそあるのだ。それはただそこにあるだけで、様々な不安から私たちを遠ざけてくれる最強の精神安定剤なのである。
そのことに早く気づけばよかったのだが、もう遅い。
お金のなくなった私にあるのは、膨大な時間と、思うように動かない身体と、これまでの人生で貯め込んできた経験と知識くらいのものである。これを使ってできることは限られている。
人生はギャンブルだ。
かくなる上は作家になって一発当てるしかない。
無謀にもそう思う無職であった。