7/9 無職、髪を切る
無職のくせに髪を切ってきた。
それも美容室でだ。生意気だ、1000円カットに行け、バリカンで坊主にしろ――そんな声が聞こえてくる。もっともなご意見だと思う。でもささやかな反論を許してもらえるなら、無職のおっさんであるからこそ、最低限の清潔感は必要なのではないだろうか?
昔、某格安カット店を利用したことがあるが、その技量はひどいものだった。私はいつも髪を短髪にしているのだが、速さを重視するあまり雑に行われたカットの仕上がりはフォルムからしてボコボコになっていて、そもそも揃える気があるのかもわからないレベルだった。そこの社長がテレビで得意げに語っていたのだが、うちのスタッフは数をこなしているから腕は確かなんです、なんてことをのたまっていた。
果たしてその理屈は正しいのだろうか?
私は正しくないと思う。数をこなせば上達するなんてのは安易な考えである。同じことをいくら繰り返したって成長はない。それも雑にやっているだけでは。スピードを売りにするのは構わない。それは大きな付加価値だ。でもそれはあくまで本来のカットをキチンと仕上げてこそ。手早くカットするために仕上がりを疎かにしては何の意味もないだろう。
現代ではすべてのものに値段がついている。安いものにはそれなりの理由がある。1000円カットが与えてくれるのは1000円分の価値でしかない。まあ某格安カット店はいまは1400円くらいするらしいが。物価も上がっているから、1400円の価値というのは昔よりも落ちているかもしれない。
そんなわけで私は仕方なく美容室に行く。
おっさんが美容室に入るのは一大事だから、緊張もする。できれば早く終わらせて出ていきたい。そのために指名料も払う。指名をしないと扱いが雑になるし、毎回どのように切るのかを逐一伝えなくてはならない。効果があるかもわからない炭酸シャンプーのコースを継続している。頭皮にいいらしい。月に1回くらいで何が変わるのかはわからないが。これも今更変えるのが面倒なのでそのままだ。
極力話はしない。「お仕事は何をされているんですか」とか訊かれたら大変だ。「無職です」と答えるのはいい。私は別に構わない。だが相手が気まずくなる。何かまずいことを訊いてしまったと思う。触れてはいけないものに触れてしまった。美容師は動揺するかもしれない。ハサミを持つ手が震える。手元が狂うかもしれない。誤って私の頭頂部にそのハサミが突き立てられるかもしれない。そんな事態は避けなくてはいけない。だから私は目を閉じて寝たふりをする。
美容師は見事な手際で私の髪を切っていく。無駄のない、洗練された動きだ。会話はその流麗さを損なう。だから黙るが吉だ。相手が集中して十分なパフォーマンスが発揮できるよう、私は環境を整える。ただ黙って目を閉じることで。再び目を開けた時にはカットは完璧に終了している。
カットが終わり、シャンプーに入る。「いつもの炭酸のシャンプーで洗っていきます」と美容師が言う。プシュー、とシュワシュワする泡が私の頭皮に注入される。ワシワシと私の頭が洗われる。「どこか洗い足りないところないですか」と美容師が言う。「大丈夫です」と私は言う。いつも思うのだが、洗い足りないと感じたらどのように申告すればいいのだろうか。どうすれば正確な場所をピンポイントで説明することができるのだろう。それは美容室のシャンプーにおける永遠の謎だ。
私は料金を支払い、美容室を出る。
一時的にだが、私はこざっぱりとした人間になっている。月に一度の儀式が無事に済んだことに私は安堵を覚える。これでしばらくは髪のことを気にしないで生きていける。
私は無職のおっさんではあるが、まだ髪が残っている。頭皮にしがみついている。私と同じ年齢ですでに髪に別れを告げたものもいる。髪とは厄介なものだ。ないよりはあったほうがいいが、ただ放置しておくわけにもいかない。いっそのことすべてなくなってしまえば、そんなことを気にする必要もなくなるのに。でも自分から手放すことはできない。複雑な関係だ。
来月も私は髪を切るのだろう。無職には過ぎた贅沢かもしれない。だが必要なことなのだ。無職であるからといって、無職のような身なりをすることはない。私はそう思う。