8/9 短編についての解説3
なんか甲子園がすごい炎上してるね。
広陵高校の暴力事件で。
やはり体育会系は暴力の温床……スポーツや武道を通じての精神修養など幻想にすぎない。文化系ではそんな話聞かないもんね。茶道部で集団暴行とか聞いたことないでしょ。スポーツはあるいは暴力性を助長させるのかもしれない。身体を鍛えることで自分に自信がつくだけならいいけど、他人に対して暴力的になるのはいただけないね。
さて、引き続き『短編と呼ぶにはあまりに短くて』の解説をしていく。
需要があるかは正直わからんけども。
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EP10『ある日のこと』
これは試験を受けずに留年する大学生の話だ。ある種の実話である。誰の実話かは言うまでもないが、ここではあえて控えさせてもらおう。あまり名誉なことではないのだから。
若者の感性というのは侮れない。
『夢の中で僕は鳥だった。翼を広げ、灰色の空を飛んでいた。この空の名前は『不自由』というのだと誰かが教えてくれた。鳥が自由だなどと誰が決めたのだろう? 彼らはいつだって不自由という空を飛んでいるのだ。やがて落雷が遠くに見える鳥の群れを撃ち、激しい雨が降り出した。雨はいつまでも降り続き、あっという間に地上を水で覆ってしまった。山は崩れ、家屋は水没し、人々は濁流に呑まれた。僕はそれらの光景を見るともなく見ていた。空はどこまでも黒く、死に絶えていた。稲光と雷鳴だけが生きているようだった。
再び目を覚ましたのは、夕刻すぎだった。夕日が薄汚れたビルの谷間に沈もうとしていた。西日が僕のまぶたを叩き、その感覚は僕に失われたもののことを思い出させた。これまでに失ったもののことを思い、これから失っていくだろうもののことを思った。それは莫大な量のようにも思えたし、ほんのわずかなようにも思えた』
という文章は実に若々しく、何か抗しえぬものに対してもがき苦しんでいるような感じがある。あのころ私も悩んでいたのだろうか。何か得体のしれないものに。
『後悔はなかったが、やりきれない悲しみがあった。人はなぜ、こんなにも悲しいのだろう――滂沱と溢れる涙を拭いながら、僕は考え続けていた』
私はいまでも考え続けている。
でも答えが出ないのでほとんど諦めている。
それがおっさんになるということだ。
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EP11『不眠』
これは『不眠になってふみーんと泣くがいいですわ!』というセリフを思いついたところから始まっている。ここで伝えたいのはやはり子供というのは素晴らしいということだ。
『子供であるということはなんと素晴らしいことなのだろうと思った。まっさらであり、素直であり、熱心である。それらはすべて、僕がいつの間にか失ってしまったものだった』
という文章がこの短編のすべてと言ってもいい。
成長することで失われるものもある。そしてそれは結構取り返しがつかない。
そういうものに対するある種の哀しみや諦観といったものを書きたかったのだろう。それでも私たちは前を向いて生きなければいけない。私たちはすでに子供であるということの恩恵を受けてきたのだから。
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EP12『泥のついた足で』
私は結構気に入ってる話だが、昔mixiにこれを上げたら「大丈夫ですか?」とガチめに心配されてしまったことを思い出す。私の精神状態がヤバいと思われたのだろうか。確かに素直に読めばそういう話ではあるのだが。
でも小説というのはフィクションなわけだから。
殺人事件を書く作家がみんな人殺しというわけではない(たぶん)。
『出口のない世界で飽くこともなく繰り返されるくだらないやりとりを、そのたびに摩耗していく孤独な魂のことを思いながら、俺は声を出さずに泣いた』
孤独な魂ときた。まあ人はみな孤独な魂だから。
どんな瞬間だってそれは事実で、夜はことさらそれを強く感じるというだけの話だ。
でもその夜の時間こそが本物で、
『昼の日差しのなかで行われていることはみないっときの幻想に過ぎないのであり、欺瞞と虚飾に充ちた夢のようなものではないだろうか――』
って思うことがあるよね。昼の世界の住人は大切なことなんか何もわかっちゃいない。みんなでわかったふりをしてるだけだ。彼らは本当に大切なものを泥のついた足で蹴とばしながら生きている。誰もそれに気づかない。その愚かさを、やりきれなさを書いたのだろう。
これで12話まで終わった。
続きはまた明日。