8/8 短編についての解説2
昨日に引き続き『短編と呼ぶにはあまりに短くて』の解説をしていく。
EP5『ホリさんと羊の心臓』
これは自分の仕事を通して人生に悩んでいる男性を誰かが救うというお話だね。意味のない仕事を続けていると自分が意味のない人間のような気がしてくる。でも意味があるかどうかは結局は自分が決めることだ。それが言いたかったんだろう。
心持ちひとつで人生は変わる。
『人は誰かを救えるのかもしれない、と思った。言葉によって。あるいは他の何かによって』
という文章はこのころ読んでた藤原伊織の影響があるような気がするな。なんとなく。
EP6『社畜たちの挽歌』
これは社会人として感じたことをそのまま書いたものだ。
『努力が報われる保証もなく、時間外労働が給与に寄与する保証もない。ボーナスの査定が正しく行われる保証ももちろんない――あるわけがない』
というのはまさにその通りだが、現代はコンプライアンスが厳しくなって、サービス残業みたいなものは少なくなってるかもしれないけど、社畜っていうのは自分からタイムカード切って無給で働きだすからね。実際にその現場に遭遇したときは戦慄したね。
「いったんあがりまーす」って言ってタイムカード切ってまた戻ってくるんだよ。
ドン引きだったね。
あと社畜は会社の文句をよく言うんだけど、それはまったく本気じゃないんだよね。
『彼らは自ら望んで隷属したのであり、彼らが口にする不満は空言にすぎない』
と書いてあるとおりで、自分から社畜になることを求めているようなところがある。これも一種のストックホルム症候群なのかもしれない。
EP7『殺し屋』
これは文章が先にあって、それに合わせて話を作ったような記憶がある。
『人は正しいことをしようと思っている。もしくは正しいことをしたいと』
というのがその文章なのだが、どんな状況であれ、人は正しいことをしようと考えているのではないか、というところから話はスタートしている。世の中の悪人もたぶん自分は悪人だとは思ってないんだろうなと。政治家とかもそうだと思うよ。どれだけ悪いことをしても、そのなかに一片の正しさがあれば、人は自分のことを善人だと思うのかもしれない。そうでなくては生きていけないのかもしれない。そんなことを思いながら書いた。
『ひとりの人間の心の中に純粋な善があるわけではない。純粋な悪があるわけでもない。それらは同時に存在しているのだ』
誰もが善悪の両方を持って生きている。
それがやっぱり人間っていうものなんだろう。
EP8『あざす』
あざすについて説明するのは難しい。これは雀荘でのお話なんだよね。学生時代によく通っていた雀荘に、サワグチさんっていう39のおじさん(いまのワイより年下や!)がいて、すごくいい声で「あざっす!」ってよく言ってた。小柄だったけど元気で溌溂としてた。活力に満ち溢れていて、5000円の日給で12時間以上休みなく働いていた。凄い人だった。その人のことを思い出して書いた。
『そうだ、自分はこのまばゆいばかりのあざすに憧れてこの世界に飛び込んできたのだ』
という人間が現れても不思議ではない。そういう魅力のある人だった。
EP9『エビは生きている』
これは力作だ。なんでこんなものが生み出されたのかは私にもわからないが、とにかくエビについて何かを書こうと思ったらこの作品になったのだ。ここで伝えたかったのは何だろう。真実というものの危うさ、不確かさだろうか。
『私たちは無数の解釈の上に暮らしている。その不確かさの上に生きている』
という現代において、確かなものなど何もない。ただひとつあるとすれば、それはエビが生きているということ。ただそれだけなのかもしれない。でもそれすらも正しく伝わることはない。
『彼は求めていたのだ。伝えることを。絶え間ない様式変更のなかにあっても決して変わることのない普遍的な真実が存在することを。それをこそ知らしめたかった。ただひとつの言葉を通して。ただひとつの言葉に託して』
現代において真実というものを伝えることがいかに困難なことなのか。
海老沢海老蔵はそれを私たちに教えてくれる。
さて、今日はここまでにしよう。
続きはまた明日だ。