8/6 無駄な本を買ってしまう
本屋に行ったら貝の図鑑があってちょっと欲しくなった。
でも結局買わなかった。
ちょっと眺めたらどうせすぐ飽きるだろうからね。
私は昔からいろんな本をすぐに買ってしまうのだが、その後せっかく買ったのにまったく読まないで放置していることが多い。これはとてももったいないことだ。ちょっと部屋を見渡しただけでも、数ページしか読んでいない本がいっぱいある。
『早わかり世界史』と『20の古典で読み解く世界史』はなんか世界史に一瞬だけ興味を持とうとした形跡が見られる。『地図でスッと頭に入る地政学』だとか『地図でスッと頭に入るアメリカ50州』だとかもその関連だろうか。地図なんかでスッと頭に入れば苦労はない。こんなものはよくよく考えれば読む前から挫折するのは目に見えている。わしゃアホか。なんでこんなもん買ったんや。
『孫子の兵法』とか『論語と算盤』というのもあった。
最近こういうまとめ本みたいなものが書店に氾濫している気がする。
なんか有名だけど難しいものを噛み砕いて簡単に分かった気にさせるという、手軽に知識をつけたつもりになりたい横着者をターゲットにした本だ。私もまんまとひっかかっている。
私も44年も生きてきて思うのだが、知識というものはそれだけではほとんど役に立たない。知識を活かすことができるかどうかは、それが経験として身になっているかどうかが重要なのだ。
言葉なんかもそうだ。今年から小説を書くにあたって『クリエイターのための語彙力図鑑』みたいなものを買ってみたが、正直何の役にも立たなかった。こういう表現があるよ、というのが羅列されているだけで、それをどういった文脈で自然に使えばいいのかわからないのだ。
文章というのは自前の言葉でなくては上手く繋げることができない。そこに急に本に書いてあった気の利いた言葉を嵌め込もうとしても、どうしたって不自然になってしまう。だから言葉というのは自分のなかから絞り出すしかないのだ。上手い言葉が見つからなかったら仕方がない。それはまだ自分が未熟だからだ。そう割り切って、あくまで自分の言葉を書き連ねていこう。
私はいま長編小説を書いているわけだが、まったくの素人同然の状態から7か月かけて40万字以上を書いた。これはどこからも誰からもパクったりはしていない、すべて自分だけの言葉だ。上手く表現できなかった部分も多いが、概ね納得のできる仕上がりになっている。それは無職が唯一誇れることではないかと思う。
知り合いにも読ませていないし、他人が読んで面白いかどうかは正直わからない。でも自分が面白いと思ったものを書いている。それでいいと思っている。
反応がないと書き続けるのが怖くなることもある。おれの書いているものは面白いのだろうか。本当はつまんないんじゃないか。そんなことを考えてしまうこともある。
それはみんなそうだと思う。それで筆を折る人間も多いらしい。この界隈ではエタるというのだろうか。そういう言葉も今年に入るまでは知らなかったが、おっさんになってからもいろいろと学ぶことはあるものだ。
暑いと無職の体力も落ちてしまう。
今日はすき焼きでも食べよう。