7/31 敬意が足りない
パスタは無職の強い味方である。
ママ―のちゃんとしたパスタと市販のソースを使っても、1食200円もしないというのは驚愕である。いまはコンビニでちょっと昼飯を買うだけで1000円とかがなくなる時代だ。こんな終末世界にあってパスタは唯一の希望と言ってもいいのではないだろうか。
ところで、私の知り合いにマサアキ(仮名)という人物がいる。
これも以前に話したトリイさんと同じく、非常に興味深い人物だ。
職業はSEだ。システムエンジニア。それが何をやる仕事であるのかは私にはよくわからない。PCを使ってプログラムを組むみたいな感じだろうか。門外漢の私にはプログラムとか言われても何のことかサッパリわからない。運動会のプログラムくらいしか触れたことはないので。
マサアキと飲みに行くと、彼はよく仕事の話をする。
内容は、いかに彼が仕事のできる人間で、会社にとって価値があるか、利益を与えているか――にも関わらず会社は彼に充分な対価を与えていない、それはとてもけしからんことだ、もっと給料を上げるべきだ、でないと独立するぞ、といったようなものだ。
サラリーマンは誰しもそういう思いを持っている。雀荘の店員ですらそんなことを言い出す。給料が仕事に見合ってないと。当然のような顔をして述べるわけだが、ちょっと待ってほしい。見合っているか見合っていないかを判断するのは会社側である。与えられた仕事をこなすのは社員として当然の義務であって、それが多少上手くできるからといって、すぐさま給料を大幅に上げるということにはならない。そもそも給与UPというのは大事なのである。
サラリーマンは自己評価が高い人間が多い。みんな自分の仕事に誇りを持って頑張ってやっているがゆえのことだろうが、それが妙なプライドを生み出して困った事態を引き起こすこともある。
私も昔部下の評価をつける際に、彼ら・彼女らの自己評価が高すぎてどう修正したものか悩んだものだ。そういう悩みは中間管理職はみんな持っているのではないだろうか。
自信を持つのはいいことだが、それが過剰になるのはよくない。でも「おまえは正直そんな仕事できんやろ」とも言えない。プライドは仕事をする上では大切なものだから、それをへし折るようなことはするべきではないのだ。
従って、上司がするべきは部下よりも明らかに仕事ができるぞ、ということを背中で示すことなのである。それを見て部下が「おれはまだまだだな」と思うくらいに。それが理想の上司の在り方である。
だがマサアキは間違った指導法を選んでいるようだった。まず部下に「これを作ってこい」と言う。部下が出来上がったものを持っていくと、「ダメだこれは」と却下する。なぜダメなのかは教えない。自分で考えさせるのだという。何度も何度もやり直させる。こうやっておれは部下を指導してるんだ。教育してるんだ。彼は自慢げにそう語った。
でも、とある日彼は言った。
「おれが目をかけてやったやつに限ってすぐに会社を辞めるんだよ。なんでかな」
そりゃそうやろ。ワイだって辞めるで、そんな扱いされてたら。
私はそう思ったが、
「まあ優秀なやつほど先に辞めていくものだからな」
と返した。これは事実である。大抵の会社では優秀な人間の負担が増えていく傾向にある。そうなると仕事量が違うのに給料は同じみたいな状態になるから、やってられんと思うのも無理はない。逆に仕事のできない人間のほうが他に行き場もないし、会社に居残ることが多いのだ。
こんなマサアキであるが、彼は素晴らしい名言を残した。
共通の友人の話題になって、そいつのことをどう思うか私が尋ねると、彼はこう言ったのだ。
「あいつは敬意が足りない」
これは非常に秀逸な言葉である。なかなか思いつかないワードで私は感心してしまった。もちろん内容的にはろくでもないわけだが――敬意というのは自分から求めるものではないわけだが――そんなことはこの際どうでもいい。このワードを口にしたセンスを褒めたい。褒め称えたい。
共通の友人は私たちよりも年下である。性格的には冷笑系で、普段から心中でマサアキを小馬鹿にしているのが漏れてしまっていたのだろう。直接的には言わないとしても。人はそういうものを敏感に感じ取るのだ。それを私は面白いと思った。
さて、7月ももう終わりか。
うなぎでも買ってこよう。無職には贅沢かもしれないが。