7/15 美味しんぼとしじみの味噌汁
美味しんぼって面白かったよね。
初期の頃ね。ネットフリックスでアニメのリマスターみたいなのを観たんだけど、やっぱり面白かった。内容は結構メチャクチャなんだけどね。だからこそいいというか、名作というのは案外ツッコミどころが多いものなのだ。そういったものを許容してしまえるだけの魅力があるからこそ名作たりえるのだろう。
まず山岡さんはまったく働いていない。会社ではいつも寝ているか競馬新聞を読んでいるだけだ。何の連絡もなく一週間くらい行方がわからなくなる。相方の栗田さんにしても同様だ。部長から「究極のメニュー作りはいま何に取り組んでいるのかね」と訊かれて言葉に詰まってしまう。ええと……と何も出てこない。当然だ。何もしていないのだから。やっているフリをしているだけだ。社の創立100周年を記念して立ち上げた企画が社内で何の情報共有もされておらず、担当者は遊び惚けている。こんな無茶苦茶な話が通るのだから、美味しんぼというのは大したものだ。
有名なエピソードのひとつに「とんかつ慕情」がある。
「いいかい学生さん、とんかつをな、とんかつをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」
貧乏な青年に、とんかつ屋の亭主がこう語り掛ける。これは実に名言だ。人間の幸せは中庸にこそある。中庸とは偏りがないこと、バランスが取れていることを指す。ちょうどいい、というのが一番いい。人間は貧乏だと卑屈になるし、金持ちになると傲慢になる。どちらもバランスが悪い。その中間あたりを目指したいものだ。
人間不思議なもので、金銭的な状況によって心の持ちようも変わってくる。私も44歳のおじさんだから、貧乏な時期もあれば金持ちの時期もあった。どちらもあまりいい精神状態ではなかったと思う。貧乏だと余裕がなくなるし、常に焦燥感に駆られているような状態になってしまう。お金があると金遣いが荒くなって無駄なブランド品を山と買い込んでしまう。いま必要な分だけが常にある状態というのが一番いいように思う。そう考えると、働いて毎月給料をもらうというのは理に適っているのかもしれない。
昨日とんかつを食べてきた。津田沼のイオンに入っている和幸で。和幸はいい。何がいいってしじみの味噌汁がいい。お代わりもできる。ごはんやキャベツもお代わりできるが、私はいつも味噌汁だけをお代わりする。このしじみの味噌汁が美味すぎる。とんかつよりもむしろこちらがメインなのではないかと思う。しじみの味噌汁定食を作ってもいいのではないだろうか。
「いいかい学生さん、しじみの味噌汁をな、しじみの味噌汁をいつでも飲めるようになりなよ」
こうすればだいぶ「ちょうどいい」のハードルも下がってくる。現代の日本ではちゃんとしたとんかつは結構な高級品だ。立派なとんかつをいつでも食べられる人間はもはや貴族と言って差し支えない。無職はしじみの味噌汁をいつでも飲めるように頑張ろう。
しじみの味噌汁と言えば、美味しんぼの名作エピソード「もてなしの心」を思い出す。
これはご飯としじみの味噌汁の対決なのだが、山岡さんが素晴らしい材料と技術で作ったものよりも、海原雄山の代理で作った本村さんの料理のほうが美味かった。それはなぜかというと、本村さんは米を一粒ずつ寄り分けて、大きさを揃えていたからだった。それによって味がムラなく仕上がるというわけだ。しじみについても同様だった。これは材料や技術よりも、相手のために手間暇をかけるという心づくしが大切であるという話だった。
「人の心を感動させることが出来るのは人の心だけなのだ」
このとき海原雄山が言った言葉は美味しんぼで最高の名言だ。私はこの言葉がとても気に入って、仕事をしていたときは座右の銘にしていたくらいだ。昨今、社会はギスギスしていて、人の心にはうんざりさせられることも多い。それでもなかには立派な人間もいるだろう。わずかではあるだろうが、きっと。そのことを信じて無職も頑張って生きて行こう。