10/17 小説の書き方
カクヨムとかで積極的に読み合いして……というのはどうも私には向いていない。たまに頑張ってみようかなと思う時もあるが、すぐに挫折してしまう。というのも、いざ他人の小説を読もうと思っても、それがまず小説の体をなしていないものが結構あるからだ。そういったものは読み進めるのが非常に困難である。
小説には基本となる書き方がある。別にちゃんと習ったわけでもない私でも知っている。それは子供の頃から小説を読んでいれば自然と身につくものだ。だから私は小説なんてものは誰でも書けるのだと思っていた。でもどうやらそうでもないらしい。
小説を書く上ではまず視点を決める必要がある。
誰の視点で話が進むのか、この小説は誰が語り部なのか、ということだ。
ここが統一されていないとわけがわからなくなる。
分類としては、一人称、三人称、三人称一元、というのが基本だ。
一人称はわかりやすい。私、おれ、僕、が主人公であり、主人公の視点で話は進む。この際注意しないといけないのは、内面を描くことができるのは主人公だけということだ。また主人公が見ていないことは描けない。当然である。主人公が見ていること、考えていることが物語になるわけだから。これさえ守れば一人称が一番書くのは簡単だろう。初心者にはオススメである。
三人称というのは神様の視点だ。田中、山田、吉田、といたら、「田中は~をした。山田は~と思った。吉田は~を見た」などと、すべての登場人物について、あらゆることが描ける。だがそれゆえに扱いは難しい。何をどこまで描写するかという裁量が求められる。かなりの力量がなければ、あまり手を出さないほうがいいかもしれない。実際はあまり内面は描かずに客観的な描写に終始することが多い。
三人称一元は基本は三人称なのだが、視点はひとりに固定されているというもの。これは一人称と三人称のいいとこどりで、三人称のような客観的な描写もできるし、一人称のように内面を深く描くこともできる。ただ視点がコロコロ変わると困るので、一話の中で頻繁に視点が変わるということはない。基本的にはひとつのシーン、章などにつきひとりの視点で話は進む。
実際の小説では三人称と三人称一元はそこまで厳密に分かれているわけではない。読んでいて違和感がなければ小説としては成立しているのだ。だから三人称で話を書き始めた場合は、主人公の視点から始めて、内面を描くのはそのキャラだけ、という縛りさえ守ればなんとなく格好はつく。シーンが変われば、また違う主人公から始めて……とやればいい。
アウトなのは、一人称で始めたにも関わらず、自分のことを「少年は」とか「少女は」とか言い出す場合だ。これは違和感が凄い。ついこのあいだもそういう小説を読んだ。少女が主人公なのだが、「私は~」と始まって自分の気持ちを語っているのに、ところどころで「少女は~した」みたいな文章が挟まれる。なんか違う人物が出てきたのか、と思ったら誰もいない。これは完全にアウトである。私は~から始めたら最後までそれを貫かなくてはいけない。それが一人称というものだ。
視点以外にも小説の基本はいろいろある。
まずは段落の始まりを一字下げるということ。WEB小説ではこれをやらないものもよく見かけるが、見栄えとしてやったほうがいいだろう。縦書きの小説に慣れていると、段落下げしていない文章に違和感がある。
会話文は下げないで始める。
「私はトリイさんに会った」
というようなものだ。会話文の最後には。をつけない。
昔はつけてる小説もあったけどね、いまはつけないのが一般的だ。
三点リーダーやダッシュ記号は偶数で使う。
基本は……や――のように、ふたつ繋げて使うのが一般的だ。・・・のような大きさはよくない。ダッシュ記号もーーのように繋がっていないと見栄えが悪い。ただダッシュ記号は使うサイトやエディターによって表示のされ方が違うことがあるので注意が必要だ。ここでは繋がって見えるダッシュ記号も、ワードにコピーすると繋がってないということがあった。
!とか?の後は余白を空ける。「ええっ! 本当? 嘘でしょ」みたいな感じだ。
「」の中にさらに「」を使いたい場合は『』を使う。
「彼は言ったんだ。『そんなことはないよ』って」
みたいな使い方だね。
基本的なルールとしてはこんなところだろうか。それさえ守れば、後は自由に書いていい。それが小説だ。日本語がわかれば誰でも書けるはずのもの。文章の上手い下手はあんまり関係ない。下手でも魅力のある文章というのはある。個性が大事だ。まったく小説を書いたことがない人は、まずは短いものを書いてみるといい。意外に面白いものが書けるかもしれない。
無職はそう思う。