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無職日記  作者: 松茸
10/110

7/13 蕎麦屋と七夕賞

 先日蕎麦屋で飲んだ。


 蕎麦屋飲みというのはいい。歳を取るとなおいい気がする。私は漫画の『酒のほそ道』が好きなので、そのなかでよく蕎麦屋で飲む話が出てくるのを見ていた。作法としては、早い時間に行って、板わさ、卵焼きなどで日本酒を一杯やり、せいろを食べてすっと帰る。それが粋な蕎麦屋飲みの作法であるという。


 ただこんなものは別に気にする必要はない。


 飲み屋では好きなものを好きなだけ食べればいい。飲めばいい。最近の蕎麦屋はつまみが充実している。馬刺しなども美味い。馬刺しは店によって全然違う。美味いところは美味いし、不味いところはとことん不味い。よく馬が好きな人間は馬刺しは食べないというが、意味のないことだ。食べる以上の供養などない。美味いのだから好きなだけ食えばいい。馬刺しは栄養価が高くヘルシーだ。馬刺しを食べて競馬をやる。それが人間というものだ。


 今日は七夕賞がある。


 競馬の重賞だ。夏競馬のハンデ戦。何が来るのやらサッパリわからん。だが7/13の七夕賞という重賞で7枠13番にセブンマジシャンという馬が入っている。これはもう買うしかない。私は魔女の小説を書いていることでもあるし。これも何かの符合というものではないだろうか。


 夏競馬が荒れるのは馬が暑さに弱いからであるという。馬も暑いなか走るのは大変だ。しかしそれが彼ら、彼女らの定めであるのだから仕方がない。誰しも完全に自由に生きることはできない。それは馬も人も同じだ。与えられた環境のなかで必死に生きていくしかない。


 無職もそうだ。


 無職も日々を必死に生きている。将来への不安は常にある。無職はその不安と日々戦っている。恐怖を克服しながら前に進んでいる。44歳無職。肩書は絶望的だ。何の希望もなさそうで、実際に何の希望もないのだろう。しかし希望がなくても人は生きて行かないといけない。希望がないと生きていけないなどというのは甘えだ。甘ったれるな、と私は自分を叱責する。


 人間というのは基本的に甘やかすとダメになる。恵まれた環境にいても不満をこぼすようになる。私はそういった人間を数多く見てきた。甘やかされ、ダメになってしまうことをスポイルされるという。私がこの言葉を覚えたのは村上春樹のエッセイか何かでだったと思う。スポイルされた子供、というような文脈で使われていたように記憶している。


 甘やかすことはそのひとのためにならない。大抵の場合、甘やかすのは自分のためである。そのほうが楽だから、悪く思われたくないから、優しい人間だと思われたいから。でもそれは間違いだ。心を鬼にして厳しく育てることが結局は相手のためになる。私も多くの人間を甘やかしてきた。失敗を重ねてきた。後悔することも多い。後悔こそが人生であるとも思う。だが後悔とは何のためにあるのだろう。新たな後悔を生み出さないためではないだろうか。


 そういえば競馬だが、昨日白毛馬ソダシの妹マルガの新馬戦があった。単勝1、1倍の圧倒的人気に応えてまったく危なげなく勝ち切った。真っ白い馬体はとても美しく、鞍上の武豊のブレのない騎乗フォームと合わさって実に見応えがあった。1戦で判断するのはまだ早いかもしれないが、かなりの能力を感じさせる大物感あふれるレースぶりだった。ソダシのようなアイドルホースになるかもしれない。楽しみだ。



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