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鈍く軋むような痛みが、胸の奥からゆっくりと浮かび上がってくる。
瞼を開けると、天井があった。知らない建物の、石で組まれた滑らかな天井。透き通った青い光が、壁の隙間から淡く差し込んでいる。空気は静かで、少し冷たい。木や土の匂いがせず、代わりに何か、金属と草の混じったような匂いが鼻をかすめた。
「……起きましたか、ラルゴ殿」
声は柔らかく、しかしどこか張り詰めている。
目を動かすと、傍らに一人の少年が立っていた。いや、少年〝のような〟存在だった。
腰まで届く長い髪が薄紫に輝いている。冷たい色なのに、なぜか目が離せなかった。黒いマントがその小さな身体を包み、端正な顔立ちに浮かぶ表情は、まるで何百年もの静寂の中に育った花のように、凛としていて――どこか寂しげだった。
「……あんたが助けてくれたのか?」
ラルゴは、喉の奥から掠れた声を絞り出す。口の中は乾いていたが、体の中に残る痛みが、本物の感覚であることを知らせていた。
「ええ、ちょうど近くにいたので。あのままでは……肺まで刺さっていたかもしれません。ですが、ご安心を。命に関わるほどの損傷はありませんでした」
その口調は、年上に向けるような敬意と距離を兼ね備えている。まるで自分のことを、世話の焼ける珍獣か何かと思っているようだった。
「助かったよ。あんた、名は?」
「フィニスと申します。この国の、魔法理会所属……大魔導師です」
ラルゴは一瞬、何か聞き間違えたのかと思った。だが、フィニスの顔に冗談の色は一切ない。
「……大魔導師、って……」
「ええ、そう呼ばれています。実年齢は百二十と少々。若作りのつもりはありませんが、体質のようなものでして」
口調は冷静だったが、どこか慣れているようでもあった。何度も同じ反応を繰り返し受けてきたのだろう。
「……へぇ、ずいぶんと長生きな子供だな。俺より、はるかに年上ってことか」
「ええ、野蛮そうに見えても、礼儀は心得ているのですね」
ピクリ、とラルゴの眉が動いた。だが言い返す気力はなかった。何よりも、自分が今どこにいて、これからどうなるのか――それがわからない不安の方が重かった。
沈黙が落ちた。空気が、静かに沈み込む。
「……あなたの体は、魔力に対して極端に無防備です。この国に長く滞在すれば、遅かれ早かれ魔力障害を起こすでしょう」
その声はあくまで穏やかだったが、言葉の内容は冷酷だった。
「では……どうすりゃいい。もう出ていけって話か?」
フィニスは、一拍の間を置いてから、静かに首を横に振った。
「いえ。対処法はございます」
言いづらそうに視線を逸らしながら、彼は続けた。
「魔力のない者がこの国に適応するには……強い魔力をもつ存在と、〝身体を交える〟必要があります。それにより、魔力を受け取り、一定の安定を保てるようになります」
ラルゴは、しばらく沈黙した。沈黙の中で、彼はただフィニスの顔を見つめた。少年の顔は赤くもなく、真っ青でもなかった。まるで、これがただの論理的な選択であるかのように、彼は立っていた。
「……それで?」
「神託により、適合者が選ばれました。貴殿と最も相性の良い存在と」
「まさか」
「ええ。私です」
ラルゴは天井を仰ぎ見て、息を吐いた。ほんのわずか、声にならない笑いが喉を漏れた。
「……最悪だな」
フィニスは微かに眉をひそめたが、返す言葉はなかった。