いつもすみっこにいるあの子は、俺が尊敬する動画配信者だった!
武頼庵(藤谷K介)さん主催『24自主企画 秋の収穫祭・味覚祭り!!』の参加作品です。
本作は拙作『火を見て、日々を観る』に登場するキャラクタ『ふうこ』のスピンオフ作品ですが、この話単体でも読めますので、どうぞよろしくお願い致します。
大学生になったら自作動画を配信する。
そんな目標を持って、大学の動画配信サークルに入った俺――撮島光だったが、二年生になった今でも一つの動画も作り上げていない。
俺が所属する配信サークルの面々は、動画を撮る側の人間ではなく、それを観て蘊蓄を垂れ流す側の人間がほとんどで、気が付けば俺もその空気に飲まれてしまっていた。
義務感で参加した飲み会の席。
彼らの語る『動画配信者評論』にイマイチついていけず、俺は個室の隅でビールを飲みながら、テーブルの隅に追いやられていた枝豆を摘んでいた。
自分で撮ったこともないくせに、何を偉そうに他人を非批評してるんだ――なんて、心の中で悪態を吐くが、結局俺も同じ『作れていない』側の人間だってことは、痛いほどわかっている。
指先で押し出した枝豆が、頬の内側にあたる感触を楽しみながら、俺は漫然と個室の対角線上の隅を見た。
そこには彼女がいた。
彼女はいつも、部屋の隅で小さく縮こまっている。
細身で背は高く、ぱっと見は目立つ体型をしているのに、いつも自信なさげな表情で俯いていて、長い前髪で目を隠している。シュートボブの髪色はカラスみたいに真っ黒で、どこか垢抜けない。
彼女――二年生の伊吹早苗は、いつも部屋の隅に漠然と存在している物体、そんな認識だった。
△
今度の週末。
動画配信サークルの面々は、大学近くの河川敷で『芋煮会』なる催しを開く事になった。
関東出身の俺にはよくわからないのだが、芋煮会とはつまるところ、汁物をメインとしたBBQみたいなものと聞いている。東北出身の先輩が音頭をとり、いつものように滞りなく会の概要が決まった。
このサークルのメンバーは、動画撮影のイロハは知らないだろうが、飲み会開催のイロハは相当なものだろう。
『芋煮会』を翌日に控えた金曜の夜、俺はお気に入りの動画配信者の中から、アウトドアに関する動画を抽出し、BBQの心得なんかをざっと予習していた。
昨今はキャンプブームの追い風もあり、アウトドア系の動画も多く配信されている。その中で俺は、ある女性配信者の事を密かに推していた。
彼女は、自身のキャンプ体験を配信していた。見たところ、歳の頃はおそらく俺とさほど変わらないだろう。撮影映像も荒削りで経験不足を感じる。
しかし、その編集センスには光るものがあった。
動画の切り方、テロップのフォント、BGM。それら全てが、キャンプが『楽しくて』『大好きだ』という彼女の心情を上手く増幅させている。
空は空以上に美しく、焚き火は焚き火以上に輝いて見える。狙ってやっているのだとしたら、相当に考え抜いているに違いない。
深夜に動画サイトを徘徊していたあの日、偶然見つけた彼女の配信動画に、俺は心を奪われた。
彼女の名前は『ふうこ』。
俺が知る限り、最も将来有望な動画配信者。
動画の中で、彼女はいつも火を見つめている。
その手に持った長い筒(火吹き棒というらしい)には、いつも緑色のボールみたいなキャラクターが揺れていた。
△
動画を見すぎて寝不足だ。
まあ、それはいつもの事だけど……。
大学側の河原にはすでに先輩たちが集まっていて、レンタルして来たアウトドアテーブルの上には、既にスナック菓子の袋とビールの缶が転がっている。
「撮島ーやっと来たのー?! 早くご飯作ってよー!」
アウトドアに不釣り合いなチャラチャラしたアクセサリーを身に付けた美上先輩が、俺を手招きし焚き火スタンドを指差す。
美上先輩は、動画の『被写体』としてこのサークルにスカウトされたらしいが、今となってはただの『飲み会の姫』になり下がっている。校内のミスコン3位の容姿らしく、なまじ学校内でのカーストが高いものだから、こんな底辺サークルの中では完全にご令嬢を気取っている。
美上先輩の取り巻きの一人でもある川田先輩が、ニヤニヤしながら薪とマッチを差し出した。川田先輩はラグビー部も兼任する大男なのだが、美上先輩と飲みたいだけで動画配信サークルに籍を置いている、なんともいけすかないやろうだ。
俺は舌打ちしたい感情を抑えつつ、川田先輩のゴリラの手からそれを受け取ると、焚き火スタンドの前にしゃがみ込んだ。
さて、どうやるんだろう?
こんな事もあろうかと、昨日動画を見て予習してきたはずなのだが……その後に観た動画の記憶に上書きされ、細部を消失してしまったらしい。俺は自分の脳みそのキャパを呪った。
思い出せるのは『ふうこ』が持つ火吹き棒と、そこに吊り下げられたボール状のマスコットのみ。
とりあえず、適当に薪を川の字に並べて、マッチの火を当ててみる。
火は一瞬で消えた。
新聞紙を丸めて、それに火を着け、その上に薪を並べてみる。
新聞紙だけが消し炭になった。
「撮島、早くしろよ。何やってんだよ?」
俺の背後に立った川田先輩が俺からマッチを取り上げる。そして美上先輩の方をチラチラと伺った。どうやら良いところを見せて自分の株を上げたいらしい。
しかし、そんな思惑に反して「なんだこれ、全然火がつかねーぞ?」と、薪との格闘を始める川田先輩。
そんな先輩を尻目に、俺は今日の芋煮会メンバーを見回した。
伊吹さんが居た。
彼女は忙しそうに、美上先輩やその取り巻き達に飲み物を注いでまわっていた。
いつも部屋の隅に身を隠している彼女だが、今日は部屋そのものが存在しない。この空気の中での自分の居場所を模索した結果、コマ使いのようなポジションに落ち着いたのかもしれない。
俺は紙コップにジュースを注ぐと、息を切らした伊吹さんの隣に並んだ。
「ほら」
「え?」
差しされたコップに驚き、俺とコップを交互に見比べる伊吹さん。
「いいから、ちょっと休みなよ」
「え、でも、それじゃ先輩たちが困っちゃうし……」
この世の不幸を一身に背負ったような顔で答える。その声は秋風に紛れて今にも消えてしまいそうだ。
「まだ火だって起こせてないし、そんなハイペースでやってたら、疲れちゃうよ?」
「う、うん」
伊吹さんはコップを受け取り、俯きながら唇を紙コップに当てた。
同じサークルの同級生でありながら、俺は伊吹さんと会話した事がほとんどなかった。お互いがこのサークルに居心地の悪さを感じつつも、逃げ出すほどの勇気も持てず――熱帯魚が泳ぐ水槽の隅の、小さなナマズみたいな様子で、ただ漫然と冴えない日々を送っている。
初めて並んだ伊吹さんは、思っていたよりも小柄だった。長い手足と小さな顔が、遠目で見る彼女長身に見せていたのだろうか。
俺たちは、しばし無言のまま、着火に悪戦苦闘する川田先輩を眺めていた。
「撮島ぁ、何サボってんの? 川田くん全然ダメだからなんとかしてよ。私、お腹すいちゃったんだけど?」
気が付くと、不機嫌そうな美上先輩が俺たちの後ろに立っていた。
伊吹さんは肩を窄め、身構える。
「あー、それと伊吹さん? 休んでないで、先輩方に飲み物を注いで回らなくちゃいけなんじゃないの? あなた鈍臭いし、そのくらいしか出来ないんだから」
そこまで言うか?
俺は美上先輩と伊吹さんを交互に見る。伊吹は俯いて、紙コップの中に揺れるジュースを眺めている。
「ほら、撮島、あんたはさっさと川田くんのところに行きなさい! あいつ、何やってんのよ。火起こしみたいなくだらない雑用なんて、さっさと終わらせなさいよ」
「火起こしが、くだらない雑用ですか……?」
伊吹さんを取り巻く空気が変わった気がした。
さっきまでのオドオドした雰囲気が徐々に薄れ、ぼやけていた表情に光が射す。それはさながら、雛鳥をイタズラに傷つけられた親鳥のような、強い反骨心が滲む表情だった。
その表情の真意に気付けないまま、俺は適当にその場を取り繕おうとする。
「はいはい、わかりましたよ。いってきま――」
「それ、私がやります」
一陣の冷たい秋風が吹いた気がした。
川田先輩のもとへ向かおうとした俺を制して、伊吹さんが言う。それは強く、堂々とした声だった。
「え? なに? どうしたの?」
美上先輩が素っ頓狂な声で尋ねる。大きく見開かれた目から、マスカラが落っこちそうだ。
「私が、火起こしをやります」
「は? あんたが?」驚いて固まった美上先輩の表情が、徐々に崩れる。「ははは、あんたみたいな鈍臭い子がそーゆー雑用出来るわけないじゃん! なにムキになってんの? やめときなって、火傷するから!」
河川敷に笑い声が響く。
「ムキになってない。あんな雑なやり方じゃ、火がかわいそうだからだよ……」
美上先輩の高笑いの陰で、伊吹さんがそう呟くのを俺だけが聞いた。
伊吹さんはスタスタと川田先輩のいる焚き火スタンドへと向かう。俺はヒョコヒョコとその後を追う。
「あ? どうした伊吹?」
薪を手に悪戦苦闘する川田先輩の横にすわりこみ、薪の束から細めの一本を取り出す。そしてショルダーバックから取り出したのは、使い込まれた折りたたみナイフ。
「おま! なんでそんなもん持ってんだよ!?」
首を傾げる川田先輩をよそに、伊吹はナイフで薪を削り始めた。薄く削がれた木が、薪の先端に鳥の羽のように集まっている。
フェザースティック?
俺は『ふうこ』の動画を思い出していた。
フェザーステックとは木材を加工した着火剤だ。薄く削った木材は燃えやすく、小さな火種から瞬間的に火を成長させることが出来る。
伊吹さんは数分でそれを作り上げると、マッチの火を羽の先に移した。そして大きく燃え上がる火に、細めの薪を焚べていく。
「空気がないと、火は燃えないんだよ……。だから、ちゃんと空気が入る隙間を作って、薪を組んであげないと」
確かに、川の字に並べていた俺のやり方とは全然違った。薪が交差し、適度な空間を生んでいる。
「それと、この薪は少し湿ってるみたい。だから焚き火台の近くに並べて、温めて、水分を抜いてあげれば燃えやすくなる」
伊吹さんは流れるような手捌きで、新たな薪を焚べていく。それはさながら、赤く獰猛な獣のタテガミを撫で、飼い慣らしているようにも見えた。
俺が試みた時とは全然違う。
火はどんどん成長していく。
その火を、伊吹さんは子供の成長を見守る母親みたいな、温かなめ目で見つめる。
伊吹さん、すごい。
そう声を掛けようとしたけど、無粋な気がしてやめた。
今の伊吹さんの世界には、彼女とこの火しか存在しないのかもしれない。囁くような火の声を聞き、火を優しく成長へと導いていく――それはとても繊細な営み。
そんな世界に、ありきたりな賛美の言葉など雑音でしかない。
気がつくと、川田さん含めた男連中が、焚き火で照らされた伊吹さんの横顔を眺めていた。
皆が言葉を失い、ただ一心に火の成長を見守る。
伊吹さんがショルダーバッグから長い筒を取り出し、木製の筒の末端に、柔らかな唇を当てた。
男連中は息を呑む。
皆が、伊吹さんの一挙手一投足に見惚れている。
そして俺だけが、そこで揺れる緑色の丸いキャラクターの存在に気が付いた。
△
伊吹さんが作った芋煮は醤油ベースの山形式らしい。
牛肉の旨みが染みた里芋はホクホクと柔らかく、素朴な味が噛むたびに口いっぱいに広がった。プルプルとしたこんにゃくの歯応えは食感に変化を与え、温かなつゆを一口飲むと、醤油の香ばしさが鼻腔を抜けていく。
それが、青空や枯れ草、焚き火の匂いと混じり合う。
椅子に座った伊吹さんは、発泡スチロール製の容器に注いだ芋煮を、ゆっくり咀嚼し味わっている。
とは言え、これで何杯目になるのか?
彼女がこんなに大食いだという事も、俺は初めて知った。そして――もっと彼女の事を知りたいという、自分の中の欲求もまた、初めて知った。
川田先輩たちはバーベキューで盛り上がっている。
美上先輩は不機嫌そうな表情で、遠くから伊吹さんを睨んでいる。
俺は美味しそうに芋煮を頬張る伊吹さんの横で、缶ビールを傾けた。
「ねえ、ふうこさん」
「はい。……え?」
伊吹さんの手が止まる。
そして怯えた子供のような表情で、俺を見る。そんな彼女に、俺は出来うる限り満面の笑みで返した。
「伊吹さんって、キャンプ系配信者の『ふうこ』さんでしょ?」
「ええええ、ちちちち違います!」
「その動揺が、事実を物語ってると思うんだけど」
ぐぬぬぬ、と呻いていた伊吹さんだったが、誤魔化しても無駄と判断したのか、小さな声で呟く。「な、なんで? なんでわかったんですか?」
そして彼女は、可哀想なくらい顔を真っ赤にして、その顔を両手で隠そうとした。その途端、容器に残っていた芋煮を芝生にぶちまけ、はわはわ言いながらそれを拾い始める。
少しおっちょこちょいなところも、あの動画の『ふうこ』そのままだった。
「火吹き棒に付けてるキャラクターが『ふうこ』と一緒だったから」
しゃがみ込んで里芋を拾いながら、俺は言う。
「あ、あの、ハロの?」
「ハロっていうんだ、あれ」
「うん、ガンダムの。私のキャンプの先生が、ガンダム好きだったから……」
「へぇー」
枯れた芝生だらけになってしまった里芋は、空っぽになっていた自分の容器に入れる。不恰好になってしまったそれが、なんだか居た堪れなくなって、俺は空を見上げる。
たくさんのトンボが、薄青の空を埋め尽くしていた。
「驚かしちゃってごめん」
「ううん、いいけど……私、鈍臭いし、すぐびっくりしちゃうんだ」
「でも、キャンプをしている時の『ふうこ』は、めっちゃテキパキしてるし、輝いてるよ」
俺は歯の浮くようなセリフを言う。アルコールのせいかもしれない。伊吹さんはきょとんとした顔で、俺の次の言葉を待っている。
「俺、『ふうこ』のファンなんだ」
「ファン?」
「ずっと尊敬してたんだ。俺と同じくらいの歳なのに、ちゃんと自分の気持ちを動画に乗せて配信してる。気持ちだけで何も出来ていない俺とは、全然違うって……。でもまさか、その本人がこんな近くに居たなんて」
俺は照れ笑いを浮かべながら伊吹さんを見た。
彼女は夢見るような表情で俺を見ていた。
「もしよかったら、伊吹さんともっと動画の話をしたい。いろんな事を、教えてもらいたい」
「え、私なんか、そんな――」
「ダメ?」
俺は尋ねる。
伊吹さんは少しの間だけ押し黙った。そんな伊吹さんの肩に、群れを逸れたトンボが止まる。
たっぷり数分間の逡巡のあと、伊吹さんは頷いた。
「うん、いいよ……」
その数分間の沈黙が、動画作成に対する彼女の真摯さ、真剣さを意味してるような気がして――俺は嬉しかった。
伊吹さんの肩に止まっていたトンボが、透明な羽根をはばたかせ、誰もいない空へと優雅に飛び立っていく。
俺にはそれが何かの隠喩のような気がして、ずっとそのトンボの跡を追ってた。
本編の『火を見て、日々を観る』では、『ふうこ』の高校生時代の様子が描かれます。よろしければ是非そちらもお読みください(*´Д`*)