3:投げた砂塵は戻らない ①
三章 ①/4
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――――「……なあ、本当に反省してるんだよなあ? 切り替え早すぎだぞ……??」
「してますとも……! 何なら今の、もう一回してもいいよ?」
フィーゼリタスは翠の双眸に滲んだ涙を拭うと、おどけたような朗らかさで俺を見上げた。
「……俺の言った意味、聞いてたよな? もう一回とかふざけんなよ? いつも通りにしてろってことだぞ」
俺たちはコテージの西側、居間のすぐ隣に接するフィーゼリタスの寝室にいた。ガラスのモザイクランプが3つ、ゆらゆらと揺れる天井には、湖に向かって開いた窓から水の反射が穏やかに煌めいている。
周囲には、背負い鞄からひっくり返され散らばった部屋の主の荷物。
部屋の壁ぎわにはぺたりと座り込んで、俺を見上げている部屋の主。
しかし長い耳をピン、と張ってこちらを見るその部屋の主は、俺の言葉を聞いてもその朗らかな面持ちを崩さなかった。ただよく見るとその目の表情だけが、気付けば笑うのをやめているように見えた。
「わかってるよ。でも、"神名と祖に誓って"約束は違えないよ。
それに、イチはそういうけど、イチになら喉頚を掻き切られてもいいんだ……ボクは」
そしてそんな不穏なことを言いつつ、フィーはもう一度俺に額を擦り付けて抱き付いてくる。胸周りが暖かい。しかしこいつが頬擦りするたび、俺の顔にまで長い耳が一定の間隔でぺしぺしとぶつかりに来るのは鬱陶しい。
「……あー、そろそろ離れろ……」
「えー、いいとこだよ今……!」
結局、さきほどの〈耳長族の守護神への誠宣〉は、まとめるとこういうことになるのだろう。
〈1つ、ハナトの世話はフィーゼリタスがする〉
〈2つ、フィーゼリタスが使い込んだ俺の金は、フィーゼリタスがきっちり返す〉
〈3つ、フィーゼリタスの金をどう使うかは俺に任される〉
…………まあ4つ目は…………、これはコイツが、俺が最初に出した条件を呑んだ上で勝手に付け足したことなので、俺の中では不許諾だ。出来るならこのまま無いものとして無視しておきたい。
それに、俺側が『してやる』と明示したこともコイツにはひとつも取り入れられなかったが、
(まあ……それはそれで俺が勝手に守っとけば済む話か…………)
……と、その時、ジャラジャラッと重い鎖の擦れる音がした。掠れた声も聞こえてきた。
《……ぅ……?》
「チッ、起きたか……」
今の今まで寝ていたはずだったが、見ればガキが体を起こし、ブランケットにくるまったまま目を擦っていた。そうして俺たちの視線に気づき、上目遣いに、まだ薄く警戒心を含んでいるような気配と共に固まる。
「わっ、ごめんね起こしちゃった? でも、ねえ、喜んで奴隷ちゃん! イチヘイが、ボクら一緒に居て良いってよ……――――!」
フィーゼリタスは俺と壁との隙間を猫のようにすり抜けると、嬉しそうにソファへ駆け寄っていった。
この切り替えの速さにはいつも本当に呆れるが、しかしあんな形で約束をされた以上、フィーも本気なのだろう。俺は小さくため息をついてそれを見送る。
一方バサバサの黒髪をしたそのガキは、訳のわからない言語で詰め寄ってくる謎の生物を前にし、怯えたように目を丸くした。見るからに身体を硬直させている。
《っ?! っ?!》
「通じてねえよアホ毛玉。あとソイツの名前ハナトって言うらしい」
立ち上がって近づきながら言う。
「そうなの? ハナトちゃんていうんだねよろしくねハナトちゃーーん!!!」
《ぃっ……》
叫ぶフィーゼリタス。向こうはさらに震え上がり、助けを求めるように俺へと目玉を泳がせてきた。
そりゃ、服を着て両耳に細い鎖と房飾りをジャラジャラつけた正体不明のデカいうさぎカンガルーが、自分からは教えてもいない自分の名前を叫びながらハイテンションで飛びついてくるのだ。何時からこちらにきているのか知らないが、獣人を知らないなら怯えもするだろう。
「改めていうけど、ボクはフィーゼリタス。耳長族の戦士。イチヘイの、いちばんの相棒だよ!」
《、や……っ、い゛っぅ゛ッッ、っ、ゲホゲホッ!》
ブルブルと震え、出ない声をふり絞った喉を急に何かに締め上げられたかのような声をあげると、ついには咳き込みはじめた。
その目がすがるように、俺を見つめている。
「チッ……」
(面倒くせぇ……)
無視しようかと思ったが、なぜかできなかった。ぶっきらぼうに眉をしかめて、ガキの視線からは目を外しつつ、2人に近づく。
それにいまだハナトをかなり厄介に思うのも事実だが、この状態を放置するのも確実に収拾がつかなくなりそうだ。
『世話はお前がしろ』とは言ったものの、もしや手元に置く以上、通訳として俺の『世話』は必須なのでは……??
約束を結んだ先から、気づいてしまって先が思いやられる。
だがどちらにせよ、最終的にはフィーのため、コイツを手元に置くと判断したのが俺なことは変わらない。
不本意だが、嫌いだが、最低限の責任は取るしかない……。
「おいフィーゼリタス。興奮して回りが見えなくなるのは、てめぇの昔ッからの悪い癖だ」
ため息を吐き言葉を選びつつ、毛の生えた首根っこを掴んで、ハナトから引き離してやる。
ちなみにこいつのうなじの毛皮は柔らかく滑らかで、引っ張るといつも妙に伸びた。
「えー、だってつい嬉しくてさ……」
《う……!》
するとガキはすっかり怯えきり――――、フィーが捕獲されたのを察知したかと思うと、よりにもよってさかさず俺の背後に隠れやがった。ジャラジャラとこすれる鎖枷の音が部屋に響く。
《おい……》
「えっ、まってボクそれ傷付く……」
そしてガキは俺の後ろからそっと顔を出し、俺のシャツの裾を掴みながら、警戒心剥き出しでフィーの動きを見つめている。俺は辟易しながら、反対の腕で背中のソイツも引き剥がした。
《おい、とにかく離れろ。もう抱きつくな》
《え……?》
《 悪いが、俺はお前の親じゃねえんだよ》
《あ、え……?》
《んな〆られるまえの家畜みたいな目で見るな。いいか。このうさぎみたいなのは肉も食うが、人間は食わねぇ。アホだが安全だし……。あと懐はでけえから安心しろ。怒ると怖いがな。……だからお前が懐くならコイツに、だ。あんまり俺にくっつくな。ただでさえこのウサギカンガルーのせいで、ウチにゃもう金が無えんだ、これ以上の迷惑はゴメンだ》
ついつい感情のまま、大人げなく悪態をついてしまう。
離されたとき、ガキは初め俺に裏切られたと思ったのか目を見開いた無表情になっていた。が、話を聞くにつれ、やがて何か考えるような神妙な顔つきに変わっていく。
《……何だ? わかったらさっさとあっちに》
目が合う。するとソイツは遠慮がちに胸の前に両手を出し、右手をパー、左手を何か摘む形にして、それを擦り合わせながら俺に首をかしげてきた。
《……ぁく…………ゲホッ》
何かいいたそうだが、掠れて不明瞭な声からは何も聞き取れない。
ただ、横から覗き込んできたフィーゼリタスの方は、すぐにその意味を察したようだった。
「んーなあに? ……紙とペンの手? 何か書くもの欲しいの? なんで?」
「あー?」
乱雑に相棒を見やる。そういえばコイツに伝え忘れていた。
「あー……そうだフィー、言い忘れてたがこのガキ、口がきけねえ……というか一度に沢山は話せないようだ。どういう経緯なのかコイツもこの状態だし、詳しいことはまだ聞いてないが」
「――――えっ」
途端フィーゼリタスは、顔をこちらに向けると同時に両耳をピンと真上に向けた。
「…………あひょえええええ?!?!」
目をしばたたかせながら変な悲鳴を上げている。ホントに戸惑っている時の顔だった。
「えっ、ちょ、そんなのここまで聞いてないし知らないよもっと早く言っ……えっ、無口なだけだと思っ…………えっ、でもそしたらそんな、大変じゃないの大丈夫なのちゃんとお医者さんに見せた方が良いんじゃでもお金が無……っ、うえあえあうぇえいいい?!」
最後には心配と戸惑いが振り切れたのか、変な喚き声をあげながら右往左往し出す。
ここまで来ると俺が口を挟む隙もない慌てようだ。面倒臭くなって途中から俺は無視をキメることにした。
そのままチラリとガキを見る。どうやら、奇行に走るその毛玉を半ば怯えたように凝視しているらしかったが、俺が脇から
《 ……書くものが欲しいのか?》
と目も合わせずに問うと、視界の端にでも分かるぐらい、何度も俺に頷き返してきた。
その動作に、俺はやはりわずかに苛立ちを覚えた。
「――うう いてて……。はい、どうぞハナトちゃん」
そしてフィーゼリタスが、頭のてっぺんをさすりながらソファに座ったソイツに筆記具を差し出す。コイツが昔から使っている、魔石を使用したノートサイズの筆記板だった。
そろそろ煩くなった俺が長い耳の間を叩いて正気に戻し、持って来させたのだ。
だが(恐らくフィーゼリタスを、いつ噛み付くか分からない珍獣くらいに思っているんだろう)腫れ物を扱うようにフィーゼリタスからそれらを受け取ったガキは、受け取った二つを矯めつ眇めつしたあと、困ったように遠慮がちに隣に座る俺を見上げてくる。
《……俺を見るな》
「ん〜? もしかして使い方が分からない、のかな」
と、言うが早いか、フィーゼリタスはささっと向かいのソファから離れ、ガキのすぐ隣に腰を下ろしだす。
ガキを挟んで、同じソファに3人が詰め込まれる形になる。
「おいフィー、お前さ……」
「もー傷付くなぁ、嫌がられてるのは分かってるもん」
言って、フィーは膨らませた頬をしぼませ再びハナトに向き直る。
「ハナトちゃん見ててー?」
ガキは、突如 自分のスペースを侵してきた怪獣へ、身を硬くして明確な拒絶を示していた。そんな様子をよそに、フィーは優しい声をあげながらソイツを覗き込む。
そして黒く半透明な魔石を薄く削り出し、木の板を裏張りしたその『筆記板』と呼ばれる道具をテーブルの上に置くと、
「ほらね、こうやって描くんだよ」
「あ? あぁ……」
人差し指でさらさらとなぞり出した。
描いた痕跡は波紋のような明滅を見せながら黄金の光を放つ筋となり、盤面数ミリの高さに浮き上がる。
フィーの行動を見せられてようやく気づいた。確かに考えてもみれば、俺の故郷にはこんなモノ無い。
光に当たると薄く透け、魔石の細かい不純物や魔方陣の模様が流紋のようにうっすら輝くそれは、見た目と質感が向こうで俺が知っていた何とも似通わない。
こっちの習慣に長く馴染みすぎたかもしれない。
そう思いつつ、同時にフィーゼリタスが時々見せるこの、俺には真似出来そうにない優しさと気の回し方に舌を巻く。
「イチも最初は分からなかったから、ハナトちゃんもきっとそうでしょ? ほらね、こうやって書くんだよ〜」
ガキはその様子をジッと見ている。俺はフィーの発言に合わせて、必要最低限、横から短く通訳を入れていた。
《…………》
「ね? あとは消す時はこうするの。見ててね」
その顔をまた見つめながら、描いた部分にスッと手をかざすフィー。
「消えろって念じると消えるよ。こうやって……えいっ、きえろ〜っ!」
と、詠唱とも言えないようなふざけたフィーの号令とともに、版面に描かれていた謎の動物の絵は跡形もなく消えた。
本来、魔石を使用するこのような魔石具は高価なものだ。フィーゼリタスの使っているこの筆記板は片落ちの欠陥品であるらしいが、文字を消せばまた使えて持ち運びも楽なため、ときおり算術や、雇い主との交渉ごとなどの時にメモとして使用していた。
《…………》
はじめガキはこのフィーゼリタスに、若干 怯んだ様子で縮こまっていた。しかしフィーが彼女のためにぐにぐにと線を書き、その線がなにかの動物の顔を象って、最後に、出来上がったその絵を消したフィーがニコッと笑って見せると、ソイツの態度も明らかに変わる。
《……あい、がと……》
彼女は掠れる声で言った。同時に、フィーゼリタスがビクリと震える。今まで怯えていたガキの手が、ココに来て初めて、自分からフィーへと伸ばされたからだ。
ついでガキは、ぎこちない笑顔を見せたようだった。ここからだと、頬の端の膨らみの変化しか見えなかったが。
「あ、笑っ……」
ただ次の瞬間にはもう向こうはフィーの指先から筆記板を受け取り、子供らしい文字でなにか書きつけ始めている。




