2:人殺しの俺たちと、フィーゼリタスの新たな過ち ③
ニ章 ③/3
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「っ?!」
身体に染み付いた反射でとっさに跳び退るよりも早く、今度は俺が長剣を握る方の利き手を掴まれる。
コイツの握力はいつでも俺の上を行く。
振りほどけなかった反動を巧みに利用され、俺の身体は容易く相手の近くまで引き戻されていた。
その視界の中、奪われた短剣はフィーゼリタスの指捌きでくるりと回転し、切っ先が短剣を奪った本人に向けられた。
「なっ、は?」
次いで状況が解らず固まる俺の、掴んだ方の掌に奪った柄を握らせると、フィーはそこを両手でさらに握りこんでくる。
抵抗しようと俺の左手が重なったときには、既にもう渡り40センチ程はある刃の切っ先が、フィーゼリタスの喉に突きつけられている。
すべて一瞬だった。
気付いたときには視界の中央で、激情にも似た苛烈な火を灯す翡翠の瞳が、まっすぐに俺を射抜いている。同時に薄い毛皮を纏う五指が片方だけ滑り、心臓の上でフィーの衣服を乱暴に掴んでいた。
「イチ、あのね、もしボクが約束破ったら、殺してほしい、ボクのこと……」
囁くように乞われた。気付けばその長い尾も、主の両脚をぐるりと巻いて固定されている。
(……『誠実の誓い』、なのか……?)
それは、その誓いは、本気なのか? 俺が愕然としたとき、フィーの声がふるえながらも、唐突になにかを朗々と謳いはじめた。
――――『僕、天祖アリゼリラスの御前に白さく、』
(急になにを……)
喋りだしたんだと思ったときには、俺たちの周りの床には蔦と何かの文字を具象化したような、古めかしい紋様の魔方陣が広がっていった。陣は広がるごとに幾重にも重なり、少しずつ床から剥がれ、さながら輝く白い花が閉じるように俺とフィーを内側に包み込んでいく。
フィーの詠唱はまだ続いている。
『僕と朋の誉
朋と祖の血
尊き縁に心命賭し……』
俺は気づいた。
これは、耳長族の略式ではない『誠実の誓い』。
――――〈耳長族の守護神への誠宣〉という儀式だと。
しかし白い光の籠に閉じ込められたようなこの状態に、今は戸惑いの方が勝ってしまっていた。
謳われる内容も、おそらくは耳長族に使われてきたのであろう古い言葉が占め、半分以上は意味がわからない。
ゆえにこの瞬間には気付けなかった。このアホが、なにを誓おうとしていたのか。
フィーゼリタスの手がだんだん震え出す。強く握られる手のひらに、妙な熱と湿り気を感じた。
『譬え血族の命尽きんとも、
僕、この者と共に在りて
望む誓いを果たし徹さん
御名に依りて今、此処に契らん』
ふわりと逆立ちだす首回りの毛に、この耳長族が相当な、時に死すら厭わないほどの興奮状態になりかけていると知る。
「天祖よ、ハナトの世話はボクがします。ボクが使ったイチヘイのお金は、ちゃんと返します。ボクのお金をどう使うかはイチヘイに任せます」
それから、上向いていたフィーの眼差しがまるで覚悟と決意を秘めたような色をして俺に移ると、その瞳に灯る苛烈な火で、俺の視線を静かに絡めとってくる。
「……イチ、ボクね、イチになら何されてもいい……イチがホントに怒ってるなら、今、ここで殺されて……毛皮の敷物にされてもいいから……命令されたら逆らわないし、何でもいうこときく」
「おまえ、何を言って……。……っ?!」
(――――まて!? 『コレ』は神に誓う儀式だよな……?!)
嫌な予感が走った。
「待てフィー、今おまえ、俺に何を誓った……?!」
『僕、希くば、天祖よ、聽き届けよ、見届けよ!』
だがそう言うが早く、片手だけでも充分強いフィーの膂力が、刃を、俺の腕ごと更に引き寄せていることに気付く。刹那、目に入れた喉元の白毛に赤い色が滲みだしたことに気付けば、もはや内容を問うどころではなかった。背筋が一瞬にして粟立つ。
「おい……おい?! なにしてんだ!!」
この刃の切れ味を、一番知っているのはこの俺だ。暴れれば遠ざけること自体は可能だろう、だが無理に退いたら切れる、暴れれば傷付ける。手入れのあと腰へ佩きっぱなしにしていたことすら悔やむ。
「――マジでなにしてんだ、フィー! っ、このっ離せ!!! いますぐだ……!!!」
どうにもならない状況に叫ぶ。しかし首から垂れた赤い血が、あえなく細く刃を伝う、その刹那――――
――――カンッ!
と木の杖を突くような音。
――――シャン!
と幾重にも鈴がなるような音。
2つが同時に部屋の空気を震わせ、青と緑の読めない文字列が、花びらのように俺たちを囲み回りはじめた。同時に俺たちを包んでいた聖宣の白い籠が一気に収縮をはじめた。
「~~~~~っ?!」
物理的な圧迫はなかった。代わりに身体の芯の、最も触れられてはならない部分を書き換えられているような気持ちの悪い感覚に、言い知れぬ怖気がはしる。
しかし、どうやらそれが全てのようだった。
…………暖かい初夏の光、汽水湖から吹き込む水っぽい潮の臭い。湖の反射がうねる天井、物が散らばった床。
「…………」
フィーゼリタスの『ふー、ふー』と緊張に荒がる息の音だけが部屋に響く。その静けさに、儀式は全て終ったのだと悟った。
傷から薄くたれる血の赤さに心配も過るが、
「――――おい、フィー」
それより今はその、俺を表面に映してどこも視ない頑なな翡翠の瞳を前にして、コイツが今したその行いを省みて、ふつふつと、胸の内を言い知れない感情に染められていった。
「……いま、何を誓った……?」
低い唸りで問う。
その声に、我に返ったように身を震わせた相棒が瞼を見開く。広がった虹彩が俺を捉える。一瞬にして毛に覆われた手が、身体が、俺と剣から離れた。
「なにを誓った?!」
この誠宣を行った耳長族は、自分たちの神と一族の名誉、流れる血と命にかけて、〈魔法〉というより〈神力〉に近い古の呪に魂を縛られる。
――――昔、俺にそう教えたのは他でもない、この耳長族だ。
「……ごめんなさい……」
弱々しく、返ってきたそれが答えだった。それだけで察してしまうコイツとの付き合いの深さすら恨む。
本気で殴りたい衝動に駆られる。
つまりこのバカは勝手に――――また勝手に、今度は俺との約束のために自分の命を賭けたのである。一方、目の前ではフィーの背中がずるずると白い漆喰を擦っていく。
「! おい?!」
俺は咄嗟にしゃがむと血のついた短剣も、長剣も鞘ごと引き抜いて床に置き、部屋の隅まで滑るように放り捨てた。追いかけるように膝をつく。
フィーは顔を覆って床にへたりこむ。
「やっ、ちゃった………………。こんなつもりじゃ、イチをそんな顔にさせるつもりじゃ、なかったのに…………」
震えて涙声になりながら、それでも手のひらの隙間から覗く口が、具体的に自分が何をしたかを俺に伝えはじめる。
この〈耳長族の守護神への誠宣〉は、耳長族が互いに相手との約束に命を賭けると決めたときに使うもの。神様に願いでるので、魔法が使えなくてもできる。
ただ相手が耳長族の神様であるせいか、異種族同士で契約してもどうしてか耳長族にしか死則が発動しないので、原則として同族限定で行われてきた。
守るべき約束を守護神アリゼリラスの御前に詠唱と共に語り、最後に、立ち会う相手の手によって約束を述べた詠唱者が血を流すことで、〈誠宣〉は決約したと見なされる。
そしてもし『約束を破られた』とどちらかが感じそれを言葉に乗せたら、それが真実ならば、違えた側はその場で死ぬ。
さらに今回は『俺の命令には逆らわずなんでも言うことをきく』もフィー自身が後から『4つ目』として約束に加えたため、おそらくフィーの身柄は生かすも殺すも俺次第になる。なんでも言うことはききます。
「――――……でもさ、それは全部ボクが悪いから、仕方ないと思いました……」
要約するとそんなことをぐずぐず泣きながらポツポツと語り、
「イチヘイに安心してもらうには、今のボクにはこうするしかないって、思ったんだ……。グスッ、そうしないとボク、もうとなりに立つ資格ないって、ホントに死ぬ気で思っ……ズッ、ごめっ、ごめんね、こんな……相棒で………」
深い後悔のにじむ言葉と共に締めくくって、最後は黙りこんでしまう。
一方の俺は話に耳を傾けるうち、コイツに新たに湧きはじめていた怒りすら立ち消え、ただただ〈耳長族の守護神への誠宣〉の、圧倒的な拘束力に放心していた。
「――――……重、すぎるんだが……」
「…………」
俯いたままのフィーの手がのびてきて、俺の黒い縁篝のついたシャツの裾を無言でつかむ。そして静かでも熱のある声で、救いを求めるように呟いてくる。
「こうなったらもう、イチヘイの、すきにしてほしい……」
《………………~~~くそっ、この無責任が!》
出てしまう母語と共に、前髪を右手でかきむしる。
「…………」
フィーゼリタスは黙ったままだ。
複雑な気持ちに胸を支配される。
ざらりと胸の内を、やすりで削るようになにかが舐めていく感覚がする。
ただ、きっとフィーは、俺に対してそれだけの信頼があるからこそ、そんな立場に身を落としてまで、俺との約束を守ろうとしているのだ。
それだけは――――わかる。
ただそれだけは、俺の胸に落ちる。それだけが、今はここにある真実だと思った。
(それに、ここでこれ以上罵倒なんかすればコイツの『傷』は…………――――)
俺は、すぐそばにあるフィーの耳の間へ真剣な眼差しを落としてじっと考え、
「……わかった」
ポツリと言い放った。フィーの耳だけがこちらをくるりと向く。うつむいたままで俺の話を注意深く聞いているらしい。
「………お前に、そこまでの覚悟があるのは解った。
あー、だが…………俺はお前の命なんか要らないからな?
だからお前はさっき俺とした約束だけ守れ。お前がオマケみてえに寄越してきた4つ目の約束は、耳長族の守護神とは結んじまったかも知れんが俺とは知らんし認めん。俺も忘れる。わかったな?」
そこまで厳しい口調で淡々といい置いてから、ふと自分でも本当に驚くほど珍しく、喉の奥から本心が漏れだしてくる。
「―――――……いいか、だから、頼むから、こんなこと二度とすんなよフィーゼリタス……」
ずっと視界の中央にあった耳の間も、戒めをこめて軽く叩いておく。
「ふぺっ」
「……こんなことに二度目があってたまるかっつー話なんだが」
しかし無い方が良いに決まっているし、こんなかたちは絶対に間違っている。俺の精神衛生のためにも本気でやめてほしい。
そんな思いで長い耳を見つめる俺。
「い、イチぃいーー…………!」
するとやっとフィーゼリタスがこちらを見上げた。
「やっぱり、やっぱりボクの相棒はイチだけだよう……!」
ずびずびと泣きながらふたたび抱きついてくる。今はさすがに、そのふわつく頭を素直に胸へ受け留められた。
「お前、最低だからな……? やり過ぎだ……」
「うう、ごめんなさい。……ごめんなさい……。ありがとうイチヘイ……」
一方の相棒も、同様にやりすぎたと反省しているのだろう。
長く大きい耳の重みが力無くしなだれかかり、ぬるい冷たさを伴って俺の、むき出しの首筋に乗ってくる。フィーの両耳の縁につけられたピアスと鎖が、臙脂色のシャツの襟に擦れてチャラチャラと鳴った。
「……本当に、ごめんなさい……」
ただ、さらにそうやって押し付けた顔で何度も謝られると、その息が吐かれるたびに衣服を抜け、体温が俺の肌を撫でにくる。
…………普段、もしこんなことをされたら、確実に10発くらいは耳の間を叩く。
だが今だけは、俺はこの熱にフィーの生命の『確からしさ』を感じて、全部なんだか一気に力が抜けてしまった。コイツが短剣を喉に突き付けに言ったときは、本当に死にに行くのかと思ったのだ。
深いため息を1つ吐く。
「……………」
そして我に返ってしまうと、さすがに周囲の空気が重たすぎて居た堪れなくなってきた。
ずっと気にしてきたクセに、いざコイツの弱さに近付いてしまうと、やはり接し方はわからないままだ。
これ以上は、やはり怖くて踏み込めない。
下腹をなぞられるような妙な居心地の悪さだった。
「……いい。一旦は許すが……覚えとけよ? 」
ゆえに俺は少し茶化す雰囲気をだしながら、エナタル山脈の民族衣を着た背中を軽く叩き、頭のほうはワシャワシャ撫でくり回しておいた。
それは一応の和解の合図で、フィーにも俺の意図はちゃんと伝わったようだった。
「ありがとう、イチ……――」
……まあそこまではよかった。
鳩尾に顔を埋めたまま、冗談か本気か分からない声で訊かれる。多分この声もわざとだ。
「――――……ねえやっぱりボク、イチと一生一緒がいいなぁ―? けっこんしません?」
「っ、あのっな!」
長年一緒にいるのも考えものだと思った。確かに雰囲気を変えたいとは思ったが、その茶化しかたはやめろ。
「冗談なのは解ってるが断る。俺は人間の女がいいんだ。それにお前、俺よりデカい」
バッと見上げてきた目と合う。その瞳はまた少しだけ涙で潤んでいるが、もうおどけたように笑っていた。
「えー、もう、耳の長さ分だけじゃん! それに前から言ってるけど、法的にはボクも『人間』だからね?? お師匠さまからきいたもん! なんでイチのいう『人間』はいつもずっと人族だけ、」
さすがに呆れてまた息を吐く。
――――「……なあ、本当に反省してるんだよなあ? 切り替え早すぎだぞ……??」




