12:あなたを見ている。②
十二章 ②/3
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熱冷ましの薬を塗ってあげたあと、ベッドに横たわるハナトの寝顔を見ていたはずだった。なのに気を抜いたらボクまで、上半身だけ突っ伏して寝てしまっていたみたい。
吸った息に、ズビリと混じる水っぽい音。目元に感じる冷たさ。悲しい気持ちが、余韻のように胸を埋めている。
命乞いの声に悲鳴を上げて目覚めるよりは、ずいぶんマシだけども……。
(できれば、泣きたい気持ちになる前に目覚めたかったなあ……)
帰りの馬車の中で、あんなにイチヘイが近かったせいかもしれない。ずひずびと鼻をすすりながら、顔中を濡らす色んな液体を手の甲で拭う。
顔を上げると、世界はオレンジ色だった。
寝落ちてしまう前にはまだギリギリ昼間のふりをしていた太陽も、気付けばニムドゥーラ湖の水面スレスレから、部屋の壁を橙色に染め上げに来ている。
「もう日暮れ……」
でも今はまだ太陽が見えるから、夢から覚めてもどうにか正気でいられる。明るいところ、誰かいるところ、特にイチのいる昼間のリビングで昼寝をするのは安心できる。
けど夜闇に浮かぶ月の下で目覚めるのは、暖晶灯の黄色い光に包まれるだけでは足りなくて、本当に気が狂いそうになった。
……そういえば、今は平屋建てのこのコテージのどこからもイチヘイの気配はしない。まだ帰ってきていないみたいだ。
「時間かかってるのかな……」
ついでにそのまま身を乗り出し、今日最後の日差しのなかでざんばら髪のかかるハナトの横顔を覗き込む。耳につけた赤いピアスの房飾りがちゃらりと目端に垂れてきた。
試しに頬っぺたをつついてみるけど、彼女もまだ目を覚ますような気配はない。
落とした視線の先で、唇にかかる髪をそっと掻き上げてあげる。
「そういえばボク、ハナトちゃんのこと、まだ名前しかちゃんと知らないや……」
ハナトは、胞果熱にかかっていた。(種族によって名前まで違うのは知らなかった)
でもボクは彼女がいつこの世界に来たのかぜんぜん分からなかった上に――――それになぜかこの子、ボクの弟妹たちやイチへイとも違って、途中、小刻みに何回も目を冷ましている。背負っていたからわかる。
本格的に目覚めなくなったのは、本当にここ1ルアくらいの間だけなんだ。同じなのは、一度寝てしまうと揺すってもぺちぺちしても、外からの刺激ではホントに全然起きなくなることくらい。
何でこんなに違うんだろ。そういえば3日で起きる子は魔法使いになれるってどこかで聞いた。
……あれ? でもイチは1日と半分で起きてたけど、魔法使いじゃないぞ?
人族なのに耳長族のボクに追い付けるくらい早く走ったり跳んだり、(他にもあるけど)それくらいだ。
あとすごいのは何もないところで方向転換できる、地味だけど戦闘にはめちゃくちゃ役に立つ魔法を使う。〈祝福持ち〉は魔法が使えないはずなのに、変わっていた。
首をかしげる。
「…………」
んん、ちょっとかんがえたけど、やっぱり魔法のコトはボクにはよく解らなかった。
まあでも魔法使いのあの変なお姉さんに教えてもらわなければ、ハナトがなんの病気かも、ずっと分からないままだったのは確かだ。
その他にも、この子が話せなかったことや、イチヘイがハナトと話したがらなかったこと、今はこの子がこんな状態なこと。
本当に色々重なって、結局まだ、この子の事情や詳しいことは何も聞き出せていないままでいる。
寝返りを打ってずれてしまった濡れタオルを、改めて彼女の額に当てながら思いを馳せた。
目が覚めたら、今度こそイチにいろいろ訊いてもらいたかった。
〈荒レ地ナラシ〉に轢かれかけたあの後、護衛の人に謝り倒すボクの後ろで、ボクはイチヘイがちょっとだけ目を覚ましたハナトに『ファラヘ』という言葉を発しているのを確かに耳にしたもの。
きっと輓獣車のことか何かを教えてあげていたんだと思う。
ゆっくりだけど、確かにちゃんと仲良くなってくれようとしているみたいだった。
――――そうしてその出来事を思い出したとたんだった。ボクの記憶の引き出しからは、今日イチヘイに何を言われたか、何をされたかまでもが、一気引きずり出されてきてしまった。
不意討ちである。
「うひいぃ……」などと変な声を上げて、ボクはそのまままたベッドに身を伏せ、ふにゃりと床に崩折れてしまった。ぼんやりしていたまぶたの余韻なんて一瞬でぜんぶ掻き消える。
「……もうホント、そういうトコ。そういうとこだよイチぃ……」
正直、イチヘイと一緒のあの場ではずっと抑えていた。もう慣れているから、嬉しいって気持ちは出しながらも大体は照れもせず無視はできたと思う。
ボクは人に嘘をつこうと思ってつくのは壊滅的に苦手だけど、自分を騙すのは、きっと結構 得意なのだ……イチヘイのせいで、身に付けざるを得なかった能力である。
でも今日は特別…………本当に特別、色々ありすぎた。何回も危なかった。いちばん恥ずかしかったのはアレだ。どうみても事故だったけど、
(――――むねっ、さわられてっ、変な声だしちゃったよね???)
それに『ハナトと向き合ってほしい』というボクのお願いを聞いてくれたときもそうだ。ボクはあんなわがままを口にしたのに、ボクのこと、すごく悩みながら考えてくれていて、とても、……とても優しかった。
さらに言うと、めちゃくちゃ至近距離から吐息のように囁かれるのも反則である。
「ううううー!」
ばふっとベッドの端で伏せた顔と腕。お尻をつけた床では尻尾が勝手にビタンビタンと跳ねている。耳と顔が熱かった。
だってボクは、イチヘイのあの鋭い横顔がずっと好きだ。
傷付いた獣のようだと、「この子を殺されたくない」とお師匠さまにくってかかったあの日から、ボクは隣であの横顔をずっと見てきた。
最初の頃のイチヘイは、しばらくはボクの名前しか呼ばなかった。独りになりたくないのか、それともお師匠さまといるのがよっぽど嫌なのか、ずっとボクの後ろを付いて回る。
お師匠さまが近付きすぎると眉間に皺をよせて威嚇する。
あの頃は相棒というより大きい弟か、私にだけ懐いた猛獣の面倒を見ているみたいだった。
逆にお師匠さまは、ボクが意外にも初期の頃からイチヘイに懐かれていることに驚いていたっけ。お師匠さまは曰く、そういうのは珍しいことらしい。
思えばあの頃から、ケンカ腰のイチの前に割って入るのはボクの役目だった。
そうして半年くらい経って、最初より少し言葉を覚えた頃、イチヘイは急にお師匠さまを見ても暴れなくなった…………まるで別人になったみたいだった。
ただ、いま考えてみても、そこからのイチヘイが言葉を覚える速さは、本当に砂が水を吸うみたいだった。
知らないことがあればめちゃくちゃ質問してくるし、ボクがちょっと字を教えたら、あとはあの家の2階の書庫にこもって勝手に調べていた。
たとえ分からないことがあっても、大体はお師匠さまにきけば水を得た魚のように嬉しそうに教えてもらえる。
ボクとお師匠さまの武術の稽古についてきて、お師匠さまが魔法で出してくる人形相手に、戦闘の練習も一緒にたくさんやった。
そのうち(いまでも大口を開けて笑ってくれることはないけど)斜に構えながらも冗談くらいなら返してくれるようになった。
そうやってイチヘイはだんだん「人間」になって、気付いたらボクが「今日はなにをするの」「どこへいくの」と後ろをついて歩く日すらあるようになった。
ボクはそのめちゃくちゃ努力している姿を側で見つめ続けているうち、気付いたらこの人のことを心の底から尊敬して、好きになってしまっていたの。
それにイチヘイは、お師匠さまとボクには優しくて、お願いしたらちゃんと聞いて助けてくれる。
特にボクには本当に素で接してくれてた。お師匠さまに見せる顔にはどんなにくだけた態度でいるときもどこか一線引くように尊敬の念がにじみ出ていたけど、ボクにはそうじゃない。
どこに付きまとっても許してくれるあの鋭い瞳の横顔が、時々ふとこちらを向くとき。その表情は、今のところボクだけに向けられる顔なんだと気付いてしまったあの日から、本気でずっと近くにいたいと思った。
……それが異性に向けられるものではないんだと気付いてしまってからも、ずっと。
……でも同時にイチヘイは、お願いしないことには声をかけてこない人だった。
ボクが悲しくても、困っていても、泣きつかない限りは『どうした?』とは言わない。
それもずっと、昔からそうだった。
もっと最初の頃には、どうしてあんなに冷たいんだろう、分からないんだろうと思うことも確かにあった。
でもイチヘイは、やっぱりちゃんと優しい。
戦闘とか、とにかくボクが目に見えて明らかに危ない場面になると、とても迅速に動く。
お師匠さまは、イチヘイは単に傷ついた人の心の助け方が、あるいは人の愛しかたが、自分の意識の及ぶ範囲では理解しきれないだけなのかもしれないといっていた。…………まあその言い回しは相変わらず難しくて半分くらいしかよく解らなかったけど、それを聞かされたとき、ボクもイチの育った場所のこと、イチから聞いたあとだった。
だからそれを聞いて、ボクもボクなりに思ったんだ。
野の獣は、狩りのしかたも身の守りかたも、親から見せてもらって教わる。けど、見せてもらえなかったことはできない。
囀り方を教えてもらえなかった鳥は、どんなに群と仲良くしたくても仲間には話しかけられない。
それはボクたちだって同じだって。
…………それからは、助けて欲しいときはちゃんとイチヘイには伝えるようにしてきた。
それさえできれば、ボクにはボクの得意なこと。イチヘイにはイチヘイの得意なことがあって、信じられないくらい、ぜんぶ綺麗に噛み合ったから。
そうやってずっと、隣にいた。
イチヘイを好きになってしまった、きっと良い顔はして貰えないだろうから、父さんたちにはしばらく内緒にしててほしいと話したときには、
『――あの子は、呪い子だよ? フィーゼィは、本当にいいのだね……?』
と、お師匠さまにまでそうやって念押しされたけど。
それでもやっぱり、ずっと一緒にいたかったんだ。
……おかげで今ではイチヘイの言いたいこと、言葉にされなくても分かる時がある。
ボクの言いたいことも、同じように読んでもらえる。
考えてることが同じ瞬間すらあるんだ。
それは最初は確かに、イチヘイが『呪い子』だったから、お師匠さまに殺されそうになっていたから、それを『要らないと思われている』と思っていた小さい自分に重ねていたと思う。そうして妖魔に堕ちないようイチヘイの心を人間に戻したくて、守りたくて、付いて回ってた。
でもあの人の横顔を見て重ねた月日から、ボクはもうそれ以上のものを与えられてしまったから。
――――……こんな居心地の良い関係、永遠に片想いだからって、たとえお師匠さまからのお願いがなくたって、今さらもう離れられない。
……そうして今のボクは、夜中に飛び起きてはめそめそ泣き、そうして朝に笑っているのだ。
夜中の静寂に自室のドアをそっと開けてすぐ閉める、イチヘイの気配に気付きながら……――――それについて触れてこないのを良いように利用しているんだ。
と、そのとき、『すーー、ふーー……』とひときわ大きな寝息を立てて、目の前にいるハナトが寝返りを打った。
つられて彼女の寝顔に目が行く。思わず口を開いてしまった。懺悔の言葉、だった。
「……ハナトちゃん。ボクね、本当はすごく汚い耳長なの……イチヘイきっと、ボクがこんなんになっちゃって困ってるし、きっと心配もしてると思うのに……」
ぎゅ。と、両腕を抱く左右の手で毛皮に爪を立てる。
それにあんな夢を見た今になって、ボクはこの子に対して抱いている気持ちも、ようやくはっきり形のある言葉にできた。
ハナトは、誰にも言えない、どこにもいけないボクの、こんな磔にされたような気持ちが苦し紛れに買ってきてしまった子だった。
そしてハナトをそんな勝手な気持ちで連れてきて、追い詰められてあんなわがままをしても、イチヘイにぜんぶ許されたのも、嘘ではなかった。
ボクのこと、女の子としてなんか見てくれないくせに、あんなたからものを大事にするみたいに悩んで、
『二度となんでも言うこと聞くとか他人に言うなよ』
なんて――――そんなのズルすぎる。
この子を買ってきてしまったボクの行為のせいで、イチヘイのことを前より好きになってしまったのも、嘘にはできなかった。
あんなに想われていることに気付いてしまって、ボクは前より首を絞められている。
けれどイチヘイのことをどんなに愛してもボクはやっぱりここからどこにもいけないし、また夜が来れば一人で怖くなるのだろう。そして、周りに心配をかける。
(ハナトちゃんとも、この宿を出たら寝床は分けた方がいいかな……ちゃんと寝かせてあげられなくて迷惑になってしまうし……)
――――……やっぱりひと思いに、イチに殺してもらえないだろうか?




