1:相棒の獣人が幼女を買ってきたんだが ③《挿し絵?入り》
一章 ③/3
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木々の葉擦れの音に紛れれば、もう判別も出来ないような細い嗄れ声である。医術の心得がなくとも、この話し方が普通でないのは判る。
俺は背中に水を伝わされたような嫌な驚きと予感を覚えながら、静かに問いを重ねた。
《お前……。……もしかして上手く喋れないのか……?》
返って来たのは、やはりコクコクという首肯だった。俺は咄嗟になんと反応すれば良いのか分からなかったが、口は適当に質問を続けている。
《それは……生まれつきなのか?》
今度は首を横に振った。
《じゃあ、いつからそんな風に……、………》
しかしそれはイエスかノーでは答えられない問いだったと、声にしてから気づく。もう一度訊き直そうとする間に、彼女は自分の足元を指さすと風邪で喉を殺されたときのような掠れ声で再び応じていた。
《ごご……》
《……。此処……? ……この場所に来てからって意味か?》
とても強い頷きが返ってきた。しかしその動作に反して、彼女自身は溶けかけの雪うさぎのように今にも消えて無くなりそうな、心細い顔をしている。
そしてその悲愴な瞳が、縋りつくように俺の視線を絡めとって、きた。
(――――ああクソ……!)
雪解けたように動き出したその表情。
別に察したくなどなかった。
だが俺はその顔に、突如として現れた「言葉の通じる大人」に自分は受け入れてもらえるのかと、期待や怯えを抱いているのだということを、直感的に感じ取ってしまった。
今までの手酷い扱いを、この大人もまたするのか。どうすれば気に入って貰えるのか、と、思っている。
「っ!」
そしてそのように『理解してしまう』ということに気づいたその瞬間から、俺は激しく感情をかき乱されていた。
今すぐにでもこいつを目の前から消したい思いに駆られる。大人にすり寄ることでしか生きていけない弱いガキのお守りなんぞ、俺はゴメンだ。
しかし目など反らしたところで、結局は何の意味もなかった。目の前にいるガキはやはりこちらを探るような目をして、俺を見上げてくる。
その視線と圧が、俺に刺さる。
《 ………………》
《チッ、くっそ……》
刃をしまうのも忘れたまま、俺はソイツの目の前まで歩み寄る。
ガキの頭の辺りを斜に見下ろし、目も合わせないままぶっきらぼうに言う。コイツのその表情が不愉快で、顔が直視できなかった。
俺は横髪をかき上げながら話しかける。
《……もういい、分かったからそんな顔するな。普通にしてろ、何もしねえから》
《?!》
それは別にコイツのために言ったのではない。ただこの状況からさっさと逃げるため、この湿気た面が鬱陶しいから口にしたのだ。
《俺の言葉が解んなら、んな顔すんな、よ……》
しかしそう話す最中にも、コイツの表情は再び色を変えはじめていた。
目を真ん丸に見開いたかと思うと――砂の像が崩れるかの如くゆっくりと顔ばせを歪ませ、あろうことか泣き顔になってしまったのだ。目の端で移ろうその変化に、俺は思わず視線をやってしまう。
《う……うう、うう゛……》
《あ゛? おい…………?》
優しくしたつもりなど、一切なかった。さらに、泣き出すそれにも寄り添う気など毛頭ない俺は、崩れ始めるその表情に、ただひたすらにギョッとしている。
「……おい。おい、なんで泣く……」
「――――……でも、連れて帰ろうとしたら変なおじさんに絡まれてさ! もっと出すから譲って欲しいっていうの! 気持ち悪いから断ったけど! ……でも、いやぁ、昔イチが教えてくれたイチの故郷の言葉。覚えてたボクに感謝してほしいよー!」
……言い忘れていたが、なぜか全く空気を読まないこの耳長族は、俺がやりとりしている間も隣でずっと良く回る舌を動かし続けていた。至極得意げに。
俺は振り向きざまズカズカと近づき、今度こそ毛玉の耳の間を刀の柄の先で小突く。ムカついてついつい力が入ってしまった。
「い、痛っだーーっ?! なにすんのさイチ!」
「うっせーんだよ、切っ先じゃないだけありがたいと思え! というかそろそろ黙れよこのくそ毛玉!」
「ちょ、くそ毛玉ってなに?!」
失礼な、と言いたげに眉間に皺を寄せるフィーゼリタス……もとい毛玉だったが、
《――ふうぇぇ……》
ついにガキから本格的に漏れ始めた嗚咽に気付くと、同じくギョっとしてソイツを視界に収めた。
「えっ、ちょっ、なんで急に泣き出してるの?! イチ、何かこの子に酷いこと言ったりした……?!」
「ちげーよ毛玉!」
俺は再び同じ場所を小突く。今度は反対の手のグーで。
「痛っ、け、毛玉っ……それ2度も呼ぶッ?! 殴るッ!?」
「だーもー! ……〜〜クソっ、とりあえずお前はあとでガッツリ搾ってやるから覚悟しとけよ?!
だがとにかく今はだ、泣くとうるせえし、とにかく今はなんか、ほら、なんか……アレだ……」
《……ううぅ……!》
「《ああくそ、泣くなって!》……とにかくほら! お前が泣き止ませろ! 連れてきたのはお前だろうが!!」
ひとまず剣を鞘に納めながら声を荒げてしまう。こんな辛気臭いガキ、ただでさえ遠ざけておきたいのに、そのうえに泣きだすヤツの宥め方なんて俺は知らない。
するとフィーゼリタスが、ハッと思いついたように口を開いた。
「あ! 甘いモノとかあげれば泣き止むよきっと……!?」
「んじゃそうしろ!」
するとフィーはもう反論することもなく、
「えとねんーとね、確かー?! キッチンの棚に焼き菓子のサマロをしまってたよボク……! 全部たべちゃってなかったハズ……!」
足の爪で、蒼いタイルをカチャカチャとこすりながら短い廊下を抜けてリビングの奥へと消える。アイツに妹弟が多かったことへ、癪なことに救いを覚えてしまう俺。
しかしその間にも泣き声はどんどん大きくなっていく。
《ふぇぇ………えっ、うっ、うわあぁん! あああああああ!! あああああん!!》
《……あー、泣くなって言ってんだろ!》
俺は苛立ちを隠しも隠さず、小声で舌を打つ。
もうその頃には泣き声は今いる玄関ホールだけではなく、コテージ中に反響するような大音量になっていた。
《 うえぇ…………うわああああああああ……!!》
《 ああー、くそ!》
しかしこんな悲壮な様で泣かれては、さすがにうるさい。コイツに対するなけなしの良心も、胸のどこかで疼いた。
――――泣き止ませたい、けれどなぜかこいつに対して込み上げ出す嫌悪感に、腰が引ける―――――。
意味のわからない、二律背反な葛藤に顔をしかめる。
「〜〜っ!」
そして結局の所、俺は突き放し切れなかったのである。
半ばヤケクソになりながら前髪を掻きむしり、ハナトに歩み寄る。娼婦の着るような露出の多いドレスに包まれ、鎖枷を巻かれた手首を掴んでぶっきらぼうに引き寄せる。
この幼女がこんな場違いな服を着ているのは、奴隷が売られるとき、売り主の計らいで綺麗に『パッケージング』されるのがセオリーだからだ。
綺麗に包めば、みずほらしい見た目よりは高く売れるという考えらしい。しかしどう見てもサイズもデザインも『娼婦向け』のこれは、このガキに着せてもただひたすらに趣味が悪いだけだった。
《おら、ハナトっつたな? こっち来い。リビングにソファがある、そこにでも座れ。じきに毛玉が菓子持ってくるからもう泣くな。
……おめぇの泣き声は頭に響くんだよ》
するとボロボロ泣きながらも、幼女はコクコクと頷いて付いてくる。
湖からの明るい陽射しが反射する居間に入ると、薄いカーテンをたゆませながら初夏の風が俺たちを撫でた。
最後の言葉が効いたのか、ハナトの声量も少し下がる。
《う゛っ……、ぅ゛ぇぇッ……》
しかしやはり、嗚咽はとまらない。その鎖骨の下には、焼き付けられた痛々しい奴隷の証がのこる。
歩むごとに袖口や裾の隙から見え隠れする手足も、よく見れば明らかな打撲痕や、鞭で打たれたような痕に埋め尽くされていた。おそらく探せば他にも傷やアザが山ほどあるのではないだろうか。
(……こいつもしかして、思ってるよりよっぽどひでぇ扱いを人売りどもに受けてきたのか……? 泣き声はこんなにでけえのに発話はできねえっつーのも、それが理由だったりするか……?)
気付くとそんなことを推論していた。次いでわずかにでもそうやって同情している自分に気付き、鼻白む。
《 うええああああああ……!! ああああああああぁぁぁん……!!》
「…………」
……ただ、再び抑えきれず上がり出したその声に、彼女が歩くたびジャラジャラ騒ぐ鎖の音に、結局 俺は無視を圧し徹せず声をかけてしまう。
《……ああくそもう泣くな。お前に言うこと聞かせる為に殴らねえからよ……。俺はアイツとは違う……とりあえずそこは安心、しろ……、よ》
言ってしまって呆然とした。ふと口にしてしまった中身に、息をするかのように嫌な思い出を言葉にしていることに気付いたのだ。
思わず顔をしかめる俺。
ただ一方で効き目はあったのか、ガキは俺を見上げ、泣き濡れた顔へ確かに安堵したような笑顔を浮かべた。
《ん……。うぅ……》
大きく1つ頷く。それから掴まれている手首をそっと振りほどいて俺の掌の上で握り直すと、
《 お、おい……?!》
あろうことか俺に、横からひっしと抱きついた。……その顔を、俺の腰の辺りに押し付けて。
そしてダムが決壊したかのように再び「うわああ……!」と泣き出すと、もう俺には止めようがなかった。
その顔から、水気と粘付きを帯びた暖かいものがじわじわと染み込んでくる。それに何日も風呂に入っていないのか、汗と埃の饐えたにおいもした。
これは、とても、汚ない。
《うう゛う……! あ゛い、が、とっ……あいが……ゲホッ、ケホッ、うわああぁぁ……! 》
けれどそうやって隠れた顔から、掠れきった声で必死に何度もそんな単語を聞いてしまうと、もはやソレを振りほどくことさえも気が退けてしまい、
「……え? なに?! さっきより泣いてない?!」
戻ってきて目を白黒させるフィーゼリタスをよそに、
《……だから、うるせえから泣くんじゃねえよ……》
俺は小さく悪態を吐きながらも、その小さな頭頂からも、もう目を離すことはできなくなってしまっていた。
【フィーゼリタス 立ち絵&表情差分】




