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誰にも知られぬよう

章間 ①/1

読了目安→5.5~9分

 呪い子は夜半にやはり熱を出し、目を覚まさなかった。


 だがこれは元よりそういう病ではあるため、あまり気にはしていない。

 魔法を発動させられない常人ならば4~5日、魔法使いの素質のあるものでも3日、一度も目を醒ますことなく眠り続けるのが常。


 ただ、視たところその中で、これの素質はなかなかに大きい。


「…………」


 とりあえずは汚れた服を着替えさせ、身体も拭いて寝床に寝かせた。

 このまま寝続けてくれている方が、治りは早くなるだろう。


 少しは見れるようになった呪い子のきつく鋭い顔立ちを、垂れる髪の間から覗きこんで思惟(しゆい)する。

 これの内に溜まり始めた、淀んだ灰色と金色の混じる、流れる溶岩のような光を眺めた。

 

 まだ細いけれども力の量が多い。やがて魂に満ち、溢れた力が円環の河に還ることで、これの魔力は完成する。


 ……これならばあと丸1日、眠るかどうかだろう。明日の夜明け前には、もう目を醒ますかもしれない。


 と、そのとき、寝台の横に置いた椅子に座る吾の耳を、2階の廊下の軋む音、小さな足が階段を降りる音がくすぐりに来る。


 古い家ゆえ良く響くのだ。


 やがてその気配は、まっすぐ扉の前へやってきた。


――「おふゃ()ようお()しょうさま……その子、起きた……?」


 ノックに「お入り」と応えると、開口一番、むにむにゃした欠伸とともそう訊かれる。


 そういえば台所の窓が開け放たれたままだった。廊下まで充満していた森の夜気が、ふわりと研究室と自室を兼ねる、雑然と散らかった部屋の空気の中に紛れ込んでくる。


「おはようフィーゼィ」


 この子はもとより早起きな子ではある。ただ、まだ着替えたての(しわ)のない子供服を(まと)うその顔は、今朝は眠気でしおしおしていた。


「まだ目を覚まさないよ」


ふふ、と笑いながら応える。どの程度経てば覚醒(かくせい)しそうか、吾の見解を伝えると、

「ふゃい……。離れで顔を洗ってきまふ……」

再びばたん、と閉まる扉。


 昨日もあの子は、吾がもう寝なさいというまで()()枕辺(まくらべ)(ねば)っていた。


 よほどこの呪い子に、強く想いを割いているようだ。


 やはりフィーゼィ=リタスは、本当に善良で、優しい娘だった。そして自身の(さが)が善良であるがために、他人の善性(ぜんせい)もまた疑いもなく信じる。


 …………それ故に、この呪い子が本格的に妖魔に堕ちたら、手近にいる自身にどんな危険が及ぶか。「呪い子」の世話がどれほど危ない行いなのか。


 さらに、そんな行為に簡単に子供を付き合わせる吾がどれほど狡猾な大人かも、想像もつかないのであろう。


 吾にはそこがとても好ましく、本当に可愛らしく、そして今願う以上には、負担をかけさせるべきではないものだった。


 しかしこの呪い子はきっと、目醒めればまた暴れるだろう。目を離した隙にフィーゼィには怪我をさせてしまうこともあるかもしれない。




「…………ふむ、そうだね……」


 それでも、少なくともこれが人並みの生活を送れるようになるためには、あの子の献身的な優しさが絶対に外せないものとなるのも確かだった。また、『稀人が迎え入れられるべきものである』という道理もまた、吾の中でも曲がらぬ、『意味のある』ものでもある。


 そのためには表面上だけでも、ある程度こちらも『お前を信用している』という態度を示さねば何もはじまらない。通じぬ言葉はどうにかしてやれるが、人と通じ合わせる心だけは、これ自身が開かねば何も始められない。

 それはフィーゼィにも昨日(さくじつ)話したことであった。


 ――――ただそうはいってもやはり、何かの拍子にこれが妖魔に堕ちる可能性があるのは否めない。


「………………」


 …………悩ましいところである。


「…………んん?」


 と、そこで吾は、ずっと唇の下に添えていた指を離して顔を上げた。


 ……そういえばフィーゼィは昨日、地下の階段の暗がりで、(わえ)に『意味があるかないかは人が決めることではない』と怒っていた。


 確かにそれも、一理ではある。


 あの子が呪い子の命に添うことに意味を見いだすならば、それを意味のあることだと思うのならば、吾はそれもまた、尊重してやりたい。


 ――――ああ、そうかそれならば。


 吾はスッと立ち上がると、ごちゃごちゃとものが散らかる部屋の端、窓際の書き机の上から、まだ端に変な折り目がついていない書きかけの帳面(ノート)を引き出した。


 上に乗っていた紙切れが散らばるが、まあ、後で戻せばよいだろう。


 書き机の上から汚れたインク壺とペンを持ってきて帳面を広げた。そうして椅子を引き、うなじを掴みながら寝台脇の小机にかじりつく。掴む肘で(ページ)も押さえ、吾は質の良い良く滑る紙面に、かりかりと新たな魔法式を書き付けはじめた。


 (わえ)は一つ、新しくこの世界に来たこの呪い子に、『贈り物』を考えていた――――王家に新しく生まれた子が、賢い女たちに祝福を授かるように。


 この先、この呪い子が人として生きるならば、おそらくこれも彼女を気に入るだろう。

 妖魔はそれぞれ特殊な気質を持って生まれるが、そして結局は人を喰うが、しかしそのなかでコレは、妖魔に落ちれば愛する者を傷付ける、かなり厄介な部類の者だった。


 気に入った者ほど傷付け、愛する者ほどいたぶり苦しめ、追い詰められた者の、その苦悶の表情に喜悦する。

 

 愛情と嗜虐を同一のものとして捉える、獣のようあわれな生き物。


 ゆえにもし、フィーゼィ=リタスの身体が傷つけられた原因に、この呪い子の手が関わっていれば。

その瞬間に、フィーゼィが死を覚悟するか、いっそ死を望むほど追い詰められていれば。


 ――――その時には、あの子の願いが通るような魔法をひとつ考えれば良いと、思い付いたのだ。


 それは魔法の祝福。

 いいや、呪い子(コレ)にとっては呪いでもある。そんなものをひとつ、贈ってやろうと考えた。


 なんとなればタリケラスからの預かり子、フィーゼィに、何かあってからでは遅い。


 ならば、吾がいない場であってもこの子を護れるよう、そのような魔法を一つだけでもかけて、保険として置いておくべきだ。

 こうしておけば、吾も手放しで見守れる。


 もし事があった後、この『贈り物』のせいで恨まれるようなことがあっても、…………その時はもう、(わえ)がコレを処分することは決まったような状態だ。あの子が生き残るならば、吾はそれで構わない。


 (わえ)は考える。


 そんなことになったとき、フィーゼィは何を願うだろう。

 もう少し生きたかったと願うか、呪い子に死ねと絶望のうちに恨みを吐くか、あるいはそれ以上なにもしないでと、服従を願うかもしれない。


 しかし、ここではたと問題にぶち当たる。この祝福が発動する瞬間、『その魔力の源をどこから得るか?』だ。


「ふむ……」


 悩む。

 紙面に(うつむ)く吾の顔には、生乾きのインクの湿った匂いが(まと)わりつく。顔を上げれば、扉が閉じられたあとも部屋の中にはうっすらのこる森の匂い。


 ……そしてすぐ傍らからは、判るものにしか知覚できない、血のように鉄生(ぐさ)い、淀んだ(にお)いが(かす)かに漂ってくる。


 思わず顔を上げて薄く眉をしかめた。


 この臭気は、妖魔の魔力のそれだ。


 あの灯りに採っていた魔石だけでは、どうやら一度封じてもまだ漂ってしまうようだ。ここまで緻密に魔法をかければ、感知する側の能力も相応に高くなければ判らないかもしれないが、それでも少し不完全であるのは否めない。


「やはり、信用すべきではないね……」


 人としても妖魔としても、それなりに強い魔力である。封じを振り切ったとき何を仕出(しで)かすか、底が知れない。


「ふむ…………」


 そして傍らにいてこれに危害を加えられたそのとき、フィーゼィが何を願うのかも、(わえ)にはまた分からない。


 魔石具とは異なる、『なんでも願う通りの思いを通す』となれば、どちらにせよ、それにはおそらく莫大な魔力が要る。出来得(できう)るならば、吾はやはりあの子が『その瞬間』、如何(いか)ようにもこれを操れるようになるようにしてやりたいのだ。


(……ん? 魔石具……?)


「…………」


 しばし身じろぎをやめ、考える。


「……ああ……」


 閃いてしまった。やはり(わえ)は天才なのではないだろうか。


 胸元に手をかけ、冷たく重い塊を持ち上げた。


「それならば、吾の提げ石もこれに覆いとして追加し…………」


 昨日、あの村の端で封じたのは、これの魔力そのものではなく、既に妖魔に変質してしまった部分の気質と記憶だ。

 正直なところこの呪い子は、そのまま教え育てれば、それでも素晴らしい魔法使いになれるだけの素質がある。だが、歪んだものに強すぎる力を持たせるのは、危険だ。


 ならばこの提げ石で、今度はこの呪い子自身からの〈魔力〉も奪い、石に蓄積させることで本人の力そのものも封じてしまえば良い。そしてそれをこの石に溜め込み、利用してしまえばよいのではないのだろうか――――フィーゼィがこれを服従させるための魔法が発動した時だけ、いくらでも使えるようにしておいて。


 理屈としては、魔石具と同じになる。


 そうして幸いなことに吾の使う提げ石は、恐ろしく良質だった。


 遠く西の地に多く生息する、〈四ツ足ノ禽(アファタール)〉という魔獣の、その中でも成獣になりたての若い個体が、ときおり肚の中に納めている珍しい魔石の原石。


 これはその中から特に大きく、さらに質の良いものを()りすぐり、磨き、浄化の力を流して穢れを抜いて、透き通る蒼い魔石に仕立てたものだった。


 これより良い魔石(いし)を、吾は今までに知りえない。


 ならばこの石を使い、この呪い子自身の魂を、そしてフィーゼィもその一部に組み込み、魔石具と同じ仕組みに書き換えてしまえばよい。

 そしてこれはフィーゼィにすら秘しておく。魔法がかけられていることにも誰も気付かないよう隠匿するならば、なにも支障はない。


 しかもこの魔法は、呪い子に流れ出した〈円環の河〉がまだ完全に魂と身体に馴染みきっていない、今この瞬間しかこれの内側に刻めないものだった。〈力〉が魂の回りにすべて満ちて溢れる前の空洞に、魔法式を這い込ませて根を張らせるのだ。


 それは平易に言うならば、あるいは粘土が柔らかい内にしか、表面に付けられない手形に似ているのかもしれない。

 …………この世界をいまだ知らぬ無垢な魂を歪めて、それを当たり前のように思わせ、暮らさせるのだから。


 しかしふと、(わえ)はペンに添えた指をまた唇の下に戻す。


 …………そうだ、こちらで生きていくしかないのだ。

 ならば呪い子も少しは力は使えた方が、何も持たずに此方(こちら)へ来た、これの今後のためにも良いのではないだろうか。


 

「……魔法使いにはなれなくとも、常人よりは力のある……なんといったかな……。

 ――――……ああ、『〈祝福持ち〉』! ……そうだね、あの肉体強化限定の魔法が使える程度には、緩めておこうね……」


 それならば魔力の放出も兼ね、魔石(いし)と式の『()ち』も良くなる。一石二鳥だ。


「そうしよう、そうしよう」


 これは吾なりの、優しさでもあった。


 さらにガリガリと紙面をなぞっていく。


 この、何か新しく魔法式を思い付くたび書き付けてきた冊子も、もう何冊目になるのか数えきれなくなってしまった。ついでに昨日、この呪い子にかけた封印の魔法式も、忘れない内に記しておく。


「うんうん、これでよいね……」


 一通り書いた魔法式を眺め渡したあと、皺々(しわしわ)の吸い取り紙を噛ませてパタンと紙面を閉じた。


(そろそろ新しい吸い取り紙を挟もうか……)


 そんな些事(さじ)を脳裏によぎらせながらも、吾はまっすぐに呪い子に向き直る。


 布を接ぎ合わせて模様にした色彩豊かな掛布(かけふ)の下で、細すぎるその胸が今、緩く膨らんでは縮んでいる。(わえ)はその中心へ、インクに黒く汚れてしまった人差し指を布団の上からトン、と乗せた。


 絞った声で、穏やかに語りかける。


「……すまないね。吾はまだ、お前が人として生きるか、魔に堕ちるか、先が当たり知れぬのだよ……お前がどのような人間なのかも、同様に、ね。

 だからどうかお前が、吾にとっても()()()()()()()()()()()くれることを――――それだけは打算なく、心から願っているよ、幼い呪い子」


…………今は、ここまでの言葉しか分け与えられない。情をかければ殺せなくなる。


「さて、では受け取っておくれ。吾からの、このとびきりの『(まじな)い』を」


 幸いなことに吾は美しい『魔法』よりも、ひとの思念に(ただ)れた、『(のろ)い』の分析を専門とする。


 皮肉にも呪いを解くことに力を注げば、(おの)ずとかけることも(うま)くなる。


 妖魔の灰色の魔力は呪いに近く、ゆえに吾が使える魔法とも親和性が高い。そして魂を縛るのも、また魔法ではなく呪いの領域にある。



 さあ、お前が誰にも知られないよう。

 お前が誰にも見つからないよう。 

 『きみの〈祝福〉は何か変わっているね』と、『匂いが全くしないね』と、いつか『視えるもの』の目に()まってもただ不思議がられるだけで済むように。



 また、吾の大切な愛し子(リタス)に危害を加えたら、その力がすべて、お前の望まぬ結果を招くように。




『――――くらいもの、(おお)うべきもの。

()せよ(かく)せよ()(すそ)へ――――』



 詠唱をはじめると、部屋の中には濃いみどりの光が溢れ出す。さらに重ねる詠唱でそれを青い光に押し包み、巧妙に隠していく。



 怒り、悲しみ、憎しみ、恨み。

 喜び、感謝、愛、畏敬。



 普通の魔法は青い色だ。



 けれども人の魂と思念が形となる、(くら)く、時に明るいその奇跡たちは、何時(いつ)でも何が潜むか分からない、深い森と同じ色をする。

 そうして青と緑の魔法式の文字列が、花びらのように舞い上がり呪い子を包んだ。



 ――――……どうか(わえ)の贈るこの祝福が、このままこの幼い二人の(つつが)()い暮らしにとって『意味のない』呪いであり続けるように。



 このエナタル山脈の深い森の淵に身をおきながら、強く強く、吾は願ったのだった。

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