10:わたしの刷毛尾猫②
十章 ②/2
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「そうだよ。でも確かに珍しいけれど、そんなに驚くほどでもない。〈門〉なんてあちこちにあるからね……。来訪の間隔は短くて10年、記録にあるかぎりでは、最長でも70年だから……フィーゼイの命が終わるまでの間には、もしかしたらあと一度はどこかの門からは招かれるかもしれないね」
〈ルマジア〉には、〈門〉と呼ばれるものがあちこちに建っている。細かくて綺麗な透かし模様と、蔦と花の彫刻がされた白亜のアーチ。作るために彫られた跡はあるのに誰にも壊せない、不思議な遺跡だった。
そして神話の神様が彫ったと言い伝えられるような、古い神殿の壁の文章ですら〈門〉の話をしているぐらいには歴史が古い(みたい)。
ただ、壊せないというのはたぶん本当だった。うちの村にも1つあるその〈門〉に、むかし近所の子がめちゃくちゃに畑の鍬をぶつけてイタズラしているのを見たことがあったけど、嘘みたいに傷ひとつつかなかったから。
そのあともちろん、その子は〈門〉の前の家のおばちゃんにすごい怒鳴られていた……近くにいたわたしも何故かまとめて一瞬に叱られたけど。
でもまあ、それくらいには、〈門〉は本当にあちこちにあるものなんだ。森のなか、町の中心、畑の隅っこ、中には崖から真横に生えていたり、妖獣しか住まないようなところにポツンと立つものもある。
そうしてこの〈門〉は本当に時たま、この世界ではないところから、『お客さま』を連れてくる。
この世界には、『いろんな世界から〈門〉に招かれた〈稀人〉たちが元になり種族が生まれ、やがて村や町が生まれ、栄えていった』、という創世記? という昔話があるから、〈門〉はどの種族も関係なく、ご先祖さまのお墓と同じように大切にしている。
お世話できる場所にある〈門〉は磨いたり、お供え物をしたり、うちの村なんかでは、五色のきれいな飾り布を〈門〉や、その周りを囲う柵に何本も巻いて飾り付けていた。
そんな〈門〉からやってくる〈稀人〉は、もちろん存在自体がとても特別な人だ。
「…………本当に、この子はまれびと……?」
「そうだよ。ここから2ルア(※2時間40分)も歩かないところにも〈門〉がひとつあるのだけど、この森の奥には、少しやっかいな妖獣の巣があってね……。あまりに森深くてその妖獣の縄張りにも近いから、誰も世話をしていない。
――――ただ、吾が見つけた場所から見ても、この子はどうやらそこから招かれたとみて間違いないね。こんなに痩せてしまって……、まだこの世界には来て、大して経ってはいない筈だけれど、森のなかをひとり、相当な時間彷徨っていたのだろうよ」
「それで、こんな泥まみれ」
「だねえ」
きっとたいへんだったに違いない。すごい人と出逢ってしまった。言葉が通じない理由もそれだったんだ。
「……でも、じゃあ、なんで殺すって、さっきお師匠さまは言ってたんですか……? 『稀人は迎えよ』って、言うのに」
聞いちゃいけないような気もしたけど、思い切って聞いてしまった。
『もしこの世界に招かれたばかりの〈稀人〉に出会ったら、優しくしてあげなさい。特に最初に出逢った人は、その人をひどい目に合わせてはダメだ』
大人たちが〈門〉の前を通るたびに、子供みんなに話しながら歩くことだった。わたしも母さんと、それに死んだお祖母ちゃんからは特に耳にタコができるくらい聞かされてた。
(……それでも〈稀人〉が嫌いな人はいるってお話で読んだけど……、お師匠さまは、もしかしてそういうひと……?)
するとお師匠さまは、逆に私に問いかけてくる。
「……フィーゼィ、どうして吾らは〈稀人〉を大事にしなければならないのだと思う?」
「それは、お客様だから。……あ、おばあちゃんは、〈稀人〉はこの世界の成り立ちそのものだから大事にするんだよって言ってました……」
するとお師匠さまは「うーん……」と、
(あ、コレ絶対外れだ……?)
わたしにもわかる顔で首をかしげた。
「教えられていないということは、理由だけは忘れ去られてしまったということだね……」
なんだか残念そうに呟く。そしてふと階段の途中で立ち止まると、お師匠さまは真剣な顔でわたしに真っ直ぐ首を向けた。
「……フィーゼィ、偽りなく話すと約束したから、ちゃんと伝えるけれども…………。
どうか怖がらないでほしい。
いいかい〈稀人〉はね、放っておくと、妖魔になってしまうかもしれない危うい存在なのだよ」
「え……?」
わたしはその理由に驚くというよりも、意味がわからなくて聞き返してしまっていた。
「ようまになる、って……?」
「ことばどおりだよ。
〈稀人〉はね、この世界に来てすぐは、その魂が赤子と同じで安定しないのだよ。
この世界を流れる〈円環の河〉というのはとても強力な力でね……、この〈河〉の巡りに繋がることは、人間の魂を安定させ、魔法を使う素地を得るために必要な現象であると同時に、だれも逃れられないものなのだ。
それゆえに〈円環の河〉を受け入れたあと、どの種族の赤子も稀人も、魂がこちらに来れば熱病にかかる。――――耳長族の間では、『稔り|病〈やまい〉』とよばれていたかな?」
「それ、二ヶ月前に生まれたわたしの双子の弟たちがなってました……」
「そうだね。でも、きみの弟たちは大丈夫だ。まだ人の心の昏さを知れる筈もない、無垢な魂だから」
フッと、下に下がってその子をみる、お師匠さまの蒼い瞳。
「――けれどもし、その〈円環の河〉を受け入れる大切な瞬間に、受け入れる側の魂が憎しみや悲しみにひどく歪みきっていたら。」
静かに言う。
「今言ったようにその者は人でないものに……妖魔に堕ちるのだよ。
だからこそ少しでもそうならないよう、新しく来たこの世界を早くから呪わないよう、吾らは稀人の最初の居場所を支えるのだ」
わたしは嘘みたいなその話を、ゆっくりかみ砕いて理解しようとしていた。
「現にこれは今も、なりかけているよ――――……正確には、妖魔の新しい種の始祖に、ね。
今いる妖魔も、何時かの時に何処かで成ってしまった始祖の稀人たちの、いずれかの能力と魔力を受け継いだ子孫たちだから」
チラとわたしに目配せしたお師匠さまは、まるで『一緒にみなさい』とでも言うように改めて視線でその子を示してくる。
「……やはり『5割』だよ。きちんと封じられはしたけれど、まさに半人半妖と呼ぶのがふさわしい…………ギリギリのところだったんだ」
そうやってその子を覗き込むお師匠さまの蒼い色は、やっぱり冷たかった。
でもそう言われたって、分からない。
「……本当に驚いたのだよ? 今朝がた森の奥の奥の方から、これが恐ろしいほどの歪んだ魔力を放っていることに気付いてしまってね。それで家を放り出してしまった。すまなかったね」
「それは、もう怒ってないから大丈夫……」
わたしがそう返すと、返事の変わりに優しく微笑みが返ってきた。ただそれも、すぐにまた元のつめたい表情の下に埋れてしまう。
「もしこの呪い子がこれ以上『歪む』のなら、吾はこれを殺さなければならない。
できることならば生かしてやりたいものだが……放置すればいずれ友好種族に害をなすと判りきっているモノに、吾が情けをかけるわけには、いかないからね」
ようま。
とても数は少ないけど人間に近い知能を持っていて、わたしたちのつかう魔法に似た力を使い、人間を騙して人間を食べるというとても怖い生き物。
「…………」
でも、落ちないように添えているわたしの手の肉球から伝わる、この子の髪の感触と体温の暖かさは、そんな怖いものになりかけているなんてこれっぽっちも教えてくれない。
「でもさっき、人として生きられるように封じたって、言ってませんでしたか」
どうしてそんな、殺してしまうの、という気持ちで上げたわたしの声は、自分でもびっくりするくらいうわずっていた。お師匠さまは気にせず返してくれる。
「うんうん、したよ。けれどアレはあくまでも、なにもしなくても勝手に進んでしまう妖魔化を、食い止めておくだけのものすぎないのだよ。
駄獣(※荷物をのせて運ぶ獣全般のこと)が勝手に何処かにいかないよう繋いでおく手綱と同じでね。ゆえにこれは、本人が本気で逃げようとしたら、あるいは繋がれていると気づいて断ち切ってしまったら、もう引き止めようがない。最初の封印も、まさにそれで破られたからね」
「そんな……」
冷たい地下室の空気。お師匠さまの提げ石だけが、わたしとこの子の間で光を放っている。その暗闇のなかで、何を言えばいいのか、わたしは分からなくなってしまった。
この子、わたしのなまえだって、すぐ覚えて、くれたのに。
「お師匠さま……」
だから気づいたら、わたしはお師匠さまに話しかけていた。
「……なにかな」
「わたしにできることはありますか」
するとばっと、わたしに向けて顔をあげたお師匠さまは、本当に一瞬だけ嬉しそうな表情をしたように見えた。
……でも気のせいだったのかもしれない。気づいたらもう真顔で、
「――――……助けてくれることは嬉しいけれど、本当にいいんだね?」
じっと、わたしの目のなかを覗き込むように聞いてきていたから。
「この呪い子は、その胸の内に魂を歪めてしまうほどの怒りと憎しみを、あるいは悲しみや寂しさを抱いている。
そうでなければ…………いや、そうなった者が、始祖の妖魔に堕ちるのだよ。
フィーゼィ、きみなら大丈夫だろうとは思うけれども、きみはそれらの感情を、この者からぶつけられることもあるかもしれないよ。引きずりおとされて心を病む者もいる。吾も、もう少しコレに心を開いてもらえれば協力もしてやれるけれど、今は下手に刺激はできない。
しばらくの世話は君だのみになるし、成獣の〈刷毛尾猫〉を手懐けるより、よほど大変な道になると思う。
だからもし、吾のやりたいことに付き合いたいだけのつもりで言っているなら、それはおやめ。
これは元より駄目になったら、諦めるべき命ではあるのだ。いまも、意味を持つものかどうか分からない」
「…………」
わたしを引き留めにくるようなその言葉がなんだかすごく嫌で、気付いたらしかめっ面になっていた。
そうしてその間に、ずっとお師匠さまが言っていた『意味をもつ』『意味がある』の意味を、頑張って噛み砕いている。
そして
『自分にとって必要』
『自分にとって大切、大事』
きっとお師匠さまは、そんなふうに使っているのかもしれないと気付いた。
…………それなら、本当にそんなふうに言っているなら、それは、
「――――ちがうと思います、お師匠さま」
わたしはお師匠さまの目の中を見つめ返して言った。
だってそんなの、なんだかとっても怒りたい。
「意味があるかないかは、誰かに決めてもらうものじゃないと、思います、お師匠さま」
この子はここにいる。なのに、要らないなんていわれたくない。わたしだったら、要らない子だなんて思われたくない。
……思われたく、ないもの。
わたしは耳を後ろにそびやかしていた。怒ることなんてあんまりないけど胸のなかがむかむかして、首の後ろがざわざわした。鼻の奥がツンとして、少し泣きたかった。
「わたし、お師匠さまにこの子を殺されたくないです……」
どんな顔をしていたんだろう。
わたしを見つめていた切れ長の蒼い瞳が、びっくりした形に見開かれた。
斜めに切り揃えた髪とおでこの生え際に、ねじれて天を向く二本角。足は蹄、しっぽは竜のようで、長い指の根元には控えめな水掻きのような膜がある。
顔つきも、本当に男か女か分からない。なんの種族かも分からない。訊いても、はぐらかされるのだ。
なのに嘘みたいな綺麗な顔をした師匠さまは、わたしがそうやって怒るのを見て、本当に見とれてしまうような、恐いくらいの優しい微笑みをみせたんだ。
「ありがとう、フィーゼィ=リタス……――」
――――そしてわたしはひとつ、お師匠さまと約束した。
もしこの子とすごく仲良くなれても、言葉が通じるようになっても、大きくなって別々に生きることになっても、そのあとたとえ何十年経っても、この子に自分にかけられた封印のことは、決して――――決して伝えてはいけない。と。
「これとどのように過ごすかは、すべてきみに任せるよ。けれどもこの約束だけは、守っておくれ。でなければそれを知った時、これがどうなるか…………」
お師匠さまはそのとき、本当に今まで見たことのない険しい目付きになっていた。
「もしかしたら、封印を振りきってしまうかもしれない。知らない方が幸せなこともあるのだよ」
封印を振り切ったら、こんどこそ、この子はお師匠さまに殺されてしまうのだろう。お師匠さまが言うのなら、そうなのだろう。
それはわたしにとっては、悲しくて許せないことだった。
「……約束してくれるかな、フィーゼィ=リタス」
「する。守ります、絶対に」
だからわたしは、その問いに強く頷く。
「……ありがとうフィーゼィ。吾はキミには、本当に助けられるよ。
そうしたらまずは、せめてこの子が吾らに威嚇されないようになるまでが、当分の目標になる、ね……特に吾はあのように嫌われてしまったから、頑張らなければ、ね…………?」
「……わかりました!」
それでこの子が、お師匠さまにもう要らなくはないと言ってもらえるなら。
『父さんに置いていかれたわたし』が、お師匠さまやこの子のためになれるなら。
――――こうしてこの日からエナタル山脈の森のふち、わたしとお師匠様にこの子が交ざって、新しく三人での暮らしが始まった。
時々いじわるされることもあったけど、結局このあとの3年にもわたる日々のあと、わたしはこの子と旅立つことになる。
…………そしていつの間にかこの『子』ではなくなった『この人』の隣に、わたしはいまだに立っている、のだ……――――。




