10:わたしの刷毛尾猫①
十章 ①/2
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小さいぬくもり二つを両腕に抱えながら、吾は階段を一つ一つ踏みしめる。目指すのは書斎への出口だ。
カツン、コツンと上るたび吾の蹄が石段を打つ。
これは吾には少し高い程度で済む段差だ。
けれどフィーゼィ=リタスの小さい身体では、降りるのも登るのもきっと一苦労である筈。
こうして抱き上げてやるのは、吾なりの優しさだった。
「お師匠さま、さっきの魔石はどこに行ったの」
子供らしい(耳長の成人と比べれば)短く華奢な耳をちょこんと跳ね上げながら、吾の左腕に抱かれたフィーゼィ=リタスが問いかけてくる。
その胸には空っぽのランタンがひとつ。
今は、吾が首から吊るした〈提げ石〉が灯りになっていた。〈提げ石〉を灯りに使うのはあまりその魔石にとっては良くないのだが、元の質が良いため先ほどの灯り用の石よりもずっと周囲を強く照らしている。
「んん、石かい? コレの中だよ」
吾はフィーゼィを抱くのとは反対の腕で荷物のように抱え、力なく四肢を揺らしているそれを目で示す。吾が森で捕まえた子供である。
殺さぬよう捕らえるのに手を焼いた。先ほどの封じで、また深く眠っている。
「? おなかのなかに? ってこと?」
「ちょっと違うね……。でもまあ、『覆い』にはしたかな」
「おおい……」
さっぱりわからない、という顔をしている。
ああ、ならばどう話そうか……。
しかしそう思案している間に、彼女の興味はもう別のところに移っている。この子と話していると、本当に魔法には興味がないらしいとことが伝わってくる。
「……ねえお師匠さま、このこ、その……もう少しちゃんと抱っこしてあげませんか」
そうしてその口調は、若干引いたような表情をしながらも再びの敬語に戻っていた。
この子はおそらく、いまだ吾との接し方が掴みきれていないのであろう。庇護を受ける者として、吾を信じていいのかもまだわかっていないのかもしれない。
その割には、言いたいことはきちんと話しているように見える。
その、遠慮がちながらもはっきりした物言いに、吾の眦はまた細まった。この子は実に興味深く、かわいらしい。
フィーゼィ=リタス・アビ。
彼女は、耳長族が多く住み着くエナタル山脈の周辺で、山村を7つほど束ねた共同体で族長をしている、タリケラス=アビの娘であった。
多産なことが通例の耳長族の家で、フィーゼィは9人きょうだいの長子。彼女自身は、父の座を次ぐべく幼い頃からそのための修練に励んでいた。
ただ吾の友人でもあるタリケラスいわく、族長の座を継がせるのであれば、その妹の方が適格であろうという。
この子は幼さゆえの純真さもあるが、それを差し引いても優しすぎる、人のために尽くしすぎると。
―――『……それとな、とても素直で、そのくせ自分がこうするしかないと思ったら、もう回りが見えない。諫言も通らない』
あれは一月ほど前、酒瓶と川魚を片手にフラッと夕方の家を訪ってきた彼との、小さな酒宴で聞いた話だった。
『親からすればすごく健気で可愛らしいんだがなぁ……――だがそれらは人の上に立ち、多くを纏めるとなれば、集団の不和の要因になる』
『そのうえフィフィー自身も、最近は年頃になってきたせいか、何でも卒なくこなす妹と自分を比べ始めてしまってな……――――少し前にちょっとした一件があってから、どうにも塞ぎ込んでしまっている』
『それにあの子自身が己れの跡目を継ぎたい理由もまた、『己れや妻君を喜ばせたいから』なんだ。…………なあ? いじらしいだろう? かわいいだろう?』
そこで吾があからさまに鬱陶しそうな顔をすると、タリケラスもまた急に大真面目に、親バカな父親から、『統べる者』、『見通す者』の瞳へと雰囲気を切り替えてくる。お調子者だが切れる男だ。
『だが族長なんてものは、誰かに言われてやるものでも、ましてむやみに『親をよろこばせたい』なんて理由で始めて続くものでもない。お師さんならそれはわかるだろ?』
『その癖、あの子は変なところは頑固なんだ、今も言ったが、もう決めてしまったことは、己れや妻君が言ったところで受け入れないし止めるタマじゃない、よけいに意固地になってな……ああ、そこまではあんたもまだ知らないか』
『とにかく、このままさらに年頃を迎えたら、一途な己れの娘は心をこわしてしまう気がしてずっと恐ろしい。だから己れは、できることならあの子を一度 我が家からも、血縁のいる村からも離したいんだ』
『……ということで、なぁ、お大師さん、うちの子を預かってもらえないか? ……なあ、そんな嫌そうな顔をするなって』
『曾祖父の代から、この家土地に住まわせてやっているのだろう?
……この子にはこの子の、他の生き方があるはずなんだ。愛しい子には困難を与えよっていうじゃないか??』
『たのむ、どうか、それを見つける手伝いをしてほしい……この子が自分で気付くしかない。あんたが色々と適任だよ』
まったくこの子の都合も吾の都合も考えない、勝手で強引な溺愛っぷりである。
…………けれど今となっては結局、吾は、フィーゼィ=リタスを預かって良かったと思っていた。面白いことに、ずっと独りで『研究』を進めてきたこの暮らしに、この子の賑やかしい感嘆や笑い声が響くのも、悪くはないと思い始めているのだ。
そうしてこの話をふまえ、先ほどフィーゼィ=リタスに『憎しみ』の意味を問われたことは、吾にとっては驚嘆でもあった。
あの言葉は、自身より才のある妹と己を比べはしても、そのような負の感情を持ったことはない、周囲からそんな感情を向けられたこともないと、語るに等しいようなものだった。
この先にそれを知る機会はあるに違いないが、生まれ落ちた人の気質など根の部分は早々に変えられない。今までがそうであったのなら、これより先もこの子は、人の内側に潜む昏く汚い部分に惹かれて戻れなくなることもきっと無いに違いない。
……ならばやはりフィーゼィ=リタスには、この呪い子の友になって欲しいと、吾は強く思ってしまう。正直なところ、日頃は危ないと近付けさせないこの暗く冷たい地下室に引き込んだのも、実際その為だった。
なんとなれば、吾ではもう難しい。大いに暴れるために手荒にしすぎて、どうやらコレには恐ろしく嫌われてしまったからだ。
常ならば子供に負わせる責ではない……けれどこの子ならば、まだきっとこれを引き留め|られるだろう。……もちろん彼女がそう望むのなら、ではあるけれども。
「ははっ、フィーゼィがそういうならば、抱きかたを変えようか」
ゆえに段差の上に一度フィーゼィ=リタスを下ろすと、呪い子を抱えなおす。
「わたし、自分でもここ登れるよ……」
するとフィーゼィは裾のヒラヒラした長衣を着る、自身の膝よりも上の段差を示しながら、遠慮がちに言う。吾はそれを微笑みながら柔らかく拒否した。
そうして
「気にしなくてよいからおいで」
と言うと、フィーゼィは「えへへ」と照れたように笑いながらおとなしく呪い子と同じ、我の腕の中に収まりに来る。
……父親が可愛がるのも致し方ないことに思える。
しかしやはり、(この子の気分を害するだろうから口にはしないが)…………フィーゼィ=リタスの方がいくぶんか重い。
いや、正しく言えば、同じ年頃に見えるこの呪い子が、痩せて背も小さく、あまりにも軽すぎるのだ。
――――すべてを怨みし呪い子。
これについては私情など挟まない。
同時に吾は、これの行く末にも手を尽くす。そして生かすべきか殺すべきか、しばらくはじっと見守らねばなるまい。
--❀✣❀✣❀--
「お師匠さま、この子、誰なんですか」
私はまた気になることを質問しながら、目の前にきた人族の子の、その鋭い顔立ちを見つめる。『今は気を失っているけれど、じきに目覚めるだろう』とさっきお師匠さまは言っていた。
チラッと見れば、その首にはまだお師匠さまが『意味がある』と言った革の首輪がある。お風呂に入っていないのか、近くにくると汗くさくて埃っぽい匂い、それに、泥まみれの服からは落ち葉とキノコの匂いがした。
それは少し嫌だったけど、でも荷物みたいにしないでちゃんと抱っこして欲しいとお願いしたのはわたしだ。
その上、くたりとお師匠さまの首もとに寄りかかるその子の頭は、お師匠さまの身体が揺れるたび今にもずり落ちていきそうだった。つい、下の弟妹たちを見ていたときの癖でそっと手を添えてしまう。
泥と汚れでキシキシしていたけれど、つんつんした短い黒髪は見た目から思っていたよりはずっと柔らかい。
なんだかちょっと前、寝ている間にこっそり触ってみた〈刷毛尾猫〉の毛みたいな手触りだった。
その子の顔を見ながら、わたしはさっき、お師匠さまが言っていた言葉を思い出してしまう。
――――『吾の手だけにおえるかどうか』
――――『人として生きられるように封じる』
――――『最悪、アレは殺すことになる』
そして、まだ殺されていない。きっと『封じる』? 魔法が『うまく行ったから』殺されていないんだ。
お師匠さまは優しいけど、やっぱりめちゃくちゃで良くわからない。
さっきの鎖に繋がれたこの子を見るお師匠さまの目も、わたしがドキリとするくらい冷たい目だった。もしかしたら本当に言った通りのことをしてしまうかもしれない。
手におえるかわからない。
居ても困るかもしれない子。
それはまるで、父さんにここに置いていかれたわたしみたいな…………。
眠ったまま、まだ開かないその両目がさっき宿していた感情の激しさを思い出す。……憎しみって、あの目のこと?
(でもわたしの名前、たぶん覚えてくれた……)
…………それでもダメだと思われたら、やっぱり殺してしまうのかな。
そこへお師匠さまの声が、どこか笑みを含んだ声で答えてくれる。
「ふふ、気になるかな? 〈稀人〉だよ、この子は」
「まれびと…………?」
たくさん聞いた覚えはあるのに、普段使った記憶がないその言葉の意味を、やがてハッと思い出して、
「――――えっ?! 〈稀人〉?!」
わたしはへんに裏返った声をあげていた。びっくりしすぎて、鼻までピクピクうごいてしまう。
「――――あ、あの、〈門〉をくぐって来るっていうお客さまのこと?!」




