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9:フィーゼィ=リタスとお師匠さま②

九章 ②/2

読了目安→8.5~12分

 わたしにとってそこは、お師匠さまの研究室を通らないと入れない、鍵のかかった床の蓋だった。


 危ないものがたくさんあって、妖獣も繋いでいる檻があるから絶対に入ってはいけない、とここにきてから半月とちょっと、ずっと言われていた場所でもある。


 先週の真夜中にも、お手洗いに起きたら開けっ放しだった研究室の前で、地下室の『蓋』まで開いているのが見えたことがあった。お師匠さまはたぶん、中に潜っていたんだと思う。気になって近づこうとしたら本当に中から妖獣の叫びみたいな気味の悪い声が聞こえてきて、私は驚いてお布団に逃げ戻ったんだ。


 夜中に〈青頭禽(カズィルー)〉の死骸を抱いて、お師匠さまが地下室の扉を開けるのをみたこともある。


 あそこには何かいる。


 研究室にすら用事があって入っても『すぐ出ていってくれないかな』と急かされることもあるのに、それをそんな、急に、


「お師匠さま、そんなこと言って、本当は私も、地下室の檻に入れたりしないですか?」


「ええ……?」


思わず聞いてしまっていた。


 魔法の研究をしているというお師匠さま。夜もよくどこかに行ってしまうお師匠さま。武人としても十分強い、種族も性別も分からない、色々とめちゃくちゃなお師匠さま。


 おみやげなんて本当は嘘で、本当はわたしのことも邪魔で、地下室に閉じ込めて片付けようとしていたら……。


「わたしが捌いた〈青頭禽(カズィルー)〉みたいに、食べちゃったりしないですか……?」


 お師匠さまは、一瞬ポカンとした顔をしたあと、大口を開けて笑いだした。


「――――ははははははっ、そんな、たしかに(わえ)は見てくれは()()だけれどもね、取って食ったりしない! 心配しなくてもいいんだよっ、はははっ!

 そんな、名前のある子にそんなことできない。きみのお父上にも良くしてもらった恩があるしね」


「でもわたし、」


その言葉に、私の口はもう勝手に話し出していた。


 …………ずっと、思っていたことだった。


 別に本当に何もされないとしても、お師匠さまは父さん(パァパ)でも母さん(マァマ)でもないから、それにお師匠さまはわたしのこと好きかも解らないから、言ってもいいような気がしてしまった。


「わたし、けっきょくは出来なかったんです……、父さん(パァパ)の役には立てなかったから、わたし、ここにつれてこられたんですよね? それにお師匠さまのところにきたって〈河〉の巡りが薄いから魔法もできないし、おうちにお勉強を教えに来てくれていた時、お師匠さまから聞いた魔法の講義もけっきょく、基礎理論の最初の方しか、よく解りませんでしたし……」


「…………」


 すると見上げていた切れ長の瞳からは一瞬で表情が抜け、お師匠さまもわたしも、二人とも喋らなくなってしまった。


 みどりの光と、森の爽やかの風が入り込むダイニングは、急に静かになる。いたたまれなくなったわたしの顔と気持ちも下を向く。


 そこへ視界の外から、ふと怒っているようにも思える強い調子の声がのしかかってきた。


「フィーゼィ=リタス……」


それはわたしですら久しぶりに聞いた、()()()()本当のなまえ。かと思ったらぬっと立ち上がったお師匠さまの長い手が伸びてきて、また私の頭に覆い被さる。


 ビクリと震え上がるわたし。


 テーブルを挟んだ椅子から椅子までの距離なんて、なんにも意味のないものだった。


「っ!」


「……今は、その話は関係ないよ」


 目を上げても大きな手が邪魔で、お師匠さまの顔は見えない。たださっきより近づいてきたお師匠さまの声だけが耳を打つ。でもそれは私に話しかけながら、噛みしめるような、なんだか考え込んでいるようにも聞こえる口調だった。


「…………だけれども、そうだね、()(かく)だよ?

 君はもとから素直で優しい子なのだから……――うん、そうだね。きみはずっと自信を持って、前を見るのが良いね。

 つけてもらったその名にふさわしいように、ね」


わからなくて首をかしげた。


「……わたしの名前が、どうかしたんですか?」



 わたしの名前は『たおやかなる=愛し子(フィーゼィ=リタス)・アビ』だ。

 『アビ』は、この辺りの山で族長の家にだけ許された字名(あざな)。フィーゼィ=リタスが名前だ。…………でもずっと呼んでいると小さい「ィ」が消えていって、あだ名で呼ばれなくても、みんな最後は『フィーゼリタス』って呼ぶようになるの。



「うーん、少なくともきみの名前は、(わえ)にとっては『意味のあるもの』だよ。サリビノカとは違う。

 これはきっと、きみのご両親にとっても同じだからね。…………それだけは覚えておきなさい」


「『いみがある』?」


「そうだね、意味があるね」

 …………意味がある。意味がない。


 やっぱり、お師匠さまの言うことは難しい。


 それでも優しいことを言ってくれていることだけは、わたしにもわかった。


 ――――それからたぶん、お師匠さまはここに居るわたしのこと、邪魔だとは思ってないってことも…………ちょっとだけわかった。


「えへへ……」


 だから嬉しくて、気づいたらわたしはまた笑っていた。


 するとパッと外れた手の向こうで、お師匠さまは不意を突かれたような不思議な真顔をしている。わたしはそのまま椅子を降りて、はだしの爪でカチャカチャとお師匠さまに駆けよった。


「……ねえお師匠さまー」


「なにかな?」


「嬉しいので、ちょっとだけぎゅーしていいですか」


「……んんっ? きみの愛情表現はすごく直球なのだね……?」


またちょっと驚かれたみたいだった。


「……うーん? 子供とは、みんなこういうものなのかな……それともきみだからかな……」


 ……じゃあダメなのかな、と思っていると、お師匠さまは急にニコリと微笑(ほほえ)み、足下のわたしを長い両腕で力強く抱き締めにかかった。


「ははははっ、きみは本当にかわいい女の子だねえ!」


「きゃー?」


鼻先と手に触れたお師匠さまの服はすべすべして柔らかくて、髪からは森の風と土の匂いがした。そのまま身体を(さら)われ、両足は古い飴色の床板から離れる。


 びっくりなのと嬉しいのとでけらけらと笑い声の悲鳴を上げていると、すごく近くにきたお師匠さまの視線がその腕に続くように私を捕まえた。


 夕暮れとの境にある夜を溶かしたような、濃い青色をした2つの瞳は、優しく楽しそうに笑っていた。


「さっ! ではではフィーゼィ、行こうか地下室に」


「ちかしつ……」


 やっぱりちょっと怖かった。


 けど、もうさっきよりは怖くなかった。だってかわいい子だって、言ってもらえたし。


 にこっと笑い返して、頷く代わりに首をかしげる。


「――――ふぁい!」


「よしよし」


 次いでわたしを抱っこしたままのお師匠さまが立ち上がると、わたしの目線はうまれて初めてサリビノカちゃんが見ていた高さと同じになった。そのまま2人でリビングダイニングから出ていく。


 きっとお師匠さまは、わたしのことが好き。


 なんだか今なら、なんでも許されるような気がした。


「……こらこら(わえ)の角を掴むのはやめようか」


「えー、ごめんなさい」


 木登りするときとは違う揺れと高さに慣れなくて思わず掴んでしまったけど、でもやっぱり、これはダメなようだ……。




 そして黒くて重たい木の蓋が、ギイイイ……と軋みをあげながら、お師匠さまの手でゆっくりと開かれる。


 待ち受けていたのは、光のない闇の底だった。

 ごくりとひとつ、息を飲む。

 そのまま片腕にカンテラを持ったお師匠さまに抱えられ、一緒に狭いらせん階段を一段、また一段と降りていく。


 そんなに大きくはないはずのこの家の地下に、『どこかのお城の地下だよ』と言われたらきっと信じてしまうような深い空間があることを知って、わたしはすごくドキドキしていた。耳をピンとはね上げて、進むたびに新しく現れる石段の一つ一つを凝視している。


 だって、階段を降りきったらもう終わりだと思っていたのに、地下一階にある踊り場と長い通路を通り越して、お師匠さまはそのさらに下へつながる階段をぐるぐると下りだすんだもの。


 わたしがびっくりしすぎてしばらくぽっかりと口を閉じるのを忘れていると、ふいにお師匠さまは喋りだした。


「――――昔……、ああ、もう何年前になるのか(わえ)も忘れてしまったな。……とにかく暇でね、魔法を重ねて作ったんだよ」


「ふぇ? なにを?」


 上とは違う、ひんやりして湿った空気のなかに、わたしとお師匠さまの声がこだまのように響く。もっているランタンの黄色い灯りが二人を包んでいる。


「ここを、だよ」


「……えと。この地下室を、てこと?」


「そうだよそうだよ。日ごと、()ごとに魔法の決まりごとを重ねて、最後にこう……ドン! と空間を広げてね。


 ……ただ、遊びで作ってはみたのだけれど、危ないものをしまったり、閉じ込めるのにちょうどよいのだよね……」


「とじこめ……」


(…………あぶないものって、前も言ってた妖獣のこと……?)


 それに、魔法で『空間をつくる』って、絶対普通じゃない。お師匠さまからしたらわたしが普段使っている魔石具の魔法なんてきっと、小さい子のおままごとのようなものなのかも知れない。


 そしてそんなことを考えるわたしの顔は、また怯えたような、ひきつった表情になっていたんだと思う。すぐにわたしの様子に気づいたお師匠さまに、


「んん? ――ははっ! きみは本当に、何でも思ったことが真っ直ぐ顔にでる子だねえ!」


と楽しそうに笑われた。


「ははっ、そういうところ、(わえ)は好ましいと思うね。けれどもフィーゼィ、きみはちゃんと入って、出て()けるからね? 此所(ここ)(あるじ)が、それを『許している』のだから、ふふっ」


「……あるじって?」


「んん? わえのことだよ」


「ふーん?」


 ――――出ていって、帰ってこれる。……お師匠さまに許されているから。


 なんだかそれはすごく、嬉しくて誇らしいことに思えた。


 でもそこへ水をさすように、お師匠さまはすかさず続ける。


「ああ、けれど、普段はダメだよフィーゼィ? せめて大人になって、ひとりでも妖獣を倒せるくらいにはならないと……、危なくてきみだけでは入れられないな」


(わ、わたしってそんなにわかりやすいかな。ちょっとは隠せるようにならないとかな……)

「んぇええー?…………まだお師匠さまにもかてないのに、いつになるのそれ……」


「……んん? 『まだ』? ……きみは(わえ)に勝てる自信はあるんだね……」


槍術(そうじゅつ)は得意だもん。あと弓」


 ……ほかのことはみんな、妹に負けてしまったけど。


「うんうん、まあ、きみは今回は武術(そっち)の名目で預かった『弟子』でもあるからね。やる気があるのは素晴らしいよ。

 …………ならもっと強くおなり。耳長族は女の子でも、磨けば強くなれるのだろう?」


「……ふっふん! そうです! わたし、魔法なしのお師匠さま、たおす……!」


「……魔法ありには?」「むりです!」


「実力の見極めも妥当だね……良い戦士になれるよ」


「ふっふん!」


 その時だった。


 冷たい風が、『ひゅらり』とわたしの毛並みを通りすぎていった。


 地下室の空気そのものが動いたような、変な風の流れだった。かと思えば師匠が手にしていたランタンが、付いたり消えたりの明滅を繰り返しはじめる。


「!」

「おっと?」


炎ではない魔石の明かり。わたしの家の居間にも1つだけあったけど、こんなにチカチカする所なんてわたしは初めて見た。


と、同時にどこか遠くから這い寄るように、なにかの叫び声が聞こえる。


 ――――《#■*‡▽ル!》

 ――――ぱりんっ!!


小さく硝子の割れるような音もどこかから一緒に反響してきた。


「ひゃひ……」


驚いて、また()りずにお師匠さまの角にしがみつくわたし。ちょうどいい位置にあるので、どうしても掴んでしまうんだ。けどその手は、根本にだけ水掻きのついた長い指にそっと外された。


 ピリッとした声で返される。


「怖いのはわかったから、掴まるならこちらにしておいで」

「ひゃい……ごめんなさい……」


仕方なく、ランタンを(ささ)げ持つその長い手首にしがみつく。


「『おみやげ』が目を覚ましたようだね」

「? ……?」


 わたし達がだんまりとおしゃべりを重ねているあいだに、師匠の足はさらに3階ぶんの階段を降りきっていた。


 おり口はまだ下に続いていたけど、すぐ横の地下4階、暗い灰色をした岩壁の通路の暗がりから、またその声が響いてくる。


――――《シ▼! ■※チ#*=ジャ†●▽コ■◀!!》


 ……よく聞くと、たぶん子供の声だった。


 わたしは壁に吊るされた魔石の灯りが一つだけ輝く、その通路の薄暗がりに目と耳を思いきり()らした。


 ここからまっすぐ見える通路は、大人が二人どうにかすれ違えるくらいの幅しかない。すぐ手前には曲がり角があって、その向かい隣には木の扉。


 声はたぶんそのもうひとつ向こうの、右へ折れる曲がり角の奥からした。


 そこに突然近くから、硬い声のお師匠さまに問いかけられる。


「……フィーゼィは、〈円環の河〉の流れは読めないのだよね?」


振り返って目に入れた、お師匠さまの角とおでこ。


「ふぇ? ……読めない、です……」

 でもお師匠さまは、見える。


 同じ力を持たないことを残念がられているのかと思って、耳が下がってしまった。でも違った。


「――――じゃあ、良かったよ……角がびりびりするからね」


(良かったって……?)


 思わずその眼差しへと目線が下がる。けれどそこにあったのは、声と同じに眉根にシワを寄せた苦い表情だった。


(あなど)っていたよ……今の音は(ひび)が入ったね。この封じでは少し甘かったようだ。このままだと破られる……」


 そしてどういう意味かと聞くまえ前に、わたしの足の裏は冷たい石の床に下ろされている。それから持っていたランタンを、長い指先三本で差し出された。


「ではフィーゼィ、これを持って(わえ)の後ろについてくるんだよ。良いと言うまで吾より前にでないようにね。最悪、アレは殺すことになる」


「ふぁ、はい……」


 なんだか、すごく物騒な言葉を聞いてしまった。


 今だって、覗き込んでくるお師匠さまの目は笑っていない。良くわからなくても、ふざけちゃいけない雰囲気なことだけはわかった。


 わたしは歩きだした長い脚と、そこから生える影を見失わないよう灯りを掲げ、ちょこまかとおいかけながら息をひそめる。


 それでもお師匠さまの蹄足と私の足、二人ぶんの爪の音だけは、石に擦れてコツコツカチャカチャと響いた。『わたし達が来た』ということを向こうの『誰か』に教えているようで、少しヒヤヒヤする。


 行き着いた先は、やっぱり二つ目の角を右に曲がった先にあった。通路の突き当たりにある扉の前で、お師匠さまが立ち止まる。


「『おみやげ』はこの中だよ」


 私は仄灯(ほのあか)りを受けて鈍い銀色に光る、とても背の高いその扉を見上げた。表面に、四角と直線と何かの文字が彫り込まれた、細かくて複雑な模様がうねっている。


 扉がのっぽなのは(家の中や階段と同じで)お師匠さまの身体に合わせて作られているから。模様は…………魔石具でみたことがある魔方陣、に、似てる気がする。


《ブ*コ■#‡=@……!》

『ガション!!』


「わ!?」


と今度はさらにはっきりと聞こえた人の声と、なにか太い鎖を引っ張るような音。


 この、鉄格子の窓がある扉の向こうから聞こえていた。私はその異様さにびびり倒していた。


「では結界(かぎ)を開けるよ」


けれど言うが早いか、お師匠さまはすらりと短く詠唱を始めてしまう。


()せよ(はばか)り、()()れよ(わえ)ら』


 パン! とひとつ手を叩くと、お師匠さまの胸の〈提げ石〉が一瞬だけチカッと青緑に光る。


 ガチャン、と鍵が開く音がした。それから扉が……。


 ……ううん、わたしが扉だと思って見ていたものがスッと消えてなくなった。


「えっ、あっ!?」


びっくりして目を見開く。耳としっぽがちょっと跳ねた。


 扉が消えたことにも驚くけど、それより急に開けられて、心の準備がなんにもできてない。喋っちゃいけない気はしていたけど、それでもやっぱり怖いものはこわい。


「お師匠さまぁ……」


 思わず小さく呼ぶと、自分でもすごく情けない声が出た。


「うんうん、大丈夫だからおいで。戦士になるのだろう、怖がってばかりではいけない」


 軽くかがんで、胸のまえで握っていた手のひらを片方引かれる。そのままお師匠さまが前に出る早さで、白い岩の壁と床に囲まれた部屋に引っぱり込まれた。


「ひゃっ……」


飛び込んでみると部屋はたてに細長く、床の広さはあるのに狭くみえる。代わりに天井がすごく高くて(お師匠さまの大きさにあわせて7キュビ(※3.15m)くらいはありそうだ)、おかけであまり息苦しさは感じない。


 けどその高さの分、天井に吊り下がっている暖晶ランタンの灯りは遠く、黒い岩でできた部屋の中には冷たさと薄暗さがじっとりとわだかまっていた。


 見渡してみても、家具は右側の壁に寄せて、寝心地の悪そうなベッドがひとつだけ。その広さだけで、部屋の4分の1くらいは埋まっている。あとはたぶん、排泄用に置かれている古い桶がベッドの手前にひとつ。



 ……でもあるのは、それだけ。



「それ以上前に出ないように」


 ――――そうしてお師匠さまの声をききながら、縦に向きに置かれたベッドと壁の間の、人が一人通れるくらいの狭い隙間に、わたしは吸い寄せられるように目がいった。

 薄暗がりに、何かいる。

 思わず目を凝らすと、向こうもこっちを見つめてした。


 そしてわたしはそこにうずくまる、人のかたちをした『獣』と、じっと見つめ合ってしまったのだ。


 黒髪に、榛色の暗い瞳。


「……んぇ……人族の男の子……、だ……――――??」


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