1:相棒の獣人が幼女を買ってきたんだが ②
一章 ②/3
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単純に計算すれば、『最も労働力となる若い男』のほぼ2倍の額である。そして俺たちは、今いるこの湖の畔に建つ小さなコテージを借り上げる為に、1ヶ月、2人でおよそ70エラを支払っている。
2LDK、湖に面したバルコニーに、風呂、トイレ、自炊用のキッチンに庭付き。
安宿で不味い飯を掻き込むだけなら1人1エラで1日は過ごせるなか、さらに今回は酒を呑みフィーの観光に付き合い、その他もろもろ俺も遊びの金だけで30エラ前後使った……だいぶ豪遊したと思う。
そして話を戻すとこのアホはその奴隷男の2倍、今回の宿代の約3倍の値段を、この痩せたガキの対価として支払ってきたと言っているのだ。
俺は不穏な感情がじわじわと胸に湧くのを感じながらも、意を決して口を開く。
「おい、フィー、お前…………、今回この宿に1ヶ月泊まるっつー話になった時、お前、俺と互いの持ち金を確認したよな? あのとき、当座の額面は二人合わせて329エラと少しじゃなかったか?」
話し出して初めて、自分の声が震えていることにも気付いた。
そう、あの時点でコイツは、俺の所持金と2人の持つ総額をきっちり把握していたはずなのだ。
あれから宿代にそれぞれの遊興費、フィーがいくら使ったかまでは知らないが、俺と同額としても130エラ程度は差し引かれているはずである。
そしてきな臭いことに俺は先ほど、出かけていくコイツに1つ大切な物を預けていた。永の付き合いだったからこそ、信頼して預けた大切な物が。
「それでもう1つ、確認したいんだが、フィーゼリタス――――」
向き合うフィーゼリタスの瞳の奥を見透かすように、顔をかがめ己の視線を突き立てる。低い声で脅すように問う。
「――――……俺がお前に預けてた手形石はどうした? 昼飯ぐらいはおごってやるって、渡したよな……?」
「!」
すると目の前に立つ獣人は、なにやら決まり悪そうに耳を立てた。おそらく反射的にソレをしまっているのだろう腰のポーチへ手を伸ばし、
「……ギクリ」
擬態語を、わざわざ口に出して言いやがった。
――――口でわざわざだ!
「…………使ったのか?」
「え、あ……、……エヘ?」
首をかしげて微笑まれたが、もはやそういう次元の話ではない。
「――――っ、ふざけてんじゃねーぞ!!! おい!?!」
建物中へ響く怒声に、目の端でガキがビクリと震え上がるのが見える。が、そんなことに構う義理などない。
手形石は、金融機関に預けた金を自由に引き出せる、手のひらサイズの魔石だった。半透明で、中に目が回りそうなほど細かい波模様が刻まれ、海辺の石のように薄く滑らかな楕円形をしている。
そして信頼する相手にのみ、金の引き出し権限を委任することもできた。
俺は焦りながら、ごねるフィーゼリタスから奪い返した手形を操作する。残金を確認すると、浮かび上がったのは『1エラ 1073ピニ』という惨憺たる数字だった。
…………最悪だ。
怒りに震える声で、ゆっくりと顔を上げる。
「てめえ…………使い込みがったな!? 俺の金を……――――!!」
「え、えっと、使い込んだっていうか、必要だったから……ねっ!?!」
この期に及んでまだ宣う見苦しい言い訳に、俺はもう真面目に返すのも馬鹿らしくなる。頭に上った血で、自分の指先までもが震えるのを覚えた。
「…………おい、ヘラヘラわらってんじゃねえぞ。ふざけんな。こんなガキ、返してこい!! ――――いますぐだ!!」
しかしその言葉すら、目の前で悪びれもしない困り顔をしだした耳長にスッパリ拒否されるのだ。
「それは、えっと…………奴隷ってナマモノだから、原則返品ってきかないんだって引き渡しの時に言われたよ……?」
「は」
俺は本当に殺意が湧いた。人の、金を、断りもなく勝手に使い込んでおいて、この態度だと……?!
「…………おいフィー? 俺はな、今まで金銭がらみの人殺しなんて、ただの他人事だと思ってたが……」
ついにスラリと剣を――――手入れのついでに腰に佩いてみていた長剣を――――抜き放つと、俺は竜も睨み殺せそうな瞳で相棒、もといクソ毛玉を睨み据えた。自分の目付きの悪さには自覚がある。
「――――今ならやらかしちまう奴の気持ちも良く解るなぁ?!」
「えっ?! ちょ、待ってイチヘイ! 怖い! ホント待ってイチヘイいぃ!?」
途端、フィーゼリタスは慌てふためきながら、顔の前で両手のひらをぶんぶん降り始める。
コイツと、鍛練で真剣を使った回数ならもう数えるのも面倒なほどだが、まさか本当の意味での闘争をする日が来るとは思わなかった。
「なんで争わなきゃなんないの! 言ったでしょボク、『この子がお父さん、お母さんって泣いてたから、イチヘイに会わせなきゃって思った』って!」
そうして、自分の左脇に立っていた幼女を俺の前へ押し出してくる。
その気になれば俺の一撃ぐらい簡単に受け流せるだろうに、ここでガキを盾にしてくるとは情けない。
俺は急に矢面に立たされ「ううう……!?」と呻きながら明らかに怯える幼女の腕を掴み、まずは俺の背後まで移動させた。
「用があるのはコイツだ。お前はそこにいろ」
目線だけで振り返って指を突きつけておく。
しかし返事も頷きもない。目すら合わない。言葉を理解しているかも解らない。
共通語が違うという隣の大陸から連れてこられたか?
――――それとも完全に『壊れて』いるのか……?
いや、今そんなことはどうでもいい。
俺は改めて毛玉に向き直り、詰め寄る。
「知るかよ! 俺はコイツと会わなきゃならん理由なんてひとかけもねえ! それとも何だ?! その涌いてる頭で、俺の胤で作ったガキだとでも思いやがったのか?!」
「違うよ! ――――……あーもう! せっかくつれてきたのに!! 説明させてよこのバカ!!」
「~〜っ、バカはテメェだろ!! もういい死ね!」
ついに俺は、手にした白刃を袈裟がけに振り被った。そのまま踏み込んで毛玉を斜めに真っ二つ、というところで、毛玉は機敏に背後へと飛びすさる。
――――キィンッ……!
と部屋に響くのは甲高く乾いた音。刃は、その一瞬でいつの間にか抜かれていたクソ毛玉の短槍に食いこんでいた。毛玉が矢継ぎ早に口を開く。
「だからあ! 聞いてよバカっ!! 正確に言うとここで話されてる言葉じゃなかったんだってば!!」
「あ゛ん? 意味わかんねえこといってんじゃねえ……!」
試しにもう一度横から斬りかかるが、これも逆手に防がれる。
キャリキャリと金属が噛み合い、擦れる音がする。
二人の間隙で、よく磨かれた短槍の鈍色と刃の銀とが、そしてお互いの視線が鋭く噛み合う。
故に俺は、その一瞬で惜しいことにやや冷静さを取り戻してしまった。この毛玉だって百戦錬磨の端くれである。俺はコイツの強さを知っている。
そしてまるで矛盾しているようだが、知っているからこそ、このバカに安心して斬りかかっている己自身にも気付いてしまったのだ。
さらに、ここは障害物も多い屋内。お互い得物を構えてこれ以上闘えば、バカは無傷でも宿の備品は普通に破壊しそうだった。
ただでさえこの毛玉のせいで弁償なぞできないだろうに、街の自治領内でそんな面倒ごとは御免だ。せめて拳に石を握り込んで、庭での殴り合いなどにするべきだったかもしれない。
「……あ、ちょっと正気にもどった……??」
そうしてどうやらこのアホ毛玉も、そんなことを考える俺の表情の変化を敏感に見てとったらしい。
鋭い刃の腹と腹とで競り合っているというのに、癪なことにその表情にはさっきと打って変わってかなりの余裕が現れていた。
「えっとね、だからね聞いてよ!」
だがそれは、腹立たしいほど得意げな顔で毛玉が口を開いた時である。
静寂が占める玄関ホールに、吐き出すような掠れた声が広がった。俺のものでも、このアホ毛玉のものでもない。
《――――……ぇんか、やぇ、て……》
……馴染んだ発音に、頭が勝手に単語を補完していた。それは俺にとっては、あまりにも懐かしい発音だった。
『けんか、やめて』
そう聞こえた。
俺は知らず、毛玉の鼻先にあった視線を固定したまま目を見開く。
そして手にする剣も自然と意思を失くし、応じていたフィーの槍もまた、切っ先がゆっくりと床にしなだれていった。二人して、隅の壁で立ちすくんでいる幼女へと引きずられるように視線を向ける。
そこにフィーゼリタスが、思い出したように再び腹立たしいドヤ声を上げ出すのだ。
「ね、ほらね!! この子ね、さっき……えっと……。
《オカァサン》、《オトォサン》ってね、泣いてたんだよ?!」
その瞬間俺は目にしてしまった。気づいてしまった。
怯えるような目をしていた幼女の瞳には、この時初めて目覚ましいほどの表情の変化が顕れていたのである。
それはまるで真っ暗な闇の中で、こつぜんと燈の灯る場所を見つけたかのような、そんな期待と驚きのない交ぜになった顔だった。
今この瞬間まで、俺たちの話を理解しているのかも怪しい虚ろな目をしていたと言うのに、それが今はすがるように口を半開きにし、舌っ足らずにも異国の言葉を口にしたフィーゼリタスの顔を、意思のある瞳で見上げている。
(おい……。おい、マジかよ……)
今フィーゼリタスが発したのは、ずいぶん前に俺がこいつに遊びで教えた、俺の故郷の言葉だった。
これに反応すると、言うことは。
意味を理解している? あまつさえ、この言語で話しただと……??
知らず顔をしかめた。いまだ半信半疑のままだったが、俺はふと毛玉が話したのと同じ――俺が昔捨てた故郷の言葉で、その奴隷に語りかける。
《……おいお前、俺の話してる言葉、わかるか?》
「!?!?」
ああクソ、変化は今度こそ顕わだった。とたん青天の霹靂、とでもいうのか、そんな表情をしながら、榛色の眼差しが吸い寄せられるように俺へ振り向けられた。そして喉元に手を当て何故か眉をハの字に下げながら、コクコクと大きく、縋り付くように何度も繰り返し頷いてくる。
俺の疑念は、一瞬で確信に変わった。
《……っ、ウソだろ……》
自分で『解るか』と尋ねたくせに、俺はハトが豆鉄砲食らったような顔で目をしばたかせる。
もう一生、この言葉で誰かと話す事もないだろうと思っていた。
驚く俺の正面で、フィーゼリタスが得意げなニヤニヤ笑いを浮かべる。あまつさえこの状況で、不自然な程の無邪気さである。
「ねっ? ねっ? やっと解った? だからイチヘイに会わせなきゃって! 会わせなきゃって!」
「………………」
さっきまでの俺なら、そのままフィーの頭を2、3発殴るところだ。もちろんグーで。ついでにもう一度、この刃で突きをお見舞いしてどんな顔で受けに来るか見に行っていたかもしれない。
しかし相手の素性を知ってしまった今の俺に、それほどの余裕はもうない。声が震えそうになるのを抑えながら俺はピクリとも動けず、目を瞠るガキといまだ見つめあっている。
まだ信じられない。
純粋な驚き。『同郷』に出逢えた歓びも―― ないと言えば嘘になる。
……だが、俺は、だからといってそれだけの理由で、コイツの存在を受容できるほど単純でも、出来た人間でもなかった。『コイツを買うために毛玉が俺の金を着服しやがった』という事実ひとつが、その額面が、そういう感情を全部おしつぶす勢いで上から覆いかぶさってくる。
ゆえに俺はそいつを受け容れることもできず、かと言って否定しきることも出来ない。
渋い顔で見つめながら、それでも一応は問いかけてしまう。
《……おまえ、一応きくが名前は……?》
《っ!》
ただそう尋ねただけだというのに、彼女の表情はとたん、先程までの死人の目が嘘のように再び目まぐるしく移ろいだす。
目をきょろきょろ動かして驚き、眉をしかめて俺を見つめたかと思うと、最後は何故か明らかな困り顔になった。そしてもう一度喉に手を当てると、口をパクパクさせて、どうにかこうにかといった様子で声を上げる。醜いほどに潰れたしゃがれ声だった。
《 ぅ゛…ぁ………ぁハ、ナぁと……》
……なんだこの、話し方は。
《あ? はな、と……って言ったか?》
何度か繰り返される肯定の頷き。
《あー……、俺はイチヘイだ。あとコイツはフィーゼリタスという》
戸惑う気持ちを隠すように、上っ面では形式的な答えを返す俺だったが、違和感はぬぐいきれなかった。彼女の話し方は、吐ききったあとの息で、さらに声を出そうとしているような苦しそうな声量と表情だ。




