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8:ひとつふたつと変わること④

八章 ④/4

読了目安→4.5~7分

「…………なんのことだ?」


 疑問に思ったのは、もちろんボクだけじゃなかった。


 頭の上にある手のひらに、ぎゅっと軽く力が入って、『しゃべるな』と伝えてくる。声からもすっごく警戒しているのが伝わってきた。


 その感触が少しくすぐったくて、それでもどうにか真顔を保つボク。


 ただそれを皮切りに、ガタゴト揺れる輓獣車(ばんじゅうしゃ)の一番後ろの席では、ボクとハナトを挟んで真剣な会話がはじまる。


 揺れと軋みにどうにか紛れない程度の、小さな声での密談だった。ボクは回せない首に代わって目だけをキョロキョロ動かし、落ち着かない気持ちでその会話を見つめている。


「……その、それこそ、ここで詳しく話すべきではないのでは、ないかい? 確かに多くは語れないけれど、私は、その子を助けたいんだ。胞果熱の容態(ようだい)も診たいから、その子が目を覚ましたら、訪ねてきてほしいところがある」


「……………」


 イチヘイは何か考えている様子で、すぐには答えなかった。ボクが息をふたつ吸って吐いて、それでも余るほどの沈黙が続く。


 それからようやっと、頭の上に重さと体温を預けてくるその人の口が開いた。ガタン、と、客車が軽く跳ねる。


「……わかった、そうしよう。だが、重ねて訊くが、報酬は?」


「さっきも言っただろう? 本職じゃないんだ。要らないよ」


「……では、借りは作らせてもらう」


そうしてさらに二言三言話すと、二人とも納得したのか会話をやめた。


「……まとまった……?」


 おずおず訊く。「おう」と戻ってくる短い返事。


まだ頭を掴まれたままチラッと首を降り向けると、その顔にはもう、普段通りに隙のない無表情が張り付いていた。てことはイチヘイも彼女のこと、とりあえずは付き合っても大丈夫な人ぐらいの認定はしたみたいだ。


 よかったと安堵する。…………でもいくら嬉しくても座席の上でしっぽをパタつかせるのはお行儀が良くないので、ボクはそれを頑張っておさえにかかる。 


「少しまってくれたまえ……メモを渡すよ。君たちしばらくニムドゥーラにいるかい?」


 確認をとるように向けられる視線に、二人で黙って頷く。それを見た彼女はフードマントの下から、肩に斜めがけにしていた平たい鞄を出してきた。


 そうして次にボク達の乗る客車がガッタン、とまた大きく揺れた瞬間(しゅんかん)、 |彼女の後ろにある窓から見える景色は、一気に大きく開けた。


 森を抜けた輓獣車(ばんじゅうしゃ)は、農耕地との境をつなぐ30キュビ(15m)ほどの橋を渡り始める。


 景色が変わったことに気を取られたボクは、彼女が(しおり)がたくさん挟まれた分厚い手帳になにか付けだすのを尻目に、視線がその背後に動いてしまった。


 揺れる窓の外、橋を渡り終わってすぐには、街道脇にひとつ祠のように(たたず)む小さな〈ゲーナ〉が見える。畑を耕した帰りなのか、農民らしき父子(おやこ)が野菜とお花をお供えしている。


 その奥の方でゆっくりすべるように動いていくのは、城壁の上からチラリと覗くニムドゥーラの街並みと大鐘楼。そして夕暮れの迫る空と湖だった。


 少し冷えてきた風が車内を通りすぎる。


 ……ついでに客車の窓がいくつも開いている理由に、ボクはまたすごく複雑な気持ちを思い出してしまう。早くかえりたい。


「――――共用語は読めるかい」


「嗚呼……。まぁ、オレでも良いがコイツも文字はいける」


と、そこへ飛び込んでくるイチヘイの声に、ボクはピクッと耳が動いた。二人の間に意識がもどってくる。


「ん、なあに? ボクに用」


 ……と、なにか視界の下の方で、目立つ白い色がチラつくのに気付いた。


 見ればいつの間にか彼女が、薄くなめらかな毛に被われた指先で、ちいさな紙切れを差し出している。端がとても雑に破かれた、何かのメモみたいだった。


「あいにく薬の方はこの客車の、上の荷台に旅荷と一緒にくくりつけてしまってね、後で荷下ろしのときに渡すよ」


 ボクはその小声を聴きながら、手を伸ばしてそれを受け取る。手のひらより小さい紙に書かれたその字は、紙の破り方と同じにすごく雑でなかなかに癖がある。揺れる座席の上でよく見ようと顔を近づけると、にじんだインクと、使い古した紙のくたびれた匂いがふわりとした。


 …………『右十字(みぎじゅうじ)三番通り、85番目、103分号(ぶんごう)店舗(てんぽ)区分(くぶん)


多分どこかの住所なんだろう。


「……もし信用してもらえるなら、そこに来てもらえないだろうか。私はしばらくそこにお世話になる予定でね……。不躾(ぶしつけ)な真似をしてしまった詫びに、その…………」


またもにょり、と黙る彼女。


「?」 


「……君たち、〈四ツ足ノ禽(アファタール)〉狩りの帰りと言っていたね」


もう一枚、スッと紙を渡された。反射的にそれを受けとると、ボクから離れた華奢な人差し指は、ボクが腰につける四角いポーチを物言いたげに黙って指差す。


 イチヘイもその動きを確認をしながら、横から渡されたメモを覗き込んできた。うつむいて読む言葉に被る彼女の声。


『もし知っていて()ったのなら神に真理を説くようなものだが……そうでないなら魔石店で売ると良い。3つとも。良い値段になるはずだ』


「……で、では、薬はまたあとにして……一旦解散ということで」


「…………。嗚呼(ああ)


「えっ」


わずかな無言の後、イチヘイがそう返す声に慌てて顔を上げると、もう彼女は、こちらに傾けていた身体を窓際に預けなおしていた。そして本当に何もなかったかのように窓を開け、黙って外を眺め始める。


 …………は、話を切り上げるタイミングまで絶妙に癖がある人だ。けれど確かにその横姿は、もう改めて話しかけるような雰囲気でもなかった。



 そうして一方のボクは意味が分からないまま取り残されて、動揺しきりだ。だって、示された数には心当たりがあるんだもん。


(――み、みっつ……?)


些細な出来事を言い当てられていることに薄く恐怖を覚えるボク。思わずぽそりと声に出してしまう。


「………え、どういう……? みっつって、さっきのアレのこと……?」


 それはイチヘイが真珠瘤を採集している間のことだった。


 妖獣の血と臓物との間で、真珠のような輝きを放って蒼灰(そうかい)(しょく)(つや)めく石を3つ、ボクは見つけていた。


 はじめは〈四ツ足ノ禽(アファタール)〉の血と似た色で解らなかったけど、そわそわうろうろ動いている間にどうも血肉とは違うものだと気付いたんだ。


 ただ、それはボクが初めに採った真珠瘤と比べても明らかにおおきかったし、でも『真珠瘤の変種』だ言われたら納得してしまう程度にはつやめき方が似通っている。


 だからとりあえずイチに見せようと拾ったけど、あの時のこの人は本当にピリピリしていて、けっきょく話題にはのせられなかった。


 そしてそのままボクはイチヘイに殺してもらう覚悟で話し合いをして、でも全部この人の優しさに赦された。結局、数も足りたから…………本当に今のいままで、忘れていたんだ。


 ボクは思わず困惑に眉毛を下げ、つい助けを求めてイチヘイに顔を向けてしまった。


 すると同時にスルリと頭から手が外れる。そうして見合ったイチの顔はすごく――――……すごく胡乱げだった。


(……そ、そうですよね?! 本当になにもはなしてないもん!!)


 しかも高く売れるというおかねがらみのはなしだ。


 ちょっと背中に冷たいものが伝うようなきもちがした。


 ボクもよくわかってないけど、それでもボクがまた、イチヘイの不信感をかうようなことをしていることだけは確かだった。


 ゴトゴトと鳴り騒ぐ車内、一旦は離れていたイチヘイの鋭い鼻梁(びりょう)が、今度はさっきより限りなくボクの耳の穴に近付いてくる。低く響く声が、ボクにだけ聞こえるように囁いてきた。


 …………なんの話か知らんが、後で詳しく訊くからな。


「ひっ!?」


 わー! ごめんなさい?! ちゃんと話しますから!


 話したら解ってくれるだろうか。ハナトのことで前科があるから不安だった。


 『高く売れる』って、ホントにどゆこと?


 良くわからないことへの怖さと焦りが胸の中でない()ぜになる。


「………………」


 けれどふと予想外のところからも流れ弾を食らっていることにも、ボクは気付いていた。こんなの、すごく場違いなのはわかってる。それでも、


(――――い、イチヘイの声がっ………)

 ぷすん、と耳が横斜めに倒れる。


 あんな軽はずみに何でも言うことをきくなどと言ってしまったこと。約束の書き換えの話になったとき二度とするなと叱られたこと。本当に反省している。


 けれどそのせいで、もうボクは、自分の気持ちはあまり言葉にしないこの人が普段づかいの感情の下にもつ、『ボクへの想い』の深さに、嫌でも気付かされてしまった。


 ――――でも、こんなことで嬉しくなってはいけない。


 そう思ってくれるイチヘイの気持ちがどんなに深くても、それはやっぱりボクの欲しいものじゃない。


 それにボクがあの雪の日から、ずっとどこかで死にたいと思いつづけている気持ちも大地へ染み込んで、洗い流せない血のようにここにある。


 だから『イチヘイはボクのことがだいじなんだ』って気付いて、『嬉しい』って、そんな気持ちになってしまうことに、ボクはひどい()()()()が止まらなかった。 

 戦う意思のない弱い人たちの、血と命で汚れたボクは、どう転んでももう幸せになんてなれない。


 それでもボクは嬉しくて、そしてそれが悲しくて、苦しくて死にたくなる、とても残酷な感情の混ぜ物を無理矢理にでも飲み干させられる。


「? わかったな?」


 この人は、返事をしないボクの目を、吸い込まれそうな鋭さのある大きい(りょう)()で覗き込んでくる。


 知ってる。イチヘイはきっと世界でいちばんボクを『()()()()()大事にしてくれている』こと。


 ボクのためにいろんな想いを()げてまで、それでも隣にいてくれていること。


 そして「わたし(ボク)」も世界でいちばんイチヘイを信頼してるし、――――――それからイチヘイとは違う意味でイチヘイを好きでいる気持ちを、愚かにもずっとずっと、変えられないでいる。


 …………好きだと言っても、甘えてみても、笑ってあしらわれてしまうのを、良いことに。


 でもこれまでも、ずっとそれで、良かったのだから。

 

 この関係が失われたら、もうこの人を()()()()()()()から。


 どう転んでもその先に()くしてしまうものが、()()()にはあんまりにも大きすぎる。


「う、ん…………」


 だから深く眠っているハナトの体温と髪に顔を埋めると、ボクはくすぶる想いをどうにか胸に押し留める。


 今の『ボク』が欲しいと思うもののなかに、許されていることなんて、何一つないんだ。

 だから『ボク』はもうこの人に怪しまれないよう、『いつものフィーゼリタス』として小刻みに頷くしか、できない。



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