8:ひとつふたつと変わること③
八章 ①/4
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だってボクが顔を戻しても、彼女は下を見てまだひとりでぶつぶつ呟いている。
ボクは思わず右隣にいるイチヘイに首を回す。この人も、まるで言葉の通じない生き物をみるような視線で彼女を凝視していた。
どうしよう。
思いあぐねた結果、ボクはパッとイチヘイに向き直ると、彼女に見えないよう座席の低い位置で、小さく手信号での会話を試みはじめた。
この『狩人の手信号』はもともとボクのお師匠さまに教わったもので、基本戦闘やら狩猟向きの硬くて物騒な『言葉』しか存在しない。一言二言ならともかく、『仕事』の時以外での会話には、びっくりするくらい向いていなかった。
(つ、伝われ~っ……)
『終わった』『あっち』『倒す・殺す』。
『ここ』、『優先する』『敵』、『優先する』『救援』『感謝』『渡す・くれる』!
『たすけて』!
(うう、あっちのお客たちはどうにかできたよ。けど、いまここで一番どうにかしなきゃいけない人が、一番の恩人だよぅ、どうしようイチヘイぃ……!)
「…………」
返事はなかった。けどチラと目線だけ動かしたイチヘイは戸惑うボクの動きを目で追うと、特に表情は変えぬまますぐに彼女に向き直ってくれた。左手が『了解』を作る。
つ、伝わった!?
「――……なあおい……?」
そうして次にはもう威嚇するような半笑いを見せながら、ボクの前にある席の背へ、(今日負ったケガ以外にも)目立つ傷痕だらけの厳つい右腕をついた。そうしてボクのすぐ目の前に、鋭い瞳の横顔と上半身を乗り出して相手を見据える。やっぱりボクの相棒は最高にカッコいい。
「おい、さっきから聞いてりゃ無礼だなあ、あんた?
それ以上訊いてくるなら、まずは俺たちもそっちの素性から聞かせてもらおうか」
警戒心むき出しで彼女を見据えている。
一方それを聞いたボクも、そそくさと座席に寝ているハナトを抱き起こし、彼女の膝の上から引き上げさせていく。
傷、治してもらってありがとうございましたっ!
「あっ、あっ……?!」
と、彼女が焦った声を上げているのをちょっと申し訳なく思ってしまいながらも、表面上はボクも毅然と顔と耳を向け直す。ホントはこんなことしたくない。
(でもイチヘイはちゃんとボクの言葉を汲んでくれたし、ボクは『この人の一番の相棒』なんだから、協力しないと!)
「そ、そうですよ、そんなに訊きたいなら先に名乗るのが礼儀ってもんですよね?! ちなみにボクの名前ふべっ!?」
けれど全部言いきる前に片手ぶんの重さと暖かさが、背後からボクの耳の間に襲いかかってきた。
手信号じゃないけどわかる。『よけいことしゃべるな』、だ。
両耳をちょっと下げてごめんなさいしておいた。イチヘイはまた、低いのに凛と響いて、少し喉にかかるような声で朗々と話しはじめる。
「……確かに身内を助けてもらっていることに借りは作っているが、名乗りもしないで俺たちの事情にまで首を突っ込もうとするなら、こちらも考えを変えよう。
――――どこの誰だあんた?
噂のネタでも集めてるなら、俺たちより、そこにたくさん座って聞き耳を立ててる、醜聞に目がない置き物どもの詮索でもしてた方が安全だと思うが?」
とたん、ボクの目端に映る数人のお客が明らかに身動ぎしたり動きを止めたりした。深みのあるイチの声は、ドスをきかせて脅しに入ると普通に怖くて、軽はずみだった車内の空気も凍りつく。
(――――わ、わーすごい、そっちにまでケンカ売りに行くんだ?)
ボクは目を伏せて少し焦る。……でも一方では、ハナトのこと何にも知らないくせにざまあみろ、って思っている気持ちもちゃんとあったから、止めなかった。
そうして意識を目の前に戻せば、『変な人』である彼女も例にもれず、他の人たちと同じように表情を固めている。まるで不意打ちで頬っぺたを殴られたみたいな――――……けどそのあとの彼女が、怒りも、誤魔化しも、引き下がりすらしなかったのはボク達には予想外だった。
というのも顔を覆うと本当に素直に俯いて、ボクもびっくりするぐらい分かりやすく落ち込んでしまったのだ。
「うっ、……うう……、私は何てことを……」
再びフードごしにでもわかってしまうぐらいには、その耳もグンと下がる。
「――――え、え……?」
虚を突かれてしまったボクは、思わず手のひらの重みを頭にのせたままイチヘイの顔を見に行く。けど、まさかこんな反応が返ってくるなんてこの人も予測していなかったのだろう、多分今ボクがしているのと似たような表情を投げてくる横目があってしまった。
「うう、私は、結局……」
その声にすぐまた向き直る。彼女はこっぴどく叱られた子供みたいに耳を下げ、縮み上がって何か呟いていた。一度、ひときわ揺れた輓獣車の振動に被り、
『がたたん! がたん!』
―――トルタンダの時のままなのか……?
「……え?」
本当にそう言っていたかはわからない。多分そう言っていたように聞こえただけだったのかもしれない。
でもとにかくそう聞こえたその言葉が、悲しそうなその表情が、ボクが気付いた時にはもう胸の深いところに刺さって抜けなくなってしまっていた。
トルタンダ。
こんな雪も降らない遠い場所までやってきて、その土地の名前を、いま初めて会った知らない人の口からきくことになるなんて。そんなこと――――。
(――――いけない、こんなところで いまはダメ いまは、)
――――隣に、イチヘイがいるのに。
そのまま嘘みたいに引きずられて、あの冷たい雪と生ぬるい血の海に引きずり込まれそうになったところで、頭の上からイチヘイの腕の重みが外れる。
ボクはハッと『いつものフィーゼリタス』に戻ってきた。
思わずチラリと見やると、イチヘイはだまって眉根を寄せ、ボクを横目で見ていた。……こわい顔してるの、見られてしまっただろうか?
でもイチヘイは唇を引き結ぶと、そのままボクの頭から外した手のひらをめいっぱい開いて、手首ごと内側から外側に曲げる形を見せてくる。
……『任せた』。
頼ってくれること、きっとなにも気付かれていなかったことに安心する。
……そうだ、それにこれはいま、どっちかって言うとボクの担当なのである。このお医者さまは絶対変な人だけど、できるならもう少し話をきいてみたいとも思っていた。
ドキドキと脈打つ動悸から目をそらすように、ボクは寝ているハナトの身体を支えながら席ひとつ分ずれて、イチから離れる。彼女に話しかけだす――――
「あっ、あの、大丈夫ですか? ボクたち、ちょっとその……色々と変わった事情があって……ええと……まずはやっぱりお姉さんのお名前を教えてもらえません、か……? ……ど、どこからきたんですか……?」
――――けどやっぱりすぐには平常心には戻れない。あとやっぱり変な人との接し方もわからないので、ボクは普通にアワアワしてしまっていた。これではボクの方が美人に絡みに行く変質者みたいである。余計に焦る。
「あの……」
……返事はない。
ボクもうっかりしているから気を付けないとすぐ他の人にまで子供みたいに耳の動きも言葉も出てしまう。だからあんまり人のことは言えない。
それでも獣人種は大きくなれば、ある程度は耳の気持ちを自制できるようになるものなんだ。ボクだって、本当に独りの時でないと出せない気持ちはある。
イチヘイのことは大好きだけど、だからこそ、一生言うつもりはない秘密もずっと胸に隠している。
なのに、いま会ったばかりのボクたちにまでここまで耳での感情も、なんならその他の仕草も明け透けに見せてしまう彼女は、まるで迷子の小さい子供みたいだった。
「おーいお姉さん……?」
「…………」
まばたきを数回する間くらいは間が空く。さすがにダメだったかも、と耳を斜めにしてイチヘイを振り返りかけたときだった。
目の端の彼女が、本当に唐突な動きでバッと顔を上げる。
「――――すまないっ!! 持病のしゃくがでていたっ!!」
「ひゃひっ?!」
ハナトを抱きしめたまま、その動きと声にビクリと身体をひねるボク。
けれど目を戻せば、彼女は、今までの様子まるでが嘘のように平静を取り戻していた。ガタガタ小刻みに揺れる車内に、ふぅーー――と長い息と共に落ち着いた声と言葉が吐き出される。
「……すまない、大丈夫だ……。臆面もなく本当に恥ずかしいところをお見せしてしまったね……許してほしい」
……『しゃく』って、なんか胸が痛くなるやつだったよね? ボクの死んだおばあちゃんが良くなってたけど。
(――――じゃあ、さっきの言葉は、聞き間違いだったのかな?)
……そうだよね、きっとそうだ。あるわけないもの、こんな遠いところまで来て……。
だって怖かった。ボクはさっさと自分を納得させた。
その間にも彼女は、その儚そうな顔立ちからは想像できないような、キリッとした目付きで話し続けていた。
「それに君たちの事情も考えず、失礼な態度をとってしまったこともお詫びしたい。けれどとにかく、この子の病気の方も名前がわかったよ。分析した感じと、この様子だと、ちょっと不思議ではあるのだけどどうやら胞果熱に罹っているようだ」
わからなかった。
「……。それってなに?」
「俺に聞くな」
けど答えは彼女が、教えるのが上手な先生みたいな口調で教えてくれる。
「ええと、そうだな、獣人種にも似たような病はあるとおもったよ? まあ、名前も症状も、少し違ったはずなんだけれどね。……胞果熱は、普通は魔法族、人族、大丈族とか……いわゆる毛皮を纏わない亜人種の幼児が、生後半月くらいまでにかかる病さ。
本格的に症状が出ると、なかなか目覚めなくなる病なんだ。……けれど不思議なのは、症状は確かに胞果熱であるのにこの子がどうみても9歳か10歳くらいに見えることで」
「あっ、それって、イチ………!」
イチはたぶん覚えてないと思うけど、イチもかかってたんだよそんな病気に。
とそこまで口にだしたところで、言っちゃいけないことを言おうとしていることに気付く。思わず後ろをチラ見してしまった。すごいにらまれてた。
イチヘイって変わった名前だから彼女に気付かれるかは怪しいところだけど、たぶんギリギリアウトだこれ。そして案の定、目の前ではまた彼女が耳ざとく、続きが聞きたそうに首を傾げだしている。
「ん? なににきづいたんだ? 『イチ』? なんの単語だい? この子の年齢に関係あることかい?」
(ひゃーん、どうやって誤魔化そう……!!)
でもそのあとは一瞬だった。窓際の背もたれに背中を預けていたイチが、サッとボクのすぐ隣(さっきまでボクが座っていた席)まで距離を寄せ、身を乗り出してきたんだ。
「…………名乗らずに問うなと言ったハズだ。俺はあんたが謝ってきたから多めに見てやってただけだぞ? どうにもすぐ調子に乗る口だな??」
ボクと違って疑り深いイチヘイの硬い声と一緒に、ボクの頭のうえにはまた硬い手のひらが舞い戻ってくる。無言の『しゃべるな』だ。それから、掴んでくるその指先にもグニッと力を込めてくる。
わ、いまのたぶん、ボクにも言ったよね?
「あっ、あっ……」
一方の彼女も、すごく分かりやすく挙動不審になる。変な声を上げながら、本当に申し訳無さそうにおでこを片手で覆った。ハッとする仕草で白金の髪を一房 顔の横へ滑り落として、こんな場面なのにそれがとても様になるのは、同性のボクでもちょっと度しがたい。
「す、すまない……。
これ以上は名乗らねばならないね。ただ、その……、キミたちが見た感じそうであるように、私の方も少しワケありでね……」
そうして額から外した手のひらを、見つめるかのように顔の前に浮かす彼女。半分 表情を隠した手指のうしろで、彼女の瞳がボクには読みとれない意図を浮かべて細まる。
「……やはり名乗れない、かな」
とたんイチヘイが身動ぎして、脅しつけるような低い声がうなった。
「―――あ゛? おい、好き勝手ペチャクチャしゃべるだけしゃべりやがって、なめてんのか??」
「ひいっ?! すまない!!」
すかさず彼女もひきつったような悲鳴をあげ、その手のひらを今度は降参の合図のように素早くくるりと返してボク達の方へ突き出してくる。
「わ、ちょっとちょっとイチヘイ抑えて抑えて、一応助けてもらってるからね?!」
しゃべるなとはいわれていたけど、さすがに慌てて止めに入った。横を見れば、この人はホントに竜を睨み殺せそう顔で彼女に視線を送っている。
でもボクの制止を聞き入れると、すぐに引き下がってくれた。まあけど今回のコレは正直、ボクにも怒っちゃう気持ちはわかるよ、気持ちだけだけど。
イチヘイは仕方なさそうに重い瞬きひとつと共に舌打ちすると、いつもの声に戻って続けた。
「…………で? そこまでして俺たちに関わろうとして、あんたは何がしたいんだ?」
「ああそ、その……ここは、耳が多いからね。できればよそで」
怯えながらもこわごわ返ってくる言葉。
しかしこれにはさすがのボクも、つい小さく「えっ」と声をあげてしまう。だって、コレは、
「その………日を改めて会ってもらえないだろうか?」
「い、いいんですかお姉さん……?」
つい聞き返してしまった。
(――――このお姉さん、こんなに警戒されててもこの態度に出れるんだ……?!)
つわものかもしれない。すごいなと感心してしまった。真意は解らないけど、ボク自身はこの『変なお姉さん』とまた会えたらいいなと思っていたから、本当に嬉しくなってしまう。
一方のイチヘイは、いつもの用心深さで質問を続けている。
「……『日を改めて』? なんの意味があるんだそれに。俺たちに利は?」
「それは……」
とイチヘイの問いに、回りを気にしてか押さえた声で返してくる彼女。
「……す、少し話を戻すけれどもまずはこの子の胞果熱の対処について話させてもらえないかい? これは結局は熱冷ましの薬を塗って寝かせておくのが一番効くだろうから……持っているのを分けるよ。
起きられるなら飲ませられるのもあるけれど、この病気は一度昏睡に入ったら次に熱が引くまで目覚めないから」
「わかった、もらおう」
「……それから、本題はここからなんだけど、私はその子のために……その……ええとだね……その、」
と、そこで彼女は急にどもりなから沈黙した。ボクは首をかしげる。
どうしたんだろう?
ただそう思う間に彼女はぐっと引き結んだ唇をほどいて、すごい早口でこう言いきった。
「私はその子のっ、喉のことについても話したいんだっ!」
「ん? なん……で?」
……なんでその話が出てくるの?
この子が話せないこと、しってるの?




