7:捨てたい約束、守るべき信念 ④
七章 ④/4
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ただ、それでもまだもうひとつ確かめられることが残っていた。約束の書き換えが出来るとわかったのだ。
それならば、けれど、いやもしかすれば――――、
「――――フィー命じる! 『この四つ目の約束を取り消せ』!!」
「え、ちょっと、まって!?」
叫び、フィーが身構える。
…………しかしなにも――やはりなにも、起きはしなかった。
「…………そうか、やっぱりそうだよなぁ……」
喉の奥でクツクツと皮肉っぽく笑って、頭を抱えそうになる。
「――――え、えっと……けっきょく、どうなってるのイチ」
しかしそこでおずおずと尋ねてくる聞きなれた柔らかい声には、それでも現実へ引っぱり戻してくれるだけの力はあった。見上げればフィーゼリタスは耳を斜めに開いて、不安そうに俺を見下ろしている。
「……。嗚呼……、」
崩しかけていた表情を持ち直し、俺はその呼び掛けに応じる。
ただ、いま気付いてしまった何もかもを詳らかに話すなどということは、俺はやはりどうしてもできなかった。
話して、誰の得になる? フィーゼリタスが喜ぶのか?
ゆえに僅かに閉ざした唇をまた開いた時には、俺は情報の開示を最低限に絞っていた。
「その…………いまお前が見た通りのことなんだが。まず、『四つ目の約束』は、論理矛盾を引き起こすから取り消せない」
「ろ、ろんりむじゅん、て??」
首をかしげるフィー。俺は苦虫を噛み潰すような思いしながら説明する。
「………『なんでも言うことをきくなら言うことをきかないでくれ』は……、例えばだが、飲もうとしていた水からカップだけ外して、その水を、カップが存在していたときと同じ状態で飲めるか? って話と同じだ。意味が通らねえだろ?」
「た、たしか、に……それはムリそう…………」
数瞬のあいだ目を上に游がせたあと理解したのか、フィーは不安そうに尻尾を片足の甲にかけ、胸の前で手を組みだした。
「それから、おそらく普通に会話してる分には特に問題はないが、『命令する』と号令したり、俺から『これは《誠宣》に関与する内容だ』と話してからおまえに何か指示を出したりするのが、どうやら引き金になるみてえだな。ただコレも、結局はこの約束のことなんかお互い忘れられていれば済むこ、と…………」
「…………」
しかし全て言いきるまでに、傍に立つフィーゼリタスの顔からはみるみる、放心したように表情が抜けていく。
俺はその顔をみて、コイツへの隠しごとにとっさに何も思わなかった自分――――、そしてフィーを思えば絶対に選ばない道だとしても、『この条件下にいる自分が相手にさせられる行動』について、今も意識のどこかで薄らに考えている己にじわじわと嫌気が差し、一度 話すのをやめた。
自分の人間性を思い知る。
もしこれが面識もない赤の他人であったら、俺は俺のためにひとつふたつとソイツを利用し、その自由意思を穢し、その先に侵して壊すなにもかもも嗤って済ませてしまうかもしれない。
このガキに対して今もそうであるように、俺は、結局は人間の姿に生まれてしまった何かでしかないからだ。
――――だが笑って騒いで、泣いて怒る、フィーの意思だけは。
俺はいちど、真珠瘤の臭いが染み付いてしまった仕事用の手袋を外した。両手で顔を覆うと思い切り胸を膨らませ、今度こそ本当に深く長い、憂いのため息を洩らす。
本当に、コイツは、とんでもないことをしてくれたと思う。そのクセその真意が、俺に向けられる分厚い信頼からくるものと理解できてしまっているがゆえに質が悪い。しかし逆に言えば、フィーだからこそ良かったのかも しれない。
「お前、まじで……、昨日も言ったが二度となんでも言うこと聞くとか他人に言うなよ?? 〈誠宣〉でもなんでも。こっちは良い迷惑なんだからな…………」
ゆえにその言葉も半分は本当にフィーゼリタスを責め、同時に半分は、自身を戒めるように放った言葉だった。そうして布越しにでもザラザラと肌を刺す岩肌に膝をつくと、俺はようやく立ち上がる。
しかし持ち上がった視線の先で、うつむいているフィーの顔にチラリと目を配せると――――長い耳とそこだけ白い睫毛を伏せ、噛み締めるように返ってきたその囁きと微笑みは、拾い上げるのも躊躇われるほど静かで真っ直ぐだった。
「…………。ごめんねイチ。いま……、アリゼリラスさまに誓った相手がイチで良かったって、ボクほんとに思ってる……。もし何かあったらボク、イチの身代わりにでもなんでもなるから…………」
一瞬、むぐ、と喉の骨が上がるのを感じて視線を下げる。
(コイツ、ぬけぬけと…………!)
一度下がった手は、そのままいつもより強めに自分の前髪をガシガシと掻く。
居心地の悪い想いから気をそらすように考える。
結局のところここまで、明確に損をさせられているのは俺だけだった。
俺だけが実害を被り、俺だけが困り、そして今もただ俺だけが、たった1人の相棒のために『越えてはいけなかったかもしれない一線』を越えさせられた。
そして俺が最も消えてほしいと思っている4つ目の約束は、おそらくコイツが金を返し終わるまで棄て去れない。
奴隷のガキを一匹買われただけで、こんな大事になるとは思いもしなかった。
それに現状、俺にとってこのガキもまた、相変わらず意味のわからない存在である。
笑顔を向けてすり寄られると、俺はコイツに対して理由もわからないままにじわじわと憎悪を自覚させられる。できうるなら今でも遠ざけたい気持ちだ。
だがそれでもこんな形で、ハナトを大事に背負う『無二の相棒』に乞われた以上は、たとえ俺には不本意でもここでフィーに変えさせた〈誠宣〉は守り、その義理も徹しきるつもりだった。
……それが、俺が人の『かたち』で生きるために、今まで無二の相棒の隣で貫いてきた、そしてこれからも貫くべき立場にちがいなかった。
「――――まあ、結局俺が譲らないのは、最終的にお前が金を返すとこだけだ」
ゆえに気を取り直して口を開く。もうここまでやらされたら、俺もこれだけは譲ることができない。
「……というか、な、フィーゼリタス。俺にそこまで迷惑かけた自覚があるなら、都合つけるのはもう金じゃねえぞ、ケジメだ。
俺の金から抜いた159エラと10ピニ……このケジメもつけられねえなら、それこそ敷物になってもらうからな……??」
敷物になど、もうもちろん本気ではない。しかし実際それくらいの恫喝はしても許されるだろう。
「うん、勿論だよイチ……。きっちり返すよ……返すから。…………約束する形は、間違っちゃったけど……」
一方フィーも、心底申し訳なさそうに翠の目を潤ませながら俺を見る。それでももう謝罪の言葉を口にしないのは、『この件でもう謝るな』と言った俺の意思を汲んでくれているからなのだろう。
「……分かってるなら、もういい」
話はこれで終わりだと示しつつも切実に思う。
(こんな意味わからん状態、早く返しきってさっさと終わらせてくれ……)
「ね、ねえ、イチ、」
そして一方のフィーはその申し訳なさそうにしていた顔を傾げると、顔を逸らす俺の目をさらに追いかけ覗き込んできた。そして急にとても幸せそうな、同時にそれと同じぐらい困ったような不思議な微笑みを俺に見せる。
「……ありがとう」
「……あ? おう」
とりあえずぺしぺしと、その耳の間の撫でる。フィーがエヘエヘと嬉しそうにする。しかしふとふたたび俺の顔へ視線を寄せると
「――――え、イチ……いまの、もしかして照れ笑い? え? 嘘………見間違いじゃないよね……??
……ボクの知らない間に妖魔と入れ代わってたりしないよね??」
珍しすぎて怖い、のような意味の慣用句を使ってくる。
(コイツ……)
「うるせー、飯だけ食ってさっさと森まで降りるぞ」
「へぶっ」
撫でていた手の形のまま、今の今まで撫でていたそこをまた叩き、俺は先に歩きだした。
しかし後ろからは追ってくる爪音が聞こえてこない。その不自然さに振り向くと、フィーゼリタスは何故かまだ感極まった顔で俺をみつめていた。
長くふさふさした尾をすらりと持ち上げ、ゆったり揺らしている。
そのしっぽは、なにか深く思うことがあるときに良くしている仕草だった。
「? なんだ?」
まだ俺をからかいたいか?
「ん、その、ごめんねちょっといろいろ……ホントに、ここまでいろいろあったから、嬉しくなっちゃって……」
「? こっちはいい迷惑なんだが」
フワッとした答えへ鬱陶しさも全開に返すと、フィーはようやくこちらへ駆け寄ってくる。
「でさ、イチヘイ……真珠瘤の数は足りた?」
なんだよそれが聞きたかったのか?
なにかひっかかりは覚えるも、コイツはいつもこんな感じだ。いちいち構っていられない。
「……足りた。お前のとあわせてギリで」
「良かっ……たぁ……」
すると聞こえるその声が、とたんに気が抜けたような安堵と喜びをはらんでため息となる。それはコイツが、背中のガキに対してやはりそれなりの思いを持っているからに他ならないと、類推できた。
(…………まあ、いいか)
また出口を目指し、相棒を置いて先に歩き出す。
俺は、祈る神など持たない。
もし俺を守護するような神がいたとして、それはおそらく疫病神か悪魔をそう呼び間違えているだけにちがいない。それにそんな神など全部、俺は八つ裂きにして殺してやりたい。
(それでもフィーが、これだけこのガキに心を注ぐのならば……)
――――……新しく俺たちの前に現れたコイツが、どうか壊れかけたフィーの心をつなぎ合わせる鎹となればいい。
俺は、祈るように願っていた。
――❀✣❀✣❀――
体が、熱い。
熱いのに、時々すごく寒い。手も足も体も、動かすのが辛いくらいにだるくて、すごく重い。頭も痛い、噛まれて増えた傷も身体中の傷もやっぱり痛い。
去年の冬に重い風邪をひいたときも、こんなに辛くなかった気がする。
本当は今日の朝から、だんだん変になっていく体を我慢していた。
あたしは何もできない子どもだから。
我慢することしか、今は役に立てないから。
二人は、お母さんやお父さんとは違うから。
だから、頑張っていたのに……。
ーーーー……ふう、ふう、と膨らんではしぼむ自分の胸の感覚と、歩く早さで揺れる体の重さで、あたしはまた目をさました。身体中を包むだるさと痛さがつらくて、フィーゼリタスにおんぶされてからはこうしてずっとうつらうつらしている。
オレンジ色でふわつやした毛ざわりの首にあたまを乗せて、今は森の中に敷かれた石畳の端っこを進んでいた。
近くを川が流れているのか、シャラシャラとないしょ話でもするように聞こえてくる水の音と、湿った土や緑の匂いが、あたしのぼんやりと霞む頭にまで知らん顔をして入りこんでくる。
二人が歩きながら、自分たちの身体をそれぞれ嗅ぐ仕草をしながら話している声も、今はすごくぼやけて遠い。
(……でもあれは、あの光は、なんだったんだろう……)
重たい頭をどうにか動かしてひとりで考える。
フィーゼリタスの背中とのすきまに挟んだ、噛まれていない方の右腕で、あたしは黒こげになってしまったこの板をまだ抱き締めている。
あたしは、あたしを食べようと襲いかかってくるモンスターからイチヘイに助けてもらった瞬間も、やっぱり役立たずだった。
『言葉も出せなくなってしまった私は、けっきょくなにも伝えられない。なにもできない、今も、こうして悲鳴をあげるしかできない』
あの瞬間、電気が走るようにそれが解ってしまった。
(イチヘイは、あたしのこと嫌いみたいなのに、それでも守ってくれる。ふぃーぜりたすもすごく強かった。なのに、どうしてあたしは……)
みじめさに目の前が真っ暗になりそうになった次の瞬間、良く判らないままビームみたいなのが、板から出た。それから今度こそ『話すこと』ができなくなって、倒れた。
二人ともすごくびっくりしていたみたいだったけど、何であんなのが出たのか、結局あたしにはなにも聞いてこない。
だから、さっきイチヘイが話しかけに来てくれた、のは、
(夢だったの……かな……)
だってあたしは今、なにも『話せない』。
嫌いならもう声をかける意味なんかないのに、話しかけてきてくれた。
ちゃんとお話ししたい、って思ってたから、すごくうれしかった。
ふぃーぜりたすに背負われる私に、
『飯を食えるか』
ときいてくれた気がする。食べられなくて、でも何も伝えられなくて、どうしようと思ったら、
『じゃあムリに食わなくていいから水は飲め』
って言ってくれた気がする。
だけど寝たり起きたりをくり返しているから、それも本当はやっぱり夢だったのかもしれない。
ううん、もしかしたら本当は、あたしがあの大きいモンスターを倒せたことも、実は夢だったんじゃ、ないだろうか。
ふわふわで柔らかい背中におんぶしてもらって、こうしてここにいるのも。
(――――夢じゃ、なければいいのにな……)
もういまは、歩く早さで揺られるのさえ少し辛い。それ以上は、やっぱりもう考えられない。
意識がわやわやになって、まぶたも勝手に落ちてきて、あたしはまた、なにもかも嘘か本当かわからないような眠りの中に落ちていった。




