7:捨てたい約束、守るべき信念 ③
七章 ③/4
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とたんフィーは、今まで俺すら一度も見たことのないようなポカンとした表情でこちらを見返していた。
しかし目は、もう游がなくなっていた。
それを見つめ、改めて問う。
「…………で、了承するのか?」
「…………。しま、す……」
圧倒されたように、ささやかに返されたその言葉。
――――それは俺の相棒が、生きることを全ては諦めていない徴と捉えて良かったのだろうか。
そして同時にそれは、俺がまだ、死を見つめるフィーゼリタスの両目を塞げるだけの存在であることを意味していた。
ざらりと胸の内が騒ぎだす。
そこに沸き起こる感情の意味を、俺がまた掴みきれずにいた、その刹那……だった。
――――カンッ!
と響く杖を突く音。
花びらのように舞って散る、青と緑の読めない文字列。
確実に聞こえ、見えた。直後、確かに再び俺の内側を包囲してくるのはおぞましい『あの感覚』だった。
鈴の音はしなかった。
(初回だけなのか?)
その不愉快な感触はフィーにもあったのか、長い耳についたピアスの鎖が身震いに合わせてチャリチャリッと揺れる。
――――つまりどうやら本当に、正式に、約束は『書き換えられて』しまった。
「………………」
確かに、フィーのために勢いで言ってしまった部分もある。言えば何かが変わってしまうとも思っていた。ただ同時に、ここまで明確に何かが変わるとは思わなかった。
2人の間に下りる、わずかの沈黙。それからやっと我に返ったように、フィーが俺に呟きかけてくる。
「え、え……そういう使い方するの? ホントに? アリなの……?」
「…………、まじか…………」
が、一方の俺もまた驚きと共に、意図しない事態への戸惑いが混じる複雑な感情に思考を塗り替えられている。思わずしゃがみこむ。〈四ツ足ノ禽〉の体液の臭いをよけて、両手の甲で額をおおった。
コイツが俺にした『4つ目の約束』は正直、命令への躊躇いを持てなくなったが最後、人としてはどこまでも堕ちていける呪いでしかない。
俺だってフィーゼリタスにムカつくことはある。さっきだって言うことをきかずに業を煮やしていた。昨日、斬りかかったあの時も、確かに半分は『遊び』だったが、もう半分は、本気で殺そうとも思っていたのだ。
――――次にそんなことがあったとき、感情的になった俺の耳許で、『もっと簡単にこうできる』と、この〈誠宣〉がずっと囁き続けるとしたら?
…………俺は、聖人君子ではない。
だから最初から、見ないふりをしていた。
フィーに対して、昨日からこの話題を深く振らないでいたのもそのためだった。
いま、『神との契約』としても公式に踏み越えてしまったらしいこの『一線』が、俺にとってどれだけ重たいものか。
それもまた、フィーには知られないで欲しかった。
「………………。」
…………だがこうなってしまった以上、深く考えるほどにひとつふたつと俺の中に懸念が増えてしまったのも、また確かなのである。
「ええ? ていうか、書き換えたらちゃんと承認までしてくれるんだ〈誠宣〉って……」
ゆえにまだ純粋に驚いているフィーをチラリと見上げ、俺は一瞬だけ考え込む。
そしてやはり強烈な抵抗を感じながらも、おずおずとその名前を呼んだ。
「――……なあフィーゼリタス」「ん、なあに?」
「…………今、おまえに命令してみてもいいか?」
唐突な申し出に、背中のハナトの様子をチラリと気にしていたフィーが、一気に俺の顔に目線を戻してきた。
「……え? どうしたのイチヘイ」
だがその表情は、出かける俺にいつも『どこへいくの』と聞いてくる時と何も変わらない気軽さだった。
その、一片の曇りもない信頼に複雑な思いを抱えながらも、それならば余計に、口を閉ざすわけにはいかないとも感じた。
「その……今の音、おまえも聞こえたし感じてただろ? ……〈誠宣〉は、正式にも書き換えられたんだよな?」
「うん。だと思う」
「……だが俺はいま、きのうお前が詠唱した〈耳長族の守護神への誠宣〉っぽいモノは、なにもしてねえんだよ。ただの会話だ。お前何か知らないか?」
「ごめん、ボクもイチヘイとが初めてだから……。『ちゃんと詠唱してお願いしたら、通る』ってことくらいしか知らないんだ。それにイチも言ってたけど、多分神様との誓いを書き換えようなんて、考える人いないよ……」
……だろうな。いちおう確認はしてみたが、まあ、先ほどの反応から解っていたことではあった。息を吐きながら俺は続ける。
「だからなフィー、こんな冗談みたいなユルさでこの先、妙な場面で発動されても困るんだよ…………。もう少し条件を検証させてくれないか? その意味で、もっと明確な形でもお前に命令を――」「うん、いいよ分かった! やろ!」「もう少し考えて答えろ」
あまりに即答すぎて睨み付ける。
「ん、だってボクが撒いたタネでもあるし……。イチヘイのこと信じてるし……」
すると耳を斜めにしながら申し訳なさそうに首をかしげられた。普段なら『なにいってんだ』とせせら笑うような一言である。
今よりこれを、重たく受け止めたことはなかった。
渋い思いに口許を引き結ぶ。それでも、今後のためにはこれを避け続けるわけにはいかない。
「……じゃあいくぞ」「うん」
簡潔に、呼び掛けた。
「――――フィー、命じる、『手を出せ』」
「!!」
どこからともなくカンッ! と杖音が聞こえ、また青と緑が舞った。やはり鈴の音はしない。
ただ同時にフィーの右手が、俺の前にきれいに指を揃えて差し出される。人間とほぼ変わらない形、薄く細かい白毛に覆われ、掴むと物に触れる位置にはそれぞれ肉球がある…………見慣れた手だった。だが、
(…………これ、は)
平静を装って片眉を上げ、ゆっくりと問う俺。
「…………今の、おまえの意思か?」
確実に違った。顔を見るだけで判ってしまった。
「えと、その……。う、腕と指に勝手に芯? みたいなの通されて、無理やり動かされるみたいな気持ちだった。
これより長いのだったら、もしかしたら意識も持ってかれるかもしれない…………『約束の書き換え』より、もっとすごく気持ち悪い……」
相当な不快感だったのか、戦きと驚きに歪んだ表情でふるふると首を振られる。俺は静かに返す。
「………。そうか」
斜めに顔を逸らしつつもどうにか動揺を押し隠す。
そしてまた額に手の甲を当て俯いた俺は、いったん状況を整理して落ち着こうとした。
まずははじめに、さっきフィーのために行った約束の書き換えについてだ。
俺はフィーに対して『命じる』とは一言も言わなかったが、結局は要請という形で命令をきくよう促していた。しかしいま、『命じる』と言葉にしてはっきりと命令したとき。
フィーの手は、単純な命令の遂行どころか『いま、俺が命じる時に頭の中で考えていた、『指を揃える形』での差出し』を行ってきた。
この〈誠宣〉は『約束を破った』旨を口にすることが死則の発動条件となっていたが、その違反したこと自体が真実かどうかは、当人たちにしか判らない。
つまりこの〈耳長族の守護神の誠宣〉は、おそらく契約者の意思を読んでいる。
その上で条件を発動させることに、『言葉にのせること』を、魔法としての一番の原則においているのだろう。
そこに、今のフィーの、この証言である。
――――以上の考察と、類推からして、
(くそ……。結局『最悪』でしかねえじゃねえかよ…………)
――――……おそらくフィーゼリタスは、俺が『そのように在れ』と『命じるつもりで』『言葉にした』ことを、本当になにもかも拒否できない、のだ。
さらに長い命令になると、抵抗もゆるされないようだ。
それにも増して良くないのは、今の約束の書き換えの時にフィーに意志があったことすら、俺が『そのように在れ』と願ったからかもしれない、という可能性が残ることだった。そうでなければ二つ目にした命令とのちがいに説明がつかない。
(強いての幸運は…………昨日からここまで、あの『鈴の音』も『杖の音』も、俺とフィーゼリタスが接してきた場面では一度も聞こえなかったこと位、か……? クソが……)
ゆえにおそらく今言ったように、〈命令を言葉にする〉。
これを大原則として、『命令だ』と唱える。
あるいは、『これは〈誠宣〉に関わる内容である』と相手に明確に意識させる。
などをトリガーとして発現している……と思われる。
(…………いや、なら、それなら、俺がただの『願い』として口にしたことを、フィーが拒否できないと勝手に思い込んだら……?)
――――……あるいは、すべてフィー自身の意思だと思い込ませるよう、俺が命じることが可能だったら?
(やはり、重、すぎる…………)




