7:捨てたい約束、守るべき信念 ①
七章 ①/4
読了目安→4~7分
ハナトが、倒れた。
フィーゼリタスが抱え起こすと、高い熱を出しているようだった。
一旦はこのガキに対してあんな説明のしきれない感情を抱えていたクセに、気付けば俺も動揺してしまっている。
それでも帰投の前にはフィーの要望通り〈四ツ足ノ禽〉の死骸だけは漁っていく。どちらにせよ金がなければ何もできない。
俺は改めて革手袋をはめ、薄暗い洞窟で死骸の口の中を覗き込んでいた。辺りに倒れるそいつらは、首をへし折られた③号以外はガキの放った〈魔法〉――? と思われる攻撃を受け、無惨に青黒い血と内臓をぶちまけている。
漂う臭気とともにグロテスクな状況ではあったが、①号から4つ真珠瘤が見つかったとき、俺たちの間には、もしかしたら数が足りるのではないかという、蜘蛛の糸を掴むような希望が生まれはじめていた。
上顎や舌の裏につくそのゴツゴツした瘤は乳白色で、外からの薄明かりを受けまさに真珠のような虹色を帯びる。
しかし刃で上顎の表面からその礫を抉り出すと、あの大空洞のドブの臭いを、限界まで煮詰めたような強烈な異臭がした。死骸の臭いなど物の数にも入らない。先ほどの幼獣でフィーゼリタスが嫌な顔をしていた理由がわかる。
風に巻き上げられ、ときおり鼻腔へ覆い被さるその悪臭に噎せながらも俺は一つ一つその粒をはずしていく。
とにかく断面からにじみ出す汁が臭いようので、あとで洗えばそこそこ臭いは抑えられるだろうか、いや、そうであれ。
そしてフィーゼリタスは意識の朦朧としているハナトを背負ったまま、俺のうしろで背筋をまるごと削られて ぐにゃぐにゃ になっている②号か①号の死骸に近づいているようだった。さっきからずっとその周辺をウロウロしている。
そこに転がる二体からの採取はもう終わっていたが、採取用のナイフが一本しかないため単にコイツの出番がないのだ。
相棒は気を紛らわすためか、
「うわあ……なにコレ……」
などと呟きながらなにやら死骸を気持ち悪そうにつついている気配もあった。……かと思えば、不意に立ち上がり、やはり不安そうに声を上げる。
見ているこちらまでイライラする程度には最っ高に挙動不審だ。
「ううううイチぃ、こっちになんかあるようー……?」
「知らん、ちょっと黙ってろ」
刺々しく返す。答えてやる余裕は持てなかった。
手は動かしていても、頭の隅にはずっとハナトが倒れる前に俺に見せた『謝罪』の手信号の様子がこびりついて、延々と離れなかった。
思えば手信号以外でも、コイツは何度も俺に謝っていたように思う。ハナトは確かにガキだが、俺が思うよりは随分と中身は大人であるゆえ――……いや違う。これでは語弊があるのだ。
子供は、必要ならいくらでも大人になれる。そして必要なだけ大人に媚びへつらい、大人にすり寄るのだ。
(そうだ、俺はなぜかそれが、心底許せない……)
本当に、それが不愉快だった。
そのくせ、俺はハナトに十分な装備を与えられないのを気にかける。今もこうして倒れれば手を尽くし、助けられたことも、本当は感謝するべきだと思っている。
普段の俺なら、他人には絶対しない行動を無意識に取らせてくるこのガキ。その行動を選ばせてくるガキと同一の人物を、同様に嫌悪する俺。
埋まらない矛盾、自分の感情を支配下に置けない不快感。
さっきからずっと考えている。
本当に意味が分からない。解らないから余計―――ー。
「――ねえイチ」
「……黙ってろって言ったろ」
「あのさ」
「っ、なんなんだよ!」
「イチは、ハナトちゃんのこと、嫌いなの……?」
弾かれたように思考が止む。知らずフィーを振り向いていた。
円い太眉を下げ、どこか遠慮しながらも真っ直ぐに俺を見ていた相棒と視線ががかち合う。
――――フィーはたまに、俺の考えを読んでいるのではないかと思うことがある。論理的で複雑な思考と判断は苦手、戦闘時以外は割とのんびり屋でポンコツのくせに、人の気持ちの機微に対してだけはいつも聡く鋭い。
じっと考えた末に、ときおりこうして針の先を通すような言葉をかけてくる。今もタイミングが悪すぎてゾッとする。
そして先程から懲りずに、また同じ話題を持ちかけてくる。コイツは、そういうヤツだった。
「……チッ……」
俺は嫌そうな顔をしてみせながら内心で舌を巻く。
立ち上がって正面からフィーを見れば、その背中には力なく負ぶわれるハナトの姿。ようやく、渋い顔で口を開く。
「……仕事の邪魔だ、とは思っている」
「そう、なの……」
しかし述べたのは、コイツに向かってもはっきり言えることだけだった。
確かにコイツのいう通り、俺はハナトが嫌いだ。
対峙すると、俺の内には先ほど述べていたように不愉快な、『嫌い』という感情――――、……いや、思えばこれは、
(――……あ……? 俺はハナトを『憎んでいる』……、のか……?)
はたと気づき、愕然としてしまった。
こちらに来てすぐの頃、最も強烈に覚えたその感情が、そしてもう何年も遠ざけられていたその感情の名が、気持ち悪いほどに胸に馴染んだからだ。
そう考えるなら、あとから込み上げるこの忌避感も嫌悪も、腹に落ちる。
しかしどちらにせよ、どう名前がついたにせよ――――結局はそのどれも、抱き上げても軽かった、何もできないような一人のガキに対して、俺が抱くような思いでは絶対にないのだ。
……ならば余計にこんな意味の解らない心は、誰にも――――いや、1人しかいないこのフィーゼリタスに対してだからこそ、絶対に話したくはなかった。
言葉に尽くしがたいその心象をもてあます俺には沈黙が下りる。
「ね、ねえソレ、本当にそう……?」
それでもフィーゼリタスは、また勝手に一人で喋りはじめている。俺になにか思うところがあると、コイツはすぐ饒舌になるのだ。
「さっきもイチヘイ、ハナトちゃんのこと見捨てないで護ってたよ……? 前のイチだったら、見捨てるかボクに投げに来てたよね? 今もひどい顔してるよ? …………なのになんでイチは、そんないじわるな突き放しかたしてるの……?」
「っ、っ……!」
矢継ぎ早に問いかけてくるフィーゼリタス。
いつもなら怒って、一つずつ訊けとたしなめる所だった。
だが今の俺は、そのどれもの答えに窮している。己の感情を己のモノにできない儘ならなさに、目の前のフィーを知らず睨み付けてしまう。
おそらく俺の顔はいま、無様に歪んでいるのだろう。
(そんなの、俺が知りてえよ……)
「…………」
しかし俺のその表情をどう受け取ったのか。フィーゼリタスは「あっ」と小さく声を上げたかと思うと急に目を白黒させはじめる。
「……ご、ごめんねイチヘイ……。この子のこと、面倒みるのはボクだよ。約束したもの。でもねそのね、たぶん――――」
背負子に座らせたハナトへ大事そうに腕を回し、焦った様子でのたまうフィーゼリタス。
「――――ボク、この子に助けてもらったんだよ? なのになにもしてあげられないんだ」
…………何が言いたいのか全くわからない。
だが話す言葉は遠慮がちなクセして、上目遣いに俺を見るその双眸には途中から奇妙な――――まるで火のついたような苛烈さが、確かに点っていった。
「ああ? なんだ、よ……?」
その様相に、俺も途中でようやく違和を感じる。
その間にもフィーはその眼差しで死骸を1つ2つと軽く跨ぎ、いつもの爪音を鳴らして、俺の眼前まで近付いてきた。
それは、腕を伸ばせば触れられるほどの距離。
「イチヘイ、約束、ね? 破ってしまうけど、ボクはここにお願いします。ハナトちゃんともっと仲良くしてほしいです」
俺の相棒はその強い瞳でちらりとこちらを一瞥し――――それから立ちすくむ俺の前に粛々と跪く。
背中のハナトを、やはり優しく気遣うようにしながらも。
「あ゛? おい――――?」
そして耳から垂れるピアスの鎖と紐をちゃらりと揺らし、纏う服の衣擦れの音と共に深々と頭を垂れる。一切の淀みなく声を上げた。
「―――ボクさ、イチにも迷惑かけて、オモチャみたいにこの子の命を買ってきちゃった。でもハナトちゃんは、ハナトちゃんの心を持ってるから…………、だからボクこの子を『幸せ』にしないといけないんだ。
イチとの約束……破っちゃうけど、やっぱりイチヘイにも、ボクはこの子とちゃんと向き合ってほしいのです。
ボクはもう、毛皮の敷物になってもいいから……。ハナトちゃんには、今はイチしかいないの。
だからどうか、ここに、切に」
ザラリ、と胸の内をヤスリで舐められるような感覚が走った。こんな畏まった態度、コイツにされたくはなかった。
次いで再び甦る、『嫌だ』という忌避感。
胸に混じりあう様々な思いと共に、俺ははたとそのセリフ、フィーの瞳へ点っていた光に、嫌な既視感を覚えている。
(もしかしなくてもこれは、昨日の、〈誠宣〉に触れる話をしてる、な……?)
それは、昨日の部屋でフィーが勝手に耳長族の神と交わしてしまった、俺にとっては滅茶苦茶な誓い。
〈1つ、ハナトの世話はフィーゼリタスがする〉
〈2つ、フィーゼリタスが使い込んだ俺の金は、フィーゼリタスがきっちり返す〉
〈3つ、フィーゼリタスの金をどう使うかは俺に任される〉
――――そして4つ目。
〈フィーは、俺の命令に逆らわず何でも言うことをきく〉




